第46話 行き先

 アリスがハルバートの輸送方法に頭を悩ませていた頃、隣の部屋でもは残りの招待客達による話し合いが行われていた。


「……どこまで正解かは分からないが、どっちにしろ、彼らを迎えに行かなくてはいけない」


 『J』の話を聞いた『H』は隣の部屋側の壁に飾られた男女の絵画を見つめて何かしらを考えていた。その隣で連れの青年は『J』の提案に乗ると即決して返答をする。


「了解。俺はそれに賛成。自分達がけ助かっても目覚めが悪いし、年下の女の子と子供を放置したくない」


 『L』は一通り話が終わってから、周りの人間の反応を窺っていたが、連れの青年が即決した事に感心しつつ、それに賛同を示した。元から生存者全員で生き残る事を望んでいたので、反論する気は持っていない。

 『E』は緊張で落ち着かないのか、硬い表情で仕切りに自分の腕をさすりながら、小さく頷いて同意を示した。


「——お前はどうする?色々思う所もあるけど、どっちにしろ、他に意見が無いんだったら、とりあえずは残りを連れてくるが良いだろう?」


「——いや、俺も『М』さんの意見に賛成、かな?—―この部屋、見張りの時に滞在してから、ずっと何か違和感があったんだ。多分、この絵が飾られている壁の向こうに、人が通れるぐらいの空間があるんだと思う」


 『H』の発言に、全員の視線が一斉に集まる。その視線を諸共せずに、『H』は話を続ける。


「この部屋、廊下側から見た凡その部屋の広さと、実際に中に入った時の広さが違う。壁とかの厚みを考えても、扉一枚分ぐらいは余裕がある。金庫でもないのに、壁を分厚くする理由はないだろうし」


「……隠し通路があるって事か?」


「ああ—―多分だけど。『L』さんが『A』と『B』の部屋の向け道を見つけたって聞いた時から、その可能性を考えていた」


 『H』は口を動かしながら絵画へと歩み寄り、額縁をに手をかけて動かないか試してみたが、壁に固定されておりビクともしない。


「ビクともしないのが逆に変だ。防犯対策にしても、修復とか模様替えの際に不自由過ぎる」


 それを眺めていた『H』の友人の青年が徐に移動し、絵画から一メートルほど離れた左側の位置に立ち、躊躇する事なく手に持っていた消化斧を壁に叩きつけた。

 突然の事に吃驚した固まる招待客と、彼の行動を予想していたのにも拘らず、静止する事なく苦笑しているだけの『H』をよそに、青年は何度も壁に斧を振り下ろす。

 壁の表面を覆っていた壁紙を破り、石膏が崩れ落ち、さらに壁の亀裂を広げようと斧を振り下ろした所、今までとは違う金属同士がぶつかり合う耳障りな音が響く。

 衝撃で痺れる腕に眉を顰めながら、青年が消化斧を振り下ろすのを止めて、数センチほど開いた亀裂から覗く金属の壁を見て、辟易した呻き声を上げる。


「本当に金庫かもな」


 青年が横に退くと、『H』が覗き込んで溜息をついて肩を竦める仕草をする。残りの宿泊客達も壁の中の金属板を確認し終えると、自然と全員の視線が『J』と青年へと集まった。


「……行動に移ろう。皆は隣の部屋に移動して、いつでも動けるように待機しておいてほしい」


 『J』の低くて渋い声が体の芯に響き、それを着た全員が自然とそれに従って動き始めた。



 少年に、人間をどう思うかと問いかければ、彼は迷うことなく「祈りを聞き届ける相手」と答える。そもそも彼にとって、人間はすべからく庇護すべき相手でしかない。

 そしてそれを無条件でする訳ではなく、あくまで少年に祈りを捧げる人間達の手助けをする。どういった方法で助力するかは、祈り内容と少年と世間の状況による。

 時代の流れで価値観は変わり、優先順位が変動する。それを少年は敏感に感じ取り、祈りをその時代の価値観で相応しい形で届ける。

 けれど少年は、あくまで一部の地域で祭られるモノであるがために、その土地に根差した力や信仰を元にするために、祭り方や信仰の形を歪めてしまえば、その影響力は一気に落ちる。

