花檻の魔術師 〜庭をめぐって争う魔術師と巻き込まれ系女子の話〜

#zen

第1話 暴君の様子がおかしい件



「……あたしのプリンがナイんだけど」


 賀川かがわ詩津しず十六歳は、寂しい冷蔵庫げんじつを前に、その大きな淡黒の瞳をこれ以上もなく開き茫然としていた。


「――あ、すまん、あたしが食った」


 電気代の無駄を省き、プリンの捜索を打ち切った詩津しづのパジャマの背中に、言葉とは裏腹に悪びれる様子のない声が投げかけられる。


 誰にも悟られないよう普段あまり使わない調味料を盾に隠していたというのに、予想通りの展開に詩津しづはそっと嘆きの息をこぼす。


 恨めし気な目で振り返ると、キッチン向こうにあるリビングソファの中央を占領している賀川家・次女の杜季ときが、つまらなそうにテレビを見ている。


 その顔は素顔がわからないほど濃い化粧で覆われていた。


 賀川家の掟は末っ子に厳しい。

 

 詩津のおやつが冷蔵庫にあると、間違いなく姉の杜季ときに食われる。


 たとえそれが、バスケ部の地区予選を目前に控え運動量の多い詩津しづにとって唯一の潤いだったとしても遠慮なんてものはない。


 さらに、杜季とき詩津しづのおやつを食べたところで文句を言う人間もいない。


 共働きで多忙を極める両親が殆ど家にいないのと、社会人である長女・瑠花るかも同じく家にいることが少ないため、次女と三女しかいない賀川家では自然と年長者である杜季ときが政権を握っていた。


 詩津の物は自分の物、という身勝手かつ非常識な認識が杜季あねの中に定着しているのだ。


「『すまん』じゃないでしょ! 杜季ときねぇはなんでいつもひとの物を普通に食べてんのよ! 普通そうじゃないでしょ? 妹の大切なプリンをなんだと思ってるのよ!」


「ぁあ? 普通のぷっちょんプリンでしょ?」


「そりゃ、ぷっちょんプリンは昔から変わらないチープな黄金比に基づいて作られた、ごく普通のプリンよ! でもそういう話じゃないのよ! あたしが言いたいのは、なんで杜季ときねぇが勝手にひとのものを食ってるかってことよ!」


「何いってんのよ。あんたの物はあたしのものっしょ? ――ていうかさぁ、そんなに食べたけりゃ、買ってくりゃいいじゃん。ぷっちょんプリンなんてどこのコンビニでも売ってるっしょ」


「だからそういう問題じゃないのよ! ……それになんで杜季に食べられた物をあたしが買いに行かなくちゃならないのよ!」


「ぁん? なにそれ。あたしに買いに行けっつーの?」


 養毛剤入りのマスカラで黒々とした瞼の下で浮いている目玉に、ぎょろりと睨み据えられて、詩津は震えあがる。


 もはや特殊メイクの域にある分厚い化粧を施した顔は、怒るとさらに迫力が倍増しになる。


 はねっかえり娘の杜季ときと真面目で自然体の詩津しづは見事に対照的だった。


 杜季ときが派手なのは化粧だけではない。カラコンの瞳は明るい青緑ターコイズブルーで、赤茶色に染めた長い髪をゆったりと巻いている。


 比べて、詩津は容姿に一切手を加えておらず、肩におろしたやや淡黒の髪は手入れが少ないわりにサラサラで、瞳は髪よりも色素が少しだけ薄い。


 肌などは化粧など施さなくても十分輝く白い肌をしているので、同級生から密かに羨まれていた。


 ただ杜季は不自然なほど派手な容姿に反し、他人を従えさせるカリスマ性を備えている。


 二十歳とは思えない杜季ときの貫禄は、妹の詩津しづだけでなく、他人を屈させる力があった。


 詩津は家族だからこれでも扱いはマシなほうだ。詩津の話に聞く耳を持たないということはない。だがこれが他人になるとさらに厳しい。

 

 たとえば、杜季が高校生になったばかりの頃の話だ。

 

