エピソード 外伝
あなたは死刑制度を支持しますか?反対しますか? 結城佐久の記憶の一コマより。
俺は結城佐久、法学を専攻する20歳の大学生だ。
明日、ディベートの実践講義があり、何かとその準備に大忙し。
ディベートの実践講義では毎回受講生が2人ずつ選ばれ、特定のテーマについて30分のディベートを行う。そこでどちらのディベーターが勝っていたか白黒つけるという授業だ。
全体の講義を通じて特にディベートが優れていた2名は決勝という形で、最後の実践講義でもう一度ディベートをする機会を与えられる。
仮にこの決勝に残ることができたら、この実践講義の成績は当然「S」の評価を与えられることになる。
俺としては、あくまでもそこを目指している。
先週の講義が終わる前に、俺と宇田川京師が次回のディベーターに選ばれた。ついに待ちに待った順番が俺に回ってきたのである。
だが、一つだけ気がかりなことがある。それはよりにもよって対戦相手があの宇田川になったことだ。正直ツイてないと実感する。
宇田川は大学でも社交的で友人の多い学生である。いかにも金持ちという風貌で何にも不自由していないと感じさせる鼻につく男だ。
それに引き換え、俺は大学に友人と呼べる人間もあまりおらず、完全にボッチである。そんな俺に対して、宇田川はいつもバカにした態度で接してきて、みんなの笑いものにしてくる。
正直、嫌いだ。
それでも普段ならばそんな奴のことは気にしない。というか、もう20年もボッチを続けているのでこういうことには慣れている。
だが、今回に限ってはボッチであることが不利に働く局面であるため、頭が痛い。
というのも、ディベートは学生の聴衆がどちらが優れたディベーターかをジャッジするためだ。
少なからずとも、このジャッジには普段の人間関係も影響してくると思われるため、俺は最初から不利な立場にある。
ディベートの実践講義の評価はかなり貴重なものとされている。大学院に進学する際あるいは就職活動をする際、ここでの評価が大きなプラス材料になるらしいのだ。
それはディベート実践講義があの有名な元最高裁判事の大鳥教授が特任教授として監修しているからである。
大鳥教授は、司法の業界では誰もが知る第一人者的な人物で、法曹三者の多くから尊敬されている。いわゆる、大御所の中の大御所的存在なのだ。
それゆえ、ここで評価されたという事実は一学生のブランドをワンランクもツーランクもアップさせる。
俺はどうしてもそのブランドがほしい。だから、絶対に勝ちたい。ここで負けていては、これまで犠牲にしてきたもの、失った青春が無駄になる。
そう考えると明日に向けて気合が自ずと入ってしまう。
気になるディベートのテーマは死刑制度の是非だった。前日にテーマが学生に通達されるため、準備する時間は1日しか与えられない。
それにしても、ずいぶんベタなテーマになってしまったなという印象だ。
だが、ベタゆえに逆に難しい側面もある。互いの想定される論拠をある程度事前に予想することができるためである。
もっとも、当日になるまで、賛否いずれの立場でディベートすることになるのかは分からない。当日その場でくじで決めるためである。
兎にも角にも、限られた時間で死刑制度の是非をいずれの立場からもディベートできるように考えておく必要がある。
死刑制度の議論自体は国会でも話題となったこともあるし、メディアでも取り上げられたこともあるため、何も調べなくともだいたい双方の論拠は想像がつく。
死刑存置論者の主な論拠はこうだ。
他人の生命を奪ったのだから、自らの生命をもって奪われてもしかるべき。それは我が国の道徳観念であり、国民の法的意識である。
それに、遺族感情も重視されるべきであり、死刑が執行されて初めて事件の区切りを迎えることができる。
また、死刑制度があるからこそ、凶悪な犯罪が抑止されており、我が国の治安が世界の中でも良いことと切り離せない。
逆に死刑廃止論者の主な根拠はこうだ。
死刑は残虐な刑罰にあたり、人権を侵害するものである。また、死刑の廃止は国際的潮流であり、先進国のほとんどがこれを廃止している。
それに死刑を執行した後、万一にも冤罪であることが判明した場合、取り返しのつかない事態である。
法学部の学生ならば、この程度の論拠ならば誰もがすぐに思い浮かぶことだろう。
だから、ディベートにあたってはいかにこれらの論拠を掘り下げ、自分の立場に説得力を持たせるか、また、相手の依拠する論拠をどれだけ無力化できるかが重要である。
個人的には死刑賛成の立場でディベートしたほうが組みやすい。そのため、できることならばくじで賛成側を引きたいと願う。
ひたすら各論拠の強みと弱みを頭の中で巡らせて、夜遅くまでシミュレーションを行った。
そして、翌日を迎え、いよいよ実践講義の時間となった。
実践講義で他人のディベートを聞くのは楽しみであったが、いざ自分がやるとなると緊張する。
大講義室に入ると、既に8割程度の学生が集まっていた。
俺は前方のディベーターの席に座った。すると、宇田川が軽く声をかけてきた。
「結城、お手柔らかに頼むな。」
「ああ、こちらこそ。」
席で待っていると、定刻となり、大鳥教授が登場し、実践講義が始まった。
「本日のディベーター2名、前に。」
大鳥教授の指示に従い、前に出るとあらかじめ準備されていたくじを引くこととなった。
俺がくじを開くと、紙には「死刑制度反対派」という文字が書かれていた。
一瞬、うわっと思ったが、こればかりは仕方がない。反対の立場で考えてきたシミュレーションを発揮させる他ない。
ディベートはまず5分間、それぞれの立場から冒頭の主張を行う。その後、自己の立場を補強することや相手の立場を反論するディベートを交互に行う。あまり長くなると教授が鈴を鳴らし、順番が交替となるという流れだ。
早速、宇田川が死刑賛成論者の立場からディベートの準備に入った。
実に自信満々な佇まいだ。そこまで自分に自信を持てるなんてある意味羨ましくも感じる。
宇田川は一度咳払いをすると、ディベートを開始した。
「皆さん、あなたの家族が不幸にもある凶悪犯から殺害されたことを想像してください。あなたはその犯人をどのように罰するのが妥当だと考えますか?犯人には同じ目に合ってほしいと考えるのが人の心でないでしょうか。直近の世論調査によると、実に8割を超える方が死刑の存続に賛成する意思を示しているのです。仮に懲役刑しか存在しなければ国民が納得する適正な処罰は叶わないのです。」
冒頭を聞く限り、宇田川は刑罰の存在根拠が国民の処罰感情にあるという点を軸に論を組み立てているようだ。
「それに死刑があることで重大犯罪の抑止につながります。日本が治安が良いのは、重大犯罪に対して毅然とした制度を保持していることも一因にあげられるのではないでしょうか。
また、死刑の有無は重大な関心事になりますので、裁判自体あるいは刑の執行まで注目され、風化を防ぎ、防犯意識の向上や犯罪抑止のための施策の議論が進むことになります。」
宇田川は、凶悪犯に刑罰をもって矯正することができず、刑罰の意義である再教育という側面からも死刑の存置が妥当という論拠も付け加え、ちょうど5分で話をまとめた。
宇田川のディベートが終わると、聴衆からはまばらであったが宇田川と親しい学生から拍手が起こっていた。
次に、俺から死刑廃止論の立場からディベートを行うことになった。
「現在、地球には約200の国がありますが、刑罰として死刑を運用している国はわずか50カ国程度しかありません。そして、死刑を存置させているのは人権意識の低い途上国であり、先進国と呼ばれる国々ではほとんど死刑制度を運用していません。」
俺は聴衆が聞き取りやすいように、ゆっくりとしたペースで語るように心がけた。
「例えば、罪を犯したといって犯人を拷問することは憲法上許されませんし、この点に争いはありません。それは拷問が刑事司法を歪めることと、何より人権の侵害に当たるからです。人の命を奪うということは拷問を超えた人権を侵害する行為であり、国家がいかなる理由があろうとも、自国民の命を奪うことは正当化できないのです。そして、それが国際的潮流であり、たとえ国が異なっても、人権という概念はグローバルスタンダードであるべきなのです。」
ここまで主張を述べた頃には、気分が乗ってきて、先ほどまでの緊張感はいつの間にか消えていた。
「それに、死刑は一度執行すると取り返しがつかず、万一にも誤判が判明した場合、著しく正義に反する結果となります。その場合、日本の刑事司法に対する信頼が失墜し、ひいては治安にも影響が生じることでしょう。また、日本では裁判員裁判を採用していますが、一般の人に国家による殺人の片棒を担がせて良いのでしょうか。これもまた人権侵害と評価できるのではないでしょうか。」
30人の聴衆であるが、意外と聴衆を前にして自分の思いを話すことは気持ちのよいことだと分かった。コミュ障ではあるが、冒頭では我ながら雄弁に語ることができたという実感もある。
「それでは交互に1分以内のディベートを続けなさい。」
大鳥教授の指示で、予定通りの流れでディベートが進むことになった。
先行して宇田川がディベートを始める。
「まず反対派からでた国際潮流という点ですが、論拠となり得ないと考えます。有名な話ですが、シンガポールでガムを持っていることが違法とされています。シンガポールで違法だから日本も違法にすべきであるという話になるのでしょうか。私はそれはおかしいと考えます。国内の法は国内の価値基準で定められ、国内で適用されるべきだからであります。」
想定された反論であった。もちろん、シミュレーション通りだ。俺はこれに対し、早速反論を試みる。
「人権は普遍的な価値であり、グローバルスタンダードも踏まえるべきものであります。それに昨今、外国人観光客も訪問を促し、また、外国人の技能実習あるいは移民も増加傾向です。日本にいる外国人も刑罰の対象となる以上、国際的な潮流を無視するのは妥当でありません。」
このあたりから双方のディベートのペースが上がってくる。
「しかし、外国の価値観を取り入れることで、死刑を廃止した結果、日本国内の治安が悪くなるリスクもあります。主権者である国民の処罰感情を優先するべきです。」
「国民の処罰感情という点ですが、果たして本当に8割もの人が死刑制度に肯定的であると言えるのでしょうか。死刑制度が長年にわたり存置されている中で、『死刑制度は維持されるべきか』と聞かれても、現状を変えたくないという心理が働いてるだけで、正しく死刑制度の問題点がロクに議論もなされずに、ミスリードされた結果ではないでしょうか。」
ここで、宇田川が最も重きを置いている論拠である国民の処罰感情について踏み込む流れとなった。
「国民の処罰感情は確実に死刑を必要としています。日本は江戸時代から仇討ちを許された文化もあり、その価値観は我々子孫にも根強く残っています。繰り返しますが、身の回りの大切な人が不幸にも殺害されたと想像してみてください。犯人がのうのうと刑務所で生きていくことを受け入れられますか。」
宇田川が動揺していることに気付いた。それはおそらく俺が世論自体に疑いを向けることを想定していなかったためだと思われる。
実際、宇田川の反論は主観的な思い込みによるものに過ぎず、ディベートとしてはマイナスである。
俺はさらにここでたたみ掛けることにした。
「それは思い込みでないでしょうか。確かに江戸時代はそういう価値観があったのは事実でしょうし、明治以降もその影響は一定程度受け継がれているかも知れません。しかしながら、日本は敗戦によって、日本国憲法が制定され、基本的人権を重視した国に生まれ変わりました。戦後7、80年を迎え、日本人の多くは既に理性的であり、野蛮な仇討ちを受け入れるとは思えません。」
「いや、それこそ思い込みではないのか。友達がいないお前にはその感情が想像できないだけだ。それに死刑制度がなくなれば、仇討ちという名目で自力救済が増える可能性が高くなり、治安が悪くなる。」
宇田川が声を少し荒らげ、さらに感情的になり始めていた。ディベートでご法度の対人攻撃まで。
聴衆の学生からは少し笑い声も聞こえてくる。どちらかと言うと、感情的になった宇田川に向けられたものでなく、俺に友達がいないという事実に対してという感じであったが。
チリン。
突然、鈴の音が鳴った。
「他の論拠について自身の主張を続けなさい。」
大鳥教授はここで少しヒートアップ気味となってきたディベートの交通整理を行ったのだ。
「では反対派から続けさせていただきます。死刑制度がなければ治安が悪くなるという点ですが、それは本当でしょうか。死刑判決が下るのは、日本の刑事司法の相場からして単純な殺人であれば複数を殺害する必要があります。ここまでのことを企てる人間が死刑を恐れて犯行をとどまるのでしょうか。」
「人は死ぬことを何よりも恐れます。凶悪な犯行を行っても、刑務所で悠々自適な生活ができるのであればそれも厭わないという者も少なからずいるはずです。」
「例えば、終身刑であっても人により死刑よりも苦しいと感じる者もいます。死刑制度が存在するから治安がよくなるという点は証明できないと思います。」
宇田川は先ほどと異なり、言葉こそ穏やかであったが、俺に対して時折睨みつけてきており、内心穏やかでないようだ。
「あ、それに死刑は社会的な関心事なので、国民の刑事司法への関心による治安の向上も忘れてはならない。国民の関心がなければ政治も動かない。」
「確かに、国民が事件に関心を持ち続けることは治安を維持するための施策を作るうえで大事である点は争いません。しかし、それは死刑制度があることとはつながりません。プロモーションは別の形でもできるためです。」
「だが、それでは政治に無関心な日本人を振り向かせることはできない!死刑というセンセーショナルな制度があるから関心を持ってもらえるはずななんだ!」
宇田川はプライドが高いため、少しでも自分の立場を批判されることはどうしても許せないようだ。これではいざ法廷に立つときに困るのではないかと少し彼の将来を心配した自分がいた。
「では、人権問題についてはどう考えられますか。死刑は国家による殺人です。刑を執行される者、あるいは刑を執行する者、そして、刑を下す者の人権に問題があると考えます。とりわけ裁判員が死刑を下すことは相当なトラウマを生むのでないかと考えています。」
「凶悪な犯罪者の人権を気にする方がおかしい。公共の利益もあるし、何よりも被害者の人権を軽視しすぎている。執行官や裁判員の心痛も分かるが、国を守るために負担する義務というべきだ。」
