間章7 とある参謀の憂慮

 魔王城の作戦会議室。

 そこに用意された四死魔将用の椅子は、今や半分が空席となっておりますなぁ。


「昨晩の連絡を最後に、ケメレの消息が途絶えました。恐らくは……」


 ──勇者に討たれたものと思われます。

 その言葉を口にするのは憚られました。


 チラリと横目で、一際豪奢な椅子に腰掛けるお方……魔王イリス様のご様子を伺います。


 もっとも、私程度では魔王イリス様の真のお姿を拝見することなど出来ません。

 靄のようなどす黒いオーラの向こうに、辛うじてたくましい男性のシルエットが伺えるくらいです。


 魔族の中でも格別の強者だけが身に付けられる特性、《威圧》によって視覚情報が歪まされているのですな。

 《威圧》は相応に実力差のある相手にしか効果を発揮しないのですが、つまり私と魔王イリス様の実力差はそれほど隔絶されているということ。


 四死魔将が一人、『智』のコモドなどと呼ばれていようと魔王イリス様には遠く及ばないのです。

 私は魔王イリス様がお産まれになった時よりお仕えしておりますが、未だに魔王イリス様の前ではその強大すぎるお力に震え上がってしまいそうになります。


【ククク……】


 魔王イリス様が、地獄の底から響くような低い笑い声を発せられました。


 おぉ、ケメレが討たれたことなど気に留める必要もないということですか……!

 確かに魔王イリス様さえいらっしゃれば、勇者など恐れるに足らずでしょう。


 ただ……実は、気になることが一つありましてな……。


「それと、ケメレの言葉で不可解といいますか……その、ありえない情報が混ざっておりまして……」


 それは信じがたい……いえ、信じられるわけがない言葉でした。


 とはいえケメレの最後の言葉ともなれば、お伝えせぬわけにも参りませぬでしょう。


 いやしかし、これは……。


【ククク……】


 気にせず報告せよ……と?


 魔王イリス様が、そうおっしゃるならば……。


「勇者の魔力は、魔王イリス様をも凌ぐ可能性がある……と。ケメレは、最後にそう報告しております」


 シン、と場を沈黙が支配します。


 私は恐ろしく、報告書に目を落としたまま顔を上げることが出来ません。


【ククク……】


 しかし魔王イリス様は、全く変わらぬ調子で笑われました。


 むしろ、その方が面白いと言わんばかりの不敵さ……流石は魔王イリス様!


「ハンッ。そもそも、ビビリなケメレの報告さね。話半分に聞いとくのが吉ってもんじゃないのよ、ジーサンさぁ」


 少し弛緩した空気の中でそう言って鼻で笑うのは、四死魔将最後の椅子に座る女。

 魔王軍にありながら唯一魔族に在らざる者、『魅』のオルカでした。


 腰辺りまで伸びた銀髪と尖った細長い耳、そして褐色の肌からわかる通り、彼女はダークエルフです。

 本来人界側に属するはずの彼女は、人間どもから見れば裏切り者というわけですな。


「まぁ、オルカの言うことにも一理ありますな……」


 ケメレは慎重に慎重を期す男です。

 恐らくは、最悪の最悪を想定しての報告だったのでしょう。


「とはいえ、勇者が四死魔将を二名まで破ったのは事実。勇者たちは現在、この魔王城を目指して行軍していると思われますが……」


「んじゃ、次はアタイが行くよ」


 軽い調子で手を上げたのもまた、オルカです。


「珍しいですな、お主が自ら動こうなど」


「はっ、どうせジーサンはここを動くわけにもいかねーんだ。となると、アタイが行くしかないでしょーが」


「まぁ、それはそうなのですが」


 オルカは基本的に面倒くさがりで、これまでも厄介事はのらりくらりとかわしてきた女です。

 どういう風の吹き回しでしょう。


「それに……勇者のボーヤを味見するってのも悪かないさね」


 そう言って、オルカは艶めかしくペロリと唇を舐めました。


 それが本音ですか……まぁなんにせよ、気分屋の彼女がやる気になってくれているのは良いことです。

 ただ、果たして勇者を討てるのか……。


「なんだいジーサン、アタイの腕が信用出来ないってのかい?」


 私の視線に気付いたらしいオルカが、不敵に微笑みます。


「安心しなよ、いかな勇者といえどアタイに勝てやしないさ。奴が男である限りは……ね」


 その通り。


 どんな男であろうと、男である以上オルカには勝てません。

 これは、そういう存在・・・・・・なのです。


 なのですが……なんでしょう、勇者に対して感じるこの言い知れぬ不気味さは。


「それでは失礼致します、魔王イリス様。次にお会いする時は、勇者の首を手土産に持参致しましょう」


 魔王イリス様に一礼した後、オルカは会議室を後にします。


【ククク……】


 それを見送り、魔王イリス様はいつも通り低く笑われました。


 その笑い声は、勇者の敗北を確信するようなものであり。

 同時に、部下の命になど毛程にも興味がない、とでも言いたげな冷たい響きにも感じられます。


 不埒な、しかしあながち的外れでもない気がする予感に、私の頬を汗が伝いました。

 なんと恐ろしく……そして、なんと頼もしいお方なのでしょう。


 このお方にお仕え出来る喜びに、心より打ち震える思いです。


 そして、だからこそ……私も、万全に万全を期そうと思うのです。

 これは、事をオルカに一任された魔王イリス様のご意向に背く行為なのやもしません。


 けれど、陰ながら主を支えるのが忠臣というもの。


 オルカには、念のためアレ・・を持たせておくことにしましょう……。

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