第二話「壺を拾った」3


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「ところで、ようすけはあんなところで何をしていたんだ?」

 沈黙は割と苦痛だった。ので、折座屋は眼前を歩くようすけに話を振ってみた。

 ようすけは一瞬だけ振り返ると、また前を見た。

「……たんてきにいって、まいごになりました」

「ほう、迷子に」

「おかあさんとはぐれてしまって。こころぼそかったです」

「なるほどな。だとしたら、お母さんを探した方がよかったんじゃないか? 俺でよかったら手伝うぞ?」

「それはそうです。でも、おかあさんはいまもぼくをさがしているかもしれません」

 だからこそ、入れ違いになる可能性を指摘したかったが、折座屋はそれ以上何も言わなかった。

 入れ違いの可能性はあった。けれど、同時にばったりと出くわす可能性もあったからだ。

 実際にどうなるかはわからないけれど、ともかくじっとしているよりはいいとようすけは思ったのだろう。

 それに、いざとなればなんとでもなるはずだ。なんだったら、壺を持ち主に返したらようすけに手を貸してもいいだろう。

 折座屋は壺を持ち直すと、頭の中でざっくりとした計画を立てる。

「じゃあまあ、さっさとこいつをどうにかしないとな」

 折座屋が壺を示しながら言うと、ようすけはこくりと頷いた。

「そういえば、なまえをきいていませんでした」

「ん? ああ、悪い。俺は折座屋翔吾って名前だ」

「おりざや……さんですか。よろしくおねがいします」

 ようすけは振り返る事なく、クールな態度を崩さなかった。

「ところで、おりざやさん」

「どうした?」

「そのひとのところまではとおいんですか?」

「いや、そんなに遠くはないぞ。別に近くもないけれどな」

 徒歩で数十分といったところだろうか。まあぼどほどに遠いといったところだ。

 折座屋が頭の中でぼんやりと目的地までの距離を概算していると、ようすけがちょっとだけげんなりした様子を見せていた。

 確かに、大柄な折座屋ならともかくまだ小さなようすけには遠いのかもしれない。

 自分の認識の甘さを認識しつつ、だからといっていまさらどうしたらいいのだろう。

「大丈夫か? 悪いな」

「……だいじょうぶです。ぼくのことはきにしないで」

「気にしないでと言われてもな……」

 折座屋は困ったような、けれどどこか嬉しそうな表情を浮かべていた。

 まだ幼かった頃の思い出がよみがえってくるようだ。

 あの頃はよかった。まだ、生人もああではなくて。折座屋もまた、なんでもないただの子供だった。

 だというのに、どうしてこれほどこじれてしまったのだろう。

 今では、生人はあの部屋から出ようとはしなくなった。その原因の一端は、自分にあるのだと折座屋は考えている。

 生人にこの話をすれば、きっと笑って否定するだろう。けれど、事実は事実だ。

 受け止めなければならない。

「あの……だいじょうぶですか?」

 ようすけが心配そうに見上げてくる。

 折座屋は我に返ると、ぽりぽりと頬を掻いた。

「大丈夫だ。……悪いな、心配かけて」

 考えても詮ない事だ。時間は巻き戻らない。

 幼かったあの頃に戻る事は、絶対にないのだ。

「しかし、ようすけはすごいな」

「すごい……ですか?」

「ああ。おまえの年なら普通はもっとうろたえるものだと思うぞ」

「ええと……つまりぼくっておかしいですか?」

「いやいや、どうしてそうなる?」

 ようすけの予想外の返答に、目が点になる折座屋。

 褒めたつもりだったのだが、どうやらようすけにとってはあまり触れられたくない部分だったらしい。ちょっとだけしゅんとしていた。

 折座屋としても、その事実に落ち込む。

 別に相手を貶める意図はなかった。むしろ、親とはぐれてしまったのだから落ち込んでいるだろうと思っての発言だった。……のだが。

 完全に裏目に出た形だ。どうしよう。

 折座屋はきょろきょろと視線をさまよわせる。

 こんな時に、他に誰かがいてくれればと思った。自分には子供の相手など向いていないのだ。

 武村なら、きっとこういう場合でもうまくやれるのだろう。

 などと考えていても詮ない事なので、さっさと切り替えるのがいいだろう。

 こほん、と折座屋は咳払いをした。

「……ようすけ」

 折座屋が呼ぶと、ようすけは不思議そうな視線を送ってくる。

「おまえはどうしてあんなところにいたんだ?」

 ようすけには申し訳ないけれど、あの場所は子供が一人でいるには不自然に思えた。

 なぜなら、道路の片隅だったから。単純な迷子ならもっと慌てたり、不安そうな顔をするのが普通だろう。

 けれど、ようすけは違った。この少年は最初から、あまり不安や恐れを抱いてはいない。

「……もし、困った事があったなら、俺が力になる」

 もしも折座屋の考えているような事が実際に起こってしまっているのなら、なんとかしたいかった。解決できるとは思えないけれど、何らかの力にはなれるはずだ。

 折座屋はようすけを振り返る。少し離れた位置で、ようすけは立ち止まっていた。

 じっと、折座屋を見つめる。そこには、どんな感情も読み取れなかった。

 何を考えているのか、折座屋にはわからなかった。

 ただ、折座屋もまた、ようすけを見つめていた。

 二人の間に沈黙が流れる。互いに視線を逸らす事なく、身じろぎひとつしない。

 やがて、ようすけはふっと小さく微笑んだ。子共らしくない、どこか達観したような微笑みだった。

「ぼくはだいじょうぶですよ。なんでもありません」

 その笑顔は、自然に生まれたものではない。子共が浮かべるにはあまりに痛々しい表情に、折座屋は胸が締め付けられっるような思いだった。

「なんでもないのなら、どうしておまえは……」

「ちょっとおこられただけです。……ぼくがわるいこだったから」

 わるいこ……と。ようすけの放った言葉は、中空をふわふわと漂うわたのように軽かった。

 真実を語ってはいない事は、折座屋にも明白だった。

 どうしたものだろう、と折座屋は困ったように空を仰いだ。

 無理に聞き出す事も憚られた。事実を語るとは限らないのは今のやりとりで分かったし、何より子供相手にそんな事をしたくはない。

「……では、ぼくはもうかえります」

「親とはぐれたんじゃなかったか?」

「だいじょうぶです。このあたりはぼくんちのちかくですから、ひとりでかえれますよ」

 ようすけは微笑みをたたえたまま、どこかへと走り去ってしまった。

 折座屋はようすけを追おうとしたが、子共というのはとにかく素早い生き物である。次の瞬間には、その小さな影を見失ってしまったわけだ。

 後には、ただ呆然と立ち尽くす折座屋だけが残されたのだった。

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