第59話 希う
祠であれば、ご神体を祭るものだろうとの事で、日常生活ではとんとお世話になる筈のない刀を収める事になった。
いざという時に取り出しづらいのは困る。序でに言えば大脇差はそれなりの長さをしており、横にして納めるとなると、それなりに大きな物になるので立てかけて安置する事にした。
切妻屋根と厨子のような観音開きの扉の付いた、人が想像するような一般的な木製の祠。
それが徐々に形になっていき、大まかにだが全体の形が出来たので、後は角を削ったり、艶を出し保護するための塗料を塗って乾かすだけだ。
中に収める小物はおいおい揃えていく事になり、一通りの工程が終わった所で、インターフォンの音が聞こえてきた。
姉のマシロが一時中座して、少年にあてがわれた部屋を出ていく。来客の対応は手が空いている者が基本ではあるが、アリスなどは集中していたり、疲れてぐったりとしている時は聞き逃す事が多々あるため、自然と姉妹が対応する事が多い。
そして前日に『先生』が訪問する旨を連絡してきていたために、訪問相手はおそらくは彼だろうと予想がつく。
元よりフットワークが軽いマシロが率先して対応してくれるため、シンクは少年と彼女が戻るまでいったん休憩にする事にした。
多少の歪みや長さのズレている個所は見受けられるが、素人が作ったにしてはなかなかの出来だと、シンクは自画自賛をして、満足そうに小さく頷く。
地味に観音扉の格子を作るのが難しかった。
姉はどうせなら釘を使わずに、宮大工の様に木だけで組みたいと思っていたそうだが、それは一朝一夕に出来る様な物ではなく、長年の修行で培われた感と技術が必要なために断念した。
当の少年もその辺りは気にしないらしく、自分の手で作った祠を満足げに眺めている姿は、夏休みの工作を終えた子供の様で、少年の見た目にとても合っている。
作っているのが自身の祠という点が、なかなかにおかしい事なのだが、シンクはそこは流してしまう事にした。
「……まあ、最初にしては上々の出来でしょう。いざとなれば、また作ればいいのですから、多少の失敗も可愛い物です」
「……そんな事は無い。私には十分なぐらいだ」
少年は基本的には物を欲しがらず、最低限の体裁が保てればいいという考えを持っている。けれど人の好意からの贈り物は素直に受け取り、感謝を示す。それが彼本来の性質なのか、それとも長い間地下の座敷牢に閉じ込められていた影響なのかは、シンクには分からない。
それでも日の光が差す部屋の中で、穏やかに微笑む少年はとても良い物に思える。
日の下に出てから、少年の人形の様な無機質な白い肌の色が、心なしかほんのりと薄紅色を帯びるようになった。語彙も増え、表情を浮かべる事が多くなり、出会った時の人外じみた雰囲気が少しだけ和らいだ気がする。
その旨をシンクが少年に伝えてみたところ、きょとんとした表情で目を瞬かせて固まる。彼の視線がシンクから足元へと向かい、再び戻って来ると口が開く。
「……ああ、多分、俗世に触れたからだな。もちろん信仰を得るにはある程度は人間と関わらなければならないが、それを減らして俗世から離れて修練を積む事で力を高める事も出来るんだ。……まあ、私の場合は、分社や分霊が無いから、それを続けると存在が弱まり、自然霊に近くなって器を失いかねない」
「……仙人や修験者のようにですか?」
「ああ――、その認識で良い。」
それと似た会話をした事を思い出した少年は、アリス達が先生と呼ぶ男との会話を思い出した。
「今訪問している『先生』から聞いたが、やはり、君達は人ならざる者の血が混じっているためか、記憶がはっきりと残っているんだな」
アリス達が病院を退院してくるまで、少年は男の所にお邪魔させてもらっていた。とはいえ、流石に男の自宅に行くのは思う所があり、彼の自宅の横に併設された仕事場兼事務所でお世話になっていた。
本業は絵画教室の先生との事で、時折やってくる生徒達に、可愛いウサギとして撫でまわされたりした。
「あれは一種の神域、マヨイガの類だからな。神隠しに遭った間の事を子供が覚えていないのと同じようなものだ。何より、あの儀式にはそういった感情を取り込んで、あれの糧として利用していたからなおさらだ」
「何かあっても、招待客達は何も覚えていない。だから被害を訴え出ることは出来ないし、したとしても気が違ったと思われるだけでしょうしね」
「まあ、彼方側としては、まさかホテルも地下の屋敷も、すべて土砂に呑まれて崩れ落ちるとは思っても見なかっただろうが」
確かに地下の屋敷は色々と耐久的に限界だったのだろう。今までは少年や紛い物が激しく暴れるような事は一度もなく、粛々と生贄達は犠牲となっていった。
けれど、あの場の本来の主である少年が居なくなった事で、あの屋敷は神域ではなくなり、あるべき姿へと還っていった。
どうやら事前に行われた地盤調査では問題はなく、ホテルの建設基準は守られていたとの事。それでも突然の土砂崩れにより、ホテルは跡形もなく土の下へと埋葬された。
少なくとも儀式が終了日までは、あそこには誰も近づかなかった筈だ。今までは数日で儀式は終わり、今回もそうなるだろうと予想はしていたが、予想外に時間が掛かり、彼らも迂闊に近寄る事が出来なかったのだろう。
うっかり中に踏み入って、生贄として数えられでもしたら目も当てられない。
その割には『先生』は人除けの結界や、本能的な忌避感を諸共せずに、あのホテルのすぐ傍まで近づいた。
本人は「近くまで知人を探しに来たところで、激しい揺れと音がして様子を見に来て通報した」で通したらしい。
儀式の主催者達も探られたくはないので、不慮の自然災害で通す事にしたらしい。
被害者、犠牲者の家族には謝罪と十分な金銭的な保証を行うと声明を出し、大大的な記者会見を行ったそうだ。少なくとも真摯に謝罪を行う姿を見て、世間的にはそれほどのダメージは受けていない。
もちろん、それで被害者達やその家族達が全てを水に流せるわけではない。どうしても許せないという心情は残り続けるだろう。
……結果的に、彼らは欲しい物を手に入れた。
「実際問題、病院で少し会話をしてみましたが、全員が二日目以降の事はほとんど覚えていないようでした。覚えていないというのに、それが気になるようで気にならない様な、何とも曖昧で朧げなようでした。医者からすれば、事故の後遺症のようなものだと判断されているようですが」
「……まあ、何らかの理由付けをしたがるのは人の世の常だろう。それで当人たちが心の安寧を得るのであれば、それでいいのではないか?」
無理に辛い記憶を保持する必要は無いと、少年は目を伏せて悲しげに笑う。
少年はずっと置いていかれる側であり、それをずっと見送ってきた。だからこその言葉に、少女は二の句を告げることは出来ない。
「——所で、君達があまり屋敷での事を話題にしないので、私もそれに習ってはいたが、やはり彼はすべて覚えているのか?」
少年の言う彼が、アリスである事は明白であり、シンクは躊躇う様子もなく頷いてそれに答えた。
「ええ。叔父様は全て覚えています。ですが、叔父様の場合は、あえて口にしないのではなく、話題にする機会がないから話をしないだけです」
「……?つまりは、私が尋ねれば、普通に話題に応えてくれるという事か?」
話題に上がらないので話さないだけで、アリスがあえて口を噤んでいるわけではない。
あれほどの異質な体験を、日常の些細な話題の様に流している事自体がおかしい。そう思った少年はしきりに首を捻る。
今まで様々な人間達と接してきたが、アリスのようなタイプは覚えがない。
「他の人がトラウマになったり、話題に出して憚るような内容であっても、叔父様はそういうモノとして記憶しています。叔父様にとっては、日常も非日常も、全て同じ記憶でしかない。……いえ、下手をすれば、紛い物や死者に追い回された事よりも、ホテルマンに襲われた事の方が、叔父様にとっては思い出したくない記憶だと思います」
もちろん人間の異常者に追われる事は恐ろしい。けれど紛い物や生きた死者に追われる事は、それとはまったく種類の異なる体験の筈だが、それでもアリスにとって恐ろしいのは、自分に身勝手な欲を抱いて迫ってくる人間の方だ。
「——壊れている人間が、狂うと思いますか?」
シンクは淡々と抑揚のない声で、ただ事実を少年に告げる。これから共に同じ屋根の下で生活していくのだから、彼にも知っておく権利がある。
「——いや。そうか。ああ—―納得した」
少年はようやく納得できる回答を得たと、どことなく晴れやかな表情をしていた。彼なりに、家主たちに気を使っていたらしく、その必要が無くなって肩の荷が下りたのだ。
「君が彼に向ける感情は、間違いなく『恋』と言って間違いは無いと思う」
少年の唐突な発言に、今度はシンクが怪訝そうな表情を浮かべる番だった。
