20

「冬ちゃん、もう9時よ。お腹空いたんじゃない?」


夏子が引き篭もる冬児の部屋で声をかけるのは、もはや日課となってしまっている。


「…お腹が空いたら教えて?

後でいつもみたいに朝ご飯を持ってきてあげるからね。」


今日もダメだったか…。


冬児が自室に引き篭もるようになってから、あまり顔を合わす機会がなくなってしまった。

おぼんに載せた料理やオヤツをドアから手渡す時や、トイレや風呂に向かう時に顔を合わす程度で会話も減っていた。


「フユは相変わらず?」


夏子の近くに寄ってきた秋奈は髪の毛先を撫でながら、夏子に優しく声をかけた。


苦しむ息子を助けてあげられず、不甲斐ない気持ちに押しつぶされそうな夏子は寂しげにコクリと頷いた。


「泣かないで。お母さんはちっとも悪くないよ。

フユも悪くない…。

だって頭がおかしい奴から、みんなを守ったんだから。

警察官の山田さんだって、フユに同情していたわけだし。」


口元を押さえて夏子は涙を流さぬよう、ぐっと堪えている。


「でも、フユはちょっと真面目過ぎない?

そこがフユの良いところでもあるんだけどね。

もちろん喧嘩は良くないけど…。でもやっぱ真面目過ぎだよ。」


「冬ちゃんは胸の内をあまり教えてはくれないけどね。

お母さんにはなんとなくわかるの。

冷静さを失って…我を忘れて暴れ回ってしまった事で、取り返しのつかない事をしでかしたんじゃないかって。」


「…正当防衛だよ。そう、正当防衛。

フユはみんなを守る為に鬼頭ってワルを殴って止めたんだ。

あの不良がいくら昏睡状態になったからといって、別に死んだわけでもないしぃ。

今は退院したわけだしぃ。

今回の件で調べたら鬼頭って素行の悪さは有名だったんだから。」


秋奈の意見に夏子はエプロンの裾で目元を押さえた。



「お父さんはどうしたわけ?信じらんない。

いつもはグチグチ、あーだこーだうるさいくせに。

肝心な時は役に立たないんだもん。

フユってお父さんの言いつけだけは絶対に守る子じゃん?

私の方から、お父さんにもっとフユの事を考えるように伝えるよ。」


善は急げといわんばかりに、秋奈はリビングへ戻っていく。


「お父さん!ちょっと話があるんだけど!」


リビングにはおらず、テレビがつけっぱなしだった。


先ほどまで心ここに在らずといった表情でテレビを視聴していた春彦はおらず、テレビの情報番組の司会を務める大御所のタレントが様々なタレント達とともに、若手男性タレントの深夜の密会について不毛な議論に熱中している。


「いつもなら、"やかましいからテレビを消しなさい"って怒鳴るくせに、自分だってテレビをつけっぱなしじゃん。

あの、子どもオヤジめ。あー、むかつく!」


リモコンでテレビの電源を落としていると、後からやってきた夏子がトイレ付近で秋奈を見ている。

秋奈はすれ違う際、通路で立つ邪魔な夏子を軽く押して退かしトイレに入った。


いないのはわかりきっていたが、秋奈は念の為ノックを3回して返事を求めた。


コンコンコン


「いい?開けるよ!ってやっぱいないか。」


「お父さん、表に出て行ったのかしらね?さっきまでテレビを観ながらアメリカの報道番組を観ていたのに…。」


「寝室で寝てんじゃない?あの童顔オヤジは。」


秋奈の発言を受けて寝室を覗いた夏子は部屋を見るが、春彦の姿はなく掛け布団と毛布がベッドからはみ出しており、パジャマがフローリングに無造作に脱ぎ捨てられている。


「私にはいつも偉そうに言うくせにめっちゃ部屋を散らかしてんじゃん。」


夏子の真後ろにいる秋奈は語気を強めて言い放った。

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