第11話

 七番隊が設立されてからというもの、鍛錬に熱心なフェリスが隊長ということもあってか、自主的な稽古を盛んに行う風潮が生まれていた。

 夜勤の者を除き、衛兵団全体で毎朝稽古を行うのだが、七番隊では夕刻にも隊内で盛んに剣術の稽古が行われるようになったのである。


「任務遂行のため、必要なのはまず武力だ。いかな理想を掲げようと、弱い者に守れるものなどない!」


 それがフェリスの方針で、教官役はナハトが担当することになった。今はナハトの指導の元、充実した訓練が毎日行われている。

 基礎的な肉体鍛錬や素振りに始まり、少しづつ具体的な技や型の修練を行い、最後には木剣での模擬戦や打ち込み稽古をするのだ。


 この日も、練武場ではナハトとフェリスが木剣で打ち合っている。

 普段物静かなナハトも指導の時は熱が入る。


「まだだ! まだ起こりが大きい! ただ速いだけの打ち込みでは、いつまで経っても当たりませんよ」

「くっ……分かっているが、難しいなコレは」


 フェリスは木剣を構えて歯噛みする。

 何度も何度も打ち込んでいるのだが、フェリスの打ち込みはナハトに届かないのだ。

 まるで動き出しの瞬間から、どこに打ち込むか読まれているかのようだ──とフェリスは思っていたのだが、それはあながち間違いではなかったらしい。

 以前、ナハトが語ったことをフェリスは思い出す──


「起こりとは、剣を振る際の予備動作全般をさす言葉です。打ち込む前の肩の力み、脚の踏ん張り、重心の傾き、視線の動き、その他様々な動きから剣士は無意識に相手の動きを予測しています。この起こりを捉えられると、そう易々と打ち込めません。裏を返せばいかに起こりを無くし相手に情報を与えないかが、一定以上の腕を持つ者同士の勝負を制する重要な要素になるわけです」


 ──それがナハトの語った東方剣術の理合の一つだ。

 まずは徹底して動きの『起こり』を消す。相手の動きの『起こり』を捉える。

 それが今のフェリスの稽古である。


(たしかにな……ナハトの打ち込みは、打ち込まれる寸前までどこに打ち込んでくるか分からない……)


 単純な速さだけではない。動き出しの読めなさが可能にする、反応できない速さ──それがナハトの強みなのだろう。 


「起こりを消すのが極限までいくと、それだけで必殺の剣になります」

「──うっ⁉」


 中段正眼に構えていたナハトの姿が不意に揺らいだ──と思った時には、すでに首筋の横薙ぎが寸止めで決まっていた。


(見えなかった……まるで動きが見えなかった……!)


 あまりにも高度な技量に、もはやフェリスは笑うしかない。


「困ったな……動きを見て真似るのが技の修練の基本だが、まずその動きが見えないとは」

「……申し訳ない」

「いや、謝るな。そなたの技量の高さゆえだ。それに習得が難しいからこそ、やりがいがあるというもの」


 この技術を物した時、自分は今よりもずっと強くなっている──そう確信できるからか、フェリスの顔には迷いがない。


「もう一本良いか?」

「もちろんです──ああ、でもちょっと待ってください」


 フェリスにうなずきつつ、ナハトは練武場の隅の方に声をかける。


「こらバルダック、素振りをサボるな! 後輩に示しが付かないだろうが」

「うるへー……」


 大きく肩で息をし、ぐったりとしゃがみ込んだバルダックが弱々しい返事をする。

 かたわらには丸太のような太さの特製素振り棒が転がっている──基礎的な体力や筋力が足りない者には、まずは徹底して素振りをさせるのがナハト流の指導なのだ。

 バルダックは耐えきれずに潰れてしまったらしい。


「あれでよく衛兵団に入れたものだ……」


 フェリスは呆れる。


「というか単純な疑問として、よく今まで死ななかったな? 剣術も素人よりマシ程度の腕だというのに」

「入隊当初から、バルダックは俺のお得様でした」

「……危険な任務をずっとナハトに任せてたのか」

「そのお陰で実入りがよくなったって、ナハトも喜んでただろうが!」


 などと話していた時だった。

 カツカツとことさらに大きな足音を立てて、練武場の扉を開く者が現れる。


「失礼──フェリス・ヴァンダルム殿はおられるかな」


 やけに気障ったらしい口調で現れたのは、身なりの良い若い男だった。

 艶やかな栗毛に病的なまでに白い肌──きっと外で働いたことなどないのだろう──をしていて、嫌味なほど質のいい衣服を纏い、腰にはまるで芸術品のような装飾が施された剣を吊っている。

 バルダックは首を捻った。


「誰だありゃ? 見るからに貴族のお坊ちゃんって風だが」

「あれは──」

「おお、そこにおられましたかフェリス殿」


 ナハトやバルダックたちには目もくれず、貴族と思わしき若い男はずかずか練武場に踏み入り、フェリスに向かって一直線に進む。


「……お久しぶりです、エスメラルダ様」


 この娘にしては珍しい、貼り付けたような愛想笑いを浮かべて、フェリスは軽く頭を下げた。


「ははは、私の事は恥ずかしがらずロランスとお呼びください。ヴァンダルムの剣の姫よ」


 男の方は妙に馴れ馴れしくフェリスにすり寄っていく。

 フェリスが引いていることに気付いていないのか、それとも自分が嫌われるなど微塵も考えていないのか──どちらにせよかなり自己陶酔的な人物のようだ。

 ナハトはフェリスを庇うように、さり気なく男との間にスッと入る。


「隊長、こちらの方は?」

「ああすまない。このお方はロランス様と言って、エスメラルダ家のご子息だ」


 エスメラルダっていや、帝都近郊を治めている大貴族じゃないか──遠くで新人隊士たちがつぶやく声がナハトの地獄耳に入る。

 このロランス・エスメラルダという男は、見た目通りの貴族の若様らしい。

 ナハトはすぐに改まって敬礼をする。


「副隊長のナハト・アストレイです」

「ふん」


 ロランスの方はナハトに返事をするどころか見向きもしない。フェリスしか眼中にないとでも言いたげな態度である。


「(……感じ悪りぃなぁ)」

「(バカ! バルダック黙ってろ)」


 ボソッと減らず口をこぼすバルダックを、ナハトは小さく蹴った。

 フェリスが愛想笑いを浮かべたまま口を開く。


「それでエスメラルダ様、本日はどういったご用件で?」

「何、フェリス殿にお会いしたかっただけですよ。さぁ向こうでお茶でも」

「申し訳ありません、まだ稽古の途中なのです。ここで私が抜けるわけにはまいりません」

「稽古など普段からやっているのだろう、少しくらい休んだところで良いではないか」

「恐れながら、私は衛兵隊の新隊長を任されております。そんな私が隊の規律を破っては、下の者に示しが付きません」

「む……」


 どうやらロランスはフェリスに気があるようだ。ロランスの強引な誘いに対して、フェリスは角を立てないようにしつつ誘いを必死に躱し続けている。

 助け船を出すべきだろうか──そう思ったのがナハトの間違いだった。


「そんなにフェリス隊長とご一緒にいたいのであれば、エスメラルダ様もここでひと汗流していかれてはどうですか」


 貴族のお坊っちゃんのことだから、剣の稽古と言い出せば引き下がるとナハトは考えたのだが、それは考えが浅かった。

 ロランスはジロリとナハトを上から下まで品定めするように見てから、あっさりとうなずいた。


「ふむ、そうだな……ではそうしよう」

「……え」

「少しばかり稽古でもしていくか──そうだな、お前が相手をしろ」

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