「恋する乙女と怪文書の謎」6
その日一日は上の空で過ごす事が多かった。
授業中でも友人との会話中でも、心ここにあらずといった様子で放課後待っていた。
とはいえ、何もただ楽しみにしていたわけではない。武村なりにあの手紙の事を考え続けていた。
ただの推測だが、手紙の差出人は小太りの小男だと思っている。
脂ぎっていて、老け顔で清潔感に欠ける人物なのではないだろうか。そんな人物が阿手内をストーキングして、あの手紙を入れたんだ。
そう考えると、武村はぞっとする思いがした。
「一体、何を考えてるの……」
犯人の行動原理がわからなかった。今後も理解できるとは到底思えなかった。
時間は着々と過ぎ、放課後。
最後の授業を終え、武村は席を立つ。スマートフォンを取り出して、折座屋の電話番号を表示させる。
画面を眺めていると、再びどきどきと心臓が鳴り出す。深呼吸を数度して、発信のボタンをタップする。
呼び出し音が数回鳴り、折座屋の声が聞こえてきた。
「もしもし」
ぞくりとした。全身が言葉に表しようのない幸福感に包まれる。
低く、男らしい声。武村としては、もっと高い声音が好みのはずだったのだが、いつの間に変わってしまったのだろう。
『……もしもし、武村?』
「あ、ああ、ごめんね」
聞き惚れてしまい、ぼーっとしていた武村はハッと我に返った。
「それで、待ち合わせ場所なんだけれど」
『ああ、言ってなかったな。校門でいいか?』
「校門……」
それだと、もしかしたらクラスメイトに折座屋と一緒のところを見られてしまうのではないだろうか。
ただでさえ、先ほど急いで出てきたというのに。それだけで十分怪しまれたはずだ。
『……嫌か?』
「ううん、大丈夫だよ」
武村は見えるはずもないのに、ぶんぶんと首を横に振る。
クラスメイトや知り合いに見られるのは恥ずかしいけれど、折座屋と一緒にいられるのなら悪くはない。
もちろん、一番は謎の手紙の犯人を探し出す事なのだけれど。
武村は今朝考えた事を思い出す。
犯人はきっと、小太りで清潔感に欠ける気味の悪い人なのだろうという想像を。
「じゃあ今からそっちに行くね」
『ああ、待ってる』
あ、このやりとり恋人同士みたい……なんて一人で思いながら、通話を切る。
そうすると、ふとした疑問が湧いてきた。
「こういうのが得意な人に相談するって言っていたけれど、どんな人なんだろう?」
怖い人だったら嫌だな。武村は少し憂鬱な気分になった。
とはいえ、考え込んでいても仕方がないのは事実だ。折座屋が頼るべきだと判断したのなら、そうするべきなのだろう。
いずれにせよ、武村には事態を好転させられるような解決策は思い付けなかった。
そんなこんなで、校門前へと向かう。向かう途中で、数人の友人とすれ違った。
その中には、同じ弓道部に所属している人もいるので、今日の部活動は欠席する旨を伝えてくれるよう頼んでおいた。
理由は……まあ色々でっちあげる事も可能だ。女子なら特に。
武村としては、あまり嘘を吐いてまで部活を休むのは気が引けるのだが、阿手内の抱えている問題をそのまま伝えるのも気が引けので、今回は嘘を吐く事にした。
今まで嘘を吐いたり、他人を騙したりした事はほぼないので、罪悪感がすごかった。
しかしこれも阿手内のためだと自分に言い聞かせ、罪悪感を振り払って校門へ向かう。
校門前には、既に折座屋がいた。彼はぼうっと空を見上げ、何事かを考えている様子だった。
「お、折座屋くん、お待たせ」
なんだか恋人同士みたいだ、と思いながら、武村は小走りで折座屋のもとへ向かった。
「いや、大丈夫だ。待つのには慣れているからな」
「へ、へー」
待つのには慣れてる。それはつまり、よく誰かと待ち合わせをしたりするという事なのだろうか。
二人はそのまま、連れ立って歩き出す。もはや武村の頭の中には、知り合いに見られたらどうしようという心配は消え失せていた。
待ち合わせ……一体誰と?
武村はついつい折座屋と見知らぬ女子の待ち合わせの様子を想像してしまう。
十分くらい前に到着して、相手を待つ折座屋。しかし相手の女の子も待ち合わせの五分前には到着する。
結果として、約束した時間よりはやくデートを開始する二人。しかし二人とも互いを気遣う事を忘れずにいるため、楽しくデートは進行していく。
お昼を食べて、テーマパークへ行き、アトラクションに乗る。
そんな光景が頭の中に浮かび上がる。あまりいい想像とは言い難かった。
願わくば、隣にいるのは自分だったらいいな、と武村は密かに願う。
「ところで、阿手内先輩ってどんな人なんだ?」
「え? どうしていきなり……」
「あんな事をされたりする人だ。相当いい人なんだろうな」
折座屋は微かに笑いながら、そう呟いた。
なんでそんな事を……、と武村は困惑した。まさかとは思うけれど、折座屋は阿手内に好意を持っているのだろうか。
気持ちは理解できる気がする。阿手内は同性の武村から見ても魅力的な人物だ。
だから、まあと当然といえば当然だ。何もおかしな事はない。あんな手紙を貰うくらいだし。
何もおかしくはない。ないのだけれど……それでも胸の奥がもやもやする。
「あの……もしかして阿手内先輩の事好きだったり……?」
「え? まあ素敵な人だとは思っているが」
「やっぱり……」
ガーン、とショックを受ける。
わかっていた。わかっていたはずだ。阿手内は素敵な人だ。魅力的な人だ。
折座屋が惹かれるのだとしても何もおかしな事はない。ないのだけれど……。
わかっていても、つらいものはつらいのだ。
「だ、大丈夫か、武村?」
「だ、大丈夫だから。大丈夫」
ハッと我に返る武村。折座屋の訝し気な視線が妙に刺さる。
「ええと、阿手内先輩の事だったよね」
「ああ、頼む」
「まかせて」
軽い気持ちで請け負ってみたけれど、果たして、何か語れる事があるだろうか。
武村とて入学式からそれほど時間が経っているわけではない。阿手内の事は素敵な人だと思っているが、部活以外の接点がないためあまり知っている事はなかったりする。
とはいえ、ここ一ヶ月ほど、部活動のみの接点でも阿手内のいいところは多く発見した。
例えば、後輩の面倒見がよかったりする。男子女子問わず、優しく教えてくれる人気が高い。
加えてあのプロポーションだ。美人でスタイル抜群。おまけに頭もいいらしく、よく同級生の先輩方に勉強を教えてと頼まれている姿を見かける。
そして、なんと言っても声がいい。高過ぎもせず、さりとて低くもないあの声が大好
きだ。
指折り数えて阿手内ののいいところや魅力を語っていく武村。
そんな武村の話に耳を傾けていた折座屋だった。口の端に笑みを浮かべ、呟くように言う。
「阿手内先輩の事が好きなんだな」
「そりゃあそうだよ。弓道部で嫌いな人なんていないんじゃないかな」
阿手内は素敵な人物だ。だから、ああした手紙を送りたくなる気持ちも理解できなくはない。
だからといって、その送った相手を不安にさせたり不快にさせたりしたらダメだろう。
武村は昨日の阿手内の表情を思い出して、憤りを覚えた。
許してはいけない。少なくとも、文句の一つでも言ってやらなくては。
絶対に捕まえよう。そう意気込んでいると、折座屋が立ち止まった。
「ここだ」
折座屋が視線で示したのは、一見の家だった。
「……喫茶店?」
意外、というと折座屋に失礼だろうか。
しかし、率直に言えば意外だった。折座屋のような無骨者と落ち着いた雰囲気の喫茶店。これほど予想を裏切る組み合わせがあるだろうか。
加えて、ここは学校からそこそこ離れてはいたが、遠方というほどでもなかった。
武村たちが来ようと思えば来る事が可能なほどの距離。
だが、武村はこの喫茶店の存在を知らなかった。
知る人ぞ知る隠れた名店、という事なのだろう。
折座屋は武村のそうした驚きを知ってか知らずか、迷いなく喫茶店の扉を開ける。
チリンチリンッと来客を知らせるためだろう鈴の音が聞こえてくる。
「いらっしゃい……ああ、翔吾くんか」
「ご無沙汰してます、十蔵さん」
「ああ、久しぶりだね。それは学校の制服かい?」
「はい。高校の」
「よく似合っているよ。そうか……もう高校生か」
しみじみといった様子で折座屋と談笑するのは、喫茶店のマスターらしき人物だ。
目尻に寄った皺が優しい雰囲気の初老の男性。頭髪に白いものが混じっているが、それがまた不思議な安定感を生み出している。
パッと見は五十代くらいに見えるその十蔵と呼ばれた男性は折座屋との談笑を中断し、武村へと視線を向けてきた。
「翔吾くんのお友達かい?」
「そうです。武村といいます」
「そうですか。私は小林十蔵といいます。よろしく」
「よ、よろしくお願いします」
武村は十蔵に慌てて頭を下げる。
なんだか物腰の柔らかい人だった。それがまた、変に緊張を誘う。
「それで、翔吾くん。今日はどんなご用かな? 見たところただコーヒーを飲みに来た、というわけでもなさそうだけれど」
「……さすがですね。観察眼は昔の通りだ」
「これでも衰えた方だけれどねえ」
「十蔵さんの言う通りです。……生人はいますか?」
もちろん、と十蔵は頷いた。どうやら、用があるのはその生人という人物らしい。
「おそらく書斎に籠っているんじゃないかな」
「わかりました。お邪魔してもいいですか?」
「ああ、構わないよ。何のおもてなしもできなくて申し訳ないけれど」
「突然押しかけて来たのはこちらですよ」
十蔵は朗らかに笑って折座屋と武村を店の奥へと促す。
二人は促されるままに、バックヤードへと踏み入るのだった。
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