 今となっては、辛うじて屋敷の所有者の一族内の運気を上げ、良くない物を嫌な予感として報せる程度にとどまっている。

 それでも経営者としては十分にありがたい物であり、嫌な予感がした事柄を避ける様にすれば、本人にある程度の実力さえあれば思う通りに事が運ぶ。

 種をまかなければ、そもそも作物が育つことが無いし、作物が無ければ豊作にある事も無い。

 知らない事を理由もなく知る事は出来ないし、行っていない行動をした事にすることは出来ない。すでに失われた物の代価品は手に入るが、元の物を復元することは出来ない。

 向かい風を止めて、追い風に変えるだけで、そもそも進んでいなければ、早さが変わる事はない。



「——だから、私には既にある物を無かった事には出来ない」


 少年の返答に、妹はがっくりと肩を落として項垂れる。ようやくアリスの厄介な体質をどうにかできるかと思ったのだが、生憎とそう上手く事は運ばないようだ。


「まあ、これだけ人間が増えると、相対的に影響を受ける人間は増えるのは仕方がない。とはいっても、深刻な影響を受ける者は稀だろうし、むしろ良い影響を受ける事もある」


 そう語る少年は、スタッフの寮の区画の一室の押し入れの中に居る。

 玄関ホールの天井を爆破して、死者の塊をシャンデリアで圧し潰し、天井の瓦礫で埋めた後、すぐ様その場から退散して三階へと移動した。

 その際に少年が忘れ物があると、とある部屋へと立ち寄る事になった。少女としては早くアリスの元へと馳せ参じたいのだが、助力してくれた少年の頼みを無下にするのも人として避けたい行為なので、出来るだけ早くするように急かす事だけしかできない。

 そんな少女の思いに気が付いている少年は、口調はのんびりとしているが、動きを止める事はしない。


「だが、まあ、影響を十から五ぐらいまで減らすことは出来る。それでも、そのホテルマン?とやらの様に、とち狂う者はどうしても出てくる。まあ、一度すれ違った、ぐらいから一度話した、ぐらいには効果はある」


「……それでもかなり被害は減るとは思いますが、一度話したらというのも大概——というか、前にこの部屋を見た時はクローゼットだった気がするのですが……?」


 少なくとも通り魔に襲われる確率が減るのは確かだ。少女としても春先と盛夏に、アリスの前に出没する変質者が少しでも減るのはありがたい。

 それはそれとして、以前に目にした時はもっと洋風だった内装が様変わりしている事に、少女は首を傾げて、何となくかび臭いし埃っぽい部屋を見回す。


「先ほどの爆発で、多少だがずれが生じているんだろう。絵画がある地点は楔として強固だからあまり影響はないが、距離がある場所や、此方側の影響が大きい場所は此方側の姿を見せている」


 少年が押し入れの中の天井を押すと板が外れ、板をずらして空間を開けると、そこに上半身を突っ込むと、手を伸ばして天井裏に置いていた物をしっかりと掴んだ。

 うっかり落としてしまわないように気を付けながら、少年は手に持ってる物をそっと押し入れの上段に下ろした。


「……壺?……ではなく、花瓶ですか?」


「——ああ。私が地下の座敷牢に閉じ込められていた時、私の事を気にかけて、良く面倒を見てくれた」


 口を塞がれた花瓶を見て、懐かしそうに語る少年の台詞で、少女はその花瓶の中身が、影響力が強くなっている原因であり、その中身にも凡その察しがついてしまう。


「あの子自身は近くの村から奉公に来ていた使用人だった。長女で、兄弟が沢山いるから、家族達が食い扶持に困らない様に、少しでも良い教育を受けて欲しいとずっと願っていた」


 時代背景として、色々と知らない振りをして、口を閉ざさなければいけない事も多かったのだろう。

 弱い人間はとことん弱く、自分や家族達の身の安全と、日々の生活のためには、雇い主の悪行を目の前にしても、目を逸らす事しかできなかった。それでも自分の兄弟達を思い出し、少しでも少年に寄り添いたいと思ったのだろう。


 —―その善行のお陰で、少なくとも得体の知れないモノの仲間入りは避けられた。


「——声がして、顔を上げたら、座敷牢の前でこと切れていた。座敷牢の鍵を持って来てくれたようだった。私に出来るのは、あの子の体を砂にして、花瓶に詰めて、いつか誰かに託す事だけだった」


