第38話 正体

 骨と肉が切断される生々しい音が響く。それ自体はそれほど大きな音ではなく、むしろハルバートの刃が床を砕く音の方がよっぽど大きいというのに、それでも人間の体を叩き切る音は否応なしに耳に残る。


 『E』と『L』が呼吸を止めて体を震わせ、『H』と連れの青年は突然の事に目を見開いて、その光景を脳に焼き付ける。アリスと『J』は比較的冷静ではあったが、アリスはその瞬間にどくんと心臓が強く脈打つのを感じた。


 地面に落ちている腕をコートの人物は不遠慮で蹴り飛ばし、腕ごと斧をソレらから遠ざけた。蹴られた衝撃で腕が柄から外れて転がり、消化斧が床を滑って『H』の連れの青年の傍で止まる。

 それに気が付いた青年は暫く斧を見つめて逡巡したが、一息吐いてから斧の柄に手を伸ばす。死者が持っていたという点で少し思う所があったのだが、今まで散々死者を棒で殴ってきたのだ。躊躇う理由など無かった。


 起き上がろうと藻掻く『G』の首に向かって、容赦なく刃が振り下ろされる。風切り音の次に聞こえたのは、先ほど似たような切断音と、中身の詰まった重い物が床に落ちる音。首が切断された瞬間に、『G』の腕が宙に向かって伸ばされ、その様は何かに助けを求めているように見えた。

 亡くなってからある程度時間が経っているためか、どろりと黒ずんだ血液が切断面を覆い隠すように流れ落ちる。

 続けて『F』と『G』の体に下敷きにされた、もう一人の首に容赦なく刃が落ち、頭部も黒ずんだ血液も、重力に従って落ちていく。その様は、処刑人にしか見えない。


 少し前に目撃した時よりも、斧を振る音が大きく聞こえるなと青年が気がつく。此処が玄関ホールであり、吹き抜けの構造上天井が高く、横に関しては壁と手すりを気にしなくてはならないが、頭上に関してはハルバートを振り回してもぶつかる心配がない。故に長物としての能力をいかんなく発揮できるのかと、ぼんやりと考えていた。


 下から『G』の連れの一人、『G』、『F』という順で重なっていたが、首を落とした衝撃でバランスが崩れ、一番上の『F』がずり落ちた。落ちた衝撃でビクッと体が震え、首を刺された衝撃で止まっていた活動が再び開始する。横になっていた体を起こそうと、床に手を突いて俯せの状態になった後ろから、無情にも断頭の刃が振り下ろされる。

 昔の処刑人の様に、手元が狂って切り落とし損ね、相手を無駄に苦しめる事も無い。正確に、無駄に傷も痛みも与えないという慈悲を持って、淡々と作業は続いていった。



 作業を終えたコートの人物はハルバートを宙で空振りして、刃に付いていた血液を払い飛ばすと、徐に招待客達の方へと振り返る。

 防水機能の付いた黒いコートで全身を覆い、目深に被ったフードの中から覗いているのは口元だけで、相手の思惑を伺い知る手段はない。

 振るっていたハルバートよりも小柄で華奢な体躯。コートのせいで体形は分かり辛いが、成人男性というには小さすぎる。コートに隠れた腕はハルバートを振り回すにはあまりにも細い。


 得体の知れない人物の登場に、その場の雰囲気が緊張に支配される。呼吸音にすら気を遣うほどの重く静謐な空気の中を、アリスは平然と歩きだした。気負った様子など未然も見せずに、自然に歩き出したアリスの行動に招待客の殆どが唖然となり見送る事しかできない。

 絨毯の上を控えめな足音をさせながら、アリスは少女と『H』の連れの青年の横を通り過ぎ、コートの人物の前で足を止めて、小さくため息を吐いた。


「——部屋に居ないから探した。色々と聞きたい事と言いたい事はあるが……、とりあえずは無事で良かった」


 ふわりと表情を緩めて、アリスは優しく話しかけた。彼の声には安堵が滲み、心配していた事がすぐに分かった。


「——心配をおかけして、申し訳ありません。叔父様」


 凛とした鈴を転がすような声に、アリス以外の招待客の目が、一斉に少し離れた位置に居る少女の方を向く。注目を集めた少女は申し訳なさそうに苦笑しているが、その口は閉じられたままだ。


「言い訳をさせて頂きますが、下の階で奇妙な気配が一気に広がり、死者がそこら中を闊歩していたので、緊急事態だと判断しました。……まあ、最悪の事態は考えてはいませんでしたが」


