第40話 乗り越えた末——
「アントン、やっぱりお前は……」
「それ以上はいけませんぞ」
未練を残す声音を、否定の言葉が上書きする。
「あくまでも私は、元と付くとはいえ騎士。その勤めを果たすべく賊を捕えようとして、返り討ちにあっただけ……慰めも、別れも、何も要りません」
「アントン……」
「そんな顔をする必要はありませんぞ。貴方は迷われながらも決断した。それを誇りこそしても、貶すことなんてありません。それはティア嬢、貴方もです」
「私……ですか?」
隣に立つティアの疑問。
その問いにアントンは大きく頷いてみせると、背後に突き刺さった剣を一瞥した。
「あの、最後の後退。あれはシエル様の意図を読んだ上でわざとやったことでしょう? 追い詰め、だが情けなく後退する……わずかであれ剣を教えた身としては憤りを感じるものでした。そして意識が一点に集中したからこそシエル様が割り込むことが出来た。貴方がああやっていなければ、シエル様の策は失敗していた」
まあ、後になって気が付いたことではありますが——そう言って、アントンが肩をすくめる。
「実力はまだ足りない。それは事実です。世界は広く、美しい……ですが、それ以上に残酷で冷酷だ。それは、今後身をもって知ることになるでしょう。そして、その残酷さに揉まれて人は成長する。私は止められませんでしたから、二人のお帰りを首を長くして待ちましょう」
「でも……」
「でもは要りません。私も老いた……剣を持つことも次第にできなくなり、貴方の成長を見届けることが叶わなくなる。だから、シエル様。私は殊の外嬉しいのですよ」
しわくちゃの顔に、さらなるしわを作って。
「騎士として磨いた腕を、老いながらも現役と謳っていた剣を、完全とは言えなくとも乗り越えて見せた。貴方達を見守ってきた身として、これ以上の幸福はありません」
心底嬉しそうに。
そしてその表情は、シエルが見たこともない様で。
「行ってください。世界を見て、識る、経験の旅路へ。なに、老いぼれは貴方の好きな紅茶の腕を高めながら待つとしましょう」
「そんな、当分会えないのに……!」
「いや、これでいいんだ」
シエルは、一歩踏み出たティアの肩を掴んだ。
「最初は、本当に紅茶を淹れるのが下手だったよな」
「ええ。元騎士でしたからな」
「でも、今ではそれが好物になった」
「貴方は、読書以外に興味を持たれなかったですから。私も努力しましたよ」
「いつになるか分からないけど、必ず帰る。その時は——」
「さらに磨いた腕を見てもらいましょうか」
「そっか……」
ティアの腕を掴んで、前へ。
齢百を優に超えながらも、真っ直ぐと力強く立つ彼の隣を通り抜ける。
「また……いつか」
「ええ……またいつか」
顔を合わせれば、目を合わせれば、決心が揺らいでしまうから。
最後は短く言葉だけを交わして。
シエルはたった一人の家族に背を向けて、ティアと共に歩き出した。
森を進む。
人の入り込むことが少ない森の中を進めば、嫌が応にも草木が生い茂っていく。
どんどん視界が悪くなっていく中、誰の視線も届かなくなったところでティアが口を開いた。
「よかったの?」
「うん?」
「たった一人の家族でしょ?」
問いかける白銀の眼差し。
母は生まれた時に命を落とし、父は名前すらも知らない。そんなシエルの家族はアントンだけ……その事情を知っているからこその問いかけだ。
しかし、シエルは即座に首を振った。
「十分だよ。言いたいことは言ったし、また会えるんだからさ。それよりも——」
ここまでくればいいだろう。
「もういいだろ。我慢しなくても」
「え?」
「俺は会える。でも、お前はもう会えないだろ? だから、もう我慢する必要はないよ」
一瞬だけ、訳の分からないような顔をしたティア。
だが、次第に彼女の視線は下へ向き、全身が強張っていって。
「そう、かな?」
「ああ。もう俺しかいないから。いままで婚約者らしいこともしてこなかったし、今更かもしれないけど……」
「いいえ。十分だわ」
シエルの背に重みが加わる。
「まあ、こんな状況で婚約者なんて言ってられないかもしれないけど……」
「今だけはいいだろ」
「そうね。今だけは……もう、これで最後にするから」
「ははは、最後にする必要はないと思うけど?」
「いいの。これが私なりのけじめだから」
「そっか」
ぎゅっと。
背中の布地を握り締める感触を感じながら。
シエルは嗚咽を漏らす彼女が落ち着くのをじっと待った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます