電話

平城 司

折立 操

 怒涛の日々も過ぎ去ってしまえば何ともない。

 数週間前まで、折立おりたちは『栄星社えいせいしゃ』という古巣の出版社で、そこの編集者――瀬名木せなぎるいと共に文字通り缶詰で仕事をしていた。

 栄星社はマイナーな出版社だが、とにかくオカルト関連の雑誌・書籍に力をいれている。そのため折立を含めコアなファンが多く、それに支えられていた。

 折立は栄星社が出版している『月刊かくりよ』というオカルト雑誌を中学時代から現在まで愛読している。そして十年前、自分もライターになりたいと栄星社に飛び込んだ。それが折立にとって、最初で最後の飛び込みだった。

 当時、折立の話を聞き、彼の好奇心の旺盛さや強い霊能力を持った妹の話に興味を抱いたのが瀬名木である。流石に最初は突っぱねられるだろうと思っていた折立だったが、瀬名木は小一時間話した後に「君をライターとして採用する」と言った。

 編集者である瀬名木は、他のライターを折立に紹介しては取材に同行させるなどして仕事のノウハウを間接的に教え込んだ。結果、今の折立がある。

 栄星社に、特に瀬名木には大きな恩がある。だからこそ仕事を頼まれれば、折立は必ず引き受けてきた。これまでも、これからもそうなのだが――。

「流石に今回は無理あったでなあ……」

 過ぎ去ってしまえば何ともないとは思いつつも、完成した缶詰の結晶を手に取る。 『現代の闇を生きる者たち』と大層なタイトルがつけられた書籍。かけられた帯には『人気ユーチューバー・人気怪談師とオカルトライター折立操の濃密対談&怪談・都市伝説集』『考察系ユーチューバー推薦!』などと様々な文句が並べられていた。

 何より目につくのが表紙だ。折立が険しい表情でパソコンの画面を見つめながらキーボードを叩いている姿。薄暗いオフィスのような空間で、コーヒーショップで売っているタイプの洒落たカップを傍らに仕事をしている。折立はこれがいつ撮影されたのか覚えていない。こんな薄暗いオフィスで仕事をした覚えはなく、ついでに自分の傍らには缶コーヒーこそあれど洒落たカップはなかったので、上手く加工してあるなと感心する。

 缶詰の最中、瀬名木が「今のお前は顔で売れてるのもあるし、仕事姿をカバーにしたのを予約限定品にしよう」と言い出した。忙殺の末にとち狂っていたのだろう。折立も同様にとち狂ってはいたものの、冗談やろと思いつつ「いいですよ」と答えた結果がこれだ。サンプルを渡された時にはアイコスが指から滑り落ちた。


 そもそもなぜこのような本を出版することになったのか。それは栄星社の社長の鶴の一声のせいだった。

 栄星社は現在、ユーチューブのチャンネル運営にも力をいれている。過去の雑誌記事の裏話を公開したり、現在活躍している心霊系ユーチューバーとコラボレーションしたりとかなり精力的だ。もちろん、折立も何度も出演している。

 チャンネル登録者数や再生回数は上々で、収益はそれなりに上がっていた。にもかかわらず「うちは出版社であって動画屋ではない」と社長が主張したのだ。そもそも動画屋とはなんだと、誰もが突っ込みたかったそうだがそのまま流れされていった結果、夏真っ盛りに本を出版することが決定された。

 上がった企画は、ざっくりと言ってしまえば『現在活躍しているユーチューバー達の体験談や怪談師の話を集めた本を作ろう!』というもの。

 しかし、ユーチューバーは一般人が想像している以上に多忙なスケジュールの中で動いている。そんな彼らに、しかも文字書きが本業でない彼らに「寄稿してください」など、良い顔をされるわけもない。それは会社とユーチューバーとを繋ぐ外交官的な役割を担っていた瀬名木がよくよく理解していた。そこで瀬名木はユーチューバーや怪談師と交友関係の多い折立に「手伝ってくれ」と頼み込んできたのである。

 会議の末に落ち着いたのは、スケジュールの都合がついたユーチューバーや怪談師と折立が、一つの怪談や都市伝説に対して考察を深めていくというもの。対談であれば撮影もできるし、続きはぜひ本を読んでくださいねと宣伝も可能だ。

 問題は文字起こしだった。肝心の怪談や都市伝説については折立が録音した内容を何度も聞き返し、より臨場感のあるもの文章を生み出す。対談部分については瀬名木も含め他のライターで文字起こしをした。

 それでもスケジュールはかなりタイトで、終盤は折立も瀬名木も、とにかく全員のテンションが異様に高かったことを思い出す。


 それでもまあ、やはり過ぎ去ってしまえば何でもないのだ。本は無事に出版されたし、折立が表紙の予約限定品の売行は大変良かったそうだ。通常版は書店の夏のホラーコーナーに平積みされているというから、無茶をした甲斐はあったというものである。

 ほんの数週間前の出来事に懐かしさを感じつつ思い返していると、折立のスマートフォンが鳴った。見てみれば、そこには『みのる』と表示されている。妹からだ。時刻を確認してみれば夜中の一時を回ろうとしている。

 もしかして、いや、もしかしなくても、送りつけられてきた『自身の兄が表紙になっている本』に対して文句をつけるつもりなのだろう。キモいからやめろと言う実の言葉が、まるで現実に起こっていることのように頭の中で再生される。

 折立は半笑いで、ラインの応答ボタンを押そうとした瞬間。画面が暗転した。

 ん、と思わず声が漏れる。その直後、すぐにまた着信音が鳴った。しかし、表示されているのはラインの着信画面ではないし、当たり前だがラインの着信音も流れていない。スマートフォンに直接かけられてきた電話だ。相手は――。

「瀬名木、類」

 表示されている名前を読み上げてしまう。

 確かに瀬名木の電話番号は知っているし、登録もしている。だが、電話もメッセージもラインを普段は使用するのになぜ直接電話をかけてきたのか。それに、随分前のことであやふやではあるが、電話帳に登録した名前は『瀬名木さん』のはずだ。

 何かが起こっているような気がした。一瞬戸惑いはしたものの、すぐに応答ボタンをタップしてスマートフォンを耳に押し当てる。

「瀬名木さん?」

 呼びかける。向こう側からは酷いノイズが聞こえてくるばかりで、声は聞こえない。

「瀬名木さんですか?」

 もう一度呼びかけた。返事はない。

 瀬名木とは十年以上の付き合いがある。いくら酔っ払っていたとしても悪戯でこんな時間に電話をかけてくる人ではない。夜中の急な仕事の電話ですら、事前にメッセージでことわりを入れてくる人だ。

 折立はもう一度呼びかけようとした。その時だった。

『助けてくれ……』

 電話の向こうから聞こえた声。それが瀬名木の声だと確信する。しかし、それは聞いたことがないほど弱々しくわずかに震えており、今にも消えてしまいそうなものだった。

 その声を聞いた瞬間。部屋の温度が急激に下がるのを感じた。肌が泡立つ。

 折立は知っている。こういう時には、何かが居る。もしくは、何かが来る。

 妹から電話が着たことを思い出した。あれは兄が表紙の本がキモいという文句ではなく、きっと警告だった。折立の身に何かがあったり、降りかかりそうになると、妹は決まって連絡をしてくる。

「むー……すぅ、ん、でェ」「ひぃ、ら、いィ、て」

 部屋のどこからか女の声が聞こえた気がした。童謡を唄っている。その声は楽しげだが、ぎこちない。その歪な歌声にさらに肌が泡立つ。折立はゆっくり、ゆっくりと意識して呼吸を繰り返した。

「てぇ、を、うぅッ、てぇ」「む、すんん、で」

 ワンルームの部屋を見渡してみるが、女の姿はどこにもない。しかしその声は確実に、自分に迫ってきている。玄関の方に向かいながらトイレや風呂場を確認したが、やはりいない。しかし、近づいてきている。自分のすぐ近くで唄っているのは確かだ。

 スマートフォンに目をやる。電話はとっくに切れてしまっていた。今すぐ妹に電話をするべきか。いやでも、遠く離れた場所からではどうにもできない。

 部屋の中にいるなら、いったん部屋から出よう。折立はそう思い至った。鍵を取っている余裕はない。歌はもう耳元で聞こえている。

「まぁた、ひらい、てぇ」「てぇ、を、うぅ、って」「そ、のぉ、て、を」

 折立は玄関の鍵を開け、勢いよく扉を開いた。


 瞬間、間違ってしまったと気づいた。

 見えないだけでこの部屋に居ると思っていたそれは、どうやら。

「うーえーにー」

 この部屋に、向かって来ていたらしい。

 開け放たれた玄関の目の前。ボサボサの長い黒髪の隙間から三日月のような目と口が覗いている。それと目が合った瞬間、折立の意識は暗転した。

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