 そういってコートの中の視線が少女へと向かい、それにつられてアリスの視線も自然と少女の方へと向かう。自分以外の人間の視線を全て向けられた少女は反応に困って、助けを求めてアリスの方を見た。


「——まあ、そうだな。私の方が至って健康そのものだ。色々とありすぎて頭が痛いが。それに—―」


 少女の事を呼ぼうとしたが、変な所で言葉に詰まってしまい、アリスは困惑してしまう。その一方で自分がこのホテルに来てから、少女の名を直接読んでいない事に、遅ればせながら気が付いた。

 アリスの動揺を察したコートの人物が、先ほど少年から聞いた内容を思い出して、視線をアリスへと戻す。


「髪の白い少年が言っていましたが、此処では名前を口にする事は良くないそうで、本能的に名前を呼ぶ事を忌避してしまうのだとか。—―ついでに言えば、儀式の仕様的な事も大きく影響しているそうですが」


 招待客達はコートの人物が話しているのが分かっているにもかかわらず、何となく少女の方をちらちらと見てしまう。けれど少女は穏やかな顔をして、アリス達の会話を見守っているだけで口を開こうとはしない。


「このホテルの部屋にアルファベットがわざわざ割り当てられているのも、本名で呼び合わずに部屋の文字で呼び分けるのも、儀式の仕様上の問題だそうです。一纏めに生贄のグループとするためと、数字を割り振ると死者達が番号順に事を進めようとしてしまうそうです。それをすると順番がずれただけで失敗となってしまう可能性があるそうで、それを避けるための処置らしいです」


 招待客も思い当たる節があるのか、アリス達の事を気にしながらも傍に居る人間をそれぞれ見比べてしまう。


「——それと、もうお聞きしているかもしれませんが、ホテルマンを気絶させてスイートルームに閉じ込めたのは私です。勝手な事をしてしまい、申し訳ございません」


 そう言って頭を下げるコートの人物の頭に、アリスは手を乗せて首を横に振る。


「謝る必要はない。私の事を心配して行動してくれたのだろう。手段は褒められたものではないが、この状況下では、それほど間違った判断ではなかった」


 そう言って優しく微笑みかけてくれるアリスを見ながら、徐に頭に乗っていたアリスの手をそっと掴んで少し持ち上げて、被っていたコートのフードを脱いでしまう。

 するりと滑り落ちたフードから現れたのは、嬉しそうに微笑む可憐な少女。


 —―このホテルにアリスとともに訪れた、彼の姪の少女。


 少女は持ち上げていたアリスの手を元の位置に戻し、上目遣いで先を促してくる。コート越しではなく、直接、頭を撫でて欲しいという少女の願いを聞き入れ、労わりと感謝を込めて、優しくゆっくりと手を動かす。艶のある少女の髪は触り心地が良く、アリスはその感触を味わいながら、少女の子供っぽさを微笑ましく思う。


「——いつか、私に撫でられるのを避ける日が来るのかもしれないと、少し残念に思っていたのだが、暫くはそれが来そうになくて安心した」


「今の所は来る予定はないので、心配ご無用です」


 出会った時からずっと慕ってくれる少女達の好意は、アリスにとって日向の様に心地よい物だった。アリスと常に寄り添い、どんな時も彼の味方でいてくれる。年下の少女達に甘えすぎているという自覚があるが、彼女達が自立して自分達の足で離れていくまでは、出来るだけ一緒に様々な時間を共有したいと思っている。


 気づけば傍に佇んでいたもう一人の姪の頭も、アリスは感謝と労わりを込めて、少し乱れた髪を整えるように撫でた。



 遠くで響く地響きにより、我に返った招待客達は目の前にある現状を確認する。

 叔父が姪っ子二人の頭を撫でている状況は、こんな異常事態の中でなければ微笑ましいものだ。

 姪の少女達は瓜二つで、間違いなく一卵双生児だと断言できる。顔つきや体格も声も全く同じ様にしか思えない。双子といっても、生活習慣や性格や仕草で雰囲気が違ってくるものなので、ある程度の付き合いがあれば判別が出来るようになる場合が多い。

 招待客達は数日間の付き合いであり、その中で四六時中顔を突き合わせていたわけではないため、その域には達していない。


 —―けれど、目の前に居る少女達はそういうモノとは違うと、何となく分かる。


 おそらくは少女達と長い時を共に過ごしたとしても、彼女らが本気でごまかそうと思えば、それが容易く叶ってしまうと感じてしまう。

 それほどまでに少女達はそっくりなのだ。

 今は違う服装をしているから第三者からの判別が可能だが、もしかしたら肉親であるアリスにすら難しいのではないかと思えるほど。


「あー……、……なんか邪魔するみたいで悪いんだけど、状況説明をしてもらっていいか?」


 三十秒にも満たないアリス達の戯れを、一番近くで眺めていた『H』の連れの青年が、わざと空気を読まずに声を上げた。『H』は友人の他人がし辛い事を必要ならば動ける、勇気ある行動に素直に感心してしまう。

