第20話 似顔絵
うっすらと非常灯に照らされた廊下の上を歩くモノがいる。頭からすっぽりとフードを被ったコートを着たモノが、音もなくゆっくりと歩いている。手には持ち主よりも長い槍斧を携えていた。
長い柄の先についた鈍色の刃が鈍く光を弾き、獲物を求めているのだと訴えてくる。それだけの長さの獲物を扱うのはさぞ大変であろうに、どこかにぶつけたり引っ掻けたりする事も無く、常に宙に浮いているおかげで床の絨毯を傷つける事も無い。
けれどその重量を支える床は、踏みつけられると軋んで音をたてる。
床板が悲鳴を上げる一方で、ハルバートは本来の目的に使用されているのだから、それに人格があるのであれば歓喜していた事だろう。儀礼用でもなく、ましてや観賞用でもない、戦斧本来の使い方を武器として戦いに用いられる。
ひとつ言うのであれば、戦いと呼べるほど能力を狩られる側が有していない事が残念であろう。
それでもハルバートは斧が役割を全うするために振るわれる。目の間の立ちはだかる外敵を薙ぎ払い、叩き切り、そして切り落とすために。
丸一日休んだことでアリスの体調はかなりマシになった。けれどここに来た時よりも動作が緩慢で、時折ぼんやりと宙を眺めている事が多い。それがはた目から見ても分かる程度の復調だ。
今朝にアリス達の部屋を訪れ、チェーンをかけたまま対応した少女が少し待つように告げて、一旦扉を閉めた。前に訪れた時肌スコープで確認してからチェーンを外して対応していた事を考えると、少女が訪問者を警戒しているのは明らかだった。
「『М』さん顔色は健康そうだけど、ちょっとぼんやり?というか利発さみたいなのが無くなったというか……」
「シャキシャキと仕事をしていた人が、穏やかな老後を過ごしているみたいな?」
『C』の表現に皆が「あー」と何となくその言い方が近いと同意をする。
ちなみに今『C』と『D』と『L』がいるのは談話室。『E』と『F』と『H』の二人と『J』がおり、そして運び込まれた『I』が部屋の隅で眠っている。
どうしてここに彼らがいるかというと、『C』達三人が例の白い髪の少年の話になった際に、どういう容姿をしているのかという話になった。分かる特徴は髪が白いという事と少年であるという事だけだ。その話の流れで、例のホテルマンの顔も『D』と『L』ははっきりと知らないという話になった。
「少年の方はともかく、ホテルマンの方の顔は知っていいた方が良いんじゃない?ぶっちゃけて言うと、わたし、まだ他の招待客の顔を全部覚えられていないの」
「あー、確かに。俺も曖昧な人いるな」
『D』の言い分はもっともで、対面して話せばああこの人かと分かるぐらいで、遠くから通りかった人を見たぐらいではあんな人いたかな?ぐらいで見逃してしまうかもしれない。
「——ああ、じゃあ、ちょっと待ってくれる?」
『C』は徐に自分の荷物の中からスケッチブックと鉛筆を取り出して、置いてけぼりを喰らった『D』と『L』を放置して、鉛筆を紙の上で走らせ始めた。
『C』がおそらくは絵を描いている事は分かったので、二人は邪魔をしないように暫し無言で成り行きを見守る事にする。そうして十数分後には一人の男の似顔絵が完成した。
「——あ。この人ホテルで荷物を運んでもらった人」
「わたしは会話をした事はありませんが、挨拶をした事はありますね」
『C』の描いた絵は素人目から見てもとても上手く、それが誰であるかという事を見ている側に教えてくれるような、分かりやすく柔らかいタッチの物だった。
「すごい!絵が凄く上手い。……もしかして、絵を描く仕事の人?」
あまり詮索は良くないとは思いはしたが、そもそも普通の旅行者はスケッチブックを持ち歩かない。ならば日頃から絵を描く人なのだろうとすぐに分かる。
『C』も別段隠すつもりも無いのか、苦笑をしながら肩を竦める。
「一応は美大生。うちの生徒なら、これぐらいは描けるよ」
それが謙遜ではなく自虐だと分かる笑みと口調で話す『C』に、『L』が務めて明るく提案をしてきた。
「とても分かり易い絵だと思います。『C』さん、口頭で伝えられた自画像を描くことは出来ますか?」
「……一応は、出来る。前に美大の友人達と似たような事をやった事がある」
『C』が友人達と家で飲んだ際、とりあえずつけておいたテレビの番組で警察の特集が放映されていた。その中に似顔絵による公開捜査の話があり、その場のノリと勢いでお遊びをした。
他の友人達の知らない知人の特徴を口頭で告げて、紙に書き起こすという物だ。一応は判定をするために写真を持っている事が条件で、持ち合わせがない人は、適当な売れていない芸能人の画像を携帯端末で持って来て題材にしたりもした。
これがなかなかに難しく、目の前にその人物の写真があっても言葉で伝える事に難儀するし、上手く伝えられたとしても微妙なバランスで全然違う顔になったりもした。
それがどういう訳だか『C』は口頭で伝えられた特徴や雰囲気を掴むのが上手く、何度かの修正で本人だと分かる程度まで寄せる事が出来た。
その場にいた酔っ払いの友人達は「いざとなれば警察に雇ってもらえよ」と騒ぎ立てていたが、将来の不安を覚えていた『C』にとっては笑い事ではなかった。
いまだに五里霧中という言葉がふさわしい状態で、『C』にとってはその辺りはかなり頭の痛い問題だ。この旅行だって、それらを少しの間でもいいから忘れるために参加したようなものだった。
「——『C』さんさえよければ、『H』さん達の所へ行って、話を聞いてみませんか?言い方はあれですが、先の騒動でその辺りのヘイトが別の方に向かっていますし、多少は出歩いても問題は無いと思います」
明確に犯罪者が出た事で、そちらに目が向いているのも確かだ。行方知れずとなっている『B』達の件との関係性は分からないが、それでも印象深い方へと意識が向くのは普通の事だろう。
『L』は丸一日部屋に籠っている状態の『C』と『D』の精神状態を心配して、少しでも気分転換をしようと誘っている事は、『C』には何となく察しがついた。
分かりやすい気づかいは時には他者を苛立たせる事もあるが、この時ばかりは『L』の不器用な優しさをありがたく感じた。
こうして『C』達はうっかりホテルマンに出くわさないように気を付けながら、談話室を訪れ、『H』達の話を聞いて白い髪の少年の似顔絵を描く事となった。
『G』の三人も少年と出くわした場に居たが、とりあえず二人もいればおおよその顔の形は把握できるだろうと、二人の言う特徴を書いては決してを繰り返し、三十分程して『H』達に太鼓判を押される出来となった。
「なんて言うか可愛らしい少年ね。第二次成長期を迎える一歩手前って感じ。雰囲気で男の子だって分かるけど、こう未発達で顔がどっち付かずなて感じで」
完成した絵を見た『E』は、描かれた顔の輪郭を指先でなぞり感想を述べ、その隣から『D』が絵を覗き込んで頷いて同意をする。
「——しっかし、本当にこいつは何なんだろうな?いきなり洞窟の中は危ないとかいうしさ」
『H』の連れが不満そうに鼻を鳴らすのを隣にいる『H』が宥める。
「——大人げない真似をしてしまったのはこっちだよ。けど……なんて言うか……子供っぽくない雰囲気というか……、見た目と中身がちぐはぐな気がして、なんか不気味に感じた」
スケッチブックに書かれた少年は大人しそうに見えて、表情が硬いように見える。こういったものは証言する側の主観がどうしても入るものなので、『H』達には不愛想で冷たい雰囲気に見えていたのだろう。
とりあえず序でにホテルマンの似顔絵も談話室の人達に見せてみると、スイートルームで彼を見た事がある人間ばかりだったので、それほど役には立たなかった。
「……先ほど『М』さんの話をなさっていましたが、様子はどうですか?体調不良と聞いていますが……」
「体を床にぶつけて痣にはなったけれど、大きな怪我はないそうです。ただ、精神的なショックが大きかった様で、少しぼんやりとされていました」
受け取ったスケッチブックの似顔絵を確認しながら『J』が何気何しに尋ねてきたので、この後彼らの部屋を訪れて絵を見せるつもりだと話すと、『J』は眉を顰めて険しい顔をする。
「見せるのは少年の方だけにした方が良い。そういった方に犯人の似顔絵を見せるのは控えて下さい。けろっとしているならともかく、精神的負荷があったのであれば、思い出させるような真似はしない方が良い」
真面目な表情でそう言い切られると、そうした方が良いような気がしてくるものだ。言われるまでその事に気が付かなかった『C』達は、顔を見合わせて申し訳ない気持ちでいっぱいになった。頼もしいアリスの姿ばかり見ていたため、勝手にそういった気遣いがいらないと思い込んでいた。
「表面上は何ともないように見えていても、実際は精神面がボロボロだと言う人も珍しくない。特にこういう環境下では皆に余裕がない。一度駄目になると、そこから一気に崩れてしまうものです。わたし達は所詮は烏合の衆。お互いの常識や良心に期待するしかない状態だという事を忘れてはいけません」
