呼称① 宮代家が嫌うのは

「さっきみたいに? なるわけないでしょ。でもなあ、どうしようね。あの呼ばれ方・・・・・・をされたってことは昴も耳を貸してもらえなかったんでしょ?」

「まあね。ひどい言われようだったよ」

 キャンディッド日本語で「アバキ」。「明かし」に対するこの蔑称を厭う宮代家の魔法使いは多い。

 特に、弟子にあたる年頃の「明かし」は、そう呼ばれることにさえ敏感だ。レベッカに注意をした今朝の俺のように。

 先生ししょーと同じく、アバキと直接口にするのを避けた俺に向かい、ごめんねと前置きしてから、知恵さんが歯切れの悪い口調で告げる。

「笙真が初っ端から、大人げない反応をしなければ、もう少しやりようはあったんだけどね」

「師匠、その言い方だと、ボクのせいでこんなことになってるみたく聞こえるんですけど」

「みたくじゃないわよ。五歳の子相手に頭ごなしに捲し立てて。あれで意固地にならない子なんて、いるわけないでしょ。さっきだって、自分のことは棚に上げて昴君に八つ当たりしてたじゃないの。だいたい……」

 弟子に対して呆れ果てたように返す知恵さんの口ぶりに、要するに派手にやらかしたのだな、と俺は察した。

 だって、二〇五〇年でも先生のアバキ呼ばわりが大嫌いなのは有名な話である。四十しじゅうでああなら、十四歳の先生がレベッカにどんな態度をとったかは、おおよそ想像がつくのが付き合いの長い一番弟子ってものだ。

「――コホン。とにかくそういうわけで、説得は無理だと思うよ。彼女、ボクらの言葉に耳を貸す気なんてさらさらだし」

 わざとらしく咳払いして、まだまだ続きそうだった知恵さんのお説教を遮る先生。

 俺に怒鳴りつけるまでの内実を明かされた羞恥から来るあかを、ほんの僅かに耳の端に残す彼の言葉を引き取りつつ、知恵さんが再びこちらに向き直った。

「あとは可哀想だけど、飲まず食わずなこの子と我慢比べするしかないかもって思ってた時よ、昴君が現れたのって。まさかとは思うけどペトロワさんのハンストに付き合う気じゃないでしょうね?」

「付き合うわけないですよ。知恵さん、東京の本家でもここでも構わないんですけど、彼女の身内の肉声は残ってたりは?」

「本家にならあるだろうけど……そんなの今更レベッカ嬢に聞かせたって、泣かせるか怒らせるかが関の山じゃあ」

「そうじゃなくて」

 口を挟んできた先生に答えたところで俺は一旦言葉を切ると、右手の中のEAPを《蛍火ウィル・オ・ウィスプ》でふわりと浮かび上がらせた。

 仄かな燐光を纏った銀色の筐体を俺達三人の目前まで浮遊させ、《人工音声ローレライ》にオーダーを送るのと同時に流れ出す先生と同じ声音。抑揚まで完璧に似せたその声に乗って、先程切った言葉の続きが部屋に響いた。

「レベッカの家族の声で説得するんですよ。コイツを使ってね。さっきああ・・言ってくれたからには使われてくれますよね、お師匠さま方」


  ◇


 レベッカの身体に残された「顕し」の痕跡に関する鑑定結果が告げていたのは、彼女の全身を巡る神経系統のうち、「読み」で言うところの「下り」に相当する部分――レベッカの意思を外部に示すために必要な随意神経の全て――を俺が占拠し、それ以外を俺が優位に立った状態で共有シェアしているという已然形の事実と、彼女が二つ身デュプレックスでなければ、神経系統を完全掌握していたのは俺か彼女の二人に一人という全くありがたみのないシミュレーション結果だけだった。

 前提条件が何一つ変わらないのに試すたびに結論が変わるそのシミュレーション結果が気持ち悪くて、再び試みかけた俺の肩が揺さぶられる。

 無言で薄目を開けて見やると、こちらに視線を送っていた先生と目があった。

 どうやら時間らしい。仕方なく、俺は再び目をつぶると稼働中の「あなまほ」に代わって、くだんのアプリを立ち上げた。

 

“Good morning, rise and shine! Rebecca.It's your mom's phone call. Do you want to talk?”(おはよう、朝よ。レベッカちゃん、ママから電話。話さなくていいの?)


