第五話「消えた野球部員の謎」

 第五話「消えた野球部員の謎」




 先日、リオンは橋塚家へと無事返還されたそうだ。

 折座屋はその一報を聞いて、嬉しくなった。どれだけ役に立てたのかわからないが、行動が多少は役に立ったのだと思いたいものだ。

「それにしても、どうやって連れ出したんだろうな」

「状況的に言って、リオンが自分で窓の鍵を開けたみたい」

「猫がそんな事できるのか?」

「んー、個性があるから何とも言えないけど、できる子はできるみたいだよ」

 リオンがそうだったのかは目撃者がいないため確実とは言えない。しかし、状況から見てその線が濃厚のようだ。

「それで脱走したリオンを見付けたのが……」

「あの〈ハローミッフィーちゃん〉って人」

 リオンの返還は橋塚家の近所の公園で行われたそうだ。警察に届ける事も検討されたが、相手が未成年である事、動機がバズ目的だった事、リオンはしっかりと世話をされており、元気だった事を踏まえて橋塚家両親から厳重注意で終わらせたそうだ。

「あれ以来、ちょくちょく由比さんの家に遊びに行ってるみたい」

「……なんというか、神経が太い奴だな」

「元々猫好き同士で話が合うみたいだから」

 折座屋は納得がいっていないようだった。腕を組み、眉間に皺を寄せてうなる姿は威圧感たっぷりだった。

 人となりを知らない他人が見たら、腰を抜かしてしまいそうだった。

「……まあ橋塚本人がいいのなら俺から言う事は何もないな」

 折座屋はパンッと膝を打って、立ち上がった。

「すまんな、武村。ありがとう、気になっていたんだ」

「ううん、大丈夫だよ。わたしもちょっと引っかかってたから」

「ああ。……それにしてもよかったよ。リオンが無事に戻って」

「そうだね」

 武村も立ち上がる。折座屋とともに歩き出す。

 ふたりがいるのは、とある公園だった。公園といっても、ただ砂場とベンチがあるだけの簡素な公園。

 最近、色々な方面から苦情が来るのだろう。ブランコや滑り台、ジャングルジムなどが撤去されてしまった。

 その光景を見て、武村はちょっとだけ寂しい気分になった。

 

 

                 ◇

 

 

 どうしてこうなってしまったのだろう。

 武村はごくりと生唾を飲み込み、全身を固くする。

 今、武村は折座屋と一緒にいた。どこにいるのかというと、女子野球部の部室だ。

 使われていないロッカーの中に、折座屋と一緒に詰め込まれていた。

「お、折座屋くん……」

「しっ……喋らない方がいい」

 短く言われて、武村は折座屋の言う通り口を噤む。

 ロッカーの外には、女子野球部部員がいる。ぞろぞろと入って来て、着替えを始めてしまった。

 折座屋は目を閉じ、何かに耐えるように唇を噛み締める。何に耐えているのかは、なんとなく想像が付いた。

 こういうところを見ると、彼もまた普通の男子高校生なのだなと思う。普段は真面目でお堅い印象を受けるが、しゅるしゅると衣擦れの音に反応をしているのが丸わかりだった。

 どうしてこんな事になってしまったのか。武村は思い出す。

 あれは、昨日の昼休みまで遡る。

 

 ――――

 

