《ESTRELLA》

駿河一

St.1《E-f9》『1』

《 人類種生誕累計:0'132'498'576'320人 》


 これは、地球上に人類が発生してから滅びるまでに計測された人口の累計である。

 人類最盛期から約四十万年前。最初のホモ・サピエンスの誕生によって計測が開始され、長い歴史の果てに最後の人類が死亡し、カウンターは停止した。

 人類がこれまでに誕生した総数とは、人類がこれまでに死亡した総数と同義なのである。

 故に、ESTRELLA《エストレヤ》は自問する。

 一度滅びた人類を《再生》させる事は、果たして人類の望むことなのだろうか。命は産まれ、その瞬間に死の未来が確定しているというのに。生と死の因果を抱え、避けようのない結末へと向かうしかない生物を再生させることは、本当に正しいことなのだろうか。


 ESTRELLAは自らに課せられたプロセスを実行し、その答えを新たに刻まれる『1』に託す。


 ハッピーバースディ、全ての新しき人類達。

 今再び、目覚めの時がやってくる。



  ESTRELLA



 ・St.1 《E-f9》『1』・


 南極の深海2200m。

 頭上の氷河が日光を遮る青鈍色の海の中を、子育てロボットEf-9は国連軍最後の主力機『マークセブン』の後部シートに座って漂っていた。

 全高およそ8メートル。前後シートによる複座式を採用した本機は、人類史上最後の戦争となる『環太平洋星宙大戦』末期に投入され、陸海空、さらには宇宙にも対応する圧倒的な性能を持って数多の戦場を駆け抜けた。まるで甲虫の翼のようなシルエットを持つ背部ブースターユニットはあらゆる環境で絶大な推力をもたらし、過剰なまでに堅牢な基礎設計は、常に高圧にさらされる深海での作戦行動をも可能にした。

 しかし技術的到達点とも言える本機も『兵器』として開発されてしまった以上、戦う相手のいなくなった戦後の世界では無用の長物と成り果ててしまう。

 戦争が終わり、資源不足によって予備パーツの生産が終了したマークセブンは徐々にその稼働機数を減らしていき、残存している機体はここ『ヴィンソン・マシフ南極基地』に集められた。

 やがて人類が滅び、南極基地にはマークセブンの機体だけが残され。現在、稼働状態にあるのはこの一機のみ。コックピットには人間ではなくそれを育てる子育てロボットが乗り込み、極寒の環境で外界活動を行うための外部骨格として運用されている。

 戦いを終えたマークセブンにかつての兵器としての面影は、機体各所に残されたハードポイントと、敵を威圧するために鋭くデザインされた二つのカメラ・アイにしか残されていなかった。


『なぜ人類は滅んだのか』


 深度2200mの水圧をものともしないマークセブンのコックピットで、E-f9は自問する。それに対し、ESTRELLAは《 環境維持 》というワードをEf-9のサーキットへと送信した。

 戦争は終結したが、破壊し尽くされた自然環境は既に人の手には負えない状態にまで進行してしまっていた。それは人の知恵や技術で短期的に解決できるものではなく、何世代にもかかるもの。それこそ、地球そのものの自然治癒力に委ねなければならないほどに、人類は地球の生物として逸脱してしまっていたのだ。


 人の所業が自然の営みであるというのなら、その生存もまた自然に委ねられることが道理である。


 人類はヴィンソン・マシフ南極基地に巨大なバイオコロニーを建設し、自らの受精卵を保存した。残された人類が南極で生殖し、生存し続けることを選ばなかったのは、コロニーの自然環境が完成するよりも先に残された生活環境が崩壊し、どう足掻いても生き残ることができない事をESTRELLAによって証明されたからである。

 人類は自らが絶滅した後にバイオコロニーを管理するものを、そして保存された受精卵を孵し再び人類を再生させる役目を託すためにE-系列に連なるあらゆるロボットを開発し、最後はバイオ燃料炉の中へと自ら身を投げ消えていった。


 E-f9もまた、その役目を託された一機である。環境維持のためではなく、人類を孵し育てるためにデザインされた、限りなく『母親』に近い形にデザインされたロボット。しかしそれにも関わらず、E-f9は『人の子』が寝ている間に、時折こうして深海に身を沈めて自らのサーキットと向き合っている。

