第26話 陳情


代弁者になって1ヶ月が経過した。

俺とパリシオンは相変わらず、それぞれ先輩について業務の見学を続けている。

パリシオンは業務に慣れるのに少し時間がかかりそうだが、俺はずいぶん代弁者業務の勝手が分かってきた。


そんなある日、俺たちは協会長に呼び出しを受け、協会長の部屋にいた。


「アシュル、パリシオン。業務の方は慣れてきましたか?」

「はい。先輩のお陰で徐々に慣れております。」

「ほっほっほ。」


こうして協会長とまともに会話をするのは初めてであるが、なんだか仏様のような感じの人だ。間近で見ると、かなり高齢であることが分かる。


「ところで3ヶ月後に王に陳情を提出することになるが、君たちも各自1つ陳情をまとめてみなさい。」

「陳情ですか?はい。頑張ってみます。」


正直、協会長の言う「陳情をまとめる」ということがどのようなことかは分からなかった。

俺もパリシオンもキョトンとした表情をしていたためか、協会長がそれを見て、話を続ける。


「平民の生活環境の問題を一つ取り上げて、それがどのようにあるべきか、また根拠を調査し、報告してくればよいのですよ。君たちが陳情案を理事会に提出し、理事会で採用されたら王に君たちの陳情が提出されることになるのですよ。」

「そういうことでしたか。承知しました。」

「君たちの陳情案を楽しみにしていますよ。ほっほっほ。」


これは代弁者としての最初の課題というところか。

協会長からの思わぬ指示であったが、早速、平民の代表者として何かを変えることのできる機会であったため、自ずと気合も入ってくる。


「アシュル、僕、何をすればよいか全然わからないよ。」

「そうだね。とりあえず、先輩に話を聞いて情報収集をしてみようか。」

「うん。」


前世では論文を書くことは得意だったので突っ走ってしまおうとも考えていたが、パリシオンの一言で心の中でブレーキを踏むこととした。

確かに、陳情内容がこの世界の理から全くの的外れだと、理事会で相手にされないことになるだろう。多少なりともここでの相場観を理解して取り組んだ方が合理的だ。


早速パリシオンと話し合い、まだ代弁者歴の浅い先輩ではなく、少しキャリアを重ねている代弁者に話を聞いてみようということになった。


「イザベルさん。少しよろしいでしょうか。」

「何か用かな?」


俺とパリシオンが選んだのは普段から何かと気をかけてくれるイザベルであった。10年目の代弁者ということもあり、これまでの経験から陳情にもきっと詳しいはずである。


「王に陳情する件についてお話を伺いたいのですが。僕たちも次の陳情を提出する際、理事会に陳情案を提出することになっていまして。」

「1年目からそんなことやるの?あなたたち優秀なのね。」


俺が話を切り出すと、イザベルは少し意外そうな反応をした。


「そうね。陳情って平均で3件くらいが選別されて提出されることが多いかな。王に陳情するという話なので理事会で厳選するのよね。40件くらいの陳情案を理事会で選別するので採用までいくのは高い壁だと思うわ。そもそも陳情案を作ること自体、代弁者4、5年目以降にはじめてやるのよ。」

