第2話 公爵令嬢の生活

 目覚めると全身が痛かった。腕はヒリヒリするし、首なんて動かそうとすると背中全体に激通が走る。


 でも地上20階のビルから落ちたにしては痛くない、と思った。じゃあ死んでなかったのだ。よかった。かなり運が良かった。死ぬほどツイてた。


 ここはどこだろうか?


 目を開けると寝台の天蓋てんがいがあった。ずいぶんと豪華なベッドに寝ているらしい。それにシルクのガウンなんて着ている。


 何かがおかしい。部屋はどう見ても病室ではなかったし、自宅のアパートでも、実家でもなかった。


 ベッドには水色のビロードのカーテン。痛みを我慢して首を曲げると、寝室からバルコニーへとつながるガラス張りの扉が見えた。ガラスを透かして、一面黄色い薔薇だらけの中庭がのぞく。


 きわめつけは髪の色だった。つややかな銀髪になっていたのだ。


 ありえない。パニックだった。


 きっと私はビルの上から突き落とされて死んだのだ。そして転生までしてしまった。映画ではありがちな展開じゃないか。


 誰かが部屋に入ってきた。水差しをもった栗色の髪の少女だ。地味なクリーム色のドレスに白いエプロンをつけている。この館のメイドなのだろうか?


 少女はまっすぐベッドにやってきた。呆れたような顔をしている。


「まあお嬢さま、やっとお目覚めになったんですね。城門の上から落下してから、まる一週間眠ってらっしゃったんですよ」

 少女は皮肉っぽい口調でそう言うと、コップに注いだ何かを無理やり飲ませてきた。


 まずい。よもぎを濃縮したような味だ。


「どうして城門の上から落下したんですか」

 わけもわからずに質問した。吐きそうになるのをこらえながら。

「それにあなた誰?私は誰?」


 少女が大袈裟にため息をつく。

「お嬢さま、あなたの名前はクリステン・エスティアーナでしょう?私の名前はナターシャで、城門から抜け出そうとしたわけはお嬢さまが一番知っているはずです。そのせいで私、奥様に叱られたんですよ。女主人をちゃんと見張ってなかった私は侍女失格だとか、挙句あげくにお嬢さまの逃亡に手を貸したんだとか疑われる始末ですよ」


「そう、ごめんなさいね」

 弱々しい声で謝った。

「ちょっとお願いがあるんですけどね、手鏡なんかありません?」


 ナターシャが銅製の手鏡を無言で突き出してくる。


 恐る恐る鏡をのぞきこんだ。


 シルバーブロンドの長い美しい髪に、白く透き通るような肌、すみれ色の瞳。桃色の薄い唇。


 思わず微笑んでしまった。美人だったのだ。この顔があれば、世界中の王様をひざまずかせることだってできそう!


「なに鏡を見てにやにやしてるんですか。自分勝手な上にナルシストになっちゃったんですか!」

 すぐにナターシャにそう怒鳴られて、手鏡を奪われてしまったのだけど。


 

 ナターシャと寝室で過ごすうちに、さまざまな事情がわかってきた。まずエスティアーナ家はかなりの金持ちだ。公爵家の名に恥じず、莫大な領地と莫大な金銀財宝をもっている。

 クリステンの両親の仲は冷えきっていて、子どもたちにはこれっぽっちの愛情なんてない。父親はアル中で、夜などワインをのんでグデングデンになっている。


 美人のクリステンには兄と妹がいた。兄のチェスターは気弱そうな男で、ギャンブル狂いだ。寝室に娼婦を連れ込んでは母親に怒鳴られている。こんなのがエスティアーナ家の跡取りなのだから、両親もさぞ頭が痛いことだろう。


 妹のキティは正反対で、大人しい子だった。まだ12歳でとても可愛い子だ。クリステンのミニチュア版で、銀髪もすみれ色の瞳も、透き通るような肌もそっくり。

 キティを見ていると母性がくすぐられてしまう。


 クリステンはなぜか見張りをつけられていた。どこへ行くにも、いかめしい顔をした男がついてくる。うんざりしたけれど、仕方がない。

 でも何枚ものシルクやサテンのドレスや、宝石、可愛らしい靴を見れば、やるせなさもおさまった。全部自分のものなのだ!


 回復して歩けるようになると、クリステンが立派な胸の持ち主で、背が高いということもわかった。前の世界では貧相な体格をしていたので、クリステンの胸も気に入ってしまった。


 父親はある晩、ぽっくりと逝ってしまった。いつものように酔っ払って、自宅の噴水で溺れ死んでしまったのだ。


 なんとも憐れな死に様だが、家族のうちで悲しむ者はいなかった。酔っ払えばだれかれなく殴るいやな奴だったから。


 父が死んだ翌日、母に呼び出された。宮廷行きの命令だ。婚約者の王太子に会ってくるように、とのことらしい。


 本当に王太子と婚約しているのか聞きたかったが、そんな剣幕じゃなかった。


「クリステン、あなたを信用していませんからね。この婚約がオジャンになったら、あなたをひっ捕まえて一生、座敷牢に監禁しますから」


 そういうわけで、私は侍女のナターシャと馬車に乗って宮廷に向かった。

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