「……折座屋、ちょっといい」

 昼休みが始まって間もなく、折座屋の前にひとりの女子生徒が現れた。

「何の用だ?」

 折座屋が弁当箱を広げている最中に声をかけてきたのは、見知った女子生徒だった。

 名前は明野美崎。去年できたばかりの女子野球部に入部した一年生。

 短く刈り揃えられた髪にすらりとしたしなやかな肢体を併せ持つ、まさにスポーツ少女といった風体だった。

 対して折座屋は肩幅も広く、胸板も厚い。体も大きく、戦闘という場面に遭遇すれば効果を発揮するのだろうが、日常生活においては意味のないように思われる。

「お前のクラスは隣だっただろう。わざわざ俺のところに来るとは」

「まあいいから。……ちょっとこっち来て」

「わかった。行こう」

 折座屋は広げかけていた弁当箱を素早く片付け、美崎の後に続く。

 そんなふたりの短いやり取りを、周囲にいた生徒がちらちらと盗み見ていた。

 折座屋翔吾という男はモテる。

 本人は朴訥としていて、頼りがいがあり、真面目さと誠実さを併せ持っている。

 加えて、他人を助けるためなら積極的に骨を折るその姿は、男女問わず相手の心を打つに十分な理由になる。

 告白か、助力か。さてどちらだろうとクラスメイトたちは予想しあっていた。

 そんなクラスメイトのひとりに、橋塚由比の姿があった。

 由比はじっと、折座屋が出ていった方を見つめていた。

 どちらだろうかと首を傾げる。そしてすぐに、どちらでもいい事に思い至る。

「……教えた方がいいかな」

 先日、由比は折座屋ともうひとり、武村真理愛に助けてもらった。飼い猫が行方不明になったので、探してもらったのだ。

 ふたりには恩を感じていた。これくらいで返した事にはならないだろうが、知らない顔をする理由にもならない。

 由比は立ち上がり、弁当箱を手に隣のクラスへと移動する。

「真理愛、美和」

「橋塚じゃん。どうしたの?」

「私も一緒にお昼いい?」

「もちろんだよ」

 武村と美和は笑顔で由比を向かい入れた。

 そして三人でいざ食事をしよう、という段階になって、由比は先ほど見た光景を口にする。

「……そういえば、さっき折座屋くんが明野さんと一緒に出てったよ」

「なん……だと?」

 弁当箱を広げ、口に運ぼうとしていた武村の端から、卵焼きがぽとりと落ちた。

「えっと……それは告白されるという事?」

「わからないけど、そういう雰囲気ではなかったと思う。とはいえ折座屋くんだからね」

 もしかしたらその可能性もあるのかもしれない。

 何せ、事の中心にいるのが折座屋なのだから。

「……あたしは告白されるに一票」

「美和!」

「私も。まさに今、告白されている最中なんだと思う」

「由比さんまで……」

 由比と美和が互いに目配せをして、真剣な面持ちで頷きあう。

「考えてもみなよ、真理愛」

「あの折座屋くんだよ。全然あり得るって」

「それは……」

 確かに、そうだ。告白されるというのもあながち間違いではないだろう。

 昼食を食べていた武村の手が止まっていた。落ち着きなく、視線が動き回る。

「うう……ちょっとわたしトイレ行ってくるね」

 宣言して、立ち上がる武村。美和はにやにやとして、由比は微笑みながら頷いている。

 ふたりとも、確実に武村の胸の内を見透かしていた。だが、武村としてはそれを指摘するよりも先にやるべき事があった。

 折座屋と美崎を追いかける事だ。

 武村は教室を出ると、左右を見回した。すぐに見付けられるといいのだけれど。

 なんて事を考えながら廊下を歩く。しかし、どこへ行ったのだろう。

 何か二人が向かった先がわかるようなヒントがあればいいのだが。

「どこに行ったんだろう」

 武村はあたりを見回しながら、廊下を歩く。

 廊下の端から右へ降りると、その先には理科室および理科準備室がある。この時間はほとんどの生徒にとって用のないエリアのためか人気はほとんどなかった。

「……なるほど。そいつは不可解だ」

 武村がきょろきょろと周囲を見回しながら歩いていると、どこからかそんな声が聞こえてきた。

 それだけで、声の主が誰なのかを確信した。折座屋だ。

「しかし、どうしてお前たち女子野球部はその事に気が付かなかったんだ?」

「それは……わからない。強いて言うなら、あまりにも溶け込んでいたから」

「溶け込んでいた? どういう意味だ?」

 折座屋のいぶかしげな声が届く。どんな顔をしているのかまで、武村には想像できた。

 眉間に皺を寄せ、腕を組んで相手の話を聞いている事だろう。

 そしてその相手、この場合は美崎なのだけれど、は委縮してしまうだろう。

 そう、武村は思ったのだが。

「何? 折座屋くんはあたしたちがバカだと思ってるの?」

「いや、別にそういうわけじゃないんだが」

 以外にも美崎は委縮する事なく、勢いに任せて折座屋へと詰め寄っているようだった。

 武村はそおーっと顔だけを出して、様子を伺う。すると、ほぼ密着するような距離のふたりが目に入った。

「な、なんでそんな……」

 そんなに近付かなくてもいいと思うのだが。

 武村はもやもやとしたものを胸の中で抱えた。

「俺が悪かった。だから落ち着いてくれ」

 なだめるような態度で後ずさる折座屋。彼の珍しい態度に武村は少しだけ嬉しくなる。

 折座屋もあんなふうになる事あるんだ、とちょっと嬉しくなってしまう。

 今まで知らなかった彼の姿を見れた事は僥倖だった。

「いや、あたしの方こそごめん。ちょっといらいらしてて」

「まあ問題が起こったのなら、当然だ。俺は気にしていないから大丈夫だ」

 折座屋は再び腕を組み、うなる。

「それにしても、一体何がどうなっているんだ?」

「それがわかれば、折座屋くんにこうして相談なんてしていないよ」

 美崎は折座屋から視線を外す。その先に、ちょうど武村がいた。

 武村は慌てたように顔を引っ込める。見付かってしまっただろうか。どきどきと心臓が高鳴った。

 よくよく考えればこそこそと隠れる必要なんてないのだが、条件反射で隠れてしまった。

「まあ……とにかく、消えたのが誰だったのか。そんな部員はいたのか。それを突き止めて欲しい」

「わかった。どこまで力になれるかわからんが、全力を尽くす」

「……ありがとう。頼りにしてる」

 そう言って、美崎は折座屋へと微笑みかける。普段の彼女を知る者なら、意外に思った事だろう。

 部活の時の美崎と、普段の美崎はこれほど違うのかと。

「じゃあ、そろそろ戻ろうか。お昼ご飯を食べる時間がなくなってしまうね」

「いや、俺はもうここで飯を喰う」

「そう。じゃあ、また後で」

「ああ。またな」

 折座屋と美崎がその場で別れる。美崎は教室へ戻ろうと廊下をこちらへと歩いて来た。

 すなわち、武村の方へと。

「あわわわ」

 武村は身を縮こまらせ、隅っこの方で丸くなった。普通に考えれば見付かるだろうと思うのだが、この時の武村はあたり前の思考力を失っていた。

 盗み聞きをしていたなんて武村にとって罪悪感しかなかった。

 何か言われるだろうか。内心で恐れていた。もしかしいたら、罵倒されるかもしれない。

 盗み聞きをしていた。その事を怒られるかもしれない。そう思っていたのだが。

 美崎は武村に気付いた様子もなく、廊下を歩いていく。どうしたというのだろうか。

 武村同様、美崎もまた普段と同じではなかったという事だろう。

「……そろそろ出てきていいと思うぞ」

 折座屋がそう言ってくる。武村はびくんっと体を浮かせた。

 どうしようか、と一瞬だけ迷う。が、すぐにあきらめて出ていく事にした。

「あはは……よくわかったね」

「気配があったからな。誰か隠れているとは思っていた」

「け、気配……?」

 折座屋の冗談めかした口調に、武村はははは、と笑うしかなかった。

「……ところで、あの明野さんが言っていた事って」

「なんだ、聞いてたのか」

「た、たまたまだから、たまたま!」

 隠れて聞いていた事が後ろめたくて、武村は慌てて手を振る。

 ごまかすように、大きく身振り手振りを加えながら、折座屋へと問う。

「どういう事なんだろうね、明野さんの言ってた事って」

「わからん。現段階では、判断のしようがないだろうな」

 真面目くさった表情で、折座屋は腕を組む。口をへの字に曲げ、眉間に皺を寄せて怖い顔になっていた。

「……放課後に女子野球部の部室へ行ってみよう。何か手がかりが得られるかもしれん」

「それ、本気……?」

「ああ、本気だ」

 こうして、放課後は女子野球部の部室へと向かう事となった。

 

