第19話 前兆
あの遠征の出来事から数ヶ月が経っていた。
気づけば学院生活も1年になる。
遠征の直前、俺はウィル・ハーモスを叩きのめした。
それから遠征もあって、マーガレットのこともあった。
あのときは色々ありすぎて、その後、俺の学院生活に大きな波がやってくることはそれなりに覚悟していた。
しかし、この数カ月は特に何事もなく平和な学院生活が続いている。拍子抜けというやつだ。
プリビレッジという人間はプライドが高く、平民なんかにプライドを折られでもしたら、黙ってはいられないはずである。
ところが、ウィルとその取り巻きたちは一向に俺に対し何も仕掛けてくる気配がない。
ウィルとは学院の敷地内で何度か顔を合わせることもあったが、向こうが明らかに俺に気づいているのに、いつもの暴言もないばかりか、俺に目すら合わせてこない。これは本当に不気味で、逆に怖い。
願わくば、残り半分となった学院生活がこのまま平穏に過ごせますように。
学院生活も中盤に入ったこともあり、日々受けている講義の内容もだいぶ実践的になってきた。
今日のラフィーナの講義は貨幣の話だった。
王国はキルスという単位の通貨単位を採用している。キルスはすべてコインで作られており、最低通貨として5キルスがあり、10キルス、50キルス、100キルス、1000キルス、1万キルス、そして、10万キルスが最も高額なコインで、合計7種類がある。
それぞれのコインは額に応じて、素材が異なり、10万キルスは金貨、1万キルスは銀貨で残りは銅貨となっていく。つまり、貨幣そのものが価値をもっており、貨幣に対する信用も不要なのである。
それに王国が300年もの間、平和が続いており、貨幣の供給量もうまく調整しているそうで、貨幣価値が毀損されるという心配はなさそうだ。
また、貨幣が偽造されるという心配も少ないようだ。なぜなら、魔法で貨幣の真贋を見破ることが容易であるためだ。誰も偽造なんて考えもしない。
リコーラ大陸には王国しかないため、大陸であればどこでも同じ貨幣を使用でき、為替の問題もないという点でも単純明快だ。
つまり、貨幣経済という点では問題らしい問題はなく、しっかり機能していると評価できる。
今、学院生活の中で最も楽しみな時間は講義が終わった後の昼休みである。
お昼休み、軽食をつまみながらマーガレットと敷地内のベンチで話をすることが日課となっているためだ。
「さっき先生から聞いたんだけど、王国騎士は魔法を使って宴会芸をすることもあるんだって。」
「なにそれ。魔力の無駄使いじゃない。」
「それより、アシュル、最近見慣れない鳥が多いね。何かしら。」
「雀?いや、なんだろう。愛らしい小鳥だね。」
全く他愛もない会話。でもそれが新鮮で楽しく感じる。前世でもこんな経験がなかったのでなおさらだ。
しかし、そんな幸せそうな俺たちの姿を見て、茶化してくる者もいる。どの世界でもこれは共通している気がする。
「また二人さん、二人の世界に行ってたん?あんたたち見てると、うちまで恥ずかしくなるわー。」
「ちょっとお話してただけじゃないの。」
リサリィが飽きもせず俺たちをいじってくる。マーガレットが上手にかわしてくれるから助かっているが。
最近は、ニコルの部屋に顔を出すようになっている。これも日課だ。自習を少し早めに切り上げて、ニコルと1時間程度話をする。
目的は王国についての意見交換。実態はニコルに王国について色々と教えてもらっている感じだ。
「こんにちわ。ニコル。」
「やあ、アシュル。今日もきたね。」
挨拶もラフになってきている。
平民が王族にこんなラフでよいのだろうかと思うが、これはニコルの強い希望である。
それでも毎度のことであるが、ニコルの護衛の役割を担うプリビレッジの学生から怒られる。
「こら、平民付勢が。殿下と呼べ。殿下!」
こう注意するのは、エドワード・トリキトスだ。逞しい体をしているプリビレッジの学生だ。王国騎士と変わらない迫力で、とても14歳には見えない。
「まぁまぁ。僕がニコルと呼んでとお願いしているんだから。」
「ですが・・・。」
ニコルはその際、いつものようにフォローする。
「今日はどんな話をしようか。」
「王の面前裁判について話を伺いたいです。どのような手続きでどれほど実施されてきたのかということなど。」
「面前裁判ね。」
ニコル王子と議論をする際には、俺からいつもテーマを指定する。
「王の面前裁判はこの数年行われていないね。ある程度合理的な理由がないと開かれるものでないからね。」