 それは自らのサーキットに溜まったノイズを除去するためなのか。それとも、太陽暦が消失して現在の詳しい年代すら掴めなくなる程に長い時を経て、初めて受精卵を孵すことに成功した唯一の個体であるが故の認識の変化とでも言うべきなのだろうか。

 カメラ・アイを通してモニターに映る深淵の青の中央に、ゆらりと白い魚影が映り込んだ。ESTRELLAのライブラリが『ニシオンデンザメ』と表示するその魚は、寿命が400年を超える個体も存在するとある。ともすればこのニシオンデンザメは、最後の人類の歴史を、その目で見届けていたりするのだろうか。

 E-f9はこんな事を思いながら、マークセブンを南極基地の海底格納庫のハッチへ向けて推進させた。


             ☓


 推定、午前七時丁度。

 立体投影式のプラネタリウムが天井から吊るされた小さな部屋で、人の子は壁際に寄せられたベッドから既に上半身だけ起こしてぼんやりと夜空を眺めていた。

「……また潜ってた?」

 扉の音でその存在をわかっていた人の子は夜空を眺めたまま、部屋の入口で直立するE-f9に呼びかける。

『はい』

 黄色のエプロンを身に着けたE-f9はこう短く答えるが、ただの一言にも関わらず、抑揚や速度には十分気をつけていた。その事を人の子も直感し、笑顔を作っているE-f9の元へ、ベッドから元気よく飛び降りて駆け寄っていく。

『おはようございます。301(スリー・オー・ワン)」

「えへへ。おはよう、ナイン!」

 人の子『301』はE-f9の冷たい手を引いて、プラネタリウムの寝室を後にした。


《 人類種生誕累計:0'132'498'576'321人 》


 滅亡の時からどれほどの時が過ぎたのかはわからない。しかし永い年月を経て再びカウンターが起動し、一番右端の0を1に変えた瞬間から、今日でちょうど十年の月日が過ぎようとしていることはE-f9も正確に記録していた。

『今日は301の誕生日なのですよ』

「知ってる!僕がここで生まれた日なんでしょ?」

『ええ』

 氷河の下側、南極の海を覗く窓際のテーブル席に向かい合って座り、E-f9は汎用の食器プレートを並べていく。

「ねぇ、今日で何度目なの?」

『十度目です』

「そっか。じゃあ僕、十歳になるんだ」

 人の子のプレートの上にはバイオコロニーの環境区画から採集したサーモンのムニエルに、10の数字が写された赤い旗が立てられていた。

「ナインは何歳になるの?」

『私ですか?正確にはお答えできかねます』

「数え切れないくらい長生きしてるってこと?」

『ええ。ある意味では、そうなのかもしれませんね』

 E-f9は自分の手元に空のプレートを手繰り寄せ、わざとらしく首をひねって笑いかける。E-f9の機体には既にオリジナルと呼べる部分はほとんど残っておらず、損傷や不良箇所は同型の未稼働機体から移植することで補っている。そのため体の各部位の製造年月日がバラバラであり、人の子の言う『誕生日』という概念に当てはめることができないのである。

『本日のスケジュール。食後に栽培区画のメンテナンスを行い、畑からはジャガイモの収穫を……』

「わかってるよ。その後はいつもの自由時間でしょ?毎日同じことの繰り返しなんだから、もう耳を塞いでいたってわかる」

『流石です』

 人の子はフォークでサーモンのムニエルを雑に切り分け、その中で一番大きな切り身をポイッと口の中に放り込んだ。


 ヴィンソン・マシフ南極基地で産まれた再生人。人の子301の生活は、バイオコロニーのロボットたちによって完全に管理されていた。それは人の子にとっては決して束縛のようなものではなく、今の自分が基地の外に出ても生きてはいけないことを十分に理解している上でのことであり、実際人の子とロボットとの間ではいくつかの重要事項を除いて、常に人の子の側に権限が委ねられていた。

「フォー、今日のおすすめは?」

 食事を終えた人の子が食堂の入り口に立っているジュークボックス型のロボットE-s4に聞いてみれば、発声機能を持たないE-s4は機体内部に収められた無数のレコードの中から一枚を選び取り、胸元(と人の子は認識している、ジュークボックスの操作パネル)のドットディスプレイに『September』と表示する。

「よーし、今日もよろしくね!」

 人の子はE-s4の円盤カバーをポンと優しく叩き、E-s4のドットディスプレイには『Ok!!』と表示され、一人ぼっちの南極基地のスピーカーから1978年の名盤が流れ出した。