『J』の言い分はもっともで正論ではあったが、何となく上から圧を掛けられている様に感じて、『C』は自分勝手だと分かっていても、彼に対して不快感を覚えてしまう。それが自分の経験からくるもので、勝手に人物像を重ねてしまっているだけなのだが、そう感じてしまうことを止めることは出来ない。
お互いの精神衛生上のために、『J』とはあまり近づかない方が良いと『C』は心の中で決めた。
談話室を立ち去る『C』達を見送り、十分に距離が取れた頃、『H』がちらりと部屋の隅で眠り続ける『I』へと視線を向ける。
「……悪くいう訳ではないんですけど、『М』さんがショックを受けた原因って、死体を見てしまった事ではなくて、男に押し倒された事ですよね?」
「そんな感じだったな。けど、まあ、恐慌状態に陥って暴れたりしないだけ良かったんじゃないのか?人一人を拘束するのって、結構骨が折れるしな」
「うーん……。あんまり詮索するの良くないかもしれないけど、『М』さんは昔似たような経験があるのかも……」
呆然と立ち尽くすアリスの様子とそれを心配する少女の反応を近くで見ていた『H』は、むしろ目の前にある死体になど目も向けずに、叔父の方に掛かりっきりになっていた少女の方が気になっていた。
「姪さんは心配はしていたけど慌ててはいなかった。多分、似た状況になった事があったんじゃないかな。だから対応にも慣れていた。赤の他人の死体なんてどうでもいいという感じだったし」
「どうでもいいと言えばそうだろう?俺もぶっちゃけ『K』さんがどうこうなった事よりも、殺人犯がいる事の方が重要だったし。『K』さん、正直言って苦手なタイプだったし。なんか上から目線で、こっちの事を見下しているっていうか、年上だから敬えって感じがもろに透けて見えていたし」
『H』は連れの乱暴で失礼な物言いに苦笑しながらも、無理に止めさせないのは彼自身もそう思っているからに他ならない。
見張りの件も、目の前にいる『J』に『K』を説得をしてもらった。強面で表情をほとんど崩さない『J』は、一見すれば取っ付き辛そうに見えるが、理由や根拠を話せばちゃんと分かってくれるし妥協もしてくれる。けれど『K』にはそれが無く、自分の考えが一番正しいと考えており、年下の話を全く聞こうとしないので『H』達は辟易していた。
幸いにも近くにいた『J』が説得に参加してくれたため、『K』の「年下が生意気を言うな。歳上を敬え」という台詞に言質を取り、今いる宿泊客の中で一番年上の『J』が交渉をしてくれた。
とりあえずは夕方まででいいから見張りを頼んで、半ば強引に了承をさせた。複数人でないと危ないからと別の人間にも頼むか、最悪『H』達が二人が徹夜覚悟で、仮眠を数時間ずつ取りながらに連続で見張りに就こうかと思っていたが、『H』達——というよりは連れの方だが——が気に喰わなかったのか、その場を通りかかった『I』に『K』が声をかけてしまった。
昨日見張りをしたばかりで申し訳ないとも思ったが、他に適当な人材もいないし、『C』達に嫌な視線を向けていた一人である『K』と一緒には出来ない。誰か別の人を探しに行こうとする『H』達が鬱陶しかったのか、『K』が半日なら二人で十分だと言い、『I』がそれに同意したために二人だけになってしまった。
実の所、アリス達が尋ねてきた時、『E』と『F』の二人以外は仮眠をとっている所だったのだが、ノックと声で目を覚ましたので、そのまま五人で応対する事にした。
「夕方までぐらいまでならと思ったのがまずかった。ホテルスタッフならば疑ってかかってしかるべきだったのに、油断をしてしまったせいで、『K』さんは犠牲になったし、『I』さんも気絶したまま起きないし」
「それに関してはわたしも責任を負う立場にある。やはり睡眠不足は思考を鈍らせるな」
頭を抱えて項垂れる『H』に『J』がぶっきらぼうに言葉を投げて、ソファーに深く座り目を瞑った。
その様子を窺っていた『E』が『H』達に肩を竦める仕草をして「気にしすぎないでね」と言葉をかけて、部屋の隅にある衝立で区切られた区画へと入って行く。非常事態とはいえ、女性である『E』にも最低限のプライバシーは必要だろうと、有り合わせで簡易的な衝立をを作った。
衝立で隠されている個所はもう一つあり、そちらは寝所としていくつかに区切っている。すぐ傍に他人がいる状況は落ち着かないが、姿を隠すだけでもかなりマシになるのだと、彼らは体験する事になった。
「とりあえずは、考えるのは一旦止めて休むか……」
連れの言葉に『H』は同意して、これからの事を考えそうになるのを堪えるために、大きく息をついた。
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