 そしてその言い分が、今の所正しい事はアリス達も分かっているので、姿勢を正して向き直るのを確認してから、『H』の連れの青年が火口を切った。


「何と言うか……姪は二人いたって事—―?」


「ええ—―。騙すような真似をしてすみません」


 アリスが申し訳なさそうに頭を下げると、背後の少女達は顔を見合わせてから頭を下げた。顔を見合わせる時も、頭を下げる時も、上げるタイミングも同じ。それを何の打ち合わせる事も無く、自然にそれを行っている。

 双子なのだと分かっていても、見ている側は不思議な気分になってくる。


「言い訳をさせて貰えば、騙したのではなく、黙っていた—―というのが正しいとは思いますが」


 コートを着ている方の少女が、豪胆にも真顔でそう言い切った。彼女が手にしている、刃を上にして杖のように構えているハルバートが異様に映る。二メートルはある無骨な長物を添えるには、少女はあまりにも華奢で可憐すぎる。


「双子である事を伏せようと提案したのは私達で、叔父様はそれを受け入れて下さっただけです。苦情はどうか私達に仰ってください」


 特殊警棒を持った私服姿の少女が苦笑しながら訴えると、アリスが首を捻って一歩後ろに居る少女達に視線を向ける。


「誰が提案したにしろ、それを採用する判断したのは私自身だ。少なくとも、私は二人の保護者なのだから、その責を負うべきは私だ」


 再び前に向き直ったアリスからは、後ろめたさなど微塵も感じさせない。隠し事をしていた事に対する申し訳なさは感じているが、間違った事はしていないと信じているからだろう。


「まあ、此処で言い訳をするのも無駄な時間でしょうし、—―それより、先ほど口にしたホテルマンの件を聞きたいのですが」


 『H』が個人的に、一番気になっていた事を真っ先に聞いた。どっちにしろ、言い合いをする余裕はそれほどあるわけではない。ならば聞きたい事を聞いた方が建設的だろう。

 アリスが口を開く前に、コートを着た少女が彼の袖を引いてそれを遮る。アリスが振り返って彼女を見ると視線を向けてきたので、頷いて横にずれて場所を少女に譲る。


「あの人は閉じ込められた夜に、叔父様の事を襲おうとしていたので、背後から襲って無力化をして、適当な部屋に閉じ込めました。その時には他のスタッフが誰も見当たらず、様子がおかしかったので、とりあえずそれを確認する方が先かと思いまして。ホテルマンに聞くのも手間ですし、まずは自分の目で確かめてから、叔父様に伝えた方が良いかと」


 『H』はホテルマンが逃げ出した際の、アリスの茫然自失とした状態と少女がそれを心配する様子を見ており、あれが演技だとは到底思えなかった。

 放心した状態の人間を間近で見たのは初めてではあったが、ぼんやりとした表情で、虚ろな目が、焦点が定まらずに宙をゆらゆらと眺めていた。

 声が聞こえて反応はあるというのに、意識がどこか遠くを見ている。間違いなくアリスはホテルマンに襲われて、精神的な傷を負っていた。

 真っ先に逃げ出さなければいけない状況下で、誰かを襲ったとしても、反撃を喰らう前に逃げるべきだ。だというのに、ホテルマンはアリスにかまけた結果、少女の反撃を喰らって無駄な時間を消費している。

 『H』達はホテルマンの逃げる姿は見ていないが、誰かが騒ぎ立てる音を少しだけだが聞いていた。残念ながらホテルマンを取り逃がしはしたが、『L』が隠し通路が客室にあるのを確認しているので、忽然と姿を消したの理由も頷ける。


「……『A』さんの遺体も、もしかして……」


「—―言っておきますが、私が駆けつけた時には、あの方は既にお連れの方に襲われた後でした。詳しい手順は分かりませんが、少なくとも、その時は普通の死体のままの様でした。さすがに状況が分からなかったので、お連れの方はとりあえず気絶させて縛っておきましたが、そこまでくると異変が起きているのは確実でした。ですが、私があの状況で、分かる事も出来る事も大してありませんでした」


 異変を認知させるための手段としては、手っ取り早い方法をとったまでの事だと、『A』の遺体を人目に付く場所に放置した事を、少女は悪びれる様子もなく、ただ淡々と事実だけを述べた。

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