エル・ドラド

雷田(らいた)

第1話

 「美しいものは、みんなどこか呪われている」というのがおじいの口ぐせだった。だとしたら、ペドロほど呪われた人間もいないだろう。俺は彼ほど美しい人を見たことがない。

 初めてペドロに会ったのは、彼がカリブーの毛皮を買いに来たときだ。この北の果てで黄金を見つけたというニュースがアメリカ中を駆け巡った一八九七年の夏からというもの、チーチャコス(足のやわらかなやつ)が我先にとこの土地に押し寄せた。誰も彼もが黄金熱に浮かされ、一攫千金を夢見ていた。ペドロもその一人だった。俺はあいつらスタンピーダーにはウンザリしていた。俺たちが眠り、食べ、狩っていたところにやって来て、そこら中を踏み荒らし、たちまち我が物顔で占領してしまったからだ。かくして、この土地に酒場と詐欺と売春と宣教師がもたらされた。アーメン。しかし、見境なく奪ってしまうあいつらにも太刀打ちできないものがある。それは寒さだ。根っからの寒がりの俺には、なぜ奴らがわざわざ寒い方へとやって来るのか分からなかった。ユーコンの冬山のことなど何も知らないあいつらは、俺たちをガイドや荷物引きとして雇いたがった。狩猟か漁が中心だった俺たちの生活も、黄金を求めてやって来たやつらに振り回された。仲間の中にはその役目を引き受けるやつもいたけれど、俺とおじいは、今までどおり貿易商に毛皮を売る以外のことはしなかった。とはいっても、毛皮を必要とする人間が次々にやって来たので、俺たちの商売も以前とは比べものにならない。あいつらはこの土地に相応しくない格好でやって来ては、寒さに耐えられずに死に、あるいは愚かさで死に、あるいは自然に飲み込まれて死ぬ。死ぬ前に口汚く呪いを撒き散らす。あまりに簡単に死ぬので、俺には新しくやってきたやつは、半分死んでいるように見えた。

 ペドロは他のやつらとは違った。一目見てそれが分かった。彼の肌は太陽の記憶を宿している。彼がどこから来たのかは知らないけれど、きっとあの黄金の光の恵みを受けて育ったのだろう。俺はすぐに彼を好きになった。彼を好きになるのは難しくない。有体に言えば、ペドロはハンサムな男だった。力強い鼻の下の整えられた口髭や、自信ありげに笑っているときでも寂しげな茶色い瞳が、女たちにため息を吐かせるような男だ。髪は柔らかくうねっていて、すらりと背が高かった。彼は、俺とおじいが小屋の外でそりに品物を詰め込んでいるのを見て、ゆっくりと近づいてきた。

「カリブーの毛皮の服を売ってくれないか。ここは寒くて敵わん」

 彼の声は深い山の轟きのようで、ふつうに話していても木霊しているように聞こえた。英語には訛りがあり、少なくともアメリカ人ではないことが分かった。俺は彼の、モカシンシューズに包まれた足を見た。人がどこからやって来たのを知りたければ、足を見ることだ。その靴は明らかに不似合いで、彼が場違いだということをよく示していた。しかしそれは、他の多くの探鉱者のような滑稽な場違いではなく、奇妙で魔術的な場違いだった。ピンク色のヤナギランの花が突然、雪の上に咲いたように思えた。彼はあまりにも南の人間に見えたので、この凍った土地に耐える力があるようには見えなかった。しかしそれでも、ドーソンまではやって来たのだ。アメリカ人たちが語っているところによれば、ここまでやって来るのも一苦労だという。あるルートでは、険しい山の斜面を、人が鎖のように連なって登るんだそうだ。あるいは、別の白い道の途中には、多くの道を踏み外した馬が死んでいるらしい。そうして、手作りの粗末なイカダでユーコンの荒波を超えた者だけが、この街にやって来る。

「あんた、初めて見る顔だね」

 そうは言ったものの、ここでは初めて見る顔ばかりだ。毎日、何百人と新しい人間が入ってくるのだから。だが、俺は彼のような人を見たことがなかった。彼は俺たちとも、白人たちとも違った。彼は下まぶたを優しく細めて、なめらかな声で答えた。自分の魅力をよく知っている人間がする、落ち着いた話し方だった。

「ついこの間着いたばかりだ。この辺りには不慣れでね。ガイドをしてくれると助かるんだが」

 俺は首を横に振った。

「おじいはガイドはしないよ」

 それはおじいの矜持らしかった。俺もそれに反対したことはない。しかし、俺はもう彼のことを好ましく思っていたので、この男がみすみす死んでいくのは惜しいと思った。ここでは死はあらゆるところにいて、思い上がった冒険家たちのことを手ぐすねひいて待っている。この男は明らかに、死の誘惑に弱そうに見えた。

