第37話 遭遇
何とか二階へ戻ってきたアリスは頭を抱えていた。
何とか当初の目的であった談話室へと辿りつく事が出来たが、その道中は酷い有様で、内側から外側への力を加えられて歪み、その状態で勢いよく通過したせいで、どこを通過したかがまる分かりだ。
その道中でソレらに出会う事なく安全に進めたが、正直な話、それよりもこの屋敷の耐久力は大丈夫なのだろうかと不安に襲われながらも、談話室に辿り着いたが誰も居ない。
少年も、彼を狙って襲って生きていた死者達も、誰も居ない。
周辺を見て回ると、地下貯蔵庫周りの壁が破壊されて、強引に入り口を広げられているを見つけた。破片が通路側に多い所を見ると、地下貯蔵庫の奥から廊下へと無理矢理這い出てきた事が伺い知れる。
歪んだ床と敷かれていた絨毯が無残に引きちぎられているあたり、周りに気を配るような知性—―もしくは理性は期待できない。
—―その正体が、少年の言うソレの大本なのだろう。
アリスの聞こえた限りでは足音は複数あり、どちらも足音は比較的軽く、隣に居る姪と同じぐらいの背格好をしてると予想できる。
ならばアリス達もそちらへ向かわなければいけない。
自ら危険分かっている所へは向かいたくはないし、誰かの足手まといになるのも御免被るのだが、いざとなれば人一人を抱えて走るぐらいはできる。
「……叔父様。音は一階の廊下をぐるぐると回っているようです。二階へ上がって玄関ホールの吹き抜けの廊下から確認しましょう」
少女の提案はアリスが考えていた事と同じだったため、すぐに同意をしてすぐ傍にある正面階段から二階へと上がる。『ベータ』の棟側の客室へとつながる通路の影に身を潜めた所で、再び少女がアリスを呼ぶ。
少女の視線の先を見ると、客室から『H』達が顔を覗かせてこちらを見ていた。『H』の連れの青年が「あ、『М』の人」と呟くのが聞こえ、後ろから『L』の声が聞こえた。すぐに『H』達の肩越しに『L』の顔がのぞき、アリス達を見て安堵の表情を浮かべる。
どうやらちゃんと本人達らしいと判断したアリスは、無言で視線を少女に向けると、彼女は同意を示して小さく頷く。
三人は部屋から出てアリス達の下へと駆け付ける。
「無事で良かったです。……所であの大きな揺れの見当は付きますか?」
『H』がアリス達に習って玄関ホールを覗き込む。
「いえ。直接確認はしていませんが、何か大きなモノが地下貯蔵庫から出てきたようです」
地下貯蔵庫という単語で出てきたモノの予想がついてしまったらしく、三人がそれぞれ顔を顰めたり、怯えて血の気が引いて顔が真っ青になったりしている。
「どうも一階を走り回っているようです。……おそらくですが、少年を追いかけているのではないかと」
どうもアレらは少年に執着している節がある。実際に生贄であるアリス達よりも、少年の方を優先して狙っているのを目撃している。
「良かった—―。あいつ生きているんだな」
『H』の連れの青年の強張った表情が緩み、素直に少年の無事に安堵している。根が優しいのだろうと、アリスは自身の少しだけ緊張が和らぐのを感じた。
この瞬間に伝えなければ、彼らに危険が及ぶ可能性が高いと判断して、鬼気迫った状況下で申し訳ないと思いつつも、アリスは重い口を開いた。
「……それと、大変言い辛いのですが……、『D』さんが『I』さんに襲われて亡くなりました。——おそらくですが、『K』さんを殺害したのも彼だと思います。これに関しては、あくまで私の推測ですが」
アリスの告白に『L』が息を呑み、『H』は眉を顰め、連れの青年は「はぁ?」と低いうなり声をあげた。連れの青年を宥めつつ、『H』がさらなる情報提供を求めてきた。
「……それはどういう状況で?」
「分かりません。私達は、『I』さんが、『C』さんに斧を振り上げた瞬間に出くわしただけなので。その時には既に『D』さんは……」
アリスは言葉を濁してしまったが、わざわざ言わなくとも十分に伝わった事だろう。とにかく『I』への警戒を促すという目的は達成した。
誰の目から見ても、明らかに『I』は正気だとは思えない状態だった。
—―そして、それは、アリスが酷く見慣れたものでもあった。
「……気がふれたとしか、理由が思いつきません」
アリスの感情の揺れを敏感に感じ取った少女が口を挟み、彼らの意識をアリスから自分へと向ける。姪の気遣いを感謝しながらも、自身の心の弱さを情けなく思う。
「『C』さんのショックが大きく、心神耗弱の状態で連れまわすのは無理そうだったので、『D』さんの遺体と共に一階の倉庫に隠れて貰っています」
致命的な心の傷にならなくとも、確実に傷跡は尾を引く事になる。それが今後の『C』の性格に響かなければいいのだがと、アリスは若い絵描きの将来を案じる。
アリスは個人的には『C』の描く絵を気に入っている。あらは残っているが、見た物に共感を促す、とても良い絵だと思う。描き手の伝えたいと思う情景の雰囲気が、見事に絵の中に溶け込んでいる。
ただ写し取るだけでいいのであれば、わざわざ絵である必要はない。写真では写しきれない、雰囲気や描く側の感情を落とし込むからこその絵なのだとアリスは思う。
「……実は、先ほど『L』さんから聞いた話なのですが、『B』の部屋と『A』の部屋は隠し通路で繋がっており、『B』の部屋に『A』さん同室の方と、『B』さん達の遺体があったそうです」
この機会に必要だと思う情報を伝えある事になり、その話にアリスが『L』の方を見ると、血の気の引いた顔で何度も頷く。
「……私達が気が付いていないだけで、他の部屋にもあるのかもしれませんが、確認する時間がありませんので」
この屋敷自体は、大正後期から昭和初期ぐらいに建てられたものだと、パンフレットには書かれていた。どこまで信用していいのか分からないが、少なくとも隠し通路なんてわざわざ作ったり、座敷牢を作って人を閉じ込めているあたり、この屋敷を建てた華族とやらは確実に善人ではない。
今の持ち主がその華族の流れをくむのかは分からないが、祟りを恐れて生贄を放り込み続けているあたり、まともな感性をしているとは到底思えない。祟りが恐ろしいのは理解できるし、先祖のやらかしを押し付けられたのであれば同情の余地もあったのだが、無関係の人間を巻き込んでいる時点で情状酌量の余地がない。
それは関係者一同で、内々に解決すべきことで、赤の他人を巻き込んでいい理由などどこにも無い。
「とにかく、仮に此処から脱出できたとしても、後の事も考えておかないと、口封じに殺される、という可能性も出てきて—―」
遠くで響いていた振動が、確実に玄関ホールへと向かっているのを肌で感じ取り、全員が押し黙って耳をそばだてる。床を鳴らし、物を破壊しながら近づいてくる音がすぐ傍まで近づき、全員が固唾をのんだ。
地響きを引き連れて、通路からに玄関ホールへと飛び出して来たのは、目立つ白い髪の少年とフードの顔を隠したコート姿の人物。
その場に居た全員が、それぞれの思い思いの反応を示す最中、アリスは想像通りとはいえ、それを目の辺りにして安堵すると共に頭が痛くなった。
そんなアリスをよそに、白髪の少年がコートの人物に何か話しかけると、コートの人物の視線がアリス達のいる方を見たが、すぐに視線が外れてそのまま玄関ホールを横切っていく。
その後を追うようにして廊下の奥から、表現しがたい塊がずるりと這い出てきた。
ソレを見た瞬間、アリスの体に怖気が走り、鳥肌が立った。ホテルマンに押し倒された時は種類の違う恐怖。生理的嫌悪。生物としての危機察知能力が警鐘を鳴らす。
少女はその塊の正体を察したのか、悲し気に目を伏せた。
赤黒い液体の塊に見えるソレの中で、人間の肉片や骨、そして飲み込まれた死者達が沈み、ゆらゆら漂っているのが見える。
それを見た瞬間、『L』の全身から冷や汗が噴き出し、喉の奥から何かがせりあがってくるのを両手で口を塞いで必死に堪えた。『H』は今まで見た事のない光景に顔を引きつらせて硬直している。『H』の連れの青年は、そのおぞましい見た目に『うげ』と呻き声を上げて顔を顰めた。
少年達後を追って通路の中へと姿が消えて、数秒してからアリスが大きく息を吐く。乱れた息を整えるための行動ではあったが、それを合図にして少女や『L』と『H』達が我に返った。
「……何、アレ……」
連れの青年が思わず隣に居る『H』に尋ねたが、彼は無言で首を横に振るので精いっぱいだった。『L』に至っては、収まらない吐き気を抑え込むのに必死で口を挟む余裕がない。
「……何、アレ……。……祟り神—―じゃなくて、最後に出てくる森の神様の中身?ダイダラボッチのグロバージョン?」
