Ⅴ 力を持つ者
1
「愛弓と武居をどこへやったんだ!」
建物の中に連れて行かれた愛矢は、玄関ホールでこちらに背を向けて立っている男を目にするなり、そう叫んだ。
男は階段の下に掛けられた絵を眺めていた。愛矢の方を振り返ろうともしない。
「すぐに会わせてあげますよ」
感情のない声で男は言った。
「きみがお父さんの居場所さえ話せばね」
「父さんがどこにいるかなんてわたしは知らない!」
愛矢は言い返した。強く唇を噛む。
「……父さんはわたしに、母さんのところへ行くようにとだけ言って、一人でどこかへ行ってしまった。そのあと父さんがどうしてるか、わたしは知らない」
男がゆっくりとこちらを向いた。ホールは意外と広かったが、ともっている明かりは一つだけで、薄暗く、男の表情はよく見えない。怒っているのか、笑っているのか……。
「それは本当かね」と、男は聞いた。
「本当だ」
「嘘をつくとためになりませんよ」
「嘘なんかつかない。父さんは、わたしをこれ以上巻き込みたくなくて姿を消したんだ。……十三年前と同じだ。行き先なんか言って行かないよ」
「
愛矢は身を固くして相手をにらんだ。
晴樹というのは愛矢の父親の名前だ。この男はその名前を知っている。この男は、やっぱり……。
「やっぱり、おまえは大金銀次なんだな」
父の研究仲間で、父の友人だった男。
「もう、父さんを追うのはやめろ。父さんの研究は、おまえの手には入らない」
「……かわいげのない子だな、きみは」
「父さんから聞いたことがある。銀次とは付き合いが長いから、お互いの性格をよく知り尽くしてるって。あいつは必ずわたしの研究を狙って追って来る、そして、研究を奪ったらいいようにはしないだろうから、決して渡すわけにはいかないって」
「ほう」
大金は目を細め、後ろに控えている二人の男に手で合図を送った。
「娘と引き替えにしても、あいつは研究を手放さないかな?」
「卑怯だぞ!」
抵抗したが、無駄だった。愛矢は大金の手下たちに取り押さえられ、建物の中を連れ回されたあげく、暗い一室に放り込まれた。
「愛矢!」
愛弓と武居の声が同時に聞こえた。愛矢がほっとして体を起こすと、二人は先を争うように駆け寄って来た。
「良かった。無事だったのね」
「ひどいことされなかったか?」
「二人こそ。どこも何ともない? 武居、頭は大丈夫?」
これくらい平気だ、と武居は言った。
「武居から聞いたわ。あの人たちはパパを狙ってるのね」
愛弓は暗い表情でその場に座り込んだ。
「パパが生きてたなんて……それに、大金くんが……」
二人と向き合い、どちらもちゃんと元気かどうか確認してから、愛矢は口を開いた。
「あいつは……大金はわたしたちをおとりにして、父さんをおびき出すつもりだ」
「どうにかしてここを出なけりゃな」
武居の言葉に、愛矢と愛弓もうなずいた。
「でも、どうしたらいいのかしら」
愛弓が腕組みをして天井を見上げた。
「またしばられなかったのは幸いだったけど、ドアはかんぬきが掛けられちゃってるし、窓も二重になってて、中からは開けられないわ。確か愛矢、瞬間移動……テレポートは出来ないのよね?」
「うん」
愛矢はしょんぼりとうなだれた。
「わたしが、もっともっとすごい超能者だったら良かったのに」
心からそう思った。――もっと力があったら。もっと強大な超能力があったら。そうしたら、きっと簡単にみんなを助けられたのに。
「あの人みたいに、すごい力があったら……」
「あの人?」
武居がびっくりして問い返した。
「愛矢以外にも、超能力を持つ人がいるのか?」
「ああ……うん」
愛矢は少しためらったあと、小さな声で打ち明けた。
「わたしも初めて会った時は驚いた。あの人、わたしの心の中に語り掛けて来たんだ。思わず答え返したら……二人も見ただろう、窓ガラスが割れちゃって」
「それって……」
愛弓が口に手を当てた。
「古藤拓斗先輩。あの人、わたしが超能力者だって、一目で見破ったんだ」
「部長が?」
愛弓と武居は仰天して顔を見合わせた。
「信じられない。そんな風には全然見えないのに」
愛弓のつぶやきに、武居もうなずく。
「ちょっと変わったところはあると思ってたけど、まさか超能力者だったなんて、びっくりだよ」
「誰にも気付かれないようにしてたんだって。先輩はわたしみたいに出来損ないじゃないから、それくらいたやすかったんだって」
「部長ってタヌキなのね」
「どっちかって言うとキツネじゃないか?」
「……」
三人はしばらく沈黙していたが、不意に武居が口を開いた。
「部長に助けてもらえないかな」
「古藤先輩に?」
「うん、きみ、部長に呼び掛けられない?」
「無理だよ」
愛矢は即答した。
「だって、一度心で通話したんだろ」
「あの時は向こうから話し掛けて来たんだし、それに、遠過ぎる」
「じゃあ、やっぱりここから出るしかないか」
そう言うと、武居は立ち上がった。
「出るって」
愛矢は困惑したまなざしで武居の動きを追った。
「部長の家まで行って、直接助けを求めるんだよ」
「だから、どうやってここから出るって言うんだ?」
武居は壁を指差した。
「さっき見つけたんだ」
二人が見守る中、彼は壁の一部をつかみ、力を入れて引き剥がした。
そこには直径三十センチほどの穴が空いていた。先は見通せなかったが、外まで通じているようで、かすかに風が吹き込んで来る。
「最初から羽目板がずれてたんだよ。かなり古い建物らしいね。でも、おれにはせますぎて通れない。愛矢なら小さいから余裕だと思うよ。行ってくれるだろ?」
「わたし一人で? そんな、愛弓と武居を置いてなんて」
「愛弓は行けっこないよ。愛矢と違ってとろいしドジだから」
「悪かったわね」
愛弓がぷうっと頬をふくらませた。
「ま、しょうがないか。事実だし。愛矢、こっち来て」
「え?」
「服を取り替えるのよ。わたしのふりして逃げれば、万一姿を見られても追跡の手はゆるくなるわ」
「でも、愛弓……」
「四の五の言わないで」
愛矢が困っていると、武居が優しく背中を押した。
「急げよ。ここから出て、助けを呼んで来てくれ」
武居を見上げ、愛矢は唇を噛みしめた。
「……わかった」
愛弓は愛矢をうながし、カーテンの陰まで連れて行った。
「武居、覗かないでよ」
「わかってるよ」
愛弓と武居のやりとりに、愛矢は首をかしげた。
「武居に見られると困るのか?」
「当たり前でしょ」
「どうして?」
愛弓は面食らったように、まじまじと愛矢を見つめた。
「……わかった、パパに育てられたせいね。言葉づかいも男の子みたいだし。これからわたしが愛矢を、女の子らしく教育してあげなくちゃ」
「ほら、今はそれどころじゃないだろ」
ぶつぶつ言う愛弓を、武居が急かした。
愛矢と愛弓はあわてて服を交換した。
2
「どう?」
背を向けて待っていた武居の前に、愛弓が姿を見せた。愛矢の服を着ている。髪は愛矢より少し長いため、ピンで留めてあった。
「うーん。遠くから見たら間違うかも」
「そっか。それじゃ、なるべく近くに寄られないようにした方がいいわね」
二人が着替えている間に、武居は隅にあるベッドの毛布を、いかにも人が寝ているような形に盛り上げていた。
「愛弓は具合が悪くなって寝てるってことにするよ。時間稼ぎにはなるだろ」
愛弓のジャージを着た愛矢が、穴に入り込み、しばらく進んでみてから、後退して戻って来た。
「行けそう?」
愛弓が尋ねると、愛矢はうなずき、武居に顔を向けた。
「愛弓を頼むよ」
「まかしとけ」
武居は片目をつぶって見せた。
愛矢はもう一度二人を交互に見やってから、穴にもぐって行った。
愛弓と武居は窓に寄った。
しばらくすると、窓の下の暗がりに愛矢の小柄な影が現れた。影は柱を伝って地面に下り、草をかき分けて消えた。
「あれなら大丈夫そうね」
愛弓が息を吐き出しながら言った。
「わたしでさえ、自分を見ているように思えるもの。ママだって間違うかもしれないわ」
「おれは間違えないよ」
武居の言葉に、愛弓は胸をときめかせたが、彼は続けてこう言った。
「愛弓はあんなに運動神経良くないもんな」
3
拍子抜けするくらいあっさり洋館を抜け出した愛矢は、武居と愛弓に教わった古藤の家へと急いだ。
まだ人通りがあるので、飛んで行くことは出来ない。走るのも飛ぶのも、速さは変わらないのだが、愛矢は足を動かすのがもどかしかった。
――たどり着いた古藤の家は、電気が消えていて真っ暗だった。
愛矢は一瞬不安にとらわれた。留守なのだろうか?
何度か来たことがあると言う二人に古藤の部屋の位置も聞いていたので、木によじ登り、二階のその部屋を覗いた。カーテンが引かれている。
愛矢は窓をそっとたたいてみた。返事はない。次はもっと強くたたいた。どんどん力を込め、手が痛くなって来たころ、窓ががらりと開いた。
「何だ、きみは」
古藤が不機嫌な顔を突き出す。
「こんな時間に非常識だな。おれは寝ていたんだぞ」
「まだそんな時間じゃ……」
「毎朝四時に起きるんだ。八時には寝なきゃ」
「お願い、まだ寝ないで。助けて欲しいんだ」
「ごめんだね」
愛矢の懇願はにべもなくはねつけられた。
「きみはおれの花壇をめちゃくちゃにした。そんな奴を助ける義理はない」
「あれはわたしじゃない!」
「きみを狙う奴らだろ。同じことだ」
愛矢は両手を握りしめた。
「さあ、さっさと帰ってくれ」
「そんなこと言わないで……愛弓と武居が捕まってるんだ。わたし、どうしたらいいか……」
涙をにじませた愛矢を見て、古藤も少しばかり心を動かされたようだった。しばらく思案していたが、ぽんと手を打ち合わせるとこう言った。
「わかった。じゃ、こうしよう。愛弓くんと武居は助けるが、きみのことは助けない。それでいいな?」
二人を助けることがわたしを助けることになるんだ、と愛矢は思ったが、口にはしないでおいた。
「着替えて来るから待ってろ。それと、窓をたたく前にまず呼び鈴を鳴らせよ」
4
古藤はあっと言う間に着替え、あっと言う間に愛矢をさっきいた洋館の上空まで連れて行った。何が何だかわからないうちに、体が引っ張られるような感覚と共に愛矢は空間を越えていた。
「いいか、全てきみがやっているように見せるんだぞ。おれは自分の力を人に知られるのは面倒だから嫌なんだ」
古藤の言葉に、愛矢は素直にうなずいた。
「まず愛弓くんと話せ。それからきみを二人のいるところへ飛ばす。その先はきみが自分で何とかしろ」
愛矢が不安になって見上げると、古藤は言葉を継いだ。
「いざとなったら二人のことは助けてやる。きみは自分の身だけ守れ。いいか、余裕を見せるんだ。常に不敵な笑みを忘れるな」
父さんみたいなことを言う、と愛矢は思った。
「さあ」
古藤にうながされて愛矢は目を閉じ、愛弓に通信を送った。
(愛矢? 良かった、無事に逃げられたのね)
ほっとしたような愛弓の声が、すぐに応えた。
(うん。今、古藤先輩と一緒にいる。すぐ助けに行くから)
(愛矢が出て行ったあと男の人が入って来たの。わたしが愛矢じゃないことは気付かれなかったみたいなんだけど、ベッドが無人だってことはすぐにばれちゃって。警察に知らされて捜索されると困るからって、別の場所に移されちゃったのよ)
愛矢が通話を一端切って古藤に話し掛けようと思った時、そうするより早く彼の声が頭の中に流れ込んで来た。
(愛弓くんの声の距離で場所はわかった。そこに誰かいないか聞いてくれ)
愛矢は言われたとおりにした。
(誰もいないわ)と愛弓が答える。
(さっきみたいに外で見張ってるかもしれないけど)
「外、ね。部屋の広さはどのくらいかな。あんまりずれると困るなあ」
愛矢はすでに通話を切っていて、ちゃんと聞こえているのに、古藤はまるでひとりごとのようにぶつぶつしゃべっていた。
「ま、いいか。なるようになれだ」
そして彼は一人で決断を下し、愛矢に何の確認もせずいきなり実行した。
一瞬ののち、愛矢は建物の中にいた。それも、あの大金銀次の目の前だったからたまらない。古藤は場所を間違えたらしい。
「何だ、おまえは」
大金がうろたえて言った。
「おまえにも超能力が? いや、そうか、おまえは愛矢か。残っていたのは妹の方だったんだな。入れ替わって抜け出したのか」
「遅いよ、気付くのが」
愛矢は動揺を隠して言い放った。幸い、相手の方がよけいに動揺していた。
「おまえにここまでの力があったとは。油断していた。晴樹の話では、瞬間移動は出来ないはずだったが」
「油断させるために父さんは嘘をついたんだ」
愛矢はいつの間にか、父と古藤の言い付けどおり、顔に笑みを浮かべていた。
「愛弓と武居を解放しろ。そうしないとひどい目に遭うよ」
その時、愛矢、と愛弓の呼ぶ声が聞こえた。壁の向こうからだった。少しずれただけで、古藤のコントロールは正確だったのだ。
「愛弓? そこにいるの?」
「うん、愛矢、そこにいるのね」
「今助ける。もう少し辛抱して」
愛矢は全神経を集中させて古藤を呼んだ。
けれど、古藤の返事が聞こえる前に、大金が行動を起こした。隣の部屋に合図を送ったのだ。
壁の向こうで、愛弓が悲鳴を上げた。
「愛弓?」
「愛矢――」
愛弓の叫びは、銃声によってかき消された。
「愛弓! 愛弓!」
いくら呼んでも、途切れた声は返って来ない。
「愛弓……」
今までにない怒りが、体中から沸き上がって来るのを感じた。
「愛弓を、愛弓をよくも……」
愛矢は壁に突いた両手に力を込めた。
(愛矢)
古藤の声が、かすかに聞こえた。
(愛矢、怒っちゃだめだ。笑顔を……)
――何を言ってるんだ、先輩は。こんな時に笑顔でいられるわけないじゃないか。
ぼんやりと頭の隅で思ったのを最後に、愛矢は何もわからなくなった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます