紳士見参ッ!~女児の願い叶えます~ 

鈴掛 友紀

青山千夏という女児 ~忍び寄る悪夢~

世の中とは、必ずしも優しくあるものではない。

若さにうつつを抜かし、日常を愚かにも浪費すること、手間を省き横着するようなこともオススメしかねる。

例えばそう、学校に提出している通学路から逸れ、小道に入り込むこと。

近道や寄り道。はたまた他の理由があるかもしれない。しかし、それらは一度、帰宅してから改めて行えばよいことである。親や養親の報告を怠ってしまうことは今後の生活に支障を来す可能性や、もしくはもっと大きな人生を左右される出来事に巡り逢う可能性が潜んでいることを忘れてはならない。

いざ、通い慣れない小道に入った途端、見知らぬ長身の男に出会ってしまった時、君はどうするのだろうか。

慌てて来た道を引き返すか?

それとも防犯ブザーの栓を引き抜くのか?

どちらも一つの選択肢であることには違いない。

だが、それらは逃げられる可能性を孕んでいるからこそ取れる行動でることを忘れてはいけない。体格差のある者同士であるのなら殊更想像しやすいことだろう。

そして今まさしく、女児が囚われるだろう事柄に他ならない。

男は小綺麗な背広に時期に見合わないコートと、いずれも大衆に売り出されるような代物ではなく、相応の手順を踏んでいると思われる身なりであった。

「初めまして、可憐な少女(プリティーガール)。ところでいくつか尋ねたいのだが——」

一方、女児はハーフパンツにタンクトップと夏手前の時期には相応しい格好と言える。

「どーしたんだ?」

意外にも女児は気圧されることなく答える。

「君は何歳かね?」

「八だけど、それがどーしたんだ?」

「なるほどなるほど、では小学三、四年といった具合かね?」

男は顎を触りながら意味ありげに言った。

「いや、そーだけど……あたしになんか用かおっさん」

不審者と呼べる相手が眼前に控えるというのに、女児はあまり気にした様子を見せない。

「では、男児の風(ボーイッシュ)の可憐な少女、君に問おう。今、私の手にあるこれはなんだと思う?」

男は左腕を曲げ、その手に抓まれているそれを女児に見せる。

それは一枚の布きれだった。

「……は? なに言ってんだ、あんた」

間の抜けた声を漏らする少女。

だがそれもごく僅かな間。直ぐさま元の当たりの強い口調に戻る。

「いや、見たままなんだがね。身に覚えはないかな、可憐な少女」

「は? だから知らねーっつってんだろ!」

男は一呼吸間を設け、話を続ける。

「ふむ……それも当然か。いやね、これは私の下着に他ならないのだが、どうもしっくりこなくてね。そこでなのだが——君の下着、主に——パンツを私にくれんかね?」

眼前に控える男が想像以上の曲者だった所為か、女児の顔があきらかに曇る。それは嫌悪とは近くして遠い、いわゆる恐怖という存在に他ならない。

状況を理解すること自体は容易い。単に言葉の指す通り、男の手にあるのは男のパンツであることは実際に注目してみればわかること。

しかし、それを理解するべきか否か、どちらが正しいのかは定かでない。

知る恐怖と知らない恐怖。

女児は後者を選んだに過ぎなかった。

「………………」

「おやおや、これはこれで——」

困惑で黙り込んでしまった女児を眺めるのも悪くないものだ——と男は女児の全身を双眸に捉えつつ思う。

無表情の中にどことなく笑みが含まれていたことに女児は疎か男自身も気づいていない。

「——ッ‼」

次の瞬間。女児は来た道を引き返すように走り出した。

「そうか……君はそれをくれる気はないのだね」

「——ッ⁉」

女児は戦慄した。

振り返った先に男が佇んでいたためだ。

——後悔? そんなものは遅い。すでに刻は過ぎてしまった。

不審者などいない。いたとしても自分ならば余裕で振り切れるだろう。撃退できるだろう——などと大人を侮っていた女児の落ち度だ。

この危急は女児が招いた結末だ。

選択肢などありはしない。

眼前の男の望むようにするしかない。

女児は静かにハーフパンツに震える親指をかける。

指だけではない。左右対称の輪郭、華奢な上腕と前腕。布越しにも伝わる未発達の乳房、筆を滑らしたようなラインをした絶妙に窪みのある背筋。僅かに膨らみを帯びているだろう腹部。鼠径部から大腿部、下腿部にかけての引き締まった脚。はたまた体内を循環する血液、その細胞の全てが震えていた。

「おっと、どやら誤解をしているようだね。これはあくまで私の願望であって、君を誣いるための言葉ではないのだよ。だからパンツ(それ)を貰うわけにはいかない」

女児は放心する。

彼女には男の言っていることが一切としてわからなかった。

発言の前後がまるで噛み合っていない。そこら辺に落ちている紙切れを確認もせず継ぎ合わせただけの、ちぐはぐで無意味な言葉のようだった。

「——ただ……君がそれをくれる、というなら、こちらとしても相応の報酬を用意したく思う。どうかな?」

「………………」

しかし、女児の沈黙は揺るがない。

最早、彼女の幼い頭の中では男がなにを言おうとすべて同様の解釈をしているのかも知れない。

「——聞いているのだよ、可憐な少女! 私の問いに答えてくれたまえ」

男は両腕を広げ、女児の注目を自身に集める。

決して大きな動きでなかったが、それで十分だった。

女児には男の身体が、圧力が倍、数倍に映った。

「……かっ、かえりたい、ぐすッ……おうちに、かえりたい。かえりたいよぉぉ、ぐすッ……お、おにい、ぐすッ……ちゃん、ぐすッ……たすけて……」

とうとう限界を迎える。

女児は両手で顔を覆い隠し、えずき、大粒の涙をこぼす。

「……ふむ、少々強く当たりすぎたか、すまんね、可憐な少女」

滂沱の原因は自分にあることを男は自覚していた。

「今回は身を引くとするよ。せめての詫びとしてこれだけは果たさせていただこう」

男は俯く女児へ接近する。

足音はもちろん、厚着の布の擦れる音すら立てずに——。

「——なつ、どうした? 家の前で涙なんか流して。帰り道で転んで怪我でもしたか?」

女児が顔を上げる。

そこには、四五坪程度の土地に建てられた建物の玄関に続く金属製で片開きの庭門が目と鼻の先にあった。

正面、右側、背後、そして左側の順で連鎖的に周囲を確認する。

間違いなかった。ここは女児にとって見られた住宅街であり、正面の建物は彼女が寝食を行う実家に他ならなかった。

「なつ?」

聞き慣れ親しんだ声。

住宅を捉えていた視野が人陰を捉える。

それは女児が助けを求めた先、実の兄であることは自明の理。

身長は一七〇より若干高い程度、年齢は二〇前後といった具合。肥満型でも痩せ型でもなく中庸、いわゆる好青年と呼ばれる類いの人間なのだろう。

「おっ⁉ お、おにいちゃんッ!」

「ど、どうした急に⁉ ——ちゃん呼びなんてしばらくしてなかっただろ」

何事か⁉ と言わんばかりに好青年が狼狽える。

「では、またの機会を——可憐な少女」

誰宛ての言葉か、それは言うまでもない。

女児の耳元で確かにそれは聞こえた。

あの男が腰を曲げ、自身の背丈に合わせて発しているようだった。

聞き終えた瞬間、女児は駆け出した。

まるで正面に柔軟性と弾力に富むクッションに飛び込むように——。

想定外の衝撃に好青年の驚きと反射による音吐が宙を漂う。

「グエッ、なんだなんだ? …………よしよし、怖いことでもあったか千夏?」

「………………」

女児の自身に対する——ちゃん呼び、加えてこの震えよう、好青年は考えた。

その結果、優しく頭を撫で、話を聞いてやることが重要である——と解釈した。

「千夏、なにかあったらお兄ちゃんを頼ってくれて構わないんだぞ。千夏を傷つけるような奴がいるならお兄ちゃんがコテンパンにのっしてやるからな」

「…………うん」


好青年の想いは女児に伝わっただろうか?

だが少なくともこれから先、人通りの少ない小道を通る時に思い出すだろう。世の中には自身の力量を優に超える存在がいることを——。

あの女児もとい青山千夏は、おそらくあの使い慣れた近道を使うことはなくなるだろう。あそこにはこの世の理を逸脱した悪魔が潜むことがわかったのだから——。

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