第41話 エピローグⅠ『見守る者、嗤う者』
名もなき森。
葉の擦れる音がさざめき、木漏れ日が暖かく降り注ぐ——そんな平凡な森の中で。
「行きましたか……」
アントン・アルトーラは自身を乗り越えていった二人を想い、呟いた。
「まさしく本気だった。力も技も衰えたとはいえ、本気だった」
全力だったとはいえないが、本気だった。
もし全力だったのなら、初手で広範囲魔術を使うだけで戦いは終わっていた……が、それはアントン自身が望まない。
あくまでも、あの二人が世界を見るに値するかどうか……その判断のためだったからだ。
「本来なら戦わないが正解。だが、二人は戦う選択をして、乗り越えて見せた」
それは、二人の今後を想うからこその称賛。
アントンも詳しくは知らない。しかし、前身の司書を知っているからこそ知っていることもある。
「まったく、血は争えないか……まあ、方向性は違うが」
思い出すまでもない。
「レディア……君の子は私の想像を超えて大きくなった。守ってくれる娘もいる。心配ないさ」
ずっと守ると。
そう誓って、結果できなかった女性の笑みを想い浮かべて、アントンは続ける。
「司書は世界を見届ける者……なら、シエルはこの世界の光も闇も見届けることになるだろう。本来ならそれを憂うべきかもしれないが、君の子で、私の主人だ。心配はいらないだろう?」
クスリと、軽い笑みを浮かべて。
「あの子は魔法のせいで他者と生きる時間が違った。出てこられるまで三十年……ずっと待ったよ。でも、人に興味を持てず、縛る本にだけ興味を示した。そこは君とは正反対だったな……だが、それも運命だったのかもしれない」
脳裏に浮かぶのは、一人の少女。
「ティア・ソフニール……彼女だけだ。司書としてではなく、シエルとして見てくれたのは」
なにせ、婚約者として顔を合わせた時にはもう「振り向かせる」と宣言したのだから。
当時、彼女まだ幼い子供だった。世迷言とも取れる言葉だったが、その言葉は真剣そのもので。
「だからだろうな。表面上では興味なさそうにしていたが、シエルは決してあの娘を嫌ってはいなかった」
彼の世界に、知識以外の存在が生まれたのだ。
それは、アントンにとってずっと待ち望んでいたものだった。
「魔法で延命し続けてきたが、まだ死ねない理由も出来た。レディア……私はあの子の行く末をもう少し見届けるよ。私が愛した君の子だからこそ、私が見届けなくてはな」
司書という肩書のせいで望まぬ婚姻を押し付けられた彼女。
王国に酷使させられ、ただでさえ強くない体をボロボロにし続けていた彼女。
それでも、子には罪はないと、苦しんで欲しくないと、そう笑いながら逝った彼女。
「君が生み、私が守ってきた……ならば、あの子は正しく私の子だ。あの子を待ち続けるのが私の役目だろう? なに、最近は紅茶を淹れるのも楽しくなってきたところだ。退屈はしないさ」
シエルが帰ってくるまで、数年……いや、数十年かもしれない。
そうなれば——
「確実に王国は荒れるだろう。私としては嬉しい話だが、君はそれを望まないんだろうな…………なら、私のあの子の帰ってくる場所を守り、待つとしようか」
柄にもないことを言っているからだろう。
感情のままに告げる言葉は乱れているが、それでもかまわない。
「さて——」
だが、それももうおしまいだ。
「もう出てきてもいいだろう。それとも、私が帰るまでずっとそうしているつもりか?」
現役を彷彿とさせる眼差しを木の影に向ける。
「あらら、バレてましたか」
「隠す気も無かっただろう?」
「まあ、そうかも?」
飄々と現れたのは、一人の女だった。
身長は女性にしては高い方だろう。身にまとう装いは黒一色で、街で見れば浮く事この上ない。
だが、彼女はそんなことを気にすることなく、アントンの元へと歩いてきた。
黒い長髪をたなびかせ、前髪の隙間から覗く鮮血のような瞳は楽しそうに細めて。
「シア・クルデウス……王に報告する気か?」
向ける眼差しに圧を強めて、アントンは問う。
だが、シアと呼ばれた女は「まさか」と肩をすくめた。
「私がこの森に来たのは偶然ですよ。これでも王国では有名なんで、訓練に使える場所が限られているんです。だから、そう怖い顔をしないで下さい」
「……お前がシエル様に執着しているのは知っている。なのに——」
「シエル、でしょう? 別にこの場には貴方と私しかいないんですから、取り繕わなくてもいいですよ」
ニコリと、シアが微笑んだ。
少なくとも、アントンの独白の時にはこの場にいたということだろう。
余計な情報を与えたと、アントンは内心舌打ちを打ちながらも無表情を留めた。
「……まずは問いに答えてもらおうか?」
「ああ、シエル君の事ですか? まあ、そうですね……魔法を教えてもらえないのは困りますけど、現状披露する相手もいないですからね。なら、今は別にって感じです。教えてもらうのは、もう少し魔法を身に付けて、ですかね?」
「現魔法部隊長が言う言葉ではないな」
「そうは言いますけど、私なんて王国に来て初めて魔法を習いだしたんですから。むしろ、この国の魔法部隊が弱すぎるんですよ」
「それは否定しないが……」
「でしょう! アルトーラ殿は話が分かる。まあ、そういうわけで、私は別に王国には拘っていないんですよ。彼に教わるのは王国でも聖国でも……帝国でもいい」
「貴様は……」
いまだ突き刺さる剣を一瞥して、アントンはシアへの威圧を強めた。
遠くに聞こえる葉の擦れる音。それが極度の緊張からだと自覚しても、この状況で緩めることは出来ない。
それほどまでの緊張感が穏やかな森の中で張り詰め、沈黙が満ちている最中で。
「では、私は戻ります。アルトーラ殿もあまり遅くならないように。おそらく事情聴取などがありますから……ああ、貴方には罰が無いように、私から王に進言しておきましょう。なに、偶に手合わせしていただければ問題ありません」
クルリと身を翻して、シアが王国の方向へと歩いていく。
その背中に隙は無く、かつて最強の名を欲しいままにしたアントンですらも容易に切りかかれないほどだった。
やがて、彼女の姿が見えなくなり、そこまでしてようやく。
「はぁ……」
アントンは緊張を弛緩させ、安堵の息を吐く。
だが、すぐに意識を切り替えて。
「シエル……お前の旅に幸多からんことを」
もう当分会うことはないであろう、主人の行く末を祈った。
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