 

 

 そして放課後。女子野球部部室前。

 折座屋と武村は部室を見上げ、深呼吸をする。

「よし、じゃあ開けるぞ」

「う、うん」

 武村が頷くと、折座屋はポケットから部室の鍵を取り出す。

 あらかじめ美崎を通じて部長から預かっていたらしい。

 折座屋はその鍵を使い、部室の扉を開く。

「…………」

「…………」

 部室の中は、なんというか独特の香りがした。

 女子野球部はその名の通り、女子生徒だけで構成されている。つまり、女の園(この表現が適切かははなはだ疑問)なわけで、女の子らしいフローラルな香りを想像していた。

 少なくとも武村は、自身のこれまでの経験から、そう思っていたのだけれど。

 女子野球部の部室は、言葉を選ばずに言うのなら……汗臭かった。3444444444

「どうしたんだ、武村?」

「お、折座屋くん、大丈夫?」

 もしかしたら、折座屋の女子への幻想を破壊してしまったのでは? という謎の心配が武村の心の中に生まれる。

「どういう事だ?」

「えっと、ちょっと匂いが……ね」

「ん? ああ、まあそうだな」

 武村の言わんとしているところを察したのだろう。折座屋は苦笑いを浮かべ、頷く。

「とはいえ、こんなものだろう。俺が通っている道場は当番が女子の更衣室も掃除するが、まあ匂いという点では似たり寄ったりだな。日々汗を流しているんだから、当然じゃないか?」

「ええと……そうだね」

 折座屋がそう言うのなら、あえて深掘りするような事でもないだろう。

 武村は折座屋とともに、部室へと入っていく。後ろ手に扉を閉めると、匂いはさらに濃度を増したような気がした。

「……それで、どうしようか」

「明野が言うには、一番右端のロッカーを消えた部員が使っていたらしい」

「そ、そうなんだ」

「何か手がかりが得られればいいのだが」

 折座屋はそう呟き、件のロッカーへと手を伸ばす。

 まさに、その瞬間だった。

「あはははははは、そんなの嘘だよ、あのふたりが付き合っていたなんて」

 部室の外から声が聞こえてきた。女子野球部員がやってきたのだ。

 そりゃあそうだ。今日は何でもない普通の日。野球部の練習があるに決まっていた。

「ど、どうしよう……」

 武村は折座屋を振り返る。冷静に考えれば、美崎や部長から何らかの通達が行っているはずだ。

 しかし、ここで折座屋も冷静さを欠いていたのだろう。武村の手を引っ張り、目の前の使われていないロッカーへと引っ張り込む。

 それとほぼ同時に、部室のドアが開いた。

「ん? ……なんで鍵空いてるの?」

 部員のひとりが疑問を口にする。反応から察するに、何も伝わっていないようだった。

「また副部長が鍵かけ忘れたんじゃない?」

「ああ、あるある」

「あの人、野球はめちゃくちゃうまいんだけど、こういうところ抜けてるよね」

 なんて話をしながら、彼女たちは着ていた制服を脱いでいく。

 その声と音を聞きながら、武村は全身の血が沸騰していくような感覚を覚えていた。

 くらくらとした感覚が武村の脳内を支配していく。

 蒸れるような汗の匂いと折座屋の胸板を感じてしまう。

「お、折座屋くん」

 武村が小声で折座屋を呼ぶ。

 ちらと見ると、折座屋は目をぐるぐると回していた。

「だ、大丈夫?」

「……大丈夫だ。俺は平気だ」

 折座屋と視線がかち合う。こんな状況だからだろうか、どきどきという心臓の高鳴りが折座屋に聞こえてしまいそうだった。

 ロッカーの外へと意識を向ける。すると、ぞくぞくと部員が集まって来ていた。

 まずいまずい、と内心で焦る武村。

 どうしたらいいのかわからないまま、武村と折座屋は見付からない事を祈るのだった。

 

 ――

 

 そして、現在に至る。というわけだ。

                              続。

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