「そうだったんですね。かなり厳しい道のりなのですね。」

「そうよ。私の記憶では代弁者10年未満の者が作った陳情案が理事会で採用されたことはないはずよ。」


それからイザベルに陳情の作成のコツを色々と教えてもらった。

イザベルによると、あくまでも平民の代表としての陳情なので生の声を集めることが大事であることが分かった。統計的な有意性を意識する必要がありそうだ。


「ありがとうございました。」とイザベルにお礼を言い、早速陳情の検討に入った。



こうしてしばらくは先輩の業務に立ち合う合間に陳情の作業を進めるという日々となった。

徐々に仕事が忙しくなっていき、帰り時間も遅くなっていく。


俺は自席で机に向かい、陳情について頭の中で構想を巡らせていた。


私情も重視するのであれば、公証人の問題について切り込みたい。公証人が公平に仲裁をしなければプリビレッジの暴走を止めることができないためだ。

あの時の実体験と学院時代や代弁者として聞いた話を集約すれば制度に明らかな欠陥があることを論証することは可能だと思う。


「でも、難しいな。プリビレッジの存在と関わりのある制度に切り込むには相当な根回しが必要だろうし。」


思わず独り言が漏れてしまう。

俺のような新人が抵抗の大きな陳情を起案しても、おそらく煙たがるだけであろう。

実績の積み重ねがまず必要だ。このことはどこの社会であっても同じ気がする。


俺が今回選ぶべき陳情は利害対立が生じにくく、それでも有意義なものという条件で考えるのが現実的である。

そうすると、あれしかないか。


自分の中で陳情内容が決まったため、次の日からエビデンス集めに奔走することにした。

俺はひたすら平民の戸別訪問を繰り返し、平民から統計をとっていくことにした。


「こんにちは。代弁者ですが、少しお話を聞いても大丈夫でしょうか?」

「はい。どのような内容でしょうか。」

「現状の生活は楽でしょうか。もし、楽ではない場合には何が負担として厳しいでしょうか。」

「やはり税金が辛いです。うちのように子供が3人いると、税金の負担が重いです。せめて働けない子供に課税をやめてもらえれば有り難いですね。」


多くが代弁者の訪問に対し、回答には協力的であってくれた。

そして、狙い通り、家族の中に非労働者の人数が多い場合は、税金の負担が厳しいという多くの回答を得ることができた。

育ち盛りの子供にお腹いっぱい食べさせてあげられないことが心情的に辛いという話は胸に刺さった。


しかし、中には当然、回答に協力的でない人もいた。


「代弁者ですが、お話を伺いたいのですか。」

「代弁者だと?話すことは何もない。以前他の代弁者に散々な目に合わされたからな。お前達はプリビレッジの犬だろ?」

「そんな事ありませんよ。私たちは平民の声に寄り添っています。少しだけでもお願いできませんか?」

「帰れ!」


見るからに立腹といった反応だった。

職人をやっている人だろうか。暴力を振るうことはないと分かっていても、顔に迫力があり、思わず後ずさりしてしまった。


このような場合は、仕方ないので「回答せず」という欄に人数をつけていく他ないだろう。


来る日も来る日も、戸別訪問を繰り返した。

気づけば2ヶ月ほどで訪問したのが2000軒になっていた。王都限定になるが、訪問した場所も地理的に偏りが出ないように気をつけた。


そろそろ十分なデータが集まった。

締め切りまで残り2週間しかないため、陳情をまとめる作業に入った。


陳情をまとめる作業をしているとパリシオンが俺に声を掛けてきた。


「アシュル、陳情の方は順調?」

「そうだね。僕はなんとか締切に間に合うと思う。パリシオンは大丈夫そう?」

「微妙かな。あまり良い出来にならなさそう。なんとか無理やり完成させるしかないけど。」


常日頃からパリシオンと励ましあいながら陳情に取り組んでいる。


パリシオンは平民の医療水準向上の為、専門の医学教育施設を作るべきという陳情案にするようである。

パリシオンの陳情の結論部分については賛同できる内容である。


プリビレッジは魔法を駆使して、回復医学というものを体系的に作っているようだが、平民は教育プロセスや魔力もないため、医学のような高度な技術を得ることが現状難しい。

平民には医師と呼べる者は存在せず、薬師と助産師がいる程度で、それでなんとか誤魔化しているのが現状だ。


さりとて、プリビレッジの医師が平民の診療をすることはないため、平民から医師を輩出する必要がある。

しかし、医学の教育機関を作るという話の前提としては、医学の体系的な伝承を実現する具体的な方策が必要となる。それには資金の捻出なども難しい問題もついてくる。

このあたりを具体的にどう解決させるかをある程度示さなければ、陳情として採用されるかは厳しいかもしれない。


パリシオンの陳述案も友人として気になるところであるが、今は自分のことに集中する必要がある。


こうして、陳情の最後の仕上げに入った。


俺の陳情案の趣旨は次のものだ。


「子供などの非労働者には課税を行わず、代わりに労働者1人あたりの税金を増額し、税収の総額自体はこれまでの同様とする。」だ。


これはラフィーナによる王国財政の講義を聞いたときに、構想したものである。


本来は貧しい平民の生活を改善すべく、減税や収入に応じた累進課税を陳情したいところであったが、王国内の平民に対する扱いなどを踏まえると、過激な内容になるだろう。

それに税は王国の基盤であるため、劇的な変化をすぐに実現することは難しい。どうしても段階的な変革を進めていく他ない。


そして、これに戸別訪問で集めてきたデータをまとめて、統計の有意性などを付け加える。


少し難しかったのは、労働者と非労働者の区別する定義の部分である。15歳未満の子供はともかく、高齢者であっても何歳まで働いているのかは人によりまちまちであるし、病気などの理由で働けない者も定義が難しい。