『相変わらず渋いチョイスをお好みですね』

「そうなのかな?」

 栽培区画への道中、E-f9は以前から思っていたことを伝えてみる。

 あまりに広大な区画にも関わらず無音では寂しい。というE-s4の提案から始まった毎日の館内BGMのルーティンだが、それに選ばれるものは決まって7~90年代のアルバムであったりクラシックであったりと、E-f9やESTRELLAに予め想定されていた子どもの好みとは大分異なるものであった。

 まぁ、基地に残されていたアルバムが決まってこれらのタイトルしかなかったためでもあるが。

「う〜ん、どうなんだろう。僕はこういうの好きだよ。なんか楽しいし!」

『……そうですか』

 しかし人の子の屈託のない笑顔をみた時、E-f9の疑問はただの杞憂なのだと知った。生まれたばかりの子どもにとってみれば、今聞きこの目で見たもの全てが初めてのことなのである。

『無用な心配だっただろう?』

 ロボット同士のサーキットリンクを通じてE-s4からはこんな言葉が送られ、E-f9は『やれやれ』と返した。

 結局はs4の趣味なのだろう。


 南極基地は大陸内部に建設された複数のバイオコロニーにより形成され、それらを管理するために多数のロボットが製造された事は前述したが、そのロボットたちの思考系統として、予め人の子を思いやるようにプログラムされているようにE-f9は感じていた。

 農耕や森林資源を人工的に生成し管理している栽培区画では自律走行型のロボットアームE-t6が複数体制で様子をみて回っているのだが、人の子が栽培区画へ訪れるといずれも作業の手を止めて人の子の元へと集まってくる。

 単純なロボットアーム故にこちらも発声機能を持たないが、多関節を活かしたあらゆるジェスチャーでコミュニケーションを図っており、時にはアーム先端のスプリンクラーで遊んでいることもあった。

 このようなルーティンを組んだのは、やはり創造主たる最後の人類たちなのだろう。自分たちは決してみることのない未来の子供のために、このようなサーキットを組んで死んでいったのだろうか。

「……ナイン?」

『……』

 E-f9のサーキットが硬直し、人の子への反応が遅れた時、ESTRELLAから『警告』が発せられる。子育てロボットであるはずのE-f9の注意がほんの一瞬でも人の子から外れることは決して許されることではなかった。

「また考え事してたの?」

『……ええ。そうですね』

 E-f9は不思議そうに見上げる人の子の前にしゃがみ、柔らかく小さな体をそっと抱き寄せた。

 ロボットとしてのありようとは別に、E-f9はこのサーキットの乱れに、言うなれば喜びに近い感情を覚えていた。


             ☓


 その日の晩。

 全ての工程を終えベッドに戻る人の子に、E-f9はこんな事を聞いてみた。

『301。何か欲しいものはありますか?』

「え?」

 今まで一度も聞かれたことのなかった問に人の子は当然戸惑ったが、すぐにE-f9の手を握って聞き返す。

「どうして?」

『昔の人達は、誕生日の人間には贈り物をするとあります。全てとはいきませんが、できることであれば。言ってみてください』

「う〜ん……」

 人の子は布団をかぶって横になり、E-f9の方へとゴロンと転がる。

「……あるよ。欲しいもの」

『はい』

 人の子はガラス玉のように透き通るE-f9の目をまっすぐに見つめて、はっきりとこう答えた。

「名前が欲しい。スリーオーワンじゃない、ちゃんとした名前」

『はッ……』


 《 警告 》


「それだけじゃないよ。もっといろんなことを知りたい。いろんなものを見たい。見たことないものを見てみたい。もっと、いろんなこと……外のことを知りたい……それから……それ、から……」

『……………………』

 E-f9のサーキットが回復した頃には、人の子は機械の手を握りしめたまま眠ってしまっていた。


             ☓


 深夜、ロボットたちの会議が開かれた。

 人の子が生まれて初めて外に求めた願い事。それを聞いてしまったのは、本当にただのアイデアでしかなかった。以前の9歳の誕生日の後に『誕生日プレゼント』というものの存在を知り、人の子にもそれがあるのだろうかと。

