第5話【幼なじみ】
レオの髪の毛を頬擦りしたまま入眠した翌日の朝。意中の相手に「変態」と罵られるなどしながらも幸せな気持ちで朝食を平らげたアルは、レオと一緒にいたいと後ろ髪を引かれながらも今は村の屋台通りにやって来ていた。
村人の中で誰か龍の詳細について知る者はいないかの聞き取り捜査のような事をするためであった。
レオの過去の話を聞いた後では、この村の民にアルはもう好印象を抱く事はないかもしれないが、それでも幼い頃には仲良くしていた優しい大人たちや同年代の者たちだって存在している。
そういう探りやすそうな所から潰していこうと、アルは屋台通りで野菜を販売している妙齢の店主の元へ真っ直ぐに歩き出した。
体格がよい分体重もそれなりにあり、尚且つ背中に大剣を背負っているアルのドシドシと激しい足音が屋台に近づくと、店主は顔をこちらへと向けて満面の笑みを浮かべた。
「おおっ、アル坊じゃねぇか! ひっさしぶりだなぁ! 随分とまぁデカくなりやがって!」
「うっす! おっちゃんも元気そうで何より!」
そう。この店主はアルがまだ小さい時によく世話になった、所謂「近所の気前のいいおじさん」のような立場の男なのだ。
幼いアルが母親と連れ添って野菜を買いに来た際、内緒でよく菓子などをくれたものだ。
気前のよさそうな笑顔で声をかけてくれる昔馴染みの店主にならば、龍と自身の両親の間にあった出来事を話してみてもいいのかもしれないと思ったアルは、さっそく事情を粗方店主に伝えた。
しかし、アルが語れば語るほど、店主の表情がみるみるうちに困ったかのようなものに変化していく。そしてアルが語り終えた際には、幾分か気まずそうにぽつりと言葉を溢した。
「……おめぇ、そりゃ本気か?」
「本気だっての」
アルが「何が問題なんだ」とでもいうかのように自信満々な顔をするので、店主ははぁっと大きなため息をついた。
「……お前さんのご両親があんな事になっちまったのは、俺からしてもいまだに可哀相だなぁとは心の底から思ってる。けどな、俺らにとっちゃ、水の龍は生命そのものだ。わりぃが、その手がかりっつーのがどこにあるのか何にもわからねぇし、仮に知ってたとしても教える事はできねぇ。おめぇさんの気持ちもわからんでもねぇが、すまんな」
「……そりゃそーだよな、こっちこそわりぃ」
店主の言う事はもっともだ。むしろアルの言っている事の方が、村人全員からしたら不躾すぎるにもほどがある失礼極まりない話なのである。
それはアルも重々承知していたので、相手が気を落とさぬよう精一杯の笑顔を浮かべながら謝る他なかった。
そのままため息を一つ溢し、仕方がないとでも言うかのようにわかりやすく肩を落として他を当たろうと踵を返した所、ふと店主が気まずそうな声色で呟き始める。
「あー、後よぉ……おめぇさん、あの男娼んとこに世話んなってんだって?」
店主のその言葉に、アルのこめかみがひくっとわかりやすく動いた。踏み出そうとしていた足を止め、そのままゆっくりと店主の方を振り向く。
件の男の眉尻を下げたバツの悪そうな表情を視界に入れた途端、アルの中に怒鳴り散らしたい思いが込み上げて来るが、何とか奥歯を噛み締めてぐっと堪えた。
叫び出しそうになる喉をキュッと締めつつ、威圧感のある重い声色で店主の語りの続きを促した。
「……だからなんだよ」
アルの不機嫌そうな様子には気づかず、店主はまたもやバツが悪そうな表情で頬をぽりぽりと掻きながら話を再開させる。
「いや、あんまいい噂聞かねぇからなぁ……たまに俺の店に買い出しに来るけど、にこりともしないし不気味なんだよなぁ。顔は文句なしの美人だけど、あの髪と目が魔物みてぇで気味悪いし、金のためなら肥えた家畜みてぇな男にも抱かれてるっていうだろ? おめぇさんも何か病気でも貰ってきたりしたら……」
果たして、口から出てくるのはレオに対する偏見と侮辱の言葉だった。
いくら昔に世話になったと言えど、好きな人をこうも悪く言われてしまえばさすがのアルの堪忍袋の緒も限界を迎えそうである。
