第54話 燃やす
正面玄関を塞ぐのは、分離をして体積を減らした紛い物。
そして、それがそこに居るという事は、同じようなモノが他に居ても何らおかしくはないという事。むしろ、この状況下で、それ一体だとは到底思えない。
何かが擦れるような物音を聞きつけて、アリスが視線をそちらへとやると、吹き抜けにある二階の廊下の欄干の隙間から、血の塊が体の端を覗かせている。
気が付けば、周囲には何体ものソレらが、幕に覆われた液状の体を揺らし、うねりながら進んでくる。幸いなのは、それほど早くない事だろうか。
「……おそらくは、一つを形成する人数が減ったために、一個体の馬力が減ってはいると思う」
少年は目の前のそれを見据えながら、抱えていた包みの端を結んで輪にして体に通して背中に回す。妹に言われた通り、それを最後まで抱えていくためには、両手を自由にして武器を取るしかない。
「——他のソレらは適当にあしらって時間稼ぎを頼む。玄関から私が出なければ意味がない」
最初の一匹に続けとばかりに、十体近くのソレが二階の廊下から飛び降り、気が付けば十体ほどが、正面玄関を塞いでいる。
「この屋敷の正式な出入り口は、正面にある玄関で間違いはない。そこが屋敷と外の正式な境界線だ」
地上のホテルも、地下に埋まった屋敷も、どちらも屋内であり、どちらも敷地内とみなされている。
ホテル側には前庭や周囲の林道なども、ホテル側の私有地ではあるが、それらは地下にある屋敷には無い物だ。故にそれらは別物とみなされている。
「なるほど。つまりは神社の鳥居代わりか……」
アリスは周囲を見渡して、ソレらと距離をとり、うっかり上から伸し掛かられないように気を配る。
妹は既にハルバートを振るい、近づいてくるソレらを殴り飛ばしている。最初は振り下ろして叩き切ろうとしたのだが、液状のためか切り裂いた部分から血が僅かに飛びはするが、すぐに元の形状へと戻り、ほとんど手ごたえが見られない。
既に人間の形を失ってしまったソレらには、急所となるような部品がない。血も肉も骨もごちゃ混ぜになり、何処かを切り落とせば一時的に行動不能になるという事も無い。
ならば斬るよりも鉄の塊で叩いて、衝撃によるダメージと遠くへと飛ばして、距離をとる方が効果的だと判断した。
ハルバートの刃の面の部分で、さながらゴルフクラブの様に、野球のバットの様に力任せに振り切り、長物の遠心力の助けも借りて殴り飛ばす。ソレらも打撃の衝撃は通るらしく、殴り飛ばされて壁に叩きつけられると、体の飛沫を散らして広がって潰れ、暫くの間は崩れた状態で動かなくなる。
それを確認するや否や、消化斧を装備してる『J』と『H』の友人の青年は切る事を諦めて、斧を本来の使い方とは違う鈍器として持ちいり始めた。
『L』と『H』は気絶している『G』の連れの青年を二人がかりで担ぎ、ひたすら逃げに徹している。『C』は『E』を背中に庇うようにして、フロントの傍に放置されていた消火器を振り回す。
『C』は『J』達から、『D』の遺体が無事に倉庫にある事を聞いていた。隠し通路を上る道中で、彼らが『C』達を探しに来てくれていたという話を手短に聞かされた。狭く重苦しい空気を誤魔化し、背後から響いてくる衝撃音から意識を逸らすための手段ではあったのだが、それでも『D』がアレらに取り込まれていないらしいと、ただ安堵した。
正直に言えば、例え取り込まれていたとしても、あの状態では個人の判別は難しかっただろう。
少年の言う通り、アレらが手ずから殺した相手以外は、取り込むのに時間が掛かるらしい。すでに亡くなり、生命活動をしていない遺体を感覚のみで探すのは手間な様で、それよりも分かりやすく気配のある生者を優先したようだった。
無理にその場に残らずに、『D』の遺体の傍を離れた事が正解だったと、『C』はその選択を間違えなかった自分を少し褒めてやりたくなる。
『C』はこのまま無為に何もせずに、全てを他人任せにする事を良しとは出来なかった。
……せめて、彼女の人とにしての尊厳を守り、人として弔ってやりたい。
自己満足で、せめてもの罪滅ぼしだと分かっていても、それでも何もしないよりはいい。
『C』は自分にそう言い聞かせて、恐怖が麻痺しつつある体を奮い立たせ、少しでもソレらを追い払う事に尽力し続けた。
正面玄関を塞ぐソレらは、他の分裂体よりも一回り大きい。そこがこの儀式の終わりであり、少年がこの場所からいなくなってしまう事を本能的に感じとっていた。
縋るべき相手を逃がさないために、ソレらは自らの体で玄関を塞ぐ。下手に動いて隙を見せないために、ただひたすら防御に徹する。
少年は静かにソレらと向き合い、刀の鍔を鳴らす。ゆっくりと抜き放たれた刃が、差し込む陽光を反射して鈍い光を放つ。
それを見たソレらは怯えるようにぶるりと震え、その動きが鈍くなった。
「生憎と太刀ではないが、それでも古い刀には、それだけで力が宿る。私を祭ってくれた人の子が、私の身を守り、悪いモノから守ってくれるお守りとして捧げてくれたものだ」
古い昔は立派な太刀だったが、時代の流れによって実用性を求められ、刷り上げられて元の形を失った無名の脇差は、長年彼と共にあり続けた。
――少年と同じように、人に求められて形を持ち、そして人に求められた。時を経て、名を失い、役割を変え、形を変え、それでも世に残り続ける一振りの刀。
確かにソレらは犠牲者であり、被害者であった。
それを後押しした人間が居たとしても、彼らにその気が無くても、彼らは加害者であり、無関係なものを襲う魔となった。
少年と混同され、祭られた月日は短く、不安定な器しか持たない故に、魔を払う力には無防備だ。
まだ、人の形を保っていたのであれば、その器が中のソレらへの影響を防いでくれただろう。だが、今はその殻を捨てて、ただひたすらに力づくで少年を屈服させようとしている。
確かに殻を捨て去れば、存分にその力を振る事が出来るが、中身を無防備にさらす事になり、まさにもろ刃の刃。
今の弱った少年の眷属である刀は、随分と力を制限されている。紛い物の本体に対しては大して効果を発揮しなかったが、分裂して個々の力が弱まった状態であれば、生存者達の祈りを受けて、僅かではあるが一時的に力を取り戻した今であれば。
一呼吸後に、少年は踏み出し、ソレらを一閃する。切り裂かれた瞬間に、ソレらはのたうち回り、声なき悲鳴を上げる。傷口からは何も出ず、だがその傷口が塞がる事はなく、残り続ける。
少年は続けざまに、刃を返して切り上げ、一旦後退して、暴れるソレらから距離をとる。
研ぎ澄まされた刃とその無駄のない動きは、素人が見ても美しいと感じるほどに洗練されている。
武術の経験がる者からすれば、尚の事。アリスや姉妹はもちろんの事、『J』や青年をも魅了する。
目の前の敵から僅かな間だが、視線を逸らす事が出来たのは、ひとえに少年の威嚇によって、ソレらの動きが鈍ったおかげではあった。それを置いても思わず視線を向けてしまいそうになるのを堪えて、目の前のソレらに向かい合う。
「……というか、これって……スライム……だよな?」
少年の放った魔を払う音と光は、その場を支配していたねっとりとした湿度の高い空気をも払ってくれた。その絡みついてくるような気配が無くなり、少しだけ心の余裕が出来たらしい青年が、相対していた目の前のゼリー状のソレを改めて観察して、そんな事を呟いた。
「……まあ、確かに、分類するならそうだろうな……。随分とグロくて、愛らしさなど欠片も無いが」
「もしくは――、アンデット……」
『L』と共に『G』の連れを担いで、『J』と青年の後ろに居た『H』がその呟きを拾って同意する。
「吸血鬼、の可能性もありますよ。今の人の形をした吸血鬼が一般的ですが、昔は液状の姿をしていたそうですから」
同じく戦闘に参加せずに回避行動をとっていたアリスが口を挟んだ。
「じゃあ、彼らはどちらかと言えば、原点にさかのぼっているという事になりますね」
まとめて二体を払いのけて、壁に叩きつけた妹が興ざめしたように、潰れて床に広がるソレを見下ろす。
一時的に形を失い、液状の中に含まれていた肉片や骨片が露出している。それを観察すれば、小刻みに震えて、徐々に一か所に集まっていこうとしているのが見て取れる。
血だまりの中に浮かぶ様は痛ましい。けれど少女にはそんな感傷にひたる気は毛頭なく、すぐさま戦闘を続行する。
姉は少年が目の前の敵にだけ集中できるようにと、その背中を援護する。他の招待客の合間をすり抜けて、少年へと近づこうとするモノを容赦なく特殊警棒で弾き飛ばす。
防戦一方ではあるが、何とか状況を維持する事が確認できている。
それはひとえに、その場に入る招待客達が同じ目的に向かい、一丸となっているが故の結果だろう。
――人間は弱く、脆い。けれど、時として、自然の営みすらをも超えていく事がある。
無駄と矛盾が多くとも、それらがあってこそ人間であり、ただ助かりたいという一心で突き進んでいるのは同じだというのに、どう足掻いても救われる事のない、かつて人間だった紛い物。
少年の振るう刀は、的確にソレらの体を切り裂き、目に見えない命を削っていく。己が形を維持できなくなったソレの一体が崩れ落ち、床に血と肉と骨をまき散らす。血だまりに沈むソレは、再び動き出す気配を見せずに沈黙している。
少なくとも、この儀式が終了するまでは、ソレらが動き出す事なはい。
少年は魔を払う力を刀の刃に込め、本当に少しずつ、けれど確実に目に見えないソレらの命を削り取る。その様は、豊穣を与えていたかつての彼からは想像もつかないものだ。それでも少年は願われた通りに、生きている人間達を此処から逃がすために、かつて自分に尽くしてくれた人間に報いるために、刃を振るう。
どれほど華奢でか弱い子供に見えたとしても、少年は人とは違う理の中で存在し続けるモノ。
慈悲を持とうとも、必要ならば刃を振るうし、怒り哀しもうとも、恨む事はなく、悔い改めるのであれば許すのだろう。
正面玄関を塞いでいた紛い物達の大半を地に沈めた頃、ついにソレは彼らに追いついてしまった。
隠し通路の入り口があった部屋の方から、地響きと破壊音が響き渡り、その場に居た誰もが何が起きたのか察し慄く傍で、足止めが間に合った事にソレらは歓喜する。
少年も気が付いていたが、一秒でも早く敵を排除するために、激しい揺れを諸共せずに淡々と刀を振るう。
食堂側の通路の奥から、随分と勢いを失った紛い物の本体が這いずり出てくる。
なんとなくだが、アリスにはそれが歩く力を失い、それでも生きようと這いずり、懸命に助けを求めている様に感じられた。
それがただの人間であれば、アリスもその手を取り、出来うる限りの手段を用いただろう。けれど、それは既に死者であり、伸ばす手は無く、進む足も無く、助けを求める口も無い。
既に人間ではなくなってしまった被害者達が、最後の機会を逃すまいと、必死に体の一部を少年へと伸ばしてくる。
ここまでくれば、既にソレらは生贄達を狙う余裕などなく、少年の事しか捉えていない。
だからこそ、まるで散歩でもするかのように自然な足取りで、紛い物の前に立ちふさがった少女の行動を見逃した。
「——失礼ですが、彼の邪魔をしないでください」
姉の右手にあるのは変哲もないスプレー缶。強いて言えば可燃性のガスを含んだ新品の物。左手には所謂ジッポライター。
少女はライターをスプレー缶の前へと翳し、親指でその蓋を弾いて開け、続けざまに火打石を鳴らす。
勢いよく噴出された可燃性のガスが、ライターの火を通過した瞬間に火を纏い、その勢いのままに、紛い物の体に火がぶつかる。
火が紛い物の体を撫でた瞬間、空気を震わせながら声のない悲鳴が上がる。すでにのは無く、声を発する器官は失われている。それでも紛い物は全身を震わせて、周囲の空気を激しく振動させた。
その振動はその場に居た者達全員に届き、鼓膜と脳を激しく揺らす。
その表現しがたい悲鳴に耐えられずに、『E』と『L』が耳を塞いで、その場にへたり込んだ。『G』の連れの青年を共に担いでいた『H』は、辛うじて立ち続けてはいたが、片方の支えを失ってバランスを崩してしゃがみ込んでしまう。
火は、どの時代、土地や文化でも文明を支え、それと同時に命や破壊や再生、そして魔を払い、浄化する聖なるものとして扱われる。
獣は本能的に火を恐れ、人は畏怖しながらも魅了されてきた。
ならば、人間としての本能を維持しながらも、その境界を越えようとしている紛い物に効果が無い筈はなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます