第13話 とある弱者の死闘
それから俺は三日三晩、《アクセラレーション》を使ったまま走り続けた。
実時間にすれば十秒程度しか経過していないわけで、三日三晩という表現もおかしいかもしれないけれど。
幸いにも一度も魔物に襲われることのないまま、山を越え谷を越え川を越え血の池を越え毒の沼を越え。
いつしか空の色が不気味な紫色となってから、更にしばらく。
「あれか!」
俺は、ついに辿り着いた。
一際暗い空の下に聳え立つ、巨大な城。
周囲を巨大なコウモリが飛び交っている。
重厚な石造りで、見るからに堅牢そうだ。
所々に見える赤い染みのようなものは、まさか訪れた者の血の跡だとでもいうのか。
魔王城。
確認するまでもなく明らかだった。
禍々しい雰囲気を纏う正門は、ペイルムーンと出会った洞窟を塞いでいた扉を彷彿とさせる。
ピッタリと閉じられたそれは、あらゆる者を拒絶するプレッシャーを放っているかのようだ。
それでも俺は、迷いはしなかった。
「はっ!」
ペイルムーンンで正門を斬り裂き、残骸を蹴飛ばし侵入する。
侵入口を探すなんてまどろっこしいことをするつもりはない、正面突破だ!
たとえどれだけの魔物に阻まれようと……逃げ切ってみせる!
と、前向きなんだか後ろ向きなんだかよくわからない決意と共に魔王城へと乗り込んだ……のは、いいんだけど。
城内で魔物、あるいは魔族に遭遇することはあっても、全く襲い掛かってくる様子もなく俺を素通りさせてくれた。
まさか、軒並み俺の《アクセラレーション》に対応出来ていない……?
って、そんなわけないか。
たぶん、素通りさせるよう魔王から命じられているんだな。
わざわざ招待状代わりに姫様たちを攫うような奴だ。
道中で倒れられてはつまらない、とでも思ってるんだろう。
まったく、悪趣味な話だ。
けど、いいさ……ならお望み通り、真っ直ぐ行ってやるよ。
《サーチ》で、城内の構造と姫様たちの位置は把握済み。
真っ直ぐそちらに向かう。
そう、真っ直ぐ。
「おりゃりゃりゃりゃりゃりゃりゃりゃりゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
壁をぶった斬りながら、最短距離を直線で!
【わっはは! えぇでえぇでご主人はん! ド派手でめっちゃウチ好みやわ!】
本来の用途とはだいぶ異なっているだろうに、ペイルムーンはご機嫌な様子だ。
そんな彼女で行く手を遮るあらゆる障害物を斬り裂きぶっ壊し、ひたすら直進すること体感時間で数分。
「せいっ!」
一際分厚い壁を斬り飛ばせば、そこが姫様たちのいる部屋だ。
「姫様! ルカさん!」
《サーチ》で特定していた位置へと真っ先に顔を向けると、大きな鳥籠のようなものが目に飛び込んできた。
その中に姫様とルカさんの姿を認め、まずはホッと息を吐く。
と同時に、少し気が抜けて《アクセラレーション》が解除されてしまった。
まぁどうせ、魔王相手に通じるものでもないだろうしな……。
「ふっふっふ、よくやりました。これで勇者も……って、ほぁっ!?」
鳥籠の傍ら、鹿のような角を生やした老人魔族がこちらを見て素っ頓狂な声を上げる。
「き、貴様勇者か!? いつの間に!?」
何を白々しい……俺の接近になんて、とっくに気付いていたんだろうに。
「あぁ! 俺が、お前らお待ちかねの勇者様だよ!」
老人魔族に向けて叫びながら、横目で姫様たちの様子を確認する。
二人共床に倒れる形で眠っているようだけど、呼吸はしているみたいだ。
ただルカさんはお腹に傷を負っているようで、早く手当しないとマズいだろう。
「ご、ひゅ! ごふっごふっ! えふん! ふ、ふふ……飛んで火に入る夏の虫とは、まさしくこのことでありますな」
なにやら取り繕うように咳込んだ後、老人魔族はニヤリと笑った。
やけに頬がヒクついているように見えるが、たぶん気のせいだろう。
「で、ありましょう? 魔王イリス様」
「っ!」
魔王!
そうだ、部屋の中にもう一人いることは《サーチ》で確認していたはずなのに。
あまりに存在感がないため、忘れてしまっていた。
というか、魔王なんていうからにはバリバリ威圧感とか放ってるのかと思ってたんだけど……そうでもないんだな……。
……いや、違う。
馬鹿か俺は。
威圧とは、すなわち威嚇。
戦闘を避けたい者が取る行動だ。
魔王にとっては如何なる戦闘とて避ける必要すらないからこそ、凪のようにただ泰然とそこに存在しているだけなんだろう。
「ククク……」
そう、そこにいるのはそんな風に甲高い笑い声を上げる……って。
「女の子……?」
思わず、そう呟いて眉をひそめてしまった。
見た目、十歳くらいだろうか。
床に届かんばかりに長い赤髪が、まるで揺らめく炎のように波打っている。
同じ色の眉は困ったように寄せられており、垂れ気味の目と相まって随分気弱そうな印象を受けた。
目鼻立ちの整った美少女であることは間違いないんだろうけど、明らかにサイズの合っていないダブッとしたローブを身に纏っているのもあって随分とコミカルに映る。
「クふぇ!? な、汝、我の《威圧》……幻視効果が……?」
女の子……魔王? は、驚きの表情を浮かべた後に一層眉根を寄せた。
「幻視効果……?」
……なるほど、そういうことか。
一瞬何のことか首を捻りかけたが、得心する。
「その姿は、見る者を油断させる仮の姿ってことか……」
そして、勇者ともあろう者がそれすら見破れないことに驚いたってわけだな……。
「ククク……」
果たして肯定するように、魔王はまた甲高い笑い声を上げた。
どうにもあの姿相手じゃやりにくいけど……えぇい、惑わされるな! 奴の思う壺だ!
「魔王……一つ、提案がある」
真っ直ぐ魔王を睨んだまま、俺は道中で考えていた案を実行に移すことにする。
「魔王、お前の狙いは勇者……俺、のはずだよな? 二人を拐ったのは、そのためなんだろう?」
「ククク……」
恐らくは肯定なのだろう、笑い声。
「なら……俺の首はやる。お前の目的は、それで果たせるよな? その代わり、姫様たちのことは解放してくれないか?」
【ちょ、ご主人はん!?】
慌てた様子で声を荒げるペイルムーンの柄を、そっと抑える。
「悪いけど、ちょっと黙っててくれ」
【……りょーかいや。いつも通り、なんか考えあってのことっちゅうこっちゃね?】
ごめんな、ペイルムーン。
考えなんてなくて、言葉通りの意味なんだ。
張り切ってたお前を使ってやれないのは申し訳ないけど……弱すぎる主人を許してほしい。
三日もあれば、怒りは冷めやらずとも多少の冷静さは取り戻してくるわけで。
スライムさえ倒せない俺が、どうやったって魔王に勝てるわけなんてない。
そんな当然すぎる前提の元、俺に考えつく精一杯の案がこれだった。
それに、俺がいなくなっても……いや、いなくなればこそ。
姫様さえ無事なら、次の勇者も召喚出来るはずだ。
もっとも……。
「ほっほっほっ、何を言い出すかと思えば。我々がそんな提案を呑んで、何になるというのです? 当然、皆殺しですよ」
老人魔族がそう言って嘲笑する。
まぁ、普通はそうなるよな……。
やっぱ、《アクセラレーション》でどうにか隙を突いて……。
「ククク……」
魔力を込めようと集中しかけた矢先、またも魔王の笑い声。
「な、なんと! 魔王イリス様、勇者の提案をお受けになられるとおっしゃるのですか!?」
俺にはどういう意図の笑いなのか皆目検討も付かなかったが……そういうことらしい。
どうやら、事態は意外な方向へと転んでいるようだ。
「ククク……」
「おぉ、なんと寛大なお心……勇者よ、有り難く思うがよい!」
こちらに向かって、大きく手を広げる老人魔族。
「本当に提案を受けてくれるのか……?」
自分で言っといてなんだけど、こんなにあっさり受け入れられるとは思わずむしろ戸惑ってしまった。
「無礼な! 魔王イリス様に二言などあるわけなかろう!」
老人魔族が眦を釣り上げる。
「ククク……」
ただただ笑い声を上げる魔王の表情は読めない……というか、なんだかオロオロとしているように見える。
まぁ、それも魔王が見せている幻覚なんだろうけど。
なんとも芸の細かいことだ。
「……わかった。ありがとう、魔王。心から感謝する」
いずれにせよ、俺に出来るのは魔王の言葉を信じることだけ。
なんとも情けない勇者だけど……せめて、この命を役立てられることを祈ろう。
「ささ、それでは魔王イリス様! その御手自ら勇者の首を刎ねてくださいまし!」
「ククク……」
腰に下げていた剣をどうにかといった感じで引き抜き、魔王がゆっくりと近づいてくる。
その剣も身体に比べて分不相応にでかいし、ローブなんて完全に裾を引きずっているため歩き辛そうだ。
あっ、転びかけた。
大丈夫だろうか……って、なに魔王が見せる幻覚相手に本気で心配してんだか。
「ククク……」
「覚悟ですな、勇者!」
あぁ、覚悟ならとっくに決まってるさ。
魔王が、少しよろけながらも両手で剣を振り上げた。
「ククク……」
まだ見ぬ次の勇者さん、アンタはしっかりやってくれよな。
無能な俺の尻拭いをしてもらう形になっちゃって、ごめん。
門番のおっちゃん、いっつも励ましてくれてありがとう。
ジェイスさん、結局あなたの教えを生かせなくてすみません。
ブレイズ様も、結局期待に添えなくてすみませんでした。
走花、銀花、異世界で命を落とす馬鹿な兄を笑ってやってくれ。
姫様……これで、お別れです。
最後の挨拶も出来なかったのが少し心残りですけど……さようなら。
俺なんかにも優しくしてくれて、ありがとうございました。
次の勇者にも、よくしてやってください。
それから……。
結局お前を倒すことは出来なかったな、スライム。
まぁ俺もお前に殺されてはないわけだし、結局引き分けだよな。
なんて。
最後に思い出すのがスライムのこととは、なんだか笑えてくるな。
「ククク……」
魔王がゆっくりと、あまりにゆっくりと、剣を振り下ろす。
剣の刃が、俺の首に当たり。
そのまま、肌を傷付けることさえなくそっと撫でていった。
「ククク……」
魔王が剣を振りかぶる。
ゆっくり降ろす。
刃が俺の首筋を撫でる。
そんな行為が、何回か繰り返された。
「どうした……? やるなら、一思いにやってくれ」
覚悟は決めたはずなのに、それでも何度も訪れる恐怖に身が竦みそうになる。
「ククク……」
なるほど……ジワジワ甚振って、最大限に恐怖を植え付けようって魂胆か。
流石魔王、えげつないな……。
けど……このくらいで姫様たちが助かるなら、気が済むまでやればいいさ!
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