今すぐにその言葉を撤回しろと怒鳴りながら店主の胸ぐらを掴もうと手を伸ばした瞬間、ふとアルの真横から凪いだ男の声が奏でられた。
「おいおっちゃん、それは言い過ぎだよ」
その声に僅かに驚きながらアルが声の主を振り返ると、平凡そうな若い青年が買い物籠を片手に持ちながらこちらを見つめていた。年はレオと同じくらいに見えるが、知的で落ち着いた顔つきと達観した雰囲気を携えている。
青年は店主を一瞥した後、少しばかり呆れたかのような表情を浮かべながら再び口を開き出した。
「俺さ、前から思ってたんだけど皆してあの人の事貶しすぎだよ。事情も何も知らないのに、勝手に人の事どうこう言うの酷いと思う。それに、あの人優しいよ。俺が前に足捻って歩けなくなってたら、たまたますれ違ったあの人が自分の着てた服破って包帯代わりに巻いてくれたりしてさ。まぁ、お礼したいって言ってもずっと「僕なんかのために、気にしないで」って拒否されてるけど」
青年の言葉に、アルの中に燻っていた怒りの炎がどんどんと鎮火されるのを感じた。
揃いも揃って腐った村だと思っていたら、まさかこんなに若い青年がしっかりと物事を見据えた思考を持ち合わせているとは。
そして、差別されている身でありながら、困っている者を見捨てずに見返りなく救おうとしてくれるレオの健気な優しさに心を打たれた。
あの人はどこまで自分を恋の沼に溺れさせれば気が済むのだろうと、アルは感動を噛み締めた恍惚の表情を浮かべながらうんうんと力強く頷く。
そして救いの手を差し伸べてくれた青年の両手をガッと勢いよく掴むと、驚きで固まる青年に向かって満面の笑みを浮かべた。
「……お前、良い奴すぎる。俺と親友にならねぇ?」
「えっ……」
「あとそん時の服の切れ端、俺にくれ」
「ええっ!? 変態じゃん!」
いきなり親友になろうだの服の切れ端をくれだの、初対面でそんな事を言われてしまった青年は驚愕で思わず大声を上げてしまう。
その声の大きさで「なんだなんだ」と周りがざわつき始めるが、そんなものは今のアルにとっては雑音と同じだ。
訝しげな表情でこちらを見つめてくる青年の手をパッと離したかと思えば、アルは豪快に笑いながら「すまん!」と両手を顔の前で合わせた。
「わりぃわりぃいきなり! けど、ありがとうな。普通にすっげー嬉しいわ! んじゃな!」
先ほどとは打って変わって気分のよさそうなアルが浮き足立ちながら屋台を後にすると、店主と青年は何が起こったのかわからずぽかんと口を開けてしばしの間呆ける事となった。
今の、嵐のような光景は何だったのだろうか。
その疑問は、脆くも周りのざわざわとした話し声でかき消される事となったのだった。
青年たちと別れた後、アルはレオの家へと帰るため来た道を戻っていた。
愛おしい存在が家で待っているという状況ににやけを抑えられず、口元を手のひらで隠しながらも「ぐへへ……」と指の隙間から漏れる声が不気味な光景を作り上げていた。
「レオさんの笑顔が世界一可愛い事を知らねぇで生きていくなんて、この村の連中は勿体ない事するぜ……まああの笑顔は俺だけの物だけど。そんでさっきのアイツには絶対後々親友になってもらう」
ぐっと拳を握りながらある種のずれた決意を宿すアルに対し、すれ違う村人は皆怪訝な瞳を向けるがそれに件の本人は気づく事はない。
妄想の中でキラキラとした笑顔を浮かべるレオに対し、ますます口の端を三日月形に吊り上げていたアルに、突如として背後から可憐な声がかけられた。
「アル! 久しぶり! 帰ってきたんならまず私の家に寄りなさいよ!」
その聞き覚えのある声に、アルは足を止めて振り返る。
自身の背後にいた人物は、果たして予想通りであり思わず顔をしかめてしまった。
「……あー、マリアか」
マリア――――村長の娘である。アルと同い年、昔はよく遊んだ仲で所謂幼なじみという関係性の女性だ。
栗色のサラサラな髪の毛をたなびかせ、その清楚な雰囲気を携えた美しい容姿に自信満々とでも言うような気の強い表情を浮かべるマリアは、面倒くさそうにこちらを振り返ったアルに向かって早足で近づいてくる。
