第五話「消えた野球部員の謎」2

消えた野球部員の謎2

 

 

 

 見付からなかった事に、ほっと胸を撫で下ろす。

 武村はじっとロッカーの外へと耳をすませる。遠ざかっていく女子野球部員たちの足音が聞こえた。

 そろそろ、出てもいいだろうか。

 折座屋へと目配せすると、彼もまた外の様子をうかがっているようだった。

「……よし」

 折座屋は意を決して、ロッカーの扉を開ける。ここで、部員の誰かが残っていたら最悪だ。

 人生が終わると言っても過言ではなかった。

「……誰もいないみたいだね」

 折座屋に続き、武村もロッカーから出る。部室には、人の気配はなくなっていた。

「ああ、そのようだ。……助かった」

 折座屋もまた、誰もいなかったという事実にほっとしているようだ。

 それはそうだろう。ここは女子野球部員の部室。この場に折座屋がいる事自体がおかしいのだ。

 その上、こそこそとロッカーに隠れていたとなればなおさら。

 折座屋はふと周囲へ視線をめぐらせる。すると、開きかけていたロッカーの隙間から女子制服の裾やスカート、ソックスなどが覗いていた。

 慌てて視線を外し、折座屋は先ほどまで自分が隠れていたロッカーへと向き直る。

「……ここにいるとなんとも落ち着かない。はやく調べて出よう」

「そうだね。見付かったら大変だしね」

 折座屋が見付かってしまうと大変、というのももちろんあるが、武村が見付かってもまた面倒な事になるのは確実だった。

 折座屋と武村は例のロッカーを調べるために、じっと目を凝らす。

 何か手がかりがないだろうかとあちらこちらを調べてみる。可能な限りではあるが。

「……何かあった?」

「いや、何もなかった」

「だよね。わたしの方も見付からない」

 武村は嘆息して、小首を傾げる。手がかりらしきものは見付からなかった。

 だとするなら、ここには何もないのかもしれない。

 折座屋を振り返ると、彼は腕を組んだ姿勢でじっとロッカーを睨み据えていた。

「ええと、もう出よう。いつまでもここにいたら見付かっちゃうよ」

「あ、ああ……そうだな。そうするか」

 武村が提案すると、折座屋は頷き、踵を返す。――そこで、彼の目端に何かが映った。

「折座屋くん? どうしたの?」

「いや……何かあるな」

 折座屋は膝を折り、ロッカーの下のあたりへ目を凝らした。

 何か……なんだろう?

 折座屋の視線の先には、白い紙片があった。それは、千切れたり切られたりした様子もなく、隙間からちらりと出ていた。

 折座屋はその紙片を抜き出してみる。隙間に挟むようにされていたそれは、すんなりと取り出せた。

 おそらく固定されているわけではなく、ただ差し込まれていただけだったのだろう。

 ふたつに折られたその紙片を開いてみると、メモらしきものが書かれていた。

 ――バッティングフォームの指導があった。監督はどうやらあたしらの事をおかしいと思っている。

 ――監督の話。次の週末の練習試合の事。夜遅くまで練習している部員への注意。

 ――先日の奇跡的なキャッチを褒められた。何をした?

 不可解なメモだった。まるで誰かに対して話しかけているかのような印象を与える。

 誰に対してだろうか……?

 折座屋は眉間に皺を寄せ、メモを睨み付けていた。

 何も知らない人間がこの場面を見たら、おそらく不機嫌だと思った事だろう。

 武村も最近になってわかったのだが、折座屋は考え込むとこういう顔になってしまうようだ。

「折座屋くん、これってどういう事?」

「わからん。ともかく、これが手がかりになるだろう。直感だが」

「そうだね。……考えるのは後にして、今はここから出ようよ」

「ああ、そうだな」

 折座屋はメモを丁寧にたたみ、制服の胸ポケットにしまう。

 丁寧にハンガーにかけられた制服。脱ぎ散らかされた靴下。

 ふとブラジャーがかかっているのが折座屋の視界に入る。途端、彼はバチンッと自分の頬を叩いた。

「お、折座屋くん……?」

「何でもない。行こう」

 普段使いの下着と部活動用の下着を使い分けている部員もいるわけではあるが、折座屋にそこまで想像するのは不可能だった。

 一見すると冷静沈着なようでいて、やはり動揺しているという事なのだろうか。

 武村はそんな折座屋の様子を見なかった事にして、自分の記憶の中だけに留めて置こうと決めたのだった。





 とりあえず、女子更衣室を脱出する事に成功した。

 見付かるかとひやひやしたが、案外すんなりいった事に安堵する。

 折座屋はほっと息を吐いた。あの空間にいると、なんだか頭がおかしくなりそうだった。

 甘い匂いがしていたわけでもない。どちらかというと汗臭さが充満していた。

 にもかかわらず、理性が揺らぎそうになっていた事に少なからずショックを受けている自分がいた。

「……修行が足りんな」

「折座屋くん……どうしたの?」

「何でもない。こっちの話だ」

 言って、折座屋は胸ポケットから折りたたまれた紙片を取り出した。

「これって……どういう事なんだろうね」

「今の段階だと何もわからんな。誰かに当てたメッセージだとは思うが」

「でも、ロッカーはひとりに付きひとつなんだよ?」

 武村が疑問を口にする。折座屋もまた、その部分が引っかかっていた。

「つまり、誰かにメッセージを伝えるのだとしても、あの場にメモを残す事に意味はない」

「誰かに渡そうと思っていたけど、忘れちゃったとか?」

「だとしたら、今度は内容が不可解だ。この内容はおそらく部活動中の事を言っているのだろうから」

 練習の様子や顧問の話の内容を部外者に伝える意味は薄いだろう

「……うーん」

 武村は首を傾げ、考え込む。折座屋また、怖い顔になっていた。

 メモは発見した。しかし内容が不可解過ぎる。

「ともかく、一度持ち帰ろう。明野に相談して、今後の方針を決めるんだ」

「そ、そうだね……」

 折座屋の案に武村は頷く。

「そういえば、明野さんは今日来てなかったね」

「ああ……あいつも部員のはずなんだけどな」

 折座屋と武村はお互いに顔を見合わせ、首を傾げる。

「ええと、折座屋くんは明野さんの連絡先知らないの?」

「ああ、そういえば教えてもらったな」

 今思い出したというように、折座屋はポンッと手を打った。

 スマートフォンを取り出して、メッセージアプリを立ち上げる。

 操作して、美崎へのメッセージを作成していく。

「なんて書いたの?」

「起こった事と発見した物を包み隠さず書いた」

「え? それってさっきの事全部書いたって事?」

「ああ、もちろん。じゃないと不誠実だからな」

「そう……なのかなあ?」

 別に最後の脱出劇に関しては書かなくてよかったのではないかと武村は首を捻る。

 とはいえ、既に送信してしまっているのなら、わざわざ言い直したりする必要もないだろう。

 折座屋の事を多少なりと知っている人間なら、変な誤解もないだろうし。

「それで、これからどうしようか」

「そうだな……いや、待ってくれ」

 折座屋はスマートフォンへと目を落とす。美崎からの返信が来たようだ。

 武村も覗き込み、返って来たであろうメッセージを読む。

「何々……『今からそっちに行くから待ってて』って」

「待ってるか」

「そうだね」

 いてもいいものか武村は迷ったけど、そのままいる事にした。

 悪事を働いているわけではなく、折座屋に協力して消えた部員について探っているのだから。

 堂々としていればいい。それだけでいいのだから。

 それほど間を置く事なく、美崎が姿を現した。武村がいる事を不思議がっている。

「えっと……武村さんだよね。どうして?」

「ああ。俺が頼んで協力してもらってるんだ」

「そうなんだ……」

「そうなの」 

 武村は堂々と胸を張った。盗み聞きしていた事は、あえて言う必要はないだろう。

「それで、さっき言ってたメモっていうのは?」

「これだ」

「……何、これ?」

 折座屋から手渡されたふたつに折られた紙片を見て、美崎は眉をひそめる。

「内容に付いてはまるでわからん」

 折座屋は腕を組み、首を振る。メモに付いては同じ部の美崎の方がよりわかるのではないだろうか。

 あまり期待は持てなかったが、それでも一度は当たってみるのが大切だと思われた。

「明野は何かわかるか?」

「……だめ、何もわからない。たぶんこれはあたしたちへ向けたものじゃないからだね」

「そうか。……まあそうだな」

 折座屋は努めて平静を保っていたが、少々落胆したのが武村にはわかった。

「でも、だとしたら女子野球部員へ読ませるための手紙じゃないって事だね」

「なるほど。確かにそうだ」

「どういう事? 野球部の部室にあったんじゃないの?」

「そうだが……そういえば、明野」

「何?」

「どうして部室から来なかったんだ?」

 至極まじめな顔付きで、折座屋は訊ねた。

 思い返してみると、彼女は部室にはいなかった。武村と一緒にロッカーへ押し込められていた時も、彼女らしき人物を見たり聞いたりした記憶はない。