 服装など自由な校風であったもの、あまりにも派手すぎる杜季を見るに堪えかねた若い教員が、容姿改善を指摘したところ、しばらくして別の学校に移った。


 実家の不幸により田舎に帰らざるをえなくなった、という話だったが、詩津は杜季が〝何かした〟と睨んでいた。


 杜季ときの都合が悪くなると、必ず杜季ときにとって有益な方向に物事が動く。何も知らない周囲の人間は、強運の持ち主だと思うだろう。


 だが実際は杜季自身が何かを動かしているのだ。杜季がめまぐるしく電話をかけている姿を見ただけに、運が良いだけとは思えなかった。


 その表面上、お互いに何もなかったという形にもっていくやり方で他人に攻撃する杜季は、大人よりも大人だった。


 ただ何もしなければ杜季という人間がそれほど害をもたらすことはない。成績も優秀で学校をサボるような真似もしない、意外なほど品行方正な生徒だ。


 ……そう、喧嘩さえ売られなければ。


 否、他人ならば喧嘩を売ることすらも許さないのだろう。


 だが関わりを持たないわけにはいかない、という点でいえば、身内のほうが困ることもある。その点でいうと、他人のほうがはるかに楽だろう。


 要は当たり障りのない関係性さえ築けば、害をまともに食らうこともない。


 もしくは極端な話だが、杜季の危険を回避するため、媚びへつらうとしても、学校内の、しかも授業外の時間だけで済む話だ。


 だが身内は違う。ほぼ毎日顔を合わせなければならない上に、死活問題も入ってくる。


 冷蔵庫のおやつでさえままならない生活をなんとかするためには、杜季を恐がってばかりではいられない。


 攻撃してくる他人に容赦ない杜季は詩津に対して別の意味で日常的に容赦しないのだから。


 杜季は妹というものを自分の所有物か何かだと勘違いしているのかもしれない。


 さすがに大学生にもなって年下の妹をいじめるなんてやめてほしい、と切に願いながら――不満を態度で示さなければ状況は変わらないだけに、詩津は怯えながらも簡単には退かなかった。


「そ、そういうのは、食べた人が補充するもんでしょ……?」


 語尾がやや弱いもの、本心を言えた自分を詩津は密かに褒め称える。杜季の友人が聞いていれば、卒倒するに違いない。


「はぁあ? なにそれ、意味わかんないけどぉ」


 だが詩津の頑張りも虚しく、女王然とソファで足を組む杜季は、耳に小指をさしながら鼻にかかった声でわざとらしく返答し、テレビに再びパンダ目を向けた。


 詩津の忍耐という文字に亀裂が走る。


「杜季ねぇの方が意味わかんないわよ! 本当は優秀なくせに、なんでいつも馬鹿っぽく振る舞うのよ!」


 全く相手にされない詩津は、相手があの杜季にも関わらず怒声を放っていた。湧きあがる堪えようのない怒りによって、相手が猛獣だということを失念させた。


 しかも素行が良すぎるせいか、ちっとも迫力のない詩津が怒ったところで、杜季が反省するはずもなく、今度は子供に言い聞かせるように反論を始めた。


「……じゃあ言いますけどねぇ。あたしはあんたと違って、家事全般、ほとんどやってんのよ。働かざる者食うべからずって言葉知ってる? 同じ被扶養者ひふようしゃでもね、あんたとあたしでは次元が違うのよ。学業と部活に専念して十代を普通にエンジョイしてるあんたとは、ち・が・う・の」


「……あたしだって当番はこなしてるでしょ! それに十代は学業が本分だし……」


「あたしは両方こなしてんのよ。悔しかったら早く自立すれば?」


 賀川家は両親が共働きでしかも出張が多いため、生活をまわしているのは三姉妹だ。


 その中でも詩津はあまり器用なほうではなく、何をするにも時間がかかるため、要領の良い上の姉二人がほとんどの家事を仕切っているのは事実だった。


 そんなわけで実際のところ、杜季の世話になっているだけに、言い分を覆せない上、かといって怒りを収めることもできないまま詩津が閉口していると……。


「まあ、いいわ――――今回だけだからね?」


 普段なら、さらに耳が辛くなるような厭味で詩津を叩きのめす女王様が、今回に限ってなぜかあっさりと態度を軟化させた。


 ただ、パンダの目は笑うと毛虫のような形になるので、見た目はとても化物じみて恐い。なにより、杜季の笑顔の裏にあるものを考えると詩津は鳥肌が立った。


 鼻歌まで歌いはじめた杜季に、詩津が緊張と不安を募らせ、立ちつくしていると――そのうち杜季はソファから立ちあがり、軽い足取りでキッチンに入ったかと思えば、すぐに戻ってきては、詩津の胸にカップアイスを押しつけた。


 しかもいつもなら(杜季に)食べさせてもらえない三百円前後のハイブランドアイスで、詩津の好きなチョコチップ味だ。


「変わりにこれあげるから、今日は許してね」 


 杜季は手下かれしにおねだりする時にしか使わないような甘ったるい声で小首を傾げた。


 あまりの異様さに詩津はぞっとした。ホラーメイクで笑いかけられるのも恐いが、わざとらしいヨイショはもっと恐ろしい。


 杜季がアイスを持ってきた意味を考えると、安易にそれを受け取ることはできなかった。


 きっと言葉の暴力よりもはるかに耐えかねる何かが待っているに違いない。アイス一つで百倍の何かを押しつけるつもりなのだろう。


 杜季は損得でしか動かない人間なのだから。


 詩津は罠に落とされないため姉の疑わしげな好意を回避しようと慎重に言葉を選ぶ。


「あ……ありがたいけど……あたし、今はいいんだ……うん、ごめん、ありがとう杜季ねぇ」


「――なんで?」


 詩津がアイスを丁重に断わると、杜季の赤い爪がミシッと音を立ててアイスカップに食い込んだ。


 シャワーを浴びた後だというのに、詩津のパジャマの背が運動後のように汗で滴っている。


 頭からは血の気が引いていた。姉の黒い気迫を間近に、さきほどまでの勢いはどこへやら。


 詩津は咳払いをし、窺うように杜季ではなくアイスを見つめた。


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