 ゆさゆさと肩を揺さぶられる感覚と、知恵さんの声。

 それらに呼び起こされたレベッカの意識レベルが覚醒に近づきつつあるのを、たった今起動させたばかりのアプリ――俺が奪い取ってしまった「下り」の回路の埋め合わせのため、「読み」の動作原理を模して作ったチル魔法――越しに観察していた俺は、EAPの作動状態が告げてくる負荷の増大ペースが予測よりも芳しくないことに気づいた。

 五歳とは言え、人間ひとり分の「下り」を担うのはEAP単機じゃ荷が重いな。

 心の中で溜息をつくと、稼働しているアプリがどれか一つでも遅延を起こしてしまわないよう、彼女がこれから交わす会話に不要そうな「下り」回路だけを選り分けて、プツプツと一本ずつ切っていく。


“Hmm, I'm still sleepy…”(ねむいよ)


 そんな俺のすぐ傍らで、まだ呼称のないアプリの助けを借りたレベッカの声が大気を揺らした。

 むず痒そうな彼女のむにゃむにゃ声を聞きつつ、EAPから返ってきた負荷の値が許容範囲内に収まったことを確かめた俺は、起こして構わないとリンク中のスマホのディスプレイ越しに先生たちへ合図を送る。


“It's your mom's calling, do you understand?”(お母さんから電話よ。わかる?)


“Eh…Mommy!? I want to talk, lend me! It's Becca.Mommy, pwease come and pick me up! I don't wanna be here. I wanna be with you soon.”(えっ、ママ? おはなししたい、かして! ベッカだよ、はやくむかえに来て! もうこんなところいやなの。はやくママにあいたい)

 合図を受け取った知恵さんが、レベッカの身体をみたび揺さぶる。

 母親からの電話だと気付いた彼女はなんのためらいもなく、目の前の少年先生から赤いスマホを受け取ると耳に当て、話し始めた。


“My lovely Rebecca,I think so too, but you can't.”(かわいいレベッカ、ママも本当にそうだけど、できないの)


“No. I don't want that. No, Mommy! Come get me right now.”(やだ、やだ、ママ。すぐに、おむかえにきて)


 恋しい母が寄越した「ママもそうよ」から一転、連れて帰れないと告げられたレベッカの目にみるみるうちに涙が盛り上がる。

 

“You have to learn how to use magic better. You can't stay with us until you can spend the day and night in girl's form.”(魔法が上手になるまで、お勉強するの。いつでも女の子の姿でいられようになるまでは一緒にいられないわ)


“No…”(やだよう……)


 いやいやとかぶりを振った彼女の頬を伝った雫が、夜具にいくつもの水玉模様をにじませ、やがて。


“Please, good girl Rebecca.Listen carefully to what everyone in Miyashiro has to say, and be a good girl. You know what mom is talking about…Oh my gosh. Mom has to hang up now…”(いい子だから、宮代のみなさんのお話をちゃんと聞いて、ちゃんとして。ママの言ってること、わかるよね? 嫌だわ。もう切らなきゃ……)


“Mommy! Pwease don't hang up.Pwease…!”(ママ! 切っちゃだめ、おねがい!)


 願いも虚しく切られた電話を握りしめていた彼女は、小さなまるい拳で涙を拭うと、目の前の二人を見据えて言った。


“Candid……I have a favor to ask of you two.Teach me magic!”(アバキ……あんたたちに頼みがあるの、魔法を教えて!)


“――Then I'll help you.First, I'll cast a spell on you that will make you understand our words.”(――それなら、私が、まずは日本語がわかるようにしてあげる)


“!?”


 決意を込めた言葉に続いて、自分の口から飛び出した予想外の声。わけがわからないとばかりに、激しく驚愕おどろいているレベッカのその口で、俺は重ねて呼びかける。


“Look!”(見て!)


 その言葉を合図に、先生の掌で待機状態だった《蛍火》がレベッカの身体を軸にする螺旋形を描き、くるりフワリとふた巡り。

 いつもより光量を上げた筐体から零れた光を不思議そうに掌で掬おうとする彼女と視線を共有しながら、俺は次の一言を継いだ。


「すごいだろ。人の心を覗き見るだけが宮代家の魔法じゃないんだぜ。だから、アバキって呼ぶのはもうナシな」

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