「少なくとも私が知る限りは、私が正しく祭られていた時、現代の言う『恋愛』という物は明確には無かったように思う。『恋』も『愛』も文字としてはあったが、今と違って明確に男女間で使うようなものではなかった。傍に居たいと、同じ時を過ごしたいと思う相手。家族や友人、大切な人を思うための言葉だった。君のそれはそういうモノだろう?」
ただ、大切な人へ向ける感情。具体的な事を言えなくとも、彼と共に居たい。彼に幸せであって欲しい。そういった感情を表現するために、シンクは『恋』をしている。
「……私自身、自分が叔父様に向ける感情が、酷く激しい物だとは理解しています。きっと、世間でいう『恋』とは似て非なるモノだとも理解はしているのです」
シンクは初めてアリスと出会った時の事を、今でもはっきりと覚えている。
「——きっと、私は恋に狂っているのでしょう」
それでもシンクは自分の感情を否定しない。世間でいう優しく、儚く、苦しい物ではなく、ただひたすらに、アリスと共にありたいと願っている。
それを邪魔するものを排除する事に躊躇わない程度には、自分が狂っていると自覚している。
「……もし、叔父様が番を見つけた時、私は、叔父様の意思を優先できるか不安に思う時もあります。叔父様の大切なモノを傷つけたくないと思う一方で、叔父様を失いたくない—―という感情が溢れてくる」
狂っている—―と自身を冷静に分析する一方で、自分の感情をアリスに押し付けてしまわないかと恐怖している。
相手を大切にしたいと願うのと同時に、奪われたくない。ずっと一緒に居たいという思いがシンクの中で渦巻いている。
はた目から見れば両立できるように見えるが、それはアリスの視線がシンク達に向いているからであり、もし、別の人間にそれが向けば、それらの両立は難しくなる。
「——今のままずっと、変わらずにいられたら……どれほど幸せな事か……」
夢を見る様に、歌う様に、祈る少女の姿は、酷く儚く、神々しさまで感じられる。
「……もし、叔父様が誰か別の人に思いを寄せたとしても、私はずっと叔父様だけは思い続けるでしょう。……ね?私は狂っているでしょう?一時の夢のような淡い思いに、一生縋り続けると決めているんですから」
その時は、世界で一番重要な事だと思っていても、後からすればそれほど珍しい事ではなく、日常生活の一時の思い出となる事は、一生のうちにいくらでもある。
若い頃の恋など、その最たるものだろう。
その時はその相手しか考えられなくとも、世界には異性は何十億人といる。同じ国の人間でも単純計算で人口の半分の異性が存在するのだ。
その人は確かに世界にたった一人だが、恋人、友人、という立場に成れる人間であればそれこそ山のようにいるのだ。
初恋は実らない、というのは、結局の所は狭いコミュニティーの中で一番気に入った人間であり、外の世界にはそれよりも気の合う相手がいる可能性が高いからだ。
……ああ、でも、彼女はきっと、その言葉通りに、彼の事を思い続けるのだろう。
長い時を生き、数多くの人間を見てきた少年の経験と勘が、それを確実だと告げている。
人と違う思考に陥り、そこから抜け出せなくなることを狂うというのであれば、彼女は確かに狂っているのだろうと、少年はその在り方を愛おしく思う。
「——恋と恐怖は似ていると思いませんか?」
不意に少女が少年に淡い微笑みを向ける。それは花が散る間際に見せる、宙を舞う花びらの様。
「両社とも、突然落ちてしまい、自分ではどうしようもない。恋も恐怖も、酷く恐ろしく、苦しいのに、同時にとても楽しいでしょう?」
恋も恐怖も感覚的なモノであり、本人もどうしようもない物だ。恐怖を感じた時に、それを和らげるために脳は快楽物質を生み出す。安全な恐怖として、絶叫マシーンやお化け屋敷やホラー映画などを好むのも、そのためだという。
恋も同じように快楽物質を生み出す。それにはまった人間は、それから抜け出せなくなる。
「そうして、人によっては、恋に狂い、恐怖に狂い、我を失う」
少女は窓の外に広がる景色に目をやり、水の様に淡い青色を纏った澄んだ空と、そこに浮かぶ曖昧な形の雲を見つめる横顔は憂いを秘め、一枚の絵画の様に美しい。
「——私は『恋』をして、『恋』に狂っている。それがとても幸せであると同時に、とても恐ろしい。出来る事なら、冷めないままでいたいと願うのは、我儘でしょうか?」
それは酷く歪で、けれどとても純粋で無垢な祈り。それを少年はとても美しいと、確かに感じた。
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