 押し入れから出てきた少年は、押し入れに放置されていた布で花瓶を包み、目の前に居る少女に差し出した。


「どうか、その子を外に連れ出して欲しい。出来れば故郷の土に返してやりたいが、詳しい身元が分からない」


 物寂しそうに花瓶を見つめる少年に、少女は正面から向き合うと、物怖じする事無く言い放つ。


「他人を当てにせずに、自分でしなさい。私は貴方をここから連れて出るつもりです。そのためには多少の無茶も覚悟しています。そんな物、簡単に割れてしまいます」


 手に持っていたハルバートの柄で畳の床をとんと叩き、少女は少年に此処から去り、外の世界へと行く覚悟を決めろと促してくる。

 困惑した少年の視線が、少女と花瓶の間を行ったり来たりするのを、少女は無言で見据えている。


「——何度も言っていますが、貴方には一緒に来て頂かなければ困ります。そのために、私は体を張っているのです。貴方は私の祈りを聞き届けたと言いました。ならば、その祈りの成就を見届けるのも、貴方の義務でしょう?」


 強い意志を宿した少女の瞳に映る自分が、酷く不安そうで、いつか屋敷に迷い込んできた妾の子供と同じ表情をしてるのを見て、少年は自分が再び一人で取り残される事に怯えているのだと気が付いた。


 ……正真正銘、自分に残されている最後の機会。


 人間しか通さない座敷牢から出れた時点で、少年は自分事を半ば諦めていた。もう、僅かな力しか残さない自分を必要とする生きた人間はいない。

 ならば、後は理に従ってあるべき所へと還るだけだと。

 せめて最後ぐらい、役割を全うしよう。救いを求める人間の助力をと思って行動していた。

 長年大切にされたこの器には愛着がある。数多くの人間達の祈りを聞き届け、人間と寄り添い続けた器。

 アレの一部にされるは御免被るし、あるべき所へ帰れないのも嫌だ。


 ……それでも、誰にも必要とされず、誰にも見送って貰えないのは、酷く寒い。


「——良いではないですか。体があるのです。足があるのです。自分の足で此処から歩いて出ればいいだけの話でしょう。その序に、その人も外へ連れ出してあげれば良いだけの話です」


 簡単そうに少女はのたまうが、それは長年の約定を蔑ろにする事になると、少年を躊躇いを見せ、視線を彷徨わせる。


「そもそも、約定を破ったのは人間です。何で貴方を蔑ろにした人間達のために、貴方が犠牲にならなければならないのですか?貴方が彼らを恨んでいない事は知っています。けど、これからの行動を、貴方を蔑ろにする人間達のために使う通りがどこにあるのですか?」


 すでに約定による拘束力は殆ど無い。あるのは見知らぬ世界へと足を踏み出す事への躊躇いと、不安。


「貴方が自分のために、少しぐらい行動したって、文句を言う資格がある人間は、今現在いるのですか?」


「——すでに、社の役割である座敷牢からは出た。後は敷地外に出れば、此処との縁は殆ど無くなる」


 少年からすれば、神社の境内の中をうろついている様な物だ。後は鳥居代わりの入り口から出てしまえば、少年は別の土地に映る事も可能になる。

 長期間彷徨うほどの力は残ってはいないが、いざとなればどこかの神社の柱に頼んで、間借りさせてもらうか、空いてしまった社に一時的に住み着くという方法もある。


「どこかの屋敷の一部屋に、社を作って設置すれば、仮宿ぐらいにはなりませんか?」


「一応は可能だ。後は少数でも、信じてなくてもいいから、私を祭ってくれれば問題はない」


 神社を参拝する客が、全て信仰心があるかと言えばそうではない。何となく運気が上がれば良い、ぐらいの軽い気持ちで参拝していても、そこを神が住まうと謂われる場所だと知っていれば、ある程度は効果がある。もちろん信仰心が有る方が、ずっと良いのは確かだ。


「うちは無駄に広いので、小さな社ぐらい置いても問題ないです。家に神棚や小さな祠がある家もあるんです。ちょっとした土着信仰ぐらい、良いではないですか」


「——ここを出れば、君達は、此処での事を忘れてしまう」


「だったら、今ここで、私が貴方に願います。此処での事を覚えていたいと」


 少年は確かな祈りを感じて、顔を上げる。


「——叔父様のためだったら、神様に祈るぐらい、幾らだってします」


 ハルバートを携えて堂々と胸を張る少女は、いつか何処かで聞いた外つ国の戦乙女の様だと、少年は眩しい物を見るように目を細めた。

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