「なるほど。王が関与する手続きですのでしょっちゅう開くというわけにはいかないですね。」
「そうだね。プリビレッジが殺害された事案であれば開かれることになるけど、しばらくそういう事件は起きていないね。」
「そもそも、どういう条件で開催が可能になるのでしょうか。」
「アシュルはまず制度の仕組みを理解したほうがよいね。」
ニコルは面前裁判の制度について静かに説明を始めた。
面前裁判はプリビレッジの重大な犯罪を裁く手続きであるが、プリビレッジは誰でも申立をすることができるのに対し、平民からは代弁者協会の協会長による申立が必要とのことである。
しかし、申立があったからといって必ず開かれるものではなく、宰相が面前裁判を開くのが相当であると判断した場合のみ開かれる。
つまり、宰相の裁量に委ねられている建付けだ。宰相は対象となるプリビレッジに犯人性があることを前提に、事案の重大性、開催することの正当性を総合的に判断する。
それでも、代弁者協会長の申立があったときはその事実も十分に斟酌される。
「アシュルは4大プリビレッジという言葉を聞いたことあるかい?」
「はい。ズレッタ家、ハーモス家、トリキトス家、シュタインファルト家のことだと思います。」
「そう。この4家はいずれも魔法大戦争で活躍した有力者で、プリビレッジのほとんどがいずれかの派閥に属しているんだ。つまり、この4家は今も大きな力を持っている。」
なぜここで面前裁判の話からプリビレッジの派閥の話に飛んだんだろう。俺はニコルの意図が分からなかった。だけど、
「それは一体何の関係が・・・。そうか。プリビレッジを裁くということは、派閥間の対立を生み出す可能性をあるということか。」
「そのとおり。王家といえども、プリビレッジ派閥と全面的に対立することは問題なんだ。深刻に対立すれば、王国中を巻き込んで魔法大戦争のような惨事につながりかねない。幸いこの300年はそんな事態にはなっていないが、それは宰相が派閥間のバランスをとっていたからなんだ。」
「そんな背景があったんですね。」
俺はこの視点は全く持っておらず、ニコルの話を聞いて絶句してしまった。
「さっき、王の面前裁判に正当性が必要と言ったね。簡単に言えば、根回しのことを言っているんだ。派閥に属するプリビレッジが処罰されても致し方がない事実を事前に突きつけて派閥の長に了承を得るんだ。」
「仮に犯人が派閥の長と近い人間であれば了承がでなさそうですね。」
「残念ながら、それは否定できない。」
プリビレッジはよほどのことをしなければ権力によって守られてしまう。被害者が平民であればなおさらだ。
要するに、プリビレッジには法が機能していないと言っても過言ではない。そして、この状況がプリビレッジと平民の間の不平等・不条理を生み出している原因だ。
「アシュル。現状が理想であるはずもない。だけど、これを変えていくには相当の時間と労力が必要なんだ。」
「はい。」
ニコルも自身もこの現状には納得していないし、現実と理想の間で悩んでいるということが伝わった。
ニコルとの対談を終えて建物から外に出ると、マーガレットとリサリィがそこにいた。
「アシュル、遅い!いつまで遊んでいるわけ?」
リサリィがお冠の様子だった。
それもそのはず、今日は3人で帰り道、お菓子屋に寄ると約束していたからだ。
「アシュル、可愛い女の子を二人も待たせるくらいだから、今日はもちろん奢ってくれるんよね。」
「え?そんな・・・」
商人の娘らしいリサリィの打算的な態度に俺はたじたじとなった。
「さぁ行きましょう。リサリィもそんな意地悪なこと言わない!」
「そやなー。うちも早くお菓子食べたいわ。」
マーガレットがそんなリサリィをなだめてくれたおかげで助かった。
日暮れまでまだ十分な時間のある中、3人で学院を出て、お菓子屋に向かっていった。
ー プリビレッジ学生向け魔術研究室 ー
時を同じくした頃、ウィル・ハーモスは珍しく遅くまで学院内に残っていた。
魔法の授業で課題が出されており、それをこなすため、実験を一人繰り返していたのだ。
「ウィルさん、あとどれくらいかかりますか?」
「もうちょっとだ。」
取り巻きのシューリストは当然のようにウィルの課題が終わるまで待たされていた。
「そういえばさっきあの平民を見ましたぜ。あのアシュルとかいう。楽しそうに女連れで帰っていました。あいつ本当にむかつきますね。」
「ああ。そうだな。」
