6-14
それから約2時間ほど。
虎太郎の部屋は数日ぶりに人の声が響く、明るい雰囲気となった。
「司令、料理うまーい!!」
「当然よ。何年独身……まぁいいわ。」
司が冷蔵庫にある食材で料理を作る。
「買ってきたぞー!面倒くせぇからケースで買ってきた。割り勘な。残すなよ?」
「ついでにジュースも買ってきたよー!」
そして、辰川と悠真は飲み物の買い出し。
「明日は燃えるごみの日……だよね?帰るときにまとめて捨てていくから、ごみ袋、ここに置かせてね?あと洗濯物は物干しに干せる分だけ洗って干してあるから。」
志乃は荒れ放題だった部屋を掃除し、散らかった洗い物を出来る範囲で洗濯機にかけていた。
「みんな、こんな遅くにそこまで……」
それぞれ手際の良い行動に、虎太郎が戸惑う。
自分の部屋なのだから、少しくらい自分で何かしなければ……と立ち上がる虎太郎を、
「今さら立ち上がったってやること無いって。テレビ見よー!」
……と、あさみが制する。
北条は、冷蔵庫に残っていた缶ビールを出すと、
「グラス、借りるよー」
と食器棚からグラスを3つ出すと、虎太郎の前に3つ並べ、それぞれビールを注いでいく。
それを合図に、司の料理をあさみが運び、志乃がリビングの掃除を終えて手を洗い、辰川と悠真が買ってきた飲み物をテーブルに並べ始める。
「なんで……3つ?」
「1つは僕のぶん。1つは虎のぶん。そして、もう1つは……。」
メンバー達が皆、飲み物の入ったグラスを持つ。
「……奈美ちゃんのぶん。まだ、事件は終わってないんだよ。遺族にちゃんと報告して、そして被害者にもちゃんと逮捕したよ、仇は取ったよって報告をする。それが、僕流の解決の仕方なのさ。今回は、みんなにも付き合ってもらおうと思ってさ。連れてきちゃった。」
「北条さん……。」
「あ、間違えた……。奈美ちゃん、ビール飲めなかったよね。辰さん、頼んでおいたワインは?」
「あるぜ。取っておきの買ってきたぜ!……割り勘な。」
辰川が、お洒落なハーフボトルに入れられた赤ワインを北条に渡す。それと同時に志乃が食器棚からワイングラスを出す。
北条は手慣れた手付きでコルクを抜くと、静かにワインをグラスに注いだ。
「……これで、よしと。結局、奈美ちゃんはビール、飲めなかったなぁ……。」
いつか、一緒にビアガーデンに行こう。
そう、虎太郎と3人で約束したのが、つい最近のように感じる北条。
「奈美ちゃんとの約束は果たせなかったけど……オープンしたら虎を連れてくよ。良いよね?」
寂しそうな表情を、グラスの先の誰もいない空間に向けると、北条は静かに自分のグラスとワイングラスを合わせた……。
にぎやかな時間が流れていく。
しかし、虎太郎はその輪の中に入れずにいた。
婚約者を亡くしたというのに、自分だけ浮かれているわけにはいかない。
そう思っていた。
そして、特務課のメンバーもそれは分かっている。
婚約者を亡くした悲しみがいかほどのものか、それを察するからこそ、メンバーたちは無理に虎太郎を誘うような真似はしなかった。
「……じゃぁ、なんで来たんだろうね、僕たちは、そして彼らは……。」
ひとり、ベランダでグラスを煽る虎太郎の隣に、北条が並ぶ。
「ちょっとだけ、邪魔するよ。」
「…………。」
返事をしない虎太郎。
それでも構わず、北条は新しい缶ビールの栓を開けた。
「きっと、こう思ってるよね。まだ気持ちの整理がつかないんだ、放っておいてくれ……ってさ。」
「……。」
虎太郎は、答えない。
もし『そうだ』と答えてしまったら、大切な何かを失ってしまいそうな、そんな気がしたから。
「まぁ……僕もそう思うよ。奈美ちゃんは良い子だったし、殺されたのは本当に腹が立つ。犯人を殴ってやろうと何度思ったことか……。」
そんなに腕っぷしは強くないんだけどね、と両手をひらひらさせながら、北条が言う。
「でもね……最初に言ったけれど、事件はまだ解決していないんだ。奈美ちゃんの他の2人の遺族にもちゃんと報告しなければならないし、遺族の悲しみに寄り添わなければならない。犯人を逮捕したとしても、殺人事件の遺族の心の傷は、絶対にふさがることはないんだ。ずっと一緒に生きてきた、家族を喪うんだからね。」
深夜の風が、肌に突き刺さるようだ。
それでも、虎太郎も北条も部屋の中には入らなかった。
「俺……もう刑事は続けられねぇ。」
「そっか……。うん、まぁ、それも一つの選択肢だよ。君が本当に刑事を辞めたいと思うなら、僕は新しい生活を応援するよ。たまーには飲みに付き合ってよね。」
虎太郎の言葉を、北条は否定しない。
「復帰を望んできたんじゃないのか?」
「え?……そんなこと言ったっけ?」
「いや……言ってないけど……。」
虎太郎は、特務課のメンバーたちは自分を復帰するよう説得しに来たのだと思っていた。
奈美の変わり果てた姿を見た日から、今まで犯人逮捕に向けて努力していたわけではなく、出勤すらしていなかったのだから。
「半端な気持ちで復帰すれば、いつかきっと命を落とすことになる。それは我々も本意じゃぁない。中途半端な気持ちで復帰するなら、スパッと辞めて警察とは無縁の仕事に就けばいい。まだ若いんだし、転職先なんて山ほどあるさ。」
北条は、笑いながらそう言った。
「じゃぁ、何しに来たんだよ、ホントに……。」
虎太郎が、拍子抜けしたといった面持ちで北条を見る。
北条は、そんな虎太郎の表情を楽しむかのように笑う。
「僕はね、昔話をしに来たんだ。……そんなに昔の話じゃないんだけどね。」
そういうと、外の景色に視線を向ける。
「虎と奈美ちゃんの出会いって、派出所勤務時代だったんだって?」
「……あぁ。」
虎太郎と奈美は、虎太郎が都内の派出所に勤務しているときに出会った。
「対して大きな事件なんてない、あったとしても我々刑事に横取りされる。そんなつまらない派出所勤務の君に、奈美ちゃんは惚れたそうだよ。それで、勇気をもって話しかけたんだって。」
「あいつ、そんな話……いつ?」
「虎が酔っ払って僕よりも先に寝たとき。」
「う……。」
北条と虎太郎がバディを組んで、初めて虎太郎の部屋に遊びに行った日。
奈美は嫌な顔一つせずに北条を迎え入れ、北条に食事を振舞った。
そして、3人で晩酌し、虎太郎がいちばん先に眠った、その夜の話を北条は虎太郎にしている。
「普段はまるで素行の悪い人みたいに気だるそうで、口も悪いし乱暴そうだし、この人は本当に警察官かと思ったらしいよ。でもね……。」
この話をした時の、奈美の優しい表情が、北条の脳裏を過ぎった。
「小さな子が、50円玉を届けに来た時の虎を見て、奈美ちゃんは惚れたらしい。」
「……あぁ……。」
後にも先にも、虎太郎が小さな子供から50円玉を届けられたことは1度しかなかった。
「小さなこと、些細な事、自分に都合の悪いことは、すぐに目を背けられ、なかったことにされる。でもお前は、こんな硬化1枚でもちゃんと届けた。小さなことでも見逃さずに正しいことが出来るお前、すげぇぞ。……そう、小さい子に言う虎の笑顔を見て、あぁ、この人は本当に正義のために働いてるんだなぁって思ったそうだ。」
北条が、その時の話を懐かしむ。
そして、虎太郎はその当時のことを思い出していた。
「そうか……それで、あいつ……。」
その日の夕方、奈美が虎太郎の勤める派出所に来た。
『お巡りさん……眼鏡、この辺で失くしちゃったんですけど……。』
「……覚えてる?」
「あぁ。忘れもしねぇ。派出所の周辺、2時間も探したけど見つからなかった。」
その日、虎太郎と奈美は出会った。その時の話を、北条は聞いていた。
「……なかったんだって。」
「え?」
「最初から、眼鏡なんて、持ってなかったんだって。あれは、自分の連絡先を知ってもらい、虎太郎の名前を知る、口実だったらしいよ。」
「マジかよ……。」
そう、それは奈美の精一杯のアプローチだったのだ。
「……ってか、そんな話までしたのかよ……。」
「……これからバディになるんだって言ったら、僕には虎のこと、自分のことをたくさん知って欲しいってね。まぁ、何が言いたいのかというと……。」
北条は、残りのビールを一気に喉に流し込む。
「……奈美ちゃんがあの時君に見た『正義』って、何だったんだろうね……っていう、確認をしたかったのさ。奈美ちゃんを守るためのものじゃない、奈美ちゃんが惹かれた、虎の『正義』って何だったのかなって……それが僕も知りたくてさ。ちょっと話してみたくなっちゃった。」
虎太郎とバディを組んで、まだそれほど長い年月とは言えないが、北条も虎太郎の正義感には惹きつけられていた。
正義に対する情熱。
それを虎太郎からは感じていたのだ。他の刑事たちとは比べ物にならない熱量を。
「虎、奈美ちゃんは今回の事件で君が刑事を辞めること、本当に望んでいるかなぁ?」
「奈美が……?」
「うん。もし、刑事を辞めると奈美ちゃんが知ったら、なんて言ったかなぁ……。」
「……。」
そんな話を、奈美が殺される直前に虎太郎はしていた。
「あのとき……」
その時の話をしようと、虎太郎が口を開きかけた、その時……。
「さぁて、みんなそろそろ帰るよ~。明日も僕たちは仕事なんだからさ。」
北条はその言葉を遮るように虎太郎に背を向け、メンバーたちに声をかけた。
「お、おい……。」
北条の合図を待っていたかのように、メンバーたちが帰り支度をする。
「なぁ、まだ話は……。」
「いいんだよ。聞かない。」
拍子抜けした虎太郎。
北条は、笑みを浮かべたまま言う。
「この答えは、君の刑事としての答えそのもの。君の心に仕舞っておくべきものだ。それを聞くのは野暮ってものだよ。奈美ちゃんとの大切な思い出を、全部僕が知るわけにはいかないからね。バディとはいえ、君の全てを知るつもりはないよ、僕は。」
メンバーたちが次々と荷物をもって玄関に向かう。
「結局何しに来たのか……。簡単なことさ。僕たちはねぇ……」
そして、北条も靴を履き、ドアに手をかける。
「……ただ、君を心配しに来たんだ。」
それだけ言うと、北条はゆっくりとドアを閉めた。
虎太郎が、部屋に一人、残される。
「なんだよ、それ……。」
仲間たちの去った玄関をぼんやりと見つめながら、虎太郎は小さく呟いた。
静けさの戻った、ひとりの部屋。
だいぶ綺麗に片づけられた部屋の中央に戻った虎太郎は……
「奈美……俺は、どうしたらいい……?」
奈美との思い出を振り返りながら、自分に問う。
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