【短編】今を生きる

ずんだらもち子

【短編】今を生きる

 川瀬は久々の休日だからと、気分転換に散歩に出た。外は猛暑の昼日中だが、9月がまだ暑いと驚く様にいうアナウンサーにいら立ちを覚えながら。

 だが当てはない。不意に訪れても嫌な顔をしない友人もいなければ、恋人もいない。

 気分転換などは、無意識下において自分の行動に意義を見出す為だけの言葉だった。

 人が賑わう場所に向かえば何かが起きるのではないかという何の確証もない賭けに出たが、案の定何事も起きない。

 コンクリートジャングルを歩き続ける体力がなくなっていることに男として情けなくなりながらも、できるだけ日陰を求めて歩いた。

 次第に寂れていく町並み。華やいだ出逢いを期待すらできない。

 そんな折だった。商店なのか家屋なのか曖昧な古い建物の中から出てきたスーツ姿の、自分と同じくらいの年の青年が、万札を広げて数えながら出てきたのを見つけたのは。

 怪しい賭場だろうか――。青年は川瀬と目を合わせると、途端に俯き、慌てて金を懐に隠して、反対方向へと走って逃げていった。

 看板の類はないが、一等興味をくすぐられ、前を通る時に覗くだけなら――と、歩みを徐々に緩め、店らしい硝子戸の前を通る。

 昔ながらの商店――川瀬は祖父の家の近くにあった駄菓子屋の情景を浮かべた。

 ショウケースの上に、顔を載せていたのは駄菓子屋では老婆だったが、ここでは違った。

 黒いセミロングの似合う、美人だがどこか薄幸でうすら寒さを感じさせる、恐らく女性だった。

 目が合うとそっと会釈をしてくれたことが、川瀬の緊張を1割だけ解く。

「あの……ここってお店、ですかね? へへ」

 照れ隠しに誘い笑いをしてしまう。店員は誘いに乗ったようにくすりと笑った。

「珍しいですね。このお店が何か知らずにたどり着く人がいたなんて」

 鈴のような澄んだ声で放たれた不思議な言葉に、つい足を踏み入れていた。日の当たらない薄暗い店の中、空気はひんやりと、それでいて病院のように衛生的な無臭だった。賭博の要素はまるでない。

 ショーケースは十分横幅もあるもので、3段の高さがあったが、中には腕時計が3本並ぶだけだった。

「時計屋……?」

 見たことあるようでないような、でも川瀬は時計には詳しくないので、何とも言えない。

「あなたも、時を売りますか?」

「え? トキを売る?」

 一瞬何のことかわからなかったが、先ほど万札を広げた青年を思い出し、売るという言葉の意味は理解できた。

「トキって……時、時間のこと? 鳥じゃなくて」

 返事代わりに女は微笑む。三十路前の川瀬よりかなり若い印象なのは、女の線が細い為か、妖しさからか。

「1時間千円で買い取ります」

「せ、千円? バイトの時給より低いんじゃないの?」

「時間の価値は一概に決まりませんので。高いと思うか低いと思うか、いえ……高くするのか低くするのか、それも人の想いだけ」

 川瀬にはその理屈が耳に痛かった。

「でもじゃあ……」

 さっき札束にしていた奴は、仮に10万円とすれば、100時間売ったのか!?

 呆れてぽかんと口を開けたのは一瞬だった。すぐに考え直す。

 一日単位で考えれば四日と4時間、人生の長い時間のうち、それだけを売って10万円を得られるのなら……悪い話ではないのか?

 いやでも、四日でも貴重か? いや、それこそ人それぞれだし、今この若い時代の四日と、ジジイになってから死ぬ前の四日だと価値は違うのか……?

