Ⅱ ニューヨークへ
1
――十月十八日。
愛弓と八重子はニューヨークへ向かう飛行機の中にいた。
晴樹がどこにいるかはわからない。もしかしたら、もうニューヨークにはいないかもしれない。それでも今は、ニューヨークへ行くしかないのだった。
愛弓はため息をついた。
「きっとお父さんはニューヨークにいるよ」
愛弓の手を握って、笑い掛けてくれたのは武居だ。
一緒に来てと頼んだわけではなかった。ニューヨークへ発つことを告げると、武居は迷わず自分も行くと言ったのだ。嬉しかったが、気が引けた。
「どのくらい掛かるかわからないし、学校を何日も休むことになるわ」
「それを言ったら、部長なんてもう十日以上休んでるよ」
武居は笑って答えた。
「おれは構わないよ。親には友達の緊急事態だって言ってあるし。おれが一緒にいても、助けにはならないかもしれないけど」
「そんなことない、とっても力強いわ」
本心だった。武居がそばにいてくれるだけで、勇気が湧いて来る。何でも出来るような、何もかもうまく行くような、自信があふれて来る。愛弓は武居に抱き付きたかったが、電話での会話だったので、ひたすら心を込めてお礼を言った。
「ありがとう、武居」
「困った時はお互い様だろ」と武居は答えた。
そして今、二人は隣り合ってシートに座っている。
「……愛矢は、一人で大丈夫かしら」
愛弓はぽつりとつぶやいた。
窓の外を見ていた武居が振り返る。
「パスポートも、お金もなしに、どうやってニューヨークへ行ったのかしら」
「何とかしたんじゃない? 部長もいるんだし」
その部長が、どうも当てにならないと愛弓は思っていた。今度のニューヨーク行きにしたって、あまり乗り気でなかったのを、パパがお駄賃を出すと言ったらほいほいと付いて行くような人なのだから。
「案外部長が愛矢を呼び寄せたんじゃないかな。手を借りたいことが出来て」
「わたしやママに何の断りもなく?」
「急なことだったんだよ、きっと」
「あとから知らせることも出来るじゃない」
愛弓は両手を握りしめた。
「パパも愛矢もよ。みんな、どうして何も言ってくれないのよ。自分たちばっかりで勝手に決めて」
「自分たちだけで何とか出来るって思ってるんだよ。実際、これまでだってそうして来たんだろ?」
「わたしたちが助けに行くなんてよけいなお世話だし、無駄なことだって言うのね。そりゃ、パパは大人だし、愛矢も部長も、何かあったら超能力で切り抜けられるだろうけど」
「いや、そうともかぎらないよ」
武居はやんわりと否定した。
「愛矢の力は周りに影響を及ぼすし、部長は自分の力が人に知られることを嫌がってるんだからさ」
「あ……」
「もしかしたらそれで、困ったことになってしまっているのかも」
武居の言うとおりだと愛弓は思った。
だとしたら、自分たちが行くのは無駄にならないかもしれない。何か、彼らの役に立つことがあるかもしれないのだ。
2
ニューヨークに着いてホテルで荷物を解くと、愛弓たちはすぐ街に出た。
まず晴樹が最初の日に取ったホテルに行ってみたが、そんな客は知らないと言われてしまった。
八重子は途方に暮れたように頭を押さえた。
「パパは二日目からは知人のところで世話になってるって言ってたの。一日目もホテルには泊まらなかったのかもしれないわ」
「知人って、何ていう人? どこに住んでるの? 連絡先は?」
愛弓がたたみ掛けると、母は首を横に振った。
「わからない。パパは知人としか言わなかったのよ」
それから、彼らは二手に分かれることにした。八重子は念のため警察に行き、愛弓と武居はとりあえずそこらへんを歩き回った。愛矢が力を使った形跡はないかとか、どこかで晴樹や古藤を見掛けた者はいないかとか。
「気の遠くなるような話ね。だいいち、もうニューヨークにはいないかもしれないのに」
愛弓がため息をつくと、不意に武居がくすっと笑った。
「何笑ってるの? こんな時に」
「いや、ごめん。思い出したんだ。愛弓が誘拐された時、愛矢とこんな風に走り回ったなって」
「いつも大変な思いをさせて悪いわね」
愛弓は武居がそばにいて、親身になってくれることを心からありがたいと思った。
「おれはきみたちが無事ならいいんだ。過ぎてしまえば、スリルがあって楽しかったって言えるしね」
「ほんとに、愛矢が来てから退屈する暇もないわね。いいことなのか悪いことなのか……」
その時だった。地面に座り込んでいる二人に、話し掛けた者がいた。しかし、呼んだのは愛弓の名前でも武居の名前でもなかった。たった今、話題に上った名前を、その人物は呼んだのだ――。
「アヤ?」
愛弓と武居は驚いて振り返った。
そこに立っていたのは、愛弓たちと同じ年ごろの少女だった。金髪で、目が青い。
少女は愛弓を「アヤ」と呼び、英語で何かまくしたてた。
愛弓はうろたえてしまい、顔の前でぶんぶんと両手を振った。
「いえ、あの、わたしは愛弓です。――あなた、愛矢を知っているの?」
少女は不思議そうに愛弓を見つめていたが、やがて間違いに気付いたらしく、くるりと背を向けた。
「あ、待って!」
そのまま走り出した少女を、愛弓は急いで呼び止めようとした。
「待ってよ、ねえ!」
けれど、相手は止まらなかった。
武居と共にあとを追ったものの、愛弓はすぐ脱落してしまった。少女は実に足が速かったのだ。
武居はずいぶん先まで追い掛けて行ったが、結局まかれたと言って引き返して来た。
3
愛弓と武居は夕方近くにホテルへ戻った。
八重子はすでに部屋にいて、警察から聞いたことを話してくれた。
「パパと愛矢のことは何もわからなかった。警察にはまともに取り合ってももらえなかったわ。何か事件に巻き込まれたんじゃないかって訴えても、事件なんてしょっちゅう起きている、行方不明になった人間もたくさんいる、ですって。最近この辺りではある大富豪の一人娘が誘拐されて、まだ見つかっていないらしいのよ。きっとわたしたちを相手にしている暇なんかないのね」
愛弓も自分たちの成果を報告した。
「こっちもパパの手がかりは見つけられなかったわ。ただ、街で女の子に声を掛けられたの。わたしのこと、愛矢と間違えたみたいで」
「それで、愛矢は?」
「わからない。その子、逃げて行っちゃったから」
八重子はがっかりしてため息をついた。それから、気を取り直したように、「明日、またみんなでさがしてみましょう」と言った。
4
翌日も、愛弓と武居は二人でニューヨークの街を歩き回った。なるべくみんな一緒にいた方がいいと八重子は言ったが、愛弓は出来るかぎり広い範囲を捜索したいと主張した。少しの間議論になったあと、愛弓と武居は二人一緒に行動するということで、八重子が折れた。
しかし、結果は前日と同様だった。足が棒になるほど歩いても手がかりは見つからず、あっというまに日が傾いた。二人は石段に腰掛けて休憩した。
「おれたちって無力だな」
ぼやくように武居が言った。
「超能力も、何の力もなくってさ」
「それは仕方ないわよ。愛矢や部長のようにはいかないわ」
「英語もろくにしゃべれないし」
「それは……」
「愛矢や部長のようにはいかないか」
「……」
愛弓はうつむいた。それきり二人は口を閉ざし、ただぼんやりと宙を見つめていた。
――武居の言うとおり、わたしたちには何の力もない。でもだからって、何もしないでいることなんて出来ない。大切な人たちを助けたい。ほんの少しでもいいから、力になりたいんだもの。
しばらくしてふと顔を上げた愛弓は、目に止まった貼り紙に、あっと声を上げた。
「武居、あれ!」
その新聞には、昨日声を掛けて来た女の子の写真が載っていたのだ。
武居は貼り紙を剥がしてじっくり眺めた。
「昨日の子だな。間違いない」
「何の記事?」
「捜索願いみたいだ」
二人は顔を見合わせた。
「それじゃ、ママが昨日言ってた行方不明のお嬢様って、あの子なの?」
5
愛弓と武居はホテルの部屋に戻り、辞書と首っ引きで新聞をチェックした。
「ここに書いてあるわ。ハミルトン家のアイリーンが何者かに誘拐されたって」
「こっちにもある。止めようとした母親が階段から転落して、意識不明の重体……娘は未だ行方不明……」
しばらくの間、重苦しい沈黙が続いた。
やがて愛弓が呆然とした様子でつぶやいた。
「まさかパパは、この事件に巻き込まれたの?」
「……でもあの子、誘拐されているようには見えなかったよな。自由に歩き回ってたし」
「犯人の隙を突いて逃げ出したのかも」
「愛矢の名前を知ってたってことは……愛矢はあの子と一緒にいるのか?」
「愛矢はアメリカに住んでたから、その時知り合ったってことも考えられるけど……」
愛弓は険しい表情で前方を見据えた。
「どっちにしても、もし知り合いなら、今度のことも何か知ってるかもしれない。もしかしたら、パパの行方も……」
「どうする?」
武居が愛弓を探るように見上げた。
6
「ほんとにここなの?」
愛弓は武居を振り返って尋ねた。
門の向こうに目を見張るほど大きな屋敷がある。
「間違いない、と思うけど」
二人は誘拐されたと言われているアイリーンの家まで来ていた。
「入ってみる?」
もう一度振り返りながら愛弓が言うと、武居は顔をしかめた。
「不法侵入ってことにならないか?」
「そうね……」
愛弓は、高い塀と門を見上げた。
「でも、ここにじっとしてても仕方がないわ」
門に手を掛けた愛弓を、武居がぎょっとして止めた。
「よせよ、見つかったらどうするんだ」
「この家の人たちがパパの失踪に関係あるなら、見つかった方が話が聞けて好都合だわ。呼び鈴鳴らして門前払いを食らったらそれまでじゃない」
「それはそうだけど……」
「武居は来なくてもいいわよ、わたし一人で行くから」
まったく愛弓は、と武居の目が言っていた。
「捕まって警察に突き出されても知らないからな」
そう言いながらも、彼は結局愛弓のあとを追って塀を乗り越えた。
ガードマンはいないようだった。愛弓と武居は木の陰に隠れながら、屋敷に近付いた。何しろ、門から建物までかなり距離があるのだ。中央には花ざかりの庭が広がっている。
庭も家の中も、しんとしていて物音一つしなかった。誰もいないのだろうか。
愛弓が思い切って、一番近い窓まで走り寄ろうとした時、誰かが彼女の手をつかんだ。
見つかった――! 思わず目をつぶったが、次に聞こえた声は、愛弓のよく知っているものだった。
「静かに。今は出て行っちゃだめだよ」
愛矢だった。
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