第18話
帝都郊外にあるエスメラルダ家の屋敷。傷の癒えたロランスは自室でふんぞり返っていた。
そこへ何やら貴族の屋敷には似つかわしくない、庶民的な地味な服装をした男が現れる。
男はロランスの配下である諜報員だった。服装は市井の人々に紛れるための変装なのだ。
「若様、件の男の調べがつきました」
「遅いぞ! さっさと述べよ」
「はっ」
横柄な態度のロランスに顔色ひとつ変えず、男は調べ上げた情報を述べる。
「あのナハトとかいう男、今でこそ七番隊の副隊長になっておりますが、以前は他の隊で平隊士をしていたとか。フェリス嬢に抜擢され、今の地位についたようです。孤児の出で金にがめつく、守銭奴とあだ名されていたいるとも伝わっています」
「フェリス殿に気に入られて出世したというのか! ますます忌々しい‼ しかも元孤児だと? ああ、なんという事だ。フェリス殿がそんな素性の知れぬ愚劣な民にたぶらかされてしまうとは! 俺がなんとしても目を覚まさせてやらねばな」
ロランスの頭に客観性というものはない。彼の価値観が全てであり、全ては彼の価値観で染め上げられてしまう。
ロランスにはナハトを慕うフェリスが、誑かされているとしか認識できないのだ。その目を覚ませてやらねばならないと、捻じ曲がった正義感さえ出てくる始末である。
ロランスは諜報員に視線をやる。
「他には?」
「街の外れ、森と街との境に今も小さな孤児たちと暮らしていると伝え聞いております」
「──何?」
ロランスはとあることに気付いた。
(森と街との境……)
「それはどのあたりか地図で示せ」
「しばしお待ちを……この辺りにございます」
諜報員は帝都近郊まで描かれた地図を取り出し、ナハトの家がある地点を指さす。帝都と森の境にある荒野──そこはエスメラルダ家の領地内であった。
ロランスは底意地の悪い笑みを浮かべる。
「これは使えそうだな……よくやった、下がれ」
「はっ」
「近々大きな花火も上がる──その前に目障りなドブネズミを狩りとるのも一興か」
そう言って笑うロランスの瞳は濁り切っていた。
(やはりこうでなくてはならない──全ては俺を中心に回っていなければ!)
ミンネスの件から数日たったナハトが非番の日。自分も休みを取ったフェリスは、昼前から菓子を買い込んでナハトの家に向かっていた。
あの日の夜のせいで、余計に居心地の良さを覚えてしまい、フェリスは休みのたびにナハトの家に通っていた。
(自分はナハトに稽古をつけて貰えるし、子供たちもお菓子が食べられて嬉しい。ウィンウィンというやつだな)
リーナだけは複雑な顔をしているが、フェリスはあえて知らないふりをする。
……まぁ複雑な表情をすると言っても、最後には菓子を美味しそうに食べるので大きな問題はないだろう──とフェリスは思っていた。
(今日は趣向を変えて砂糖菓子にしてみたのだが……)
「喜んでもらえると良いが」
期待半分不安半分といった表情で歩くフェリスの表情が一変する。
「あれは──」
フェリスの視線の先、ナハトたちの家の前に何人もの部下を引きつれ、荒野には不釣り合いなほど煌びやかな衣装をまとった者が仁王立ちしている──ロランスだった。
ナハトとリーナが家から顔を出し、ロランスと何やら喋っているが、その表情からうかがうに友好的な話し合いにはとても見えない。
その物々しい雰囲気に、フェリスは血相を変えて飛び出す。
「一体何事ですか⁉」
「おや、フェリス殿。こんなところでお会いするとは」
以前と同じ、嫌味ったらしいほど丁寧な挨拶を返すロランスに、フェリスは苛立ちを覚える。
「何事かと聞いているのです」
「──立ち退きを要求されたんだ」
重苦しい口調でナハトが言い、フェリスは目を剥いた。
「なっ⁉ 立ち退き⁉」
「おかしなことではないでしょう、ここは我らエスメラルダ家の領地なのですから」
ロランスが地図を取り出す。
帝国政府が発行している正式な地図だ。それによれば、ナハトたちの家が建っている場所は、確かにエスメラルダ家の領地内になっている。
「我が家の領地に図々しくも勝手に居座っているのですよ、その者たちは。フェリス殿も自分の家に勝手に他人が押し入り、家を建てたら追い出すでしょう。それと同じ事です」
勝ち誇るようなロランスの言いぶりに、リーナは悔しそうに顔を歪め、ナハトのわき腹を肘で小突く。
「(どうなのナハト、何とか言いくるめられないの)」
「(ダメだ。今回ばかりは向こうの言い分が正しい。この状況をひっくり返すような反論が何も思い浮かばない)」
「(そんな──)」
リーナの顔から仮面のように表情が消える。
その時フェリスが口を挟んだ。
「待ってください!」
「何かなフェリス殿」
ロランスの品定めでもするような嫌らしい視線を、フェリスは真っ向から受け止め、毅然とした態度で言い返す。
「ここは痩せた荒れ地で、人が寄りつかないから放置されていた場所のはずです。そこに誰が住み着いたとしても、エスメラルダ様は何も困らないのでは? 現に他の領地でも荒れ地に浮浪者が住み着いても追い出さず、多少のお目こぼしはあるはずです」
なんだそんな事か──と言わんばかりにロランスは肩をすくめて鼻を鳴らす。
「違いますよフェリス殿、これは私が困る困らないという話ではないのです。要するに貴族としての面子の問題。己の領地を統治せねばならない、貴族の義務と名誉の話です。我が領地で下賤の輩が闊歩するのを許さない──それが我がエスメラルダ家の矜持なのですよ」
(貴族の面子、家の矜持ときたか……)
得意げに話すロランスの言葉尻を、フェリスは冷静に捉えていた。
「であれば、猶予を与えねばなりませんね」
「猶予?」
フェリスの思わぬ発言に、ロランスは眉を寄せる。
「帝国法の決まりで、領地から民を追い出すときは、次の住居が見つかるまでの一定の猶予を与えねばならないことになっていたはずです」
「こんな貧民相手に帝国法を持ち出す必要などないでしょう」
「そうでしょうか──貧民に次の住処を探す猶予さえ与える余裕すらない方が、貴族としての面目に関わると『私は』思うのですが?」
「ふむ……」
ロランスはフェリスの言い分を吟味するように腕を組み、顎を撫でさする。
はたで見ていたナハトは感心した。
(上手いな……同じ貴族であるフェリスさんに、下に見られたくないロランスの心理を上手く突いてる)
普段の行いからこういう舌戦は不得手だと思っていたが、そこは貴族の令嬢──この程度のやり取りは慣れているという事か。
「──いいでしょう」
しばらく悩んだ末に、ロランスはフェリスの指摘を受け入れたようだ。
「このロランス・エスメラルが沙汰を命ずる──猶予は一ヶ月、本日から30日の猶予を与える。それ以降はこの家を問答無用で取り壊す──以上だ」
そう言い残すと、ロランスは部下を引き連れて帰っていった。
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