もはや宇田川の言うことは支離滅裂であり、議論とも呼ぶのが難しいものとなっていた。いくらでも反論する余地はあったが、最後に誤判について話題に出してディベートを終わらせようと考えた。
「最後に誤判についてはどうでしょうか。万が一誤判で死刑が執行されるような事態が生じた時、とても正義に反する結果となります。」
「今は昔と違う。DNA鑑定などの科学技術が進歩している。誤判が起こる可能性は殆ど無いに等しい。この点は議論にならない。」
「しかし、科学技術の前といえども誤判がある可能性が0%というわけではないですよね。たとえ一度であっても誤判での死刑は許されないものと考えます。」
「それは・・・。だが、秩序を守るためにも甘受すべき部分も一定程度ある!」
チリン。
「30分が経過した。最後に、それぞれ1分以内に聴衆に向けて自身の立場をまとめなさい。」
大鳥教授の指示に従い、宇田川が最後のディベートを始める。
「死刑制度は国民の処罰感情という観点から間違いなく、必要な制度です。改めて想像してください。自分の大切な人が殺害されたという状況を。人は常に理性的な行動をとることができるわけでありません。理性を超えてくる事態に対しては人は無力なのです。いわば、死刑制度が最後の砦にもなっているのです。諸外国は諸外国の考え方があるのは否定しません。ここは日本です。秩序を守るために適切な刑罰があってしかるべきです。」
宇田川の最後のディベートが終わったため、続いて俺もディベートを始める。
「死刑制度を維持するということは、国家が刑罰として死を与えることを積極的に正当化させる必要があります。その意味では賛成派から十分な説得力のある論拠を立証されるべきであります。それができなければ国民の命を奪うという不可逆で重大な効果をもたらす刑罰は廃止されるべきです。今回、私は賛成派の論拠に対して反論をメインに行いましたが、賛成派からは正当化できるだけの十分な立証がなされていなかったと確信しています。聴衆の皆さんにおかれましては是非とも今一度この視点を踏まえて判断をお願いします。」
実は反対派として一番強く訴えたかったことはこの点である。人を合法的に殺害するというおぞましい結果をもたらせるものである以上、立証責任は死刑存置を求める側がやらなければならないはずだからである。
そして、これを踏まえると、宇田川がディベーターとして崩れてしまったのは明らかであり、正直、完膚なきまでにこのディベートは勝利したという実感がある。
しかし、これは未熟な学生が判断するから、必ずしもそういう結果にならないということもありうるということは頭の片隅に残っていた。
「では、投票を取ることにする。各自聴衆は賛成派、反対派いずれが勝ったと考える方に挙手を。右手が賛成派、左手が反対派で態度を明らかにするように。」
ついに審判の時がきた。
「では一斉に挙手を。」
大鳥教授の発言で聴衆の学生が挙手をする。
俺が聴衆を見渡すと、30人の学生のうち、右手を挙げている者と左手を挙げている者がおおよそ半数ずつという印象だった。
「賛成派16名、反対派14名。よって、聴衆は賛成派を勝ちと判断した。」
大鳥教授がまさかの発言をする。
手応えとは裏腹に、このような結果となってしまうとは。
友達がいない完全アウェイな俺にはたとえぐうの音も出ないほど優勢であったとしても、本当に勝てないとは。
俺はあまりの悔しさに思わず下を向いてしまった。
「これは予想外な結果だな。私の印象では大差になるかと思っていたが。そこの学生、どうして賛成派を支持したのか。」
大鳥教授からはこのような一言があり、賛成派を支持した男子学生に発言を求めた。
「あっ、はい。やっぱり親が殺されて犯人がノウノウと暮らしている姿が許せませんでした。死刑がなければこの怒りをどこにぶつけるのかを想像した結果です。」
「ディベートは理屈だ。感情で決める話ではない。君たちはまだディベートの本質が分かっていないようだな。」
大鳥教授はいぶかしげな表情をし、何やら考えている。
「次週までに各自死刑制度に賛成か反対かについて論文を出すように。これは成績の評価にも斟酌させてもらう。では講義を終了とする。」
意外な結末で実践講義は終了となった。物凄く後味の悪い流れで。
大鳥教授は俺を評価してくれたのかもしれないが、学生からは俺に対する冷ややかな視線を感じる。
たとえいくら実力を得たとしても、人間関係をうまくやっていかなければ不利な局面はいくらでもあるということがよく分かった。
俺自身も変わらなければならないのだと実感した一日となったのであった。
終
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