 逡巡し、何も言わなくなった川瀬に、女は淡々と告げる。

「それとも、時をお買いになりますか?」

「時を買う? え、それって売られた時を買うってこと?」

 女はまた微笑むだけだった。

 時の売り買いをする店? いや待て、そんなこと現実にあり得ないだろ。

 もしかして俺は、暑さにやられて、幻覚を見ているのかもしれない。

「1時間千円です」

 ほらみろ、売値と買値が同じって、この女に何の得もないじゃないか。

「ふっ」

 川瀬は鼻で笑った。

「いいよ、買ってやるよ」

 どうせ幻覚だ。それに金はある。いや別に金持ちなわけではない。使わないから貯まってるだけだ。働きづめで余暇に使う時間がなかっただけ……。なんだか虚しいなぁ。

「では何時間ほど?」

「さっきのやつは100時間くらいか? それと同じでいいぜ」

「かしこまりました」

 女はショーケースの内側から並ぶ時計の右端のものを取り出し、黙って差し出してきた。

 安っぽくはない皮性のベルト、ムーブメントが透けて見えるのは小洒落ていて悪くない。

 何より特徴的なのは文字盤が「1~13」まで刻まれていることと秒針は見当たらないことだった。

「1日につき、2時間、増えます」

「そんな小刻みなの?」

 なんだか想像していたことと違い、落胆の息を漏らしてしまう。

「突然自分だけ時間が膨大に膨れ上がると心身に影響を及ぼしますので」

 薬の説明書きのような冷めた言葉だった。

「それが50日続きます。その時計は外さないでくださいね」

「外さなくていいの? 防水とか防圧とか大丈夫?」

「……」

 女は黙って川瀬を見返す。問答は無用、とにかく外すな、ということだ。

「13時間刻み……人より早く感じるようになるとか? でも1.1倍以下だから、体感時間は変わらなさそうだな――あっ」

 意気揚々とベルトを止めてから気づく。銀行にはあるが、手持ちに10万円はさすがになかったことに。

「ごめん、今お金ない」

「いいですよ。その時計を返しに来てくださった時で」



 それから、半日程度を過ごして感じたことは、確かにちょっと一日がゆっくりと過ぎていく……気がした。動画とかを見ているとなんとなくな違和感を感じる。

 携帯電話などの時計の表示とはリンクしていない。ただ、他の時計が1周するのに合わせてこの腕時計も1周するようだ。

 差を感じたのは月曜日になってからだった。朝起きて会社に行く。そして仕事する。

 目に見えての差はないのかもしれないが、自分のペースにゆとりはできた。局所的にはそうでなくても、大局的には余裕を持てる。デイリー業務だけで夕方を迎えていたはずなのに、今日はまだ定時より随分と早い。

 これなら!――と臨むと、やはり残業もいつもより早く片付けることができた。スーパーで見切り品を買うこともできた。いつもならもう見切り品は売り切れていたから。


 1日2時間余裕がある――そう思えばいいのか。そう考えると、千円は安いくらいだ。

 これなら、今まで失った物を取り返せる、人生の巻き返しができる!

 川瀬は、あーしようこーしよう、あーでもないこーでもない、と自分の人生に期待を膨らませてわくわくと子どもの様に興奮して寝付けなかったが、人より余裕があると思えば、焦ることもなかった。


 50日後――少し肌寒さが増し、早くもコートを着込む女性も街中で見かけるようになった頃、川瀬は必死の形相であの時計屋へと飛び込んだ。

「いらっしゃいませ」

 女は静かに出迎えた。だが、川瀬はその応対に相応しくない態度だった。

「なぁ! もう100時間売ってくれ!」

 財布から取り出した10万円を品性の欠片も無くショウケースの上にたたきつけた。

 女は薄笑いを崩さない。

「申し訳ございません。現在時間は品切れとなっております」

「そんなぁ」

 情けない声と共に膝から崩れ落ちる川瀬。「頼むよ。俺、今度こそはって、やっと決心して動き出した所なんだ。来月末には漫画賞の締め切りなんだ。それを受賞さえできれば、この日々同じことの繰り返しな退屈な人生を終わらせて夢に生きることができる――そのためにも時間が必要なんだよ!」

「……でしたら、あなたの時間を前借しますか?」

 水面に雫が落ちたように、女の言葉は川瀬の胸に染み入った。

「あなたの人生の終わりから少しだけ遡った時間をいただいてくるのです」

「そ、それって、寿命を縮めるようなものだよな?」

「さぁ、どうでしょう」

 女は初めて愉快そうに笑った。

「……うん、それでいいよ。もう、たかが四日くらい。いやそれなら倍貰おう。200時間だ! それだけあればっ」

「かしこまりました。ですが、その前に」

「え? 何?」

「担保として同じ時間をお預かりします。それを買い戻す時、また、借りた時間を埋め合わせる場合は5倍の値段で取引させていただきます」

「は!? そんな、それじゃあ俺は200時間買い戻すのに100万要るのか? 埋め合わせって、要するに他の人が売った時間を自分の物にするってことだろ? それも倍!?」

「はい。それがお嫌でしたら、どうぞお引き取りを」

 女は柔和な姿勢を崩さない。それが返って不気味な印象を与えてきた。

 自分自身への明らかな拒否反応を全身で感じる川瀬だったが、しかし、一度ゆとりを知った彼には、もう元通りの時の流れには身を任せることはできなかった。

「もういいよそれで。たかが一週間程度、どうでも。今が重要だよ! 俺は今を生きるんだ」

「かしこまりました。それともう一つ、」

 女は静かにショケースの上に紙を差し出した。「注意事項です」



 今度は時計を二本腕につけていた。周囲の目など気にしない。これからの季節、いくらでも袖でごまかせる。

 しかし、さすがに1.2倍近くになると、わかりやすくなるものだ。周囲が遅くなるようで、その実俺が早いのか。会話はじれったいな。

 目に見えての変化は、今の川瀬には十分すぎる満足感を与えるばかりだった。


 これなら、余裕だ。いける。丁寧に仕上げられる。一先ず、仕事の疲れもあるし、今日は寝よう。時間はあるんだ。寝ぼけ眼より、きちんんと整えて、明日は朝から一日、原稿に向かい続けるぞ。

 寿命が縮むと思った時は少し怖かったけど、人生、いつ何が起きるかわからない。元気な時に好きなことを思いっきりできる方がいいに決まってる。

 だけどこれ、風呂に入る時も、寝る時もつけとかないとダメなのがネックだ――。


 ふと盤面を覗いた川瀬は小さく息を飲んだ。何気なく眺めた時計の、盤面を保護する硝子面に、あの女の姿が見えた気がした。酷薄な冷笑を浮かべた、あの女の顔が。


 川瀬は渡された注意事項に目を通す。店先では、急いでいたせいもあって適当にあしらったが、改めて読むと一つ疑問が生じた。


 あの時は、そんな後のことなんて俺に関係ないって思ってたけど、今冷静に考えたら、俺が今回手にした時間は俺が死んだ後ってどうな――。

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【短編】今を生きる ずんだらもち子 @zundaramochi777

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