第22話 騒乱の序曲 ①




「たすけてくださぁぁぁぁぁぁぁぁいぃぃぃぃぃぃぃぃぃ‼」


 開口一番。

 濁流のように涙を流した小太りの青年に泣きつかれて、シエルの瞳は一瞬でスン……と、虚ろとなった。


「アントン」


 助けを求めるも、あえなく首を横に振られる。

 備え付きのソファに対面して座っていたはずだ。なのに、気が付いたら自分の膝に泣きついていた。

 この男に体術の心得など無いはずなのにだ。


 ……財力だけの小太りっていう評価は覆した方がいいの、か? いや、それだけ切羽詰まってたってことか。


 真剣に考えるほうがバカを見そうである。

 思いついた内容のバカバカしさに、シエルは思わずため息をこぼした。


「ため息ぃぃ⁉ な、ななな、なんでぇ⁉ ですか? そ、そそそそそ、そんなにぼぼ僕と話したくないのですすかぁ⁉」

「はぁ……落ち着いてくださいオルディナス卿。そのような状態ではまともに話も出来ません」


 内容はすでに知っているが、本人から聞き出さないことには始まらない。

 なにより、このうっとおしい男から離れたいというのがシエルの本音だった。これが王国の太客でなければ、アントンに頼んで部屋から叩き出しているほどである。

 それでも離れないオルディナス卿に眉をヒクつかせること数分。シエルの我慢が報われ、彼はようやくソファに腰を下ろしてくれた。


「いやはや、失礼しました」


 コホンと、咳払いをするオルディナス卿。


「我が家の危機に、少々自分を忘れてしまっていたようです」

「…………」


 もはや、呆れてものも言えない。

 そんなシエルを他所に、自分だけはまともだと思い込んでいる彼は膝の前で両手を合わせ、愁いを帯びた眼差しで話し始めた。


「あれは数日前の事です。趣味である狩りに出かけていた時の事……あの化け物に出くわしました」


 スッと上がった視線を躱す。

 しかし、効果はなかったようだ。


「緑色の肉体は隆々と波紋を描き、おどろおどろしい音を立てて森を這っていく姿は全てを飲みこむ怪物のよう——まさに、神に授けられし十の権能を得た理外の存在のようでした」

「そうですか……」


 神話の話をされても困るのだが、ここで相槌を打たなければもっと長くなるかもしれない。

 シエルが遠い目を隠せないまま頷けば、男はそれに気付かないまま話し続ける。

 やれ、なにを仕留めた。やれ、ここは大変だった——と、口から吐き出される出まかせを無感情に受け止め続け、ようやく雄弁な口が閉ざされたのは、それから三十分程経った頃だろうか。


「なるほど……では、スライ……怪物の討伐方法をお教えすればいいのですね?」

「ええ。あれはスライムによく似ているが、まったくの別物です。ただのスライムであれば、僕の剣の錆にしてくれたものを……!」


 自分の世界に入り込んでいるようなので、無視である。

 しかし、相手がここまで大げさな話を持って来た以上、シエルも相当の解決案を出さなければ納得しないだろう。


 ……まったく、面倒くさいな。


 知識を答えるだけなら簡単だ。だが、その知識で納得しないのだから困ったものである。

 弱い魔法でも、核さえ破壊出来れば子供でも倒せるスライム。それを依頼人が納得できる大げさな解決法で提示しなければいけないのだ。

 簡単ゆえに難しい。

 シエルは顎に手をやり、思考に耽る。


 ……なんでも誇張するのは自信が無いことの表れ。たぶん、吹聴して回る……つまり、後になって馬鹿にされたなんて話が出ないようにしないといけないのか。これならよっぽどドラゴンの相手をしてた方がマシかもしれないな。


 予測を繰り返し、取捨選択をしていく。

 固有魔法第二書架の副産物なのか、シエルの知能は常人よりもはるかに高い。その知能を五割ほどで回転させて答えを導き出していく。

 ちなみに、全力でないのはこんなことに全力を使いたくないからである。

 そして——


「まず、解決案ですが——」


 爆音が全てを塗りつぶした。

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