連れの青年の言葉で、アリスは某有名スタジオの映画に出てくる、首を落とされた獣の姿の神様の中から噴き出してきた、ドロッとした液体を思い出した。
確かに中身の肉と骨の欠片が無ければそれに近いなと、納得してしまう。
制作されてからそれなりに時間が経ってしまった映画だが、未だに週末にテレビでロードショーとして放映される名作だ。随分とグロとホラーよりなため、少女が神隠しされる話の方が大衆受けが良いのが少し残念だ。
あれだけグロテスクな見た目をしているというのに、血の鉄臭い匂いは全くしないし、肉の生臭さも全く感じない。
床を這い、壁を擦り、物を破壊する音は響いては来るので、実態は確かにそこにある。けれど、あの体躯を支える様な骨格も外角も持ち合わせていないというのに、平然と物を押し退けて突き進んでいる。強いて言えば楕円形が盛り上がったような、頭のないアザラシのような形の物体が、這うように進む姿は、目にした者の背筋に怖気を走らせる。
「……あの様子からして、彼は引きつけてくれているのかもしれません。どっちにしろ、私達にはどうする事も出来ない」
動く死者は物理的なダメージがある程度は効いたのだが、もはや人の形すら放棄した相手に棒きれで殴る程度の衝撃が利くとは思えない。
アリスが少女の方を見たが、彼女も静かに首を振った。
「警棒で殴ったぐらいでどうにかなるとは思いません。……アレをどうにかしたいのであれば、それなりの質量を持った物でないと」
どうしようもないとこの場に居る皆が悟り、とりあえずは脱出を目指そうという空気になり、移動しようとするアリス達の方に向かってくる足音がした。
全員が警戒しつつ散って逃げようとするよりも早く、その相手が見知った相手である事に気が付いた。
『アルファ』の棟の方から、『E』と『J』が息を切らしてよろけながらも必死に走ってくるのだ。
「!—―に、……逃げてー」
息も絶え絶えになりながら、『E』が何とか絞り出した言葉の意味はすぐに知れた。彼女達の背後から、斧を持った『G』と『包丁』を手に持った『F』達だったモノが追ってきている。他のモノと違い、駆け足程度の速さで延々と追いかけてくるため、体力の差で追いつかれそうになっている。
アリスの隣に居た少女が走り出し、『E』のすぐ後ろまで来ていた『F』の包丁を持つ手を特殊警棒で打つ。警棒に弾き飛ばされた包丁が宙を舞い、正面階段の踊り場に落ちる。
少女の横を『H』の連れの青年が走り抜け、勢いのまま『G』の連れの腹部を掃除用具の柄で突くと、呻き声を上げて後ろによろけた。その脇をすり抜けて『G』が斧を振り回しながら近づいてきたので、後退しながら相手が持つ斧を叩き落とそうとするが、両手でしっかりと握りしめているせいで上手くいかない。
少女が『F』の横っ面を叩くとよろけはしたが、最初の時のように倒れこんだりはしなかった。
「なんか……、こいつら耐久値が上がってないか……?」
ダメージは通って入るし、よろけてたたらを踏んだりはするのだが、倒れたりせず立ち続けている。
斧を持っている『G』を無力化しなければ危険な上、それなりに早く動ける体力が無尽蔵の非武装の成人男性を二人相手取るのは、二人では無理がある。
けれど他の者達が加勢しようにも、斧を振り回せている相手に素手で近づくのは危険すぎる。
アリスはとりあえずこの場に居る人たちを逃がし、少女達には隙を見て離脱してもらった方が良いと判断する。アリスが他の客達にそれを伝えようとするよりも早く、背後にある従業員用の階段を影が駆け上がり、気が付いて振り返る客達の脇を走り抜ける。
「どいて」
凛とした鈴を転がすような声が響き、少女が『F』を押し退けて後退させて横に移動すると、空いた空間を人が走り抜け、勢いもそのままにハルバートの穂先で『F』の喉を貫いた。貫いたまま走り続け、『F』の体ごと『G』達に突撃をする。
とっさに少女が『H』の連れの青年の腕を掴んで引き寄せて、通り道を開けさせる。
『F』の体を盾にしながら『G』達に体当たりをかまし、そのまま乱暴に押し倒した。『F』の体が倒れる瞬間に足で踏ん張り、刺さっていたハルバートの刃を引き抜くと、続けざまに折り重なって倒れた『G』の斧を持つ腕を容赦なく切り落とした。
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