最終的に高齢者はリタイアする平均年齢値をとることにし、病気で働けない者については統治省の裁量で認定を受ける必要があることにした。


「ふぅ。なんとか形にはなったかな。」


最終的に陳情案が完成したのは締切の2日前であった。



そして、理事会の当日。


理事会で陳述案を討論する際には、発案者も理事会に出頭する必要があるため、俺とパリシオン、その他の代弁者は協会内で呼ばれたらいつでもいけるように待機していた。


俺が自席で理事会での質疑を想定していると、ついに呼び出しがかかった。


「アシュル、部屋にきなさい。」

「はい。」


俺の順番が回ってきたようだ。

俺は急ぎ、理事会が開催されている部屋に入ると、9人の理事と協会長がそこで待っていた。


「早速だが、君の陳情案を理事会で討議した。好意的な意見も多かったが、反対意見もあった。君の試算では、非労働者に課せられる税金を廃止することによって、労働者一人当たりに課せられる税金が約1.45倍になる。急に税制が変わると、これまで子供をかかえて苦労して納税してきた者の公平性を担保できないのではないかという反対意見が出ている。」


理事の一人であるトルキシアが俺の陳述案の問題点を指摘する。

このトルキシアという人物は50歳前後のベテランの代弁者である。彼は協会長の路線を引き継ぐ者とされている。


「どうかね。この点に関して、君の意見は何かあるか。」

「はい。ご指摘は適切でないと考えます。確かに現時点で子供が15歳となったばかりの家族にとって増税になる形になります。しかし、子供が15歳になったということは、親の親の世代が60歳に近づいていることも意味します。標準的な家庭であれば、子供と高齢者が非課税となり、恩恵を受けるタイミングが異なるだけでバランスをとることができています。」

「つまり、君の見解では公平性の問題は生じないと?」

「はい。標準的な家庭であれば誤差は最小限にとどまることでしょう。この制度は家族の中に労働者が多い時に税金を多く支払い、非労働者が増えたときのために備えているというものになります。税の貯金に近い考え方です。」


俺がこう主張をしたところ、理事の一人であるリージルがさらなる問題点を指摘してきた。


「それでも、子供がいない者や若くして両親が他界した者との不均衡は避けられないのではないか。」

「はい。ご指摘はそのとおりです。ですが、王国が次の世代に繋いでいくためには子供の存在が不可欠です。つまり、国を維持するために政策的にその程度の不均衡を受忍するかどうかという論点に帰結すると考えます。また、同様に高齢の者が幸せに長く生きていくために、甘受するべきものかという話でもあります。」


俺がリージルに対して反論し、さらに結論を述べようとしたところ、同じく理事のトルキシアが話に割って入ってきた。


「アシュルの見解は、不均衡の側面は政策的な要請と比較し、黙認できる程度のものという話だね。」

「は、はい。実際に子供がいない平均的な労働者であれば、この程度の税負担であれば生活に困窮しないと思います。その反面、非労働者を運悪く同時期に抱えている世帯の生活はとても苦しいはずです。」


俺に対する主な質疑はこのようなものであった。

この後、俺の目の前でしばらく理事同士の登録が続いていたが、15分程して俺の陳情案の討論は終了したのであった。


俺が理事会の部屋を出て、自席に戻ると隣に座るパリシオンが心配そうに待っていた。


「アシュル、どうだった?」

「うん。やれることはやったよ。パリシオンもそろそろだね。緊張せずに頑張って。」


今余計なことを話すと、きっとパリシオンの集中力を乱すことにもなってしまうので、俺は一言だけそう言い残し、日常業務に気持ちを切り替えた。


その後は落ち着かない気持ちの中で業務を続けていたが、いよいよ今回理事会で採用された陳情が発表される時間となっていた。


「アシュル、おめでとう!」

「まさか僕のが・・・?」


俺は自席にいると、パリシオンが俺の元にすごい勢いで飛んできた。


本当に自分の案が採用されたというのか。自分の目で確認するまではまだ分からない。

そう思い、理事会が行われていた部屋の前に急ぎ向かった。


「ほんとだ!ある!」


確かに俺の陳情が採用された事実がドアに張り出されていた。


自信が全くなかったわけではない。だけど、まだ1年目の自分の案が本当に採用されるまでの確信は持てなかった。


俺がドアの前で感慨にふけっていると、テレスが姿を現した。


「アシュルよ。なかなか良い陳情案だったぞ。ほっほっほっ。」

「ありがとうございます。


協会長もこんな俺のことを素直に称えてくれた。


こうして、陳情の採用は俺の仕事として初めての成果となった。

正しい世界を実現するためには、権力を動かさないといけない。陳情は平民が王に意見を述べることのできる数少ない機会である。

俺はこれを代弁者1年目から得ることができたのだ。これはほんの小さな一歩。されど着実な一歩。そう思わざるにはいられない。












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