2 「推し」の正体

 アザが消えたまま、わたしはその後、何日か過ごしていた。

 それは、ほんの二週間前のわたしの生活に戻った、というだけだった。

 ただ、心の底では「これで終わりじゃない」のはわかってる。


「杏奈さん。『おろち様』は、お出かけされてるだけ。今はあなたが宿主なのですよ」

 おばあさまは険しい目をして、わたしを睨む。

 不思議な転校生くんのこと、話せる雰囲気ではなかった。


 クラスメイトたちは、「アザ、消えてるね」「もともと、なにかでペインティングしてたんでしょ?」「同情引きすぎ!」なんて、噂話ばかり。

 わたしへの反感は高まっていく。


 一つは、優希くんの態度もあるよね。


 あれから毎日、

「おはよ」とか、「宿題みして」とか、

「じゃあな」とか、コミュニケーション甚だしい。


 優希くんは、わたしなんかとは格が違うんだけれど、クラスの誰ともつるまない。同性の、男子の友達だっていなかったのに。


「森嶋。無視すんなよ。俺たち、友達だろ?」

 給食の班だって別なはずなのに、お互い、給食を食べ終わったタイミングで、椅子をずらして、毎日、わたしに親しく話してくる。

「あまり話しかけないで!」

 ある日、とうとう口にしてしまった。

 彼の青みがかった目が、一瞬、悲しげに揺れる。

「俺たち、わかり合えるはずだし」

 どこかシュンとした、まるで産まれたばかりの子犬みたいな表情で、優希くんはつぶやいていた。


「えっと、ごめんなさい」

 あまりに可哀想な気がして、わたしが声をかけると、優希くんは何かの言葉をノートの切れ端に書いて、渡してきた。

(放課後、屋上に来いよ。見せたいものがあるから)

 ノートの切れ端の字は端正できちんとしていた。わたしの字よりよほど綺麗。

(わかった)

 彼のくれたノートの切れ端に書き足して、そっと、彼に渡す。

 優希くんはちょっと怖い目をして、わたしを見てうなずいていた。




✳︎ ✳︎ ✳︎

「さっき、織田くんとなに話してたのかね?」

「リコ、織田っちと隣の席なんだし、なにか聞いてなかった?」


 トイレに入ってると、わたしの噂と思しき声が聞こえてきた。

「なんも聞いてないよ。わたし」

 クラスメイトの石沢莉子(いしざわ・りこ)さんの声が聞こえてくる。

 クラスでもちょっと目をひくくらい可愛い、背の小さな女子だ。そして、優希くんの隣の席だし、給食の班だって彼と同じだ。

「リコリコ、あのアメフラシ女のこといじめようよ。あんた、前の席じゃん」

 クラスの女子の声と、「やだよ!」と言ってパタパタとトイレを出ていく石沢さんの足音が聞こえてきた。

 わたしは息をひそめて、石沢さん以外の女子が去るのを待つ。なかなか彼女たちは出ていかず、ひそひそ話も終わらなかった。


 心臓に悪すぎる。

 

 放課後の二十分くらい無駄にしてしまった。優希くんはもう屋上にいるだろうか。階段を駆け上がる。 

 ほんの少し、ほんの少しだけだよ。ドキドキしてる。

 だって、屋上なんて、告白スポットじゃない?

 リイくんが主演で出てた韓流ドラマを、去年の冬休み、スマホで真夜中にこっそりチェックしてたんだ。その中にも出てきた。「屋上デート」。


「でも、屋上行くのって疲れるよね!」

 そんなことをひとりで言いながら、重たい鉄のドアを開けてみた。


 誰もいない。


「優希くん?」

 わたしの中には不安が広がっていく。

 これ、騙されたってやつ?

 優希くんはクラスの男子と表立ってはつるんでない。でも、裏側で、たとえばスマホでやりとりして、「あいつが来るか」なんて賭けをしてたり、しない?


 わたしは根暗だから。


「ずいぶん遅かったじゃん。森嶋」


 硬質な響きの声がした。確かに優希くんの声なのに、何かが違う。

 屋上のドアが開く音、今、したっけ? 

 唐突に現れたような感じを受けた。まるで、空から降りてきたように、自然と彼はそこにいた。


(まさかね。天使じゃあるまいし)


 まじまじと優希くんを見る。彼の姿がいつもとどこか、違うような気がして。

 ううん。教室にいる時と全然、格好は変わってないよね。ただ、身にまとうオーラが違うんだ。

 なんだろう。すごくゾワゾワする。すごく危険な感じをうける。この人に近づいちゃだめなのに、どうしようもなく引き寄せられる。


「森嶋、お前さ。不思議じゃない? なんで、アザが消えたのか」

 

 優希くんは、どこかわたしを試すような口調で言った。


「どうして?」

 わたしの声が震えてる。クラスの女子の陰口なんか、目じゃないくらい、こわい。彼がこわいんだ。


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