ある友人たちの物語

クラタキトリ

             

暗い森の中を子供が二人、駆けていた。

―はやく、お姉(ねえ)、はやく。

―だめ、イジェ、さきに行って。

息を切らし、頭半分背の高い子供に笑いかけた少女は、しかし決して掴まれた左手を離されることは無かった。

―お姉(ねえ)が休むなら己(おれ)も休むよ。

〈イジェ〉と呼ばれた子供は立ち止まり、すぐ十数メートル後ろから迫りくる追っ手たちを振り返った。

少女の左手を掴んだまま、かばうように立って、自らの左腕を広げる。

―お姉(ねえ)は己(おれ)が守る。

途端に少女は駆けだした。

―うわ。

子供は転びそうになったが、すぐに体勢を立て直し、少女を追い抜かして再び先導し始めた。

根っこに躓き、苔で滑り、茂る枝葉に邪魔されつつもなんとか森を抜けることができた。

しかしそこは、高さ何千メートルもの崖のふちだった。

―お、こりゃちょうどいい

後ろから、追っ手の弾んだ声が聞こえた。

少女は追っ手に向かって立ち、膝から崩れ落ちた子供を隠すように震える左腕を広げた。

―ニウリのおじさん、わたしだけじゃ、だめ?

白い翼を持つグレイヘアの男性が、木々の闇の中から先頭に立って現れた。

―だめなんだ。ごめんね。

その言い分には納得できた。今しがたこの状況をちょうどいい、と言ったのは、まさにこの男性だったからだ。

固く目をつむり、表向き項垂れる男性の手には、刃渡り数十センチ程のナイフが握られていた。

―君たちが行ってくれれば、お父さんもお母さんも楽になるんだよ。

男性の後ろから、ひきつった笑みの若者が顔を出した。

彼もまた、背中に白い羽を生やしている。

子供が立ち上がり、うなるように言った。

―うそだ。父さんはメイねえちゃんにやりでさされて死んだんだ。

若者を振り返る。

―母さんも、赤ん坊がいるのにどこかへ連れて行かれた!

ヅワトさんあなたが連れて行ったの見たんだよ、と少女を背にかばいつつ叫んだ。

―うわあ、ヅワトお前。

上空を飛んでいた若い娘が、白い羽を広げ舞い降りてきた。

―何余計なこと言ってんだよ、ばか。

すっかり縮こまってしまった若者を小突く。

―メイねえちゃん。

子供が驚いて声を上げると、眉を下げて子供と少女の二人を見やった。

―…悪いね。今度お母さんから生まれてくる赤ちゃんのためにも、ここは一肌頼むよ。

―わたしも赤ちゃん見たいのに。

少女が俯くと、唇を噛みしめ、腰に下げていた短剣を抜いた。

子供達二人に向けて構える。

―これで切られると痛いよ。さあ、早く行くんだ。

言って、振りかぶる。

男性と若者が、あ、と手を伸ばした。

―やだ!

子供は精一杯左腕を広げ、少女の前に立った。が。

少女は繋いでいた右手を振りほどき、地面の端を蹴った。

落ちてゆく。

子供は真っ青になって振り返り、崖のふちから両手を伸ばした。

少女は頭から雲海の中に消えていった。

―…うわぁああ!!

一呼吸おいて、子供は追っ手たちを振り返り、飛び掛かった。

しかしその甲斐なく、若者に抱えられてしまう。

―これは、翼。

若者はつぶやき、暴れる子供に構わず羽ばたいた。

そして崖を飛び出し、空中で子供を放り投げた。

小さくなっていく仇たち。

見えなくなっていく高い土地。

白。

青。

露。

風。風。風。

―うゥっ

のどが震える。目を見開いて、自分が今どうなっているのかを把握する。

幸いなことに、足から落ちていた。

下を見ると、大きな大きな真っ白い土地が広がっていた。

その真っ白に向かって、小さな土色の何かが真っ逆さまに落ちていく。

―…お姉(ねえ)!!!!

子供と少女の間には、恐らく二百メ―トル程の距離があった。ただ、子供のほうが重いので、少しずつ距離は近づいて来ていた。

しかし、子供が少女を抱きしめるより、少女が凹凸に叩きつけられる方が先であろうと思われた。

守りたい。どうすれば。

子供はとっさに、自分も頭を下に向けた。手足が風に引っ張られ、体が一直線になる。少女に近づいてきた。

頑張って腕をのばし、少女の足を掴む。

手繰り寄せ、手繰り寄せ。力の抜けた体をしっかりと抱きしめた。

真っ白い大地は、もうその凹凸が見えるほどにまで近づいてきている。

―くそ。

死んでたまるか。死なせてたまるか。

必死で記憶を探る。

子供の人生は、最初から周りと違っていた。

これは、翼。

子供が〈お姉(ねえ)〉と呼ぶ少女以外みんな背中に翼を持っていて、そう唱えればいつでも空に羽ばたくことができた。

―これは、つばさ!

―これは、つばさ!

―これは、つばさ!

子供はなんども叫んだ。

無理だと悟ったのは、物心ついてすぐの頃だった。

今ここにおいて、子供は思った。

何故〈これ〉なのだろう。

〈あれ〉とか、〈それ〉ではだめなのだろうか。

一か八か、試して見ようと思った。

―あれは、つばさ!

だめだった。

―それは、つばさ!!

ぐり。

背中、というか、肩の付け根のあたりがうずいた。

―それは、つばさ!!それは、つばさ!!それは、つばさ!!

子供はなんども叫んだ。

背中の肉を、皮膚を、すり抜けて飛び出す何か。

―それは、

闇のような、漆黒の翼だった。

が。

蝋で固められてしまったかのように、まるで動かなかった。

何度も同じ文言を叫んだが、一向に変わらない。

大地は、もうすぐそこである。

くっきりはっきりと見える凸凹は、「やま」「たに」と言うのだと、学所の本で学んだ。

「やま」からは盛んに風が吹き上げてくる。

そのおかげで、ちょっとだけ落下速度が遅くなっていた。

はっ、と子供は思い出す。

翼を持つ子が、初めて飛ぶときどうしていたか。

空の風に慣れない者が、どうしていたか。

―そのつばさ、風をつかむ!ひらき、とじる!それはつばさ!!

賭ける気持ちで唱えた。

途端に、漆黒は文言通り掴んだ。

吹きあがる風を。飛びゆく空気の濁流を。

―うわぁぁぁあ!!!!

子供は、灰色の空へ打ち上げられた。

上も下もわからない。けれども、抱きしめた頭半分小柄なぬくもりだけは、決して離さなかった。

と、滅茶苦茶な上昇が突如、止まる。

再び、落下が始まった。

「やま」の風が吹く範囲を越えたのだろう。

これ幸いと体勢を立て直し、足を下にして、子供はまた唱えた。

―そのつばさ、風をつかむ。ひらき、とじる。

漆黒は何度も羽ばたき、落下速度を遅くした。

―それはつばさ。

大地がゆっくりと近づいてくる。

漆黒は徐々に羽ばたきをやめ、子供の足はふんわりとその白い地面に着地した。

ふーっ。

息を吐くと、体から力が抜けていった。

少女が上になるように、ふかふかの、冷たい地面へ倒れこむ。

残った力をふり絞り、少女の口元に手を当てた。

―よかっ、た…

ぬくもりが絶えないよう、すやすやと眠る少女を抱きしめたまま、徐々に薄れていく視界を受け入れる。

本当は、〈この〉つばさ。

カンが働いて、〈その〉に変えて良かったと心から思った。

ごうごうと頭上を吹く風の音も、ふわふわと遠ざかっていく。

起きたら、止んでてくれればいいなぁ。

そう思って、子供は目を閉じた。

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