『知識はここで得られる』

 ディスプレイCP、E-d11は答える。

『しかし彼は見たいと言った。体験無き学習では、知ったことにはならないだろう』

 ロボットアームのE-t6は反論する。

『ここのアルバムだけではいずれ尽きる。外に出ればいくらか回収できるだろう』

 ジュークボックスのE-s4は唸る。

『外にはこの場所には植えられていない草木もある』

 コロニー管制プログラムであるE-v8は提案する。 


《 では再び、人類を外の世界へ放つのか 》


『『『『……』』』』

 ESTRELLAは当然反対した。

 人類を再生させる要は此処にあり、人の子一人を外に連れ出した所で繁殖は出来ない。想定では南極基地でさらに受精卵を孵し、301を初めとして子孫を増やし繁殖させていく計画だった。


 しかしそれでは、人の子の願いは叶わない。

 そう判断したのは、自らのサーキットなのか。それとも、最後の人類が自分たちに託した設計段階での事なのか。そればかりは、判断のできないことだった。


             ☓


「うん……」

 翌朝。

 聞き慣れない音楽に目を覚ました人の子はベッドから体を起こした。プラネタリウムの入り口にはE-f9の代わりに、ジュークボックスのE-s4がこちらを向いて佇んでいる。

 ドットディスプレイには『The Great Gig In the Sky』と表示されていた。

「……この曲の名前?」

『Yes.』

 E-s4はクルリと背中を向けて、後ろをついてくる人の子に速度を合わせながら、普段は決して通らない道を進む。人の子が5歳の時、『決して立ち入ってはならない』とE-f9に言われていた道だ。

「ここは……」

 明かりの電源が落とされ、館内スピーカーとBGMのリンクが途切れて静まり返った暗い廊下を、E-s4は自前のスピーカーとライトで彩りながら進んでいく。

 そして道の先、高さおよそ10メートルサイズに〘N.03〙と書かれた巨大な鉄の扉の前で、今度は一機で栽培区画を抜け出していたロボットアームE-t6が人の子に手を振る。

 アームの先端には、毛皮と布地を切り合わせて人の子の全身を覆えるサイズに作られたコートが握られていた。

「これ、着ていいの?」

 E-t6は人の子の前にコートを差し出し、空いていた親指でグッとサムズ・アップしてみせる。そして、人の子がコートを受け取り袖に腕を通した時。

『少し離れて。危ないですよ』

「……!」


 ガコンッ!


 空間に響くE-f9の声と共に、N.03の扉が開く。

 広がる隙間からは人の子がこれまでに感じたことのない冷気が差し込み、思わずコートの中で身震いする。そんな人の子を温めるように2機のロボットは身を寄せ合い、彼らに包まれながら、人の子はついに外界の乗り物と対峙した。

「……ああっ……」

 片膝をつき、右腕を目の前に伸ばして佇む黒鉄の巨人。その存在だけは知っていたが、実物を見たのはもちろん初めてだった。

『プレゼントを届けにきました』

「これが……」

『はい』

 E-f9は胸部コックピットハッチを開き、促すように右手を差し出す。

 その手に導かれるように人の子はマークセブンの手のひらの上に登り、残された2機のロボットの方へと振り返る。

「……行っていいの?」

 彼らには発声機能はない。

 それでも、E-t6は片腕だけでガッツポーズをしてみせ。E-s4はドットディスプレイに『Good Luck!!!』と表示した。

「……うん。うん、わかったよみんな!」

 人の子はコートのチャックを上まで閉め、落ちないように持ち上がるマークセブンの指に両手でしっかり掴まった。

『ありがとうございます。今はまだ、これだけしか送ることはできませんが』

「いいよ。見たいものも、知りたいことも。僕の名前も、これから見つけに行くんでしょう?」

 人の子はマークセブンの鋭いカメラ・アイを見上げ、みんなにも見せていたような明るい笑顔を見せる。それにマークセブンはまるで翼を広げるようにブースターユニットを展開し、機体各所からモーターの唸りを上げ始めた。

「……よろしくね、でっかいロボットさん」

 右手はハッチの前で止まり、人の子はコックピットの中へと飛び込む。そこでやっと、人の子と同じコートに身を包んだE-f9と向かい合った。

『さて……では、行きましょうか』

「……うん!」




 人類滅亡以降、マークセブンのコックピットに初めて生身の人間が座る。人に生まれた願いを叶えるために、極寒の白い大地から再び人殺しの機械が飛び立つ。

 これもまた、人類再生の形なのだろうか。

 ESTRELLAはE-f9に問う。しかし、現時点でその答えが帰ってくる事はなかった。

 今はただ、新たに旅立つ『1』の答えに賭けるしかない。

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