「俺がやろうか」

「お前が?」

 彼は訝しげに俺を見た。俺は確かにまだ子どもだけど、もうすぐ十四になる。背だってずいぶん伸びたし、じゅうぶん役に立てるはずだ。だが、おじいは俺に向かって「お前は不注意だから駄目だ」と言うと、小屋の中へ入っていった。ちぇっ。おじいは英語を話さないが、何を言っているかは分かるらしい。

「なんだって?」

 おじいの言葉が分からない彼は、困惑したように俺を見た。しかし、恐れを知らない冒険家らしく、口元には笑みを湛えたままだった。

「駄目だとさ」

 彼は肩を落としたが、俺がカリブーの皮で作った服を持ってくると表情を明るくした。男たちが狩ったカリブーの皮で、女たちが縫った服だ。本当は個人相手に商売はしないのだが、この男は例外にすることにした。

「立派なもんだな」

「あんたのその格好よりは、ずいぶんマシだよ」

 彼は冬山に似つかわしくない自分のシャツとジャケットを見て、恥ずかしそうに顔を赤らめた。彼も、自分が場違いであることはよく分かっているのだ。彼はジャケットのポケットから黄金の破片を取り出すと、俺に握らせた。

「あんた、名前は」

「ペドロ」

 ペドロ。俺は舌の中でその名前を転がした。知らない味がした。

「お前の名前は?」

「エドワード」

 ペドロはちょっと驚いたように俺を見ると、「また会おうな、エドゥアルド」と言って笑った。彼を穏やかに見せている垂れた目尻を、笑顔のしわがいっそう強調する。口元には、白い歯が少し見えた。それがあんまり美しかったので、俺はぼうっとしてしまって、自分の名前はもうエドゥアルドなんだと思った。ペドロが去ると、おじいは「お前は不注意だ」とブツブツ文句を言った。おじいの言う「不注意」は、「不道徳」とあまり変わらない。そして、不注意であることは死を意味する。

「なんだって、あいつに服を売ってやったんだ?」

「凍えて可哀想じゃないか。それに、ペドロは他の奴とは違うよ」

おじいは首を横に振った。おじいに言わせれば、ペドロも他の奴らと何も変わらないという。俺がペドロにのぼせているだけだと。俺は「美形に弱くて」、のぼせるとすぐ「不注意」になるという。その点については、身に覚えがあるので弁解のしようがなかった。「不注意」だと言って、おじいは事あるごとに俺を叱る。おじいは俺が犬を可愛がるのも気に入らなくて、そんなのは白人たちのすることだと顔をしかめた。いざというときには犬を殺して食わなければならないのだから、情を移してはいけないと言うのだ。すぐに死ぬ運命にあるものを愛しすぎるのは、良くないことだ。分かっていても俺には難しい。


 二度目にペドロが訪ねてきたとき、彼は上等な頬当てを求めていた。ここ最近の冷え込みはひどく、慣れていない人間がむやみに出歩いて、凍傷で顔を失うことも珍しくなかった。気温が下がると、人間の方もますます余裕がなくなる。凍傷、壊血病、強欲、疑心暗鬼が蔓延して、街はひどい有様だった。そこここで男たちが他人の肉を盗んだと言って縛り首にされたり、鞭打ちにされたりしていた。ペドロは少し疲れて見えた。南からきた人間が氷点下四十度の空気に晒され、何週間も太陽を拝むことができず、隙間風の入る粗末な宿屋で寝泊まりしたときの状態としては、もっともだった。

「今夜はひどい雪になるよ」

 俺が言うと、ペドロは顔をしかめた。

「あんたのくれた服は良く出来てるけど、それでも凍えそうだ。ここは辺り一面雪ばかりだし、昼間でも太陽がまるで見えやしない」

 ペドロが口元を掻くと、凍った髭から氷が落ちた。「寒すぎる」とペドロは繰り返した。大抵の奴らにとって、ここは寒すぎる。俺は生まれたときからここに住んでいるけれど、それでも寒さは大嫌いだった。ここでは寒さは快とか、不快とか、そういう物差しで語るものではない。それは危機であり、死であり、事実なのだ。寒さは人の動きを封じ、頭の中に入り込んでものを考えられなくする。足や手を腐らせ、肺を破裂させる。だから太陽が輝く夏が、俺は一番好きだ。夏には顔がなくなる心配をせずに、頬に風を感じることができる。一面の白以外の色が現れるし、狩りや漁をして食糧を貯めておくこともできる。

 俺たちは、いつも恋人を待つように太陽を待つ。少しでも太陽の気配を感じようと、常にあの熱を探している。今、太陽はほとんど姿を見せず、大気は白く曇っていた。どこもかしこも凍っている。川を下ることもできないので、探鉱者たちもこの街で足止めを食らっていた。

「俺の来たところじゃ、太陽はそれは力強く輝いてた。それなのにここの太陽ときたら、今にも死んでしまいそうだ」

 俺はペドロの言う、力強い太陽を想像した。きっと、ここの太陽よりもずっと輝いていて、もっと熱いのだろう。この街で、太陽にもっとも近いものがペドロだった。彼の体には太陽が記憶されていたからだ。俺がペドロを好きになるのは当然だ。それは、ここに住む者が太陽を好きになるのと同じように当然だった。俺はペドロの求めに応じて、持っている中で一番よくできた頬当てを売ってやった。彼の顔が隠れてしまうのは残念だったが、凍傷で無くなってしまうよりはマシだろう。