その様子を、アルは冷めた瞳でただ見つめていた。
(……コイツ、レオさんの事追い出したんだよな確か……。結果的には良かったとはいえ、あんまいい気しねぇな)
レオが語ってくれた、村長一家での出来事。この女は、レオを酷い言葉で詰るとともに一方的に屋敷から追い出した張本人だ。
好きな人をないがしろに扱ったとして、アルはもう目の前に迫ってくるこの幼なじみにいい気持ちを持つ事はできなくなっていた。
一方、当たり前だがアルの心情を知らず、マリアはズカズカとやって来てアルの目の前で仁王立ちしたかと思ったら、今度は胸の前で腕を組み上目遣いで睨み付けてくる。
「あー、って何よ! 十年ぶりに幼なじみと再会したっていうのに、冷たいじゃない!」
確かにマリアの言う通り、本来ならば感動の再会といった所なのだろうが、いかんせんアルの気持ち的にはマリアにはあまり近づきたくないというのが本音だ。
マリアの声かけをわざと無視し、反対側に踵を返し始めたアルをマリアは慌てて止めるために彼の目の前に立ち塞がった。
行く先を拒まれ、アルは舌打ちしたい気持ちを堪えつつ仕方ないとでも言うかのようにだんまりを決め込む。
一方、アルがやっと自身に意識を向けてくれた事を純粋に嬉しく思ったマリアは、これみよがしとその豊満な乳房をアルの逞しい腕に押し付けながら抱きつき、甘えるように肩に栗色の頭をそっと乗せた。
好きでもない人間からのスキンシップにアルは怪訝な表情を浮かべるが、マリアがそれに気づく事はなさそうだ。
「随分と見ない間に逞しくなったわね。あんなにチビだったくせに。腕なんかほら! 私の腰よりも太いんじゃない?」
「……あんま触んなよ。一応嫁入り前なんだろ?」
「一応ってなによ! 失礼ね!」
胸筋や腕をベタベタと触ってくるマリアの手を払い除けようと掴まれた腕をぶんぶんと降るが、マリアは諦めまいと更に力を込めてアルの腕に引っ付いてくる。
しばらくの間攻防が続くが、ふと先ほどまで明るい様子だったマリアが急に黙り込んでしまった。
それに釣られたアルもまたピタっと動作を止め、マリアからの言葉が発せられるのをしばし待つ事にした。
束の間の沈黙が流れ行き、ようやくマリアがそのピンク色の艶やかな唇を開き出す。
「……それに、嫁入りする所はもうずっと昔から決めてるのよ」
「……へー」
「少しは興味持ちなさいよ! 私、あの頃より綺麗になったんだし!」
ほんのりと頬を赤く染めながらも再び怒り出したマリアに対し、アルははぁっとため息を一つ溢した。
確かに幼なじみであるマリアは、幼い時から常に「アルのおよめさんになるの!」などと言っては雛のように後ろを着いて回っていた。しかし、時効かに思われていたその告白は、いまだマリアの中では健在であったようだ。
マリアの事は、今までもこれから先も恋愛対象として見る事はない。アルの伴侶になる事ができるのは、あの人ただ一人だからだ。
「生憎と、俺の興味はただ一人にしか向かねぇんだ。まぁ、お前の気持ちは昔から薄々気づいてたけど、他あたった方が早いぞ」
残酷だがはっきりとそう言ってやれば、先ほどまで元気だったマリアの顔がどんどんと青ざめていき、ついには瞳に涙の膜を張り、今にもその雫が溢れ落ちそうになった。
そのまま意気消沈したかのように静かに俯くと、マリアは蚊の鳴くような声でボソッと呟く。
「……噂には聞いてたけど、あの男娼の事本当に好きなのね」
「おう。レオさんは俺の運命だからな」
マリアの問いに、アルは自信満々に答える。運命だとはっきりと言えるのは、それほどまでにアルがレオに心酔しきっているからだ。
レオの花が咲いたかのような美しい笑顔を頭に思い浮かべながら思わず笑みを溢すアルに対し、マリアは声を低くしながら再び言葉を紡ぎ始める。
「……あんな、男の癖して男に身体を売る事でしか生きていけない価値なしの奴のどこがいいの?気持ち悪くてしょうがないじゃない! パパがアイツを引き取ったせいで、私は毎日気持ち悪い思いをしながら生活しなくちゃいけなくて……! 追い出して清々したと思ってたら、今度は好きな人を取られる私の気持ちなんかわかるはずないわよ!」
涙を瞳から散らしながら、マリアは八つ当たりをするかのように叫んだ。己の想いを否定されただけでなく、忌まわしく思っていた存在に想い人を奪われてしまい、屈辱と羞恥で顔が真っ赤に染まった。
周りにいた村人たちは皆「なんだなんだ?」とざわざわと耳を寄せ合うが、当の本人にはこの光景が見えていないのか、興奮したかのように鼻息を荒くしアルを睨み付けている。
一方、マリアとは打って変わっていまだ冷静であるアルだったが、さすがに聞き捨てならない言葉が聞こえてきた事により眉間に皺を深く刻ませた。
「……レオさんがそうならなきゃいけなかったのは、お前ら村の連中のせいだろ? お前らがあの人を差別なんかしなきゃ、お前自身だってそうならなくて済んだ癖に……全部の責任をあの人に負わそうとしてんじゃねぇよ」
ゾッとするほど威圧感のある語尾の重低音に、マリアは一瞬にして息を飲んで硬直した。こめかみから冷や汗が吹き出し、頬から首筋にかけて伝うのを止められそうにない。
この気迫に逆らえば、いくら女の身と言えど何をされるかわかったものではない。本能でそう察知したマリアは、大人しく口を噤んで黙る他なかった。
そんなマリアを冷徹な目で見つめるアルだが、ふと先ほどとは打って変わってほんの僅かな申し訳なさを含んだ声色でそっと呟く。
「……お前の気持ちに答えられないのは悪いと思ってるけど、俺の大切な人を否定する奴は誰であっても許すつもりはねぇ。失せろ」
「っ……!」
その言葉で、マリアは弾かれたかのように硬直から解かれアルから手を離した。このまま想い人と話を続けても、己の恋心が抉られるだけだとようやく理解したからだ。
手を離すとほぼ同時に縺れる足を必死に動かし、溢れる涙をそのままにマリアは屋敷のある方へと走って逃げていった。
村長の娘が去った事により、野次馬感覚で見ていたほかの村人もちらほらと散り始めたので、アルもまたレオの家に帰るため足をゆっくりと踏み出す。
「はぁ~、なんも上手くいかねーなぁ……」
虚しい呟きが風に乗って流されていく。
マリアの恋心を受け入れられない事に少しの罪悪感を抱きながらも、あそこでしっかり否定をしておかねば後々後悔する事態になるかもしれなかったのだ。だから仕方なかったのだとアルは自身の心に鞭を打つ。
帰ったらレオに色々な意味で慰めてもらおう、とこれまた変態的な思考回路をしながらアルがとぼとぼと歩いていると、突如として何者かが視界に飛び込んできた。
今日はよく人に絡まれる日だな、と呑気な事を考えていると、アルの目の前に現れたのは先ほど屋台通りで知り合ったあの心優しい青年だった事にふと気づく。
「あっ! 旅の人!」
「おー、さっきの足捻りドジ野郎じゃん。どうした? やっぱ俺と親友に……」
「それはまた今度! それより、助けてください!」
自身の言葉を無視して被せるように叫ぶ青年に、さすがのアルも怪訝な表情を浮かべた。
どうやら相当やっかいな事が起こっているのかと、アルが背中に背負った大剣に手を伸ばしかけた所で――。
「あの人がっ……! レオって人がっ……!」
青年の切羽詰まりながらも必死に呼んだその名に、アルは頭で考えるよりも先に走り出した。
最愛の人が、どうしたのか。いや、今は何よりもあの人の元に向かわねば。もし何か危険な目にあっていたのなら、加害者はすべて始末してやる。その思いのみでアルはひたすらに足を速め続ける。
慌てて青年が後ろから「あっ、そこの角左に曲がって! 真っ直ぐ行ったらいます!」と大声で道案内をするも、言い終わる頃にはアルの姿はなかった。辛うじて聞き取ってくれたのか、アルが無事道を左に曲がった所は見届けられた。
ただ一人その場に取り残された心優しき青年は、どうかアルが「あの酷い光景」を止められればと願うばかりであった。
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