「あたしは……まああたしで色々調べてるんだよ」

「なるほどな。それで、何かわかったのか?」

「んーん、何もわかんない」

 美崎は肩をすくめてそう言う。

「ねえ、明野さん」

 武村が遠慮がちに美崎を呼ぶ。美崎は小首を傾げながら、武村の方を向いた。

「ところで明野さんは何をしていたの?」

「だから、あたしなりに調べていたんだよ、今回の事を」

「うん。だから、何をどう調べていたのか教えてよ」

「……なんで?」

 美崎があからさまに不機嫌になる。武村の詰め寄るような言い方が癇に障ったのだろうか。

 けれど、武村はそんな美崎に頓着する事なく問いを重ねる。

「だって、ねえ。情報は共有していた方がいいと思うの、わたし。だから教えてよ」

「……わかったよ」

 美崎ははあと息を吐き、自分が調べて来た事を口にする。

「あたしのクラスで最近、ずっと休んでる奴がいるんだよ」

「それが、関係があると思っているわけだな」

「わからない。ただ、時期的には部員がいなくなった頃と重なってるんだよね」

「ほう」

「誰がいなくなったの?」

「名前は……峰岡可憐っていうんだけど」

「峰岡可憐。それが失踪した部員なのか?」

「いや、峰岡という名前の部員はいたけど、可憐という名前ではなかった……と思う」

「思うって……」

 美崎は自信なさげにうつむく。

「つまりこれはその峰岡可憐さんが書いたメモという事?」

「……だから、わからないって。峰岡という部員はいたはずなんだが、下の名前までは……」

「同じ部活の仲間なのに……」

 武村がぼそりと呟く。と、聞こえてしまったのだろう、美崎がキッと武村を睨む。

「仕方ないでしょ。わからないものはわからないんだから」

 やや険のある声音で美崎は武村に喰ってかかる。武村はケンカを買うつもりはないらしく、ふいっと顔を背けていた。

 そんな武村と美崎のやり取りを見ていて、珍しいな、と折座屋は思った。

 武村がこれほど嫌味を口にするのは初めて見たからだ。

「まあ落ち着けよ、ふたりとも。ケンカしに来たわけじゃないぞ」

「……わかってる」

「そうだね。あたしが悪かった」

 美崎が先に謝ってしまった事で、何となく武村の方が精神的に幼い印象に陥る。

 対抗するかのように武村が口を開きかけた。しかし、そこへ折座屋が割って入る。

「それで、その峰岡というのはどういう部員だったんだ?」

「だからあたしは……」

「わかる範囲でいい。教えてくれ」

「わかった。だけど、あくまで先生からの又聞きみたいなものだから期待しないで」

 美崎はそう前置きして、こほんと咳払いをする。

「峰岡可憐は一年生。いちおうあたしと同じクラスなんだけど、病弱で休みがちな子なんだ」

「なるほど。つまりその峰岡とはあまり面識がないという事か?」

「まあ……そういう事になるね」

 美崎が同意するように頷くと、折座屋は手で先を促した。

「それで、峰岡さんは学校を休みがちだったんだけど、そのせいかあたしを含めた誰も峰岡さんとはしゃべった事がなかったんだよね」

「なるほど」

 武村がうんうんと頷いている。今の話のどこに納得する要素があったのだろうか。

 折座屋としては、非常に謎だった。

「一説には、既に亡くなっているんじゃないかって噂まであって」

「それは不謹慎だろう」

「別にあたしが流しているわけじゃないから」

 美崎は心外だとでも言うように、ぷいっとそっぽを向く。とはいえ、この場から離れる事はなかった。

「それで、あたしさっきまで峰岡さんの事を先生に訊きに行ってたんだけど」

「何かわかったの?」

「全然。個人情報は教えられないって。ただ、峰岡さんは今度長期休学する事になったって」

「それは教えてくれたんだ」

「まあいちおう、後でクラス全員には知らせないといけないし、遅かれ早かれだからって言ってた」

「なるほどな」

 美崎の話を聞いて、折座屋は腕を組んだまま大仰に頷いた。彼女の話がどこまで関係しているのかは未知数だったけれど。

「その峰岡の事は何かわかるか? 身長とか髪型とか」

「え、ええ……そうだなあ……ほとんど教室で見かけた事ないからなあ」

「そう言わず、思い出してくれ」

 がしっ、と折座屋が美崎の両肩を掴む。

「ちょっ……折座屋くん!」

 折座屋の力強い手に掴まれて、美崎は頬を紅潮させる。それを目の当たりにして、武村はぎろりと彼女を睨み付けた。美崎もまた、武村に対して小さく首を振る。

 当然、そんな女性陣の一瞬のやりとりに折座屋が気付けるはずもなく、更に美崎へと顔を近付けるのだった。

「待って待って、思い出すから!」

 美崎は折座屋の手を振りほどき、うーんと唸る。記憶を探り、峰岡可憐の容姿を思い出そうと努力した。

「……確か、小柄だったと思う。身長は……どうだろ? たぶん百五十センチないくらい?」

「なるほどな。……わかった」

「役に立てたのならよかったけど」

 折座屋が本当にわかっているのか否かはわからなかった。が、美崎としてもこれ以上の情報を提供する事はできなかった。

 何より、今は武村が怖い。なぜだか笑顔の奥に恐怖を感じる。

「折座屋くん折座屋くん」

「む? どうしたんんだ、武村」

「たぶんこれ以上は何も情報を得られそうにないよ」

 武村の言に、折座屋は思案顔でふたりを交互に見回す。

 それから、例の怖い顔で何か考えていた。

「……そうだな。ここらで一旦退散するか」

 折座屋のまじめくさった表情でそう言うものだから、武村と美崎は思わず笑い出しそうになってしまうのだった。

                                        続く。

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