「今夜は泊っていきなよ。こんな丸太小屋でも、あんたの泊っているケチな宿屋より暖かいと思うよ」

 俺は言葉を切って、おじいの反応を待った。おじいは黙ったまま、タバコをふかしていた。何も言わないということは、反対ではないらしい。ペドロは「そりゃいい」と言って微笑んだ。口ひげには、まだ雪がついている。俺はペドロのための寝床を用意し、干したカリブーの肉を分けてやった。

「あんた、どこから来たの?」

  俺は毛布にくるまったまま尋ねた。外では風が唸っているのが聞こえた。これほどの吹雪は久しぶりだ。ペドロは暖炉の側から動かず、手袋を外して手をかざしていた。

「南の方から」

 ペドロがおかしそうに答える。

「ここからすりゃあ、どこだって南だよ」

 ここは北の果てだった。ここより北なんてない。あっても、誰も行きたいとは思わないだろう。(ただし、そこでも黄金が見つかれば行くのかもしれない)

「ここに来た、たいていの奴らより、もっと南の方さ。テネシーよりも、テキサスよりも南だ」

 俺はテネシーもテキサスも知らなかったが、きっと南国なのだろう。それよりも南がどんなふうなのか、俺には想像もつかない。「南」というのは、俺にとっては「温かさ」や「太陽」と同じだった。

「誰もがここをエル・ドラド(黄金郷)と呼ぶが」

 ペドロはタバコに火をつけた。おじいが吸う手作りのタバコとは違う、ここに来るやつらがみんな吸っているタバコだ。やつらはみんな同じようなタバコを吸い、同じような言葉を吐く。ペドロの顔の前で小さく火が灯り、ペドロの顔を照らしていた。

「俺の故郷は昔、黄金の国だった」

 ペドロがゆっくりと煙を吐く。煙は気まぐれに踊り、天井に吸い込まれていった。ペドロは子どもに寝物語を聞かせてやるように、彼の国の話を聞かせてくれた。かつて太陽の子が治めていた国の話を。

 その昔、太陽と月の神から、二人の子どもが生まれた。彼らは兄妹であり、夫婦だった。太陽の神は黄金でできた杖を子どもに授け、野蛮な人間たちを教え導くよう言い聞かせた。その杖が沈んだ場所が、人間を教え始める土地となると言った。夫婦が地上を歩き回っていると、あるところで本当に、黄金の杖が土に沈んでいった。そこで彼らは、人間たちに地を耕すことや、糸を織ることを教えた。それがペドロの生まれた土地だという。彼は黄金の沈んでいるところから来たのだ。

「そう。はじまりからずっと、俺の国は黄金の国だった。王は太陽の子だった。だが白人たちがやって来た。あいつらは呪いなんだ。王を殺し、俺たちの金を奪っていった。土産に置いて行ったのは伝染病さ。あいつらは俺たちの芸術を民芸品と呼び、溶かして金の延べ棒にしてしまった」

 なぜ誰もが黄金を欲しがるのか、俺には分からなかった。夏には、川底で砂金が光っているのを見ることはある。たしかに綺麗だし、俺はその光景が好きだ。けれど、命を賭けてまで取りに来るようなものとは思えなかった。それよりも、川で泳いでいる鮭を獲る方がずっと大事だ。

「黄金が欲しくないやつなんているか? 誰だって輝くものが欲しいはずだ。目もくらむほどの」

 俺はべつに欲しくない、と言うと、ペドロは黙って微笑んだ。彼の下まぶたの膨らみがタバコの火に照らされて、俺は顔が熱くなるのを感じた。

「あんたの国には、もう黄金はなくなってしまったの?」

 ペドロは故郷を思い浮かべているのだろう。どこか遠いところを見ているような目で、首を横に振った。

「そんなことはないさ。なんといったって、黄金の杖が沈んでいるんだから」

「だったら、なにもわざわざ、ここまで来て金を探すことはないのに」

「俺は白人みたいになりたかったんだ。わかるだろ? 白人のすることといえば、他人の土地に乗り込んで黄金を奪うことだ」

 俺には、ペドロが言っていることが冗談なのか分からなかった。白人たちのしたことを知っていながら、あいつらみたいになりたいなんて。しかし、ペドロは俺が彼の仲間だと信じているのだ。居心地が悪くて、この話はしたくなかった。

「あんた、一人なのか? 仲間は?」

「ここに来てすぐに死んだよ。俺も時間の問題かもな」

 一人では、黄金を見つけるのは望み薄だろう。シャベルや選鉱鍋で見つけられるような黄金は、もうほとんど獲られてしまったという話だ。今じゃ、大会社の採掘機がそこら中の土を掘り返して金を探している。

「誰か、別のやつの仲間には入れてもらえないのか?」

 最近になるまで、俺は世界にはこんなにも人が溢れているのだと知らなかった。人がこんなにありふれているのだったら、誰もが誰かの代わりになり得るだろう。

「どうかな。誰も俺となんて組みたがらない。俺は嫌われてるから」

 ペドロはやはり、口元に笑みを湛えたままだった。ペドロが嫌われるなんてことがあるのだろうか。俺だったら、毎日だってペドロと一緒に居たい。

「お前の方はどうなんだ。じいさんと二人で住んでるのか? 仲間はどうした?」

「白人たちが押し寄せたときに、みんなここから越していったよ。残ったのは俺たちくらい。他のみんなが作ったものを、俺たちがここで白人の会社に売るんだ。いわば、俺たちはミドル・マンってとこ」

「ミドル・マンね」

 ペドロは吸い終わったタバコを踏み潰すと、ポケットの中から小さな革袋を取り出した。手のひらの上に、そうっと袋の中身を零す。細かすぎる砂金がほんの少し、さらさらと彼の手の上に落ちた。

「君たちにとっちゃ、珍しくもないだろうな」

 そのとおりだった。けれど、ペドロの手の中にあると、不思議に魅力を放って見えた。俺はこのとき初めて、白人たちが金の中に見いだすものが分かった気がした。ペドロも俺と同じように、手の中の黄金をまじまじと眺めていた。彼の瞳の中に、無数の輝きが見えた。

「この鉱物が、呪いの元凶なんだ」

 ペドロは静かに言った。彼はほとんど暖炉に吸い込まれるように、身を乗り出していた。

「あんた、そんなに火に近づいたら燃えちまうよ」

「凍るよりは燃えた方がマシさ」

 ペドロは平然と答えた。俺もときどき、そう思うことがある。こんな晩は特にだ。ペドロの手の中の砂金は、暖炉の火を受けてキラキラ輝いていた。熱と光が交わり、彼の手の中に太陽があった。こんなに美しいものが呪われているなんて、信じられない。


 三度目にやって来たとき、ペドロはこの前の宿の礼に、俺をサルーン(酒場)に連れて行くと言った。たぶんすでに酔っていたんだろう。頬当てをしていたのでよく分からなかった。サルーンは、黄金熱とともにこの土地に持ち込まれた悪徳の一つだった。仲間の中でも、俺より年上の男たちはギャンブルと酒に熱中した。もっとも、おじいはそういう不道徳な愉しみを嫌っていた。

「冬じゅう小屋にこもってたんじゃ、頭がおかしくなる。お前もたまには外に出なくちゃ」

 ペドロはおそらく自分に言い聞かせていたのだろう。冬の間はできることなど無いに等しい。雪と氷に閉じ込められ、黄金の夢を見ながら正気を失う奴は珍しくなかった。

「サルーンには何だってある。酒もケンカも女も。今じゃ、この街には大勢女たちがいるんだ。誰かが小さな足を温めてくれるのを待ってる女がさ」

 サルーンにはたいして興味はなかったけれど、ペドロと出かけられるのは嬉しかった。俺はおじいにペドロに犬ぞりの犬を見繕ってやってくると嘘をついて、なんとか小屋を抜け出した。

 おじいに嘘を吐いていることも、初めて酒を飲むことも、ペドロと出かけることも、何もかもが信じられない。そうしてやって来たサルーンは、想像したよりもずっと不道徳な場所だった。ダンスホールが併設されているのは知っていたけれど、俺は完全に圧倒されてしまった。足を踏みならす音、笑い声、グラスがぶつかり、割れ、ひどい臭いがそこらじゅうに漂っている。足を踏み入れた瞬間、後悔したほどだ。ペドロに腕を引っ張られていなかったら、回れ右して帰っていただろう。そこは一年前までここにはいなかった人間たちで溢れていた。俺は知っている顔を探したが、人が絶えず行き来しているので容易ではなかった。同じ場所から動いていないのは、酒場中に響く陽気な音を奏でているピアノ・マンだけだ。喧騒と熱狂の中に居ると、自分がひどく場違いで、小さく感じた。自分が恥じる側になるとは思わなかった。

 俺とペドロはカウンターに並んだ。ペドロは慣れた様子でウイスキーを頼むと、俺に「おごりだ」と言ってウインクした。下手くそなウインクだったが、俺はすっかりのぼせてしまった。それくらい、すっかりペドロに夢中だったのだ。少しの間、目の前の冷たいグラスを睨んだ後、俺は覚悟を決めた。が、一口飲んで後悔した。胸がカッと熱くなって、俺は重らず咳き込んだ。こんな不味いものを、どいつもこいつもよく好き好んで飲むもんだ。においはキツすぎるし、舌がヒリヒリする。しかし、少しずつ飲んでいるうちに、酒の良さというものが分かってきた。つまり、酒は体を温めるのだ。なるほど、大人たちが酒を好むわけだ。体を温めるというのは、何にも増して幸福なことだ。それができるのは太陽か火だけだった。思ったほど酒は嫌いじゃなかったけれど、人があんまり多すぎるのと、うるさいのには我慢ならなかった。派手な衣装を身につけた踊り子たちはペドロのことが好きらしくて、そばに寄ってきては彼の肩や顎に触った。俺には分からないジョークを言い、みんなケラケラと笑った。

「この子の相手をしてやってくれないか?」

 ペドロは踊り子に俺を売り込もうとしているらしかった。

「馬鹿言わないで。まだ子どもじゃない」

 一人の踊り子が鼻にシワをよせて笑った。黒い髪が肩にかかる様が優美で、美人だった。俺はペドロの陰に隠れようとして、じっと黙っていた。べつに女のことなんてどうでも良かった。ここに来たのは、ペドロと一緒に居たかっただけだ。俺はペドロを見ると、黙って首を横に振った。

 女たちが行ってしまうと、ペドロを呼ぶ声があった。良く通る大きな声で、酒場の人混みの向こうから聞こえた。顔を上げたペドロが、声の方を見て「ビル」と言った。ビルは細身だが筋肉のついた白人で、まだ若いだろうに禿げ頭だった。器用に人混みをかき分けてペドロの隣にやって来ると、体がくっつくほど近くで酒を飲み始めた。俺は黙って、二人の話を聞いていた。どうやら二人は、ユーコン川をいかだで下るときに乗り合わせた仲らしい。ペドロは自分は嫌われていると言っていたが、とてもそうは思えなかった。さっきの踊り子たちと同じように、ビルもペドロに構いたくて仕方ないという様子だった。

「何か面白い話あるか?」

 ペドロが尋ねると、ビルは顎を撫でた。

「そうだな。オオカミの話を聞いたか? どうも、街のすぐ近くまで来るのがいるらしい。それも、とんでもなく大きくて、人を食うって話だ」

 ビルはペドロを怖がらせようとしているのか、もったいぶって話した。馬鹿馬鹿しい。ここじゃしょっちゅう、人が消えたり死んだりしているのだ。それをオオカミの仕業にするなんて、人間に都合が良すぎる。自分たちの愚かさで死ぬのだと認められないから、動物を悪者に仕立て上げるのだ。

「噂じゃ、スティーブンがそのフードゥー(悪運)にやられちまったって話だ。ここは呪われてるよ」

 俺はビルのはげ頭を眺めた。この寒さでは、髪が無いというのは辛いだろう。だが、ビルに同情する気は起きなかった。

「勝手に呪うな。お前らが呪いを持ってきたんだ」

 ビルは驚いたように俺を見た。今はじめて、俺の存在に気がついたのだろう。

「だとさ。エドゥアルドの言うとおりだ」

 ペドロはからからと笑った。俺は赤面した。ペドロが俺の名前を呼ぶと——たとえそれが風変わりな発音であっても——俺はいつだって夢見心地になった。ビルはペドロの言葉には応えなかった。代わりに声を低くして、ぐっとペドロに近づいた。

「今夜は俺の小屋に泊ったらどうだ?」

 ビルはそう言って、ペドロの腕を掴んだ。俺はビルが嫌いだ。

そのとき、大きな歓声を上げて舞台に踊り子たちが飛び出した。陽気な音楽に合わせて、女たちがスカートをまくって足を大きく上げる。そのたびに、男たちが大きく歓声を上げてテーブルを叩いた。ピアノ・マンは先ほどまでよりも大きく腕を売り上げて、めいいっぱい鍵盤を叩く。鮮やかなドレスの色は目に痛くて、音楽は耳から脳髄を揺さぶった。ビルがまだペドロに何か言っている気がするけれど、だんだん耳が聞こえなくなってきた。視界の色が滲み、俺は世界が回っていることに気がついた。酒瓶の冷たさと、アルコールのにおいと、ドレスのまぶしさと、全てが激しい円を描き、俺の頭をノックアウトする。店から出なくちゃ。歩こうとした瞬間、足がもつれて俺は倒れ込んだ。

 胸が不快に渦巻いて、俺は何度も吐いた。ペドロが俺を、店の外までひきずり出したらしい。俺の吐いたゲロの下で雪が溶けていて、なんだか笑えた。酒は最悪だ。こんなものを飲むヤツはクソだ。これが体を温める代償ってわけか。店を出て、どれほど経ったのか分からない。耳は遠くなったままで、まだ目もかすんでいた。ペドロは俺の背中をさすって、「悪かったな」と囁いた。ペドロが俺に触れてくれるのが嬉しかった。こんなにめちゃくちゃなのに、そんなことばかり考えている。やはり俺は不注意だ。

 ペドロは俺を小屋に送り届けると、ビルと一緒に行ってしまった。俺はおじいの非難の視線に迎えられ、何も言わずに寝床に転がった。「ひどい臭いだ」とおじいが小言を言っているのが聞こえたが、無視して眠ったフリをした。今ごろ、ビルがペドロの足を温めているのかと思うとますます吐き気がした。

 汗が冷えてくると、体から熱が奪われて、急速に悲しくなった。惨めな気持ちを慰めようと、俺は太陽のことを考えた。太陽の、熱と光を思い出そうとした。いつも太陽に焦がれているので、俺のまぶたの裏はすぐ太陽を写すことができた。夏に日の光に手をかざすと血管が見えて、ドクドクと脈打つ音が聞こえる気がする。太陽は光を放ち、地上に黄金を降らせる。金の光が滴のように降り、土の中に黄金を沈める。太陽はずっと高いところにあるから、俺の住むところにも、ペドロの故郷にも金を降らせることができる。俺の住む雪の中に、ペドロの住んでいた街に、太陽のしずくが落ちて黄金ができる。きっと、ペドロもそんなふうに、太陽から生まれたに違いない。だって、彼は黄金の国から来たんだから。ペドロは黄金の男だった。光り輝いていて、美しかった。俺は黄金の光に包まれるところを想像しながら、眠りに落ちた。


 ペドロの死体が見つかったとき、街はちょっとした騒ぎになった。ここでは誰かが死ぬのは珍しくなかったが、ペドロの死に方は変わっていた。真っ裸だったのだ。脚は膝から下がなかった。それに、ペドロの美しい茶色の目がつぶれていたので悲しかった。ペドロの目があったところは空洞だった。「例のオオカミ」に食い殺されたのだと、みんなが言った。なぜペドロが森に一人でいたのかは分からない。ペドロは太陽だったが、この土地では太陽は長く生きられないのだ。

 引き取り手がいなかったので、ペドロの死体は俺がもらい受けることにした。誰も文句は言わなかった。ペドロの国が死人をどんなふうに弔うのか知らないが、俺はペドロを焼いてやろうと思った。どちみち、土は凍っていて死体を埋められない。ペドロはいつも寒がっていたから、焼いてやったら少しは慰めになるだろう。ペドロは背の高い男だったが、足がなくなっていたので移動させるのはそれほど難しくなかった。俺は犬ぞりにペドロを引かせ、火葬できる場所を探した。

 方々探し回って、ようやくうち捨てられた小屋を見つけた。小屋のかまどで火を熾し、石炭や、はがした小屋の床板をくべた。ペドロをかまどの中に入れてやろうとすると、あまりに固くて驚いた。芯まで凍ってしまっているのだ。俺は何とかペドロを押し込めてかまどの扉を閉め、小屋の外へ出た。

 外は静かだった。大気はどこまでも白く、冷気で俺を押しつぶそうとした。太陽の姿を探したが、どこにも見つからなかった。ペドロが焼けていくのを待ちながら、俺は煙が上る様をぼんやり眺めた。俺は煙が好きだった。たとえ焼き尽くされたっていいくらい、炎が好きだった。寒さを和らげてくれるものはなんだって好きだ。酒だって——たぶんそのうち好きになれる気がする。空気に触れた顔が痛むのに耐えながら、俺は小屋の中に戻ろうか思案した。かまどの近くは温かいに違いない。だが、かまどの戸の中を想像するのが怖かった。

 死んだペドロの顔の、あの虚ろな空洞が俺を苛んでいた。オオカミが、人間の目を潰したりするだろうか。シャーマンは青い炎を燃やす花を使って人を殺せると聞いたことがあるが、こんな死に方は聞いたことがない。それに、ペドロがシャーマンの恨みを買うようなことは考えられなかった。街のやつらはペドロを嫌っていると言っていたから、誰かがペドロを殺したのかもしれない。ペドロが大事に抱えていた一握りの黄金が、不運を呼び寄せたのだろうか。だが、あれくらいのものを持っている奴は、そう珍しくなかった。

 ペドロを殺したのはオオカミだと、みんな信じたいのだろう。自分たちよりも獣の方が邪悪だと信じているのだから質が悪い。だが、たとえペドロが人間に殺されたのだとしても、犯人を見つけることはできそうもなかった。ここでは死はあまりにありふれていて、それを悲しむことはできても、一つひとつの真実を明らかにするような時間はないのだ。真っ赤な制服を着て威張り散らしている警察なんて、なんの役にも立たない。

 俺は太陽が沈みかけるまでたっぷり時間をかけ、完全にペドロが灰になるのを待った。ペドロの灰は、大部分は大地に撒いた。一部は布の小袋に入れて持ち帰った。ペドロが砂金を大事に抱えていたように、俺はペドロの灰を懐に入れた。

 ペドロを火葬したことは、おじいにだけ話した。遅かれ早かれ、あの男は死んでいただろう、とおじいは言った。壊血病になるか、溶けかけた川に落ちるかが関の山だったと。おじいが俺を慰めようとしているのかどうか、よく分からなかった。だが、おじいの言ったことはその通りだった。ペドロはここでは生きられるはずがなかった。あいつが生きてここまでたどり着いたのが奇跡だった。本当なら、俺と出会うこともなかったような男だ。ここに着いたとき、あいつはもう半分死んでいたのだ。

 俺はペドロの死んだ理由を探ろうと、ペドロのことを聞いてまわった。だが、ほとんどの奴らはペドロのことなんて知らないと言うし、サルーンの踊り子たちも黙って首を横に振った。ビルはもうどこにも居なかった。どこかの探鉱者と合流して移動したのかもしれないし、死んだのかもしれない。こんなに人が溢れていては、もう同じ人間に二度会うことは難しかった。ペドロの死は、驚くべき速さで忘れ去られていった。


 ある夜、夢を見た。夢の中で、おれは「例のオオカミ」になっている。俺の体は並のオオカミより一回りは大きく、毛は雪のように白い。俺は森の中を一人で彷徨うペドロを見つけ、真っ直ぐ彼に向かって走る。俺の鼻面は長く、口は大きいので、まるで子リスを捕まえるようにペドロを咥えることができる。ペドロは苦しそうに声を漏らす。ペドロの柔らかい喉に牙を食い込ませて、俺はかみ砕く。ペドロは砕け散り、大小の黄金になって雪の中に散らばる。太陽が黄金の滴を地上に降らせるように、それは地中深くへと沈んでゆく。太陽の神が使わした黄金は、地中に沈むのだ。

 オオカミの遠吠えで目が覚めた。俺は飛び起き、耳を澄ませた。街の裏手の山からだ。すぐ近くにいる。死んだ白人からこっそり奪ったウィンチェスター・ライフルを、使ったことはなかった。俺はライフルを取り出して、ハスキー犬を繋いでいた縄をほどいた。ライフルは高い。交換するには毛皮が何枚も必要だ。俺は弓矢だって使うことができない。おじいは何度か俺を狩に連れていったが、獲物を仕留められたことはない。おじいはおれが不注意だからだといって首を振った。俺には獲物を注意深く見る忍耐力も、賢さもない。それは猟をするには致命的だった。俺は凍った土地に生まれたくせに寒さが苦手で、狩りをする一族に産まれたくせに狩りをすることもできない。


 エゾ松の森をかきわけ、俺はオオカミの姿を探した。夢に見たということは、ペドロを殺したオオカミは本当にいるということだ。部族の言い伝えによれば、夢の中に出てくる動物は、俺たちに何かを教えようとしている。それは狩りのときに力を得るための歌や、呪文や、儀式だったりする。だから、動物の夢を見るようになるのは、一人前になった証だという。少なくとも、おじいはそう言った。だが、自分が一人前になったのだとは思えなかった。夢の中のオオカミは、俺に何も教えてくれなかった。俺はとにかく、そのオオカミを殺さなければならないのだと思った。憎いからではない。俺に残されたペドロのよすがが、もうそれしかないからだ。

 方角を失ったと思う度に、またオオカミの遠吠えが聞こえて来た。犬は俺の様子をうかがいながら、おそるおそる声のする方へと俺を先導した。祖先の声は、犬の耳にはよく聞こえるに違いない。俺を森の奥へ奥へと誘うように、声の主は俺を呼んでいた。こんなに遠くから、俺の住む小屋まで遠吠えが聞こえていたのは驚きだった。風が顔を引っ掻くように吹き荒んで、空気に触れている部分はもう感覚がなかった。誰だろうと、こんな天気の中で外に出て行くやつはどうかしている。だけど実際、俺はどうかしていた。積もったばかりの雪をふみしめながら、俺はほとんど、そのオオカミのことをペドロだと思っていた。


 顔を上げると、死がそこにいた。森の中で静かに、たった一匹で佇んでいた。雪に覆われたように白く、普通のオオカミより一回りは大きかった。群れはどこにいるのだろう。ひょっとしたら、群れから追い出されたやつなのかもしれない。俺は手袋を脱ぎ、引き金に手をかけた。すぐさま、風が俺の皮膚の下に入り込み、一瞬で熱を奪い取る。銃身は凍ったように冷たく、指が離れなくなるかもしれない、と頭によぎった。これほどの寒さの中では、金属は危険だ。だが、もう後には引けなかった。オオカミは俺の存在に気づいていて、ゆっくりとこちらを向くところだった。

 俺はオオカミと向き合った。オオカミの目は静かで、岩のように不動だった。俺のことなんか見えていないみたいだった。手が震えた。こいつがペドロの命を奪った。夢の中と同じように、あの牙が肉を裂き、体をバラバラにしたのだろう。その光景を、俺はまた目の前で見た。

 銃なんて撃ったことはない。白人たちの見よう見まねで、俺はオオカミに狙いを定めた。自分が弓矢ではなく銃を持ってきたことが信じられなかった。おじいに知られたらひどく怒られるだろう。心臓が耳のあたりで鳴っていて、俺は目を見開いた。指に力を入れると、銃が跳ねる。耳をつんざく音がして、鼓動が止まったかと思った。俺はこらえきれずに、その場に尻餅をついた。突然、世界が無音になった。ややあって、オオカミはゆっくりと、静かに倒れた。それは奇跡、まったくのまぐれだった。いや、このオオカミは意志を持って、俺の弾を受けたのだった。瞳の静かさがそれを物語っていた。だから、これは俺の手柄じゃ無かった。


 興奮が急速に冷めていくのと同時に、全身から血の気が引いて、恐ろしくなった。風はますます強くなり、今や吹雪があたり一面を包んでいた。何もかもが白く、足跡も覆われている。連れていた犬っころはとっくに逃げてしまっていた。俺は方角を失ったのだ。引き金を引く前に外した手袋は、風でどこかに飛ばされていた。紐付きの手袋をしてくるべきだった。俺はなんて不注意なんだ。剥き出しになった手は凍り付いていて、俺は慌てて銃を投げ捨てた。手が銃に貼り付いてしまっていなかったのは幸いだった。

 暖を取るためにはどうするべきか、俺は恐慌状態になった頭で必死に考えた。一番手っ取り早いのは、歩き回ることだ。血がめぐれば、手の凍えも少しはマシになるかもしれない。だが歩き回れば、自分がどこにいるか余計に分からなくなる。恐怖で涙が出そうになった。いや、涙が凍ったら洒落にならない。俺は自分の位置を見失わないよう、控えめに倒れたオオカミの回りを歩いた。

 火を熾す道具を持ってくるべきだった。いや、どちみちこの強風では、火を熾すなんて不可能だ。俺は狂った犬みたいに、同じところをぐるぐる回った。もう手は限界だった。これ以上歩き回ったところで、事態が悪くなるいっぽうなのは明白だった。俺は最後の力をふりしぼって、小刀でオオカミの腹を裂いた。もはや刀を握ることはできなかったので、両手で小刀を挟んで、少しずつ動かすしかなかった。それでもなんとか、俺はやりとげた。オオカミの腹に両手を突っ込むと、ひどい臭いがした。まだ残っている体温で、少しは凍った手がマシになった。俺は腹の中を探ってみたけれど、中から出てきたのはウサギの毛みたいなものだけだった。ペドロの足の気配も、モカシンの破片もない。最初っから、こんなところにペドロがいるはずがなかったんだ。ペドロは黄金の欠片になって、この土地の奥深くに沈んでいったんだから。

 朝になったら、俺がいないことに気がついたおじいが探しに来てくれるだろうか。それまで持ちそうにない。俺は犬っころがそうするように雪の中にもぐろうと、かじかむ手で雪を掘ろうとした。雪は冷たいが、大気よりはマシだ。だが、もう手は動かなかった。完全に凍ってしまったみたいに固まって、どんなに念じてもびくともしなかった。自分の体なのに、まるで腕の代わりに重りをぶら下げているみたいだ。全身がひどく震えているのを、どこか他人事みたいに感じた。俺は重りに振り回されてバランスを失い、その場に倒れ込んだ。

 吹雪にまじって、死が俺を嘲笑うのが聞こえた。白人たちが死に捕まるのを嘲笑っていた俺が、こんな間抜けな死に方をするなんて。俺は内心ペドロを呪った。ペドロに恋をしたばかりに、俺はこんな目に遭っているんだ。それもこれも、ペドロがあんまり美しいからだ。ペドロが生きていたら、「勝手に呪うな」と言っただろうか。おじいが美しい人は呪われていると言った意味が分かった。ペドロの故郷も、俺の土地も、美しいばかりに呪われた。みんなが好き勝手に呪いをばらまいていった。ペドロの美しい頬に呪いあれ。優美に垂れ下がった目尻に呪いあれ。柔らかにうねる髪に呪いあれ。みんなみんな呪われろ。

 俺の体温で溶けたらしい雪が、頬を濡らしていた。俺にもまだ体温があるのだろうか。でも、それも長くは続かないだろう。俺はもうすぐ死ぬ。肺の中が破裂している。凍ったまつげが落ちてゆくのがわかる。もはや痛みも感じなくなった。俺に分かるのは、身体の重みだけだ。俺の身体は、重く冷たい塊になった。金属になるというのは、きっとこんな心地だろう。このまま、この土地に沈んでゆくのだろうか。どうせなら、ペドロのように黄金になりたかった。黄金になって、地面の中で眠りたかった。猛烈な風と雪は止む気配がない。夜明けはまだ遠いだろう。俺はまぶたを閉じた。太陽と、光が恋しかった。何か温かいものが、何かきらめくものが欲しかった。俺はいつもそうだ。

 ふと、胸のあたりに熱いものがあるのに気がついた。懐に忍ばせたペドロの灰が、じんわりと温かい。それは確かに、熱を持っていた。まだ火葬の火が燃え尽きていないかのように。いっそ、俺も一緒に焼き尽くしてくれればいいのに。凍えるよりは、燃える方がずっと良い。

 涙が凍って、もう目が開けられなかった。ペドロ。

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エル・ドラド 雷田(らいた) @raitotoko

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