平和な時代に魔王はいらない?

しらたきこんにゃく

第1話

 一万年前、世界には《魔王》と呼ばれる存在がいたとされている。

 彼は悪虐の限りを尽くした。人類の文明を幾つも滅ぼし、世界樹を焼き払い、神を殺し、あまつさえ同族すらも手にかけたといわれている。

 しかし、彼は神と世界樹の祝福を受けた青年によって殺された。

 名をクリス。人類で唯一、《神々の魔法》を扱えた人間である。クリスと魔王による大陸の形すら変えた決戦は、《大勇者》クリスの勝利に終わったとされ、この話は英雄の物語として人類史に根強く語られている。

 クリスは、魔王を殺し平和を実現させた心優しき勇者であった。





 一万年前、魔王城の玉座の間にて。

 暗黒色の髪、深紅の瞳孔を持つ男――魔王アビスが、悠然と玉座に座り招かれざる客へ目線を配らせていた。

 見つめる先にいるのは、人間から勇者と持て囃されている男、クリス。

 真っ白の髪、天頂の空色をした瞳。握られている剣の切っ先は、一切の迷いなしにアビスへと向けられていた。


「出会って即戦闘か? 人間の勇者は血の気が多いな」

「黙れ! ここでお前を殺せば、この無意味な戦いも終わるんだ!」

「無意味な戦いか。人類からしてみれば、そうかもしれぬ」


 玉座から立ち上がり、階段を下りながらクリスへ魔王は言う。

 一閃でもすれば魔王の胴は割れる距離に、彼は無防備に近づいてくる。


「だが、我々からすれば有意義な戦いだ。邪魔な種を根絶やしにできる機会など、そうそうあるまい」


 挑発ともとれる言葉に、勇者は怒りを覚える。

 しかし、勇者の傍らにいる魔法使いが、彼を制す。


「……だが、俺は飽きた」

「――何?」

「飽きたといった。価値がなくなったのだ、この戦いに」


 魔王は手のひらに魔法式を描き、それを床に刻んだ。魔法式の明かりで、夜闇に包まれていた部屋が明るくなる。

 勇者とその仲間が身構える。それを魔王は手で制し、彼の目を見て言った。


「勇者クリス。お前の平和思想に、俺は乗ることにした」

「それは本当か? まさか僕らを騙そうとしているわけではないな」

「そのつもりはない。ただし、乗るのは一度きりだ。これでお前の言う平和が成立していなければ、俺は今度こそ世界を滅ぼす」


 そう言えば、床に刻んだ魔法陣が起動する。

 まばゆい光を放ちながら、魔王は勇者の傍らに佇む魔法使い、聖女へ目配せする。理解した彼女らは、魔法陣に魔力を込め始める。


「勇者クリス。あとは俺の心臓をその剣で貫け」

「わかった」


 胸の前で剣に祈り、そして助走をつけて魔王の胸を剣が貫く。

 血しぶきが床を染め、勇者も返り血を浴びる。

 

「世界を平和にしてみせろ。一万年後に答えを見せてもらう」

「あぁ。平和にして見せるよ、勇者の名に誓って」


 そう言い残すと、魔王の床に刻まれている魔法陣が起動する。


「《絶対神性隔絶結界グランゼロ・イデアロス》」


 魔法の発動とともに、魔王の身体は粒子となって天に昇る。

 勇者はひそかに手を胸に当て、その決意をより確固にしたのだった。





 一万年後、人類が平和を築いた時代。

 一人の男児が、ごく普通の家庭に生まれ落ちた。

 彼は泣くでもなく、怒るでもなく、開口一番こう言った。


「この時代は平和か?」

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