ウィルはアシュルの話題にもあまり乗ってこずに、まるで他人事のような態度だ。
「ウィルさん、なんとかやれませんかね。あいつ。」
「バカ。トリキトスが目を光らせているのに、そんなことできるか。親父に殺されてしまう。」
「でも、なんでトリキトスがあんな平民を『トリキトスが管理するから手を出すな。』とか言ってきたんですかね。ウィルさんの家に通達までして。」
「しらねーよ。あいつの魔力が関係あるんじゃないか。平民の魔力持ちの対応は国王の関心事でもあるし。」
ウィルは少し不機嫌な様子だ。先ほどからあまりはかどっていない実験をひたすら続けている。
シューリストもこれ以上続けると、ウィルの機嫌を損ねるだけと察し、この話題をやめることにした。
それから2時間ほどが経過し、日が沈み、辺りがすっかり薄暗くなった時間となって、ウィルはようやく作業を終えることにした。
「ウィルさん、学院の外で待っている馬車きっと待ちくたびれてますよ。」
「ああ、そうだな。」
二人は会話をしながら、学院の門を目指して、薄暗くなった敷地内をトボトボと歩いていた。
ちょうどそのとき、二人の背後に何やら人の気配があり、シューリストがそれに気づいた。
「ウィルさん、後ろ変なやつがいますぜ。」
「ん?」
シューリストの耳打ちで、ウィルが後ろを振り返る。
ウィルの目に映ったのは、黒のマントとフードを深めに被った人物だった。10メートルほど離れた地点から二人の様子を見ている。薄暗いため、顔などの容姿は二人からよく見えなかった。性別も不明だ。
ただ、二人は異様な雰囲気を醸し出していることを察知し、警戒をした。
「おい。お前は何者だ。学院のものじゃないだろ。こんな時間にここで何している?」
ウィルは堂々とした態度で怪しい人物に声をかける。
その人物はウィルの問いかけに対し少し沈黙したが、2、3メートルほど二人に近づいてきて、声を発した。
「お前は、ウィル・ハーモスで間違いないな?」
「ああ。そうだが。それがどうした?」
その人物はウィルのことを確認すると、すぐさま右手に持っていた杖らしきものを前に出してきた。ウィンは薄暗いため、その人物の挙動に目を凝らした。
「お前、それは魔導具か。攻撃用の杖だろ。」
ウィルはその人物が右手に持っていた杖の危険性を明確に察知する。
「シューリスト!敵だ。魔力を体に巡らせて強化しろ。」
「は、はい!」
ウィルはシューリストに対して、指示し、二人は応戦する構えを見せる。
「ハーモス家の末裔よ。お前たちに流れる血は汚れている。我らの積年の恨みを今果たす。」
その人物はそう言葉を発すると、杖を振りかざし、「はああ!」と言いながら、二人に向けて火を放った。
ゴォォォォという音とともに物凄い勢いで炎が二人に浴びせられる。
「ぐっ。」
ウィルはなんとか魔法壁に間に合い、自身の体にまとわりついてきた火力をある程度無効化できていた。しかし、隣にいたシューリストはそれが間に合わなかった。
「ぎゃあああああ。」
「シューリスト!」
シューリストはウィルと比べ、魔力コントロールに長けておらず、炎を十分に無効化しきれなかったのだ。
シューリストの体は大きな炎に包まれ、10秒後、炎が鎮火したときには体中が黒焦げになっていた。
ウィルはシューリストが瀕死の重症を負ったことを察知し、なんとか回復のために魔力を送るべく倒れたシューリストの体を抱き起こした。
「おい、しっかりしろ!」
ウィルは自分の中の魔力をシューリストに送り、回復魔法を試みる。ウィルは無我夢中であり、周りが見えなくなっていた。
そのときだった。
「死ね!」
ウィルはこの言葉を聞いた次の瞬間、自分の体に後ろから何かを刺されたのを感じる。
ウィルは不覚にもその人物の接近を許し、鋭利な刃物で心臓付近を一突きされてしまったのだ。
ウィルはこの一撃で完全に意識を失い、時間をおかず、絶命してしまった。致命傷として十分な一撃であった。
その人物はウィルとシューリストが絶命したことを確認し、そのまま気配を消すようにどこかに消えていった。
俺はこの時、こんな重大な事件が学院で起きているとは知らず、呑気にマーガレットとリサリィと共に夜遅くまでお菓子を食べながら楽しい時間を過ごしていた。
明日以降、まさか自分に火の粉がかかってくる運命が待ち受けていることになるとは夢にも思わなかった。
終
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます