クラッカーズ・レボリューション ―電脳世界を駆ける天才たちの反逆―

カユウ

プロローグ1 消せない青い光

 2055年、テクノ東京の夕暮れ時。高層ビル群の合間から差し込む夕日が、街を幻想的な光景に染め上げていた。砂羽叢さわむら リョータは学校の屋上に立ち、その景色を眺めていた。かつて酸性雨に蝕まれていたという空は、今では澄み切っており、遠くに浮かぶ雲は夕日に照らされて綿菓子のように柔らかな色合いを見せている。


 リョータは深呼吸をした。空気は驚くほど清浄で、僅かに花の香りが混じっている。校舎や高層ビルの壁面を覆う垂直庭園のおかげだ。目を凝らすと、ビルの谷間を縫うように飛び交う小型ドローンが見える。それらは花粉を運ぶミツバチの役割を果たし、都市の生態系を維持している。


 左手首のZNSインプラントが微かに脈動するのを感じた。薄い青い光が皮膚の下で点滅している。生まれた時から付けられたそのデバイスは、今や彼の一部と化していた。


「砂羽叢くん、まだいたのか」


 声に振り向くと、担任の佐々木先生が立っていた。優しげな目をしたその教師の左手首にも、同じ青い光が点滅している。


「先生、すみません」


 佐々木先生は軽く笑って肩をすくめた。「たまには”素晴らしい景色”を見るのもいいものだよ」


 その言葉に込められた何かを感じ取り、リョータは眉をひそめた。先生の目には、どこか悲しげな色が浮かんでいる。


「えっと……」


「物事に疑問を持つのはいいことだ」


 佐々木先生は真剣な眼差しでリョータを見た。


「この完璧に見える世界に、何か違和感を覚えないか?」


 リョータは言葉につまった。確かに、どこか息苦しさは感じていた。でも、それを口に出すのは躊躇した。


 佐々木先生は急に話題を変えた。


「そうだ、砂羽叢くん。明日の放課後、図書室に来てくれないか。古い本を整理するのを手伝ってほしいんだ」


 その言葉に、どこか特別な意味が込められているように感じた。しかし、リョータにはそれ以上の意味を読み取ることはできなかった。


「分かりました、行きます」


「じゃあ、気をつけて帰るんだぞ」


 佐々木先生はそう言うと、去っていった。リョータはしばらくその後ろ姿を見つめていた。


 階段を降り、校舎を出たリョータを、強烈な光の洪水が出迎えた。日が落ちると同時に、街中のネオンサインとホログラム広告が一斉に輝きを増す。その中でひときわ目を引くのは、巨大なZNSのロゴだ。


『ZNS - あなたの幸せと地球の未来を科学する』


 スローガンの下では、笑顔の人々と緑豊かな都市の映像が流れている。確かに、ZNSのおかげで環境は劇的に改善された。犯罪率は過去最低を更新し続け、生産性は飛躍的に向上した。それなのに、なぜだろう。胸の奥に、どこか引っ掛かるものがある。


 駅に向かう道すがら、リョータは通りの両側に並ぶ店舗を眺めた。各店の入り口には小さなデジタルパネルが設置されており、営業状況や混雑度が表示されている。一部の店では「情報公開中」というアイコンが点灯しており、それをタップすれば詳細な営業データを閲覧できるようだ。透明性の確保と効率的な消費活動の促進が目的だという。しかし、その数字を気にする店主たちの表情は、どこか緊張感に満ちていた。


「もうすぐ午後9時です。未成年の方はお早めにお帰りください」


 街角のホロスピーカーから流れる機械的な声に、リョータは思わず足を速めた。歩道に埋め込まれたLEDが、帰宅を促すように青から赤へとゆっくりと変化している。


 駅に着くと、ホームには既に大勢の人が並んでいた。みな一様に無表情で、各々のスマートグラスやコンタクトディスプレイに表示される情報に目を向けている。スマートグラスやコンタクトディスプレイはZNSインプラントと連動しており、個人の趣味嗜好に合わせたニュースや娯楽番組、もしくは機密性の高い仕事関連の資料など、それぞれが別の世界に没頭しているようだった。全ての人の左手首で、青い光が規則正しく点滅している。


 電車に乗り込むと、リョータのスマートグラスに通知が届いた。目の前に半透明の画面が浮かび上がり、学校の宿題リストが表示される。ZNSが彼のスケジュールを管理し、最適な学習プランを提示しているのだ。確かに効率的だ。でも、自分で考える機会は失われていないだろうか。


 リョータは周囲を見回した。乗客たちはそれぞれ自分の世界に浸っている。あるビジネスマンは空中に投影された仮想キーボードを操作し、若い女性は指先で何かをスワイプしている。誰もが個別の情報空間に閉じこもっているようだった。誰が見るのかわからない討論番組で、スマートフォンというデバイスが台頭していた30年前よりも情報的な引きこもり度合いが酷いと嘆いていた年配の男性を思い出す。


 窓の外を眺めると、高架を走る電車からは息をのむような夜景が広がっていた。無数の光る垂直庭園、風力発電用の風車、そして屋上を埋め尽くすソーラーパネル。その景色は美しくも、どこか無機質だった。


 ふと、両親のことが脳裏をよぎった。12年前、リョータがまだ5歳の時、両親は突如として姿を消した。公式発表ではサイバーテロに巻き込まての事故死とされている。だが、時間が経てば経つほど、考えれば考えるほど、どうしても納得がいかない。最後に交わした会話の断片が、今でも耳に残っている。


「リョータ。大きくなったら、自分の目でちゃんと見るんだよ。周りのみんなが言うことが、本当かどうかってね」


 当時は理解できなかったが、最近になって少しずつその意味が分かってきた気がする。周りを見渡せば、確かに全てが上手くいっているように見える。でも、それは本当に”正しい”ことなのだろうか。


 アパートに帰り着いたリョータは、狭い一室でため息をついた。壁に埋め込まれたスマートディスプレイが起動し、その日の行動記録と環境貢献度、翌日の予定を表示する。全てが管理され、計画されている生活。便利で快適なはずなのに、どこか息苦しさを感じる。


 窓の外を見やると、遠くの高層ビル群が未来都市の象徴のように輝いていた。その華やかさの中に、何か大切なものが置き去りにされているような気がしてならない。


 リョータは両親の写真を手に取った。写真の背景には、今とは違う、古い街並みが写っている。雑然としているが、どこか活気がある。そして、両親の左手首には、青い光がない。


「父さん、母さん。僕には何が見えていないんだろう。僕たちは本当に正しい方向に進んでいるんだろうか」


 そう呟きながら、彼は明日への疑問を胸に秘めたまま、眠りについた。左手首の青い光は、眠りの中でも絶え間なく点滅し続けている。


 テクノ東京の夜空に、青い蝶が一瞬、光って消えた。まるで、完璧に見えるこの世界の亀裂を示すかのように。それは、管理された秩序の中に潜む、自由への小さな希望の光だったのかもしれない。


 しかし、リョータはそれに気づくことはなかった。まだ。彼の目が真実を捉え、行動を起こす時が来るまでには、もう少し時間が必要だった。そして、その時が来れば、テクノ東京に、そして世界に、大きな変革の風が吹き始めるだろう。

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