49場 小さなドジっ子デュラハン

 シエラ・シエルは、ラスタとルクセン帝国を隔てる大河の中に浮かぶ小島だ。


 七十年ぐらい前まではラスタ西端のリッカ領だったが、当時のリッカ公女と対岸のグランディール領主が結婚したのを機に、独立してシエラ・シエル公国となった。


 とはいえ、文化も言葉もラスタとなんら変わらない。うみねこたちの鳴き声が響き渡る中、レイと並んで船を降りる。


「んー! ようやく着いたー!」

「久しぶりだなあ、この街並み。百二十年経っても、ちっとも変わってないや」


 レイが懐かしそうに目を細める。


 目の前には段々畑の如く連なる白壁の家々。シエラ・シエルは中心のアラスト山に向かってなだらかな坂が続き、その頂上には見事な尖塔をたたえた公城がある。


 魔法学校はその中腹。今、メルディたちがいる港からまっすぐ坂を上ったところに建てられている。


 悠久の歴史を感じさせる、古びた赤煉瓦で作られた外観は、さながら古城――それも子供が積み上げた積み木細工の城のように見えた。


「お姉ちゃーん。レイさーん。いらっしゃい!」

「グレイグ!」


 手を振りながら近づいてきたのは、数ヶ月ぶりに会う弟だ。今日着くことは事前に手紙で知らせておいたので、迎えに来てくれたのだろう。


 グレイグはいつもの紺色の鎧兜の上から、真っ黒なローブを羽織っていた。左胸には開いた本と羽ペン、そしてインク壺の紋章が金糸で縫い留められている。魔法学校の制服だ。


「あんた、今は真夏よ? 暑くないの?」

「暑いよ。でも、規則なんだから仕方ないでしょ。外に出るときは、みんな着なきゃいけないんだよ」


 グレイグはレイから二人分の旅の荷物を受け取ると、手の先に生んだ闇の中に収納した。相変わらず闇魔法は便利だ。


「レイさん、来てくれてありがとう。パパがごめんね」

「いいんだよ。論文はどう? 順調?」

「それがさ……」


 グレイグがため息をついたとき、ヒソヒソと話す声が聞こえた。よく見ると、港で屋台を出している店主たちが、眉を寄せてこちらを眺めている。ちょっと嫌な感じだ。


「魔法学校生は嫌われてるからねえ。ただでさえ、グレイグはデュラハンで目立つし」

「えっ、なんで? シエラ・シエルは学問の街でしょ? 魔法学校の生徒はお得意さまなんじゃないの?」

「お得意さまだけど、それ以上にトラブルを起こすからね。祝福されるのは、卒業してこの大河を越えていくときだけだよ」


 学生は職人と同じで怖いものがない。酒を飲んで騒いだり、魔法の練習やらなんやらで、よく周囲に被害を及ぼすので、シエラ・シエルでは「魔法学校生には気をつけろ」というのが標語になっているそうだ。


「レイさんのときもそうだったの?」

「あっ、馬鹿、グレイグ……!」

「僕のときはみんな泣いてたね。前線に召集されたから」


 レイは大学院在学中にモルガン戦争に駆り出されている。戦後、魔法学校に戻らず、そのままグリムバルドに根を下ろしたから「中退」なのだ。


 黙り込んだグレイグをこづくメルディに、レイがいつも通りの顔で笑う。


「別に気にしてないよ。もう百二十年も前なんだから。それより、このまま魔法学校に行く? それとも、観光してから行く?」

「あ、私、武具が見たい!」

「……相変わらずだなあ、お姉ちゃんは」


 すかさず手を挙げるメルディに、強張っていたグレイグの肩も緩む。


「じゃあ、商店街の方に行こうか? 僕も魔法屋を覗きたいし――」

「おい、邪魔だ!」


 レイの言葉を遮るように、大通りの先から怒号がした。『文房具屋』と書かれた看板の下、綺麗に敷き詰められた赤煉瓦の街路の上で、魔法学校の制服を着た子供が蹲っている。


 その周りには、ノートや本や筆記具が無惨に散らばっていた。


 ぺこぺこと頭を下げて謝る子供を見て、頭にタオルを巻いたガタイのいい男たちが舌打ちをして去っていく。どうも、荷を運ぶ船乗りとぶつかってしまったらしい。


 咄嗟に駆け寄り、子供に手を差し伸べる。


「大丈夫?」

「あ、だ、大丈夫です。ごめんなさい」


 びくっと肩を揺らした子供がメルディを見上げる。


 驚くことに、子供はデュラハンだった。ショートカットの黒色のカツラの下には、夏の日差しすら飲み込みそうな黒々とした闇が広がっている。


 青白い一対の目の上には、太い黒縁の眼鏡。ローブの下には白いシャツとベージュのサマーベストを着込み、だぼだぼの黒いズボンを履いている。


 最近は鎧を着ないデュラハンが増えたとはいえ、それは首都に限っての話で、地方ではまだ少数派だった。人の目など全く気にしないグレイグですら、「脱いでると肩身が狭い」とぼやいているぐらいだ。


 その上、目の前の子供はグレイグとは比べ物にならないぐらい体が小さかった。身長こそメルディよりも高そうなものの、ローブの袖から覗く手首の太さはヒト種と変わらない。


 これはデュラハンにしては珍しいことだ。今年、四十代後半に差し掛かったリリアナでさえも、リンゴを片手で粉砕できるたくましい腕を持っているのに。


「エレン、大丈夫?」


 メルディに続いてグレイグが近寄ってくる。レイは若干引いた位置からこちらを見守っている。


 エレンと呼ばれたデュラハンは、慌てて荷物を拾い集めると、差し伸べたメルディの手を取ることなく、その場に立ち上がった。


「だ、大丈夫。ごめんね、グレイグ。いつも面倒かけて」

「別に面倒とか思ってないけど」

 

 エレンのローブについた土埃を払いながら、グレイグが素っ気なく言う。家族以外には愛想のない弟にしては、かなり優しい。むしろ、メルディにはここまでしてくれないだろう。


「グレイグのお友達?」

「ボ、ボクなんかが友達なんて恐れ多いです! グレイグには、いつも実習のときに助けてもらって……」


 飛び跳ねるようにエレンが肩を揺らしたと同時に、鐘が鳴り響いた。少し鈍い真鍮の音。魔法学校の正午の鐘らしい。シエラ・シエルでは役所ではなく、魔法学校が時報の役割を担っているようだ。


「あっ、まずい。そろそろ帰らなきゃ。ごめんね、グレイグ。また後で!」

「うん。また転ばないでよ」


 あわあわと駆けていくエレンの背を見送り、グレイグが「危なっかしいなあ」と肩をすくめる。


「あんたが誰かの世話を焼くなんて珍しいわね。なんか否定されてたけど、お友達じゃないの?」

「どうなんだろ。エレンとは野外演習や実習で組むことが多いんだけど、メイン学科は違うから……。友達っていうよりも、同期生って言った方がしっくりくるのかな」


 魔法学校生は一年目は基礎、二年目は応用、そして三年目になると、メイン学科を一つとサブ学科を二つ選び、より専門的な授業を受ける。


 七つある学科のうち、グレイグは魔法紋を専門的に学ぶ魔法紋学科、エレンは魔機や魔具の製作を学ぶ魔技術学科がメインだそうだ。


「まあ、三年目以上になると、同じ学科生とつるむことの方が多くなるからね。院に進んで研究室に入ると、余計そうだよ」

「へえー、初等学校とは全然違うんだねえ」

 

 レイの補足に、素直に感心する。都会でも田舎でも初等学校は十把一絡げである。知らない世界の話は聞いているだけでも面白い。


「ところで、あの子は男の子? 女の子?」


 ヒト種のメルディには、デュラハンの性別はさっぱりわからない。


 エレンは女性に多い名前だが、男性にもいる。ローブを羽織っているので、体つきもわかりにくかったし、声も中性的で判別しづらかった。できるなら、エイヴリーの二の舞は避けたい。


 首を傾げるメルディに、グレイグは渋い顔をすると、心底嫌そうにため息をついた。


「なんで、そんなこと気になるの? レイさんっていう素敵な旦那さまがいるのに、浮気するつもり?」

「えっ、なんでそんな話に……」

「へえ、そうなの? メルディ」


 じろ、とレイに睨まれ、思わず肩が跳ねた。


「さ、さあ、そろそろ行こうよ! 時間は有限だからね!」

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