第1話 やる気の無い司書
三大大国の一つ——王国。
大陸の中心に鎮座する巨大なセントラム湖。その湖から南下する河川と温暖な気候により発展した国の中央。
防壁に囲われた王都の理路騒然とした街並み。その最奥にそびえ立つ王城——その一室で、二人の男女がテーブル越しに向かい合っていた。
「…………」
「…………」
窓から陽気の差す室内で、カチリという音が響く。
定期的に、不定期に、一定の大きさで響く音。その音が一際大きな音を立てた後、男女の片割れである灰色の髪をした少年——シエルはため息と共にターコイズの瞳を半眼へと変えた。
「これで終わり、だな」
「うぐぅ……」
眼下に広げられている格子状に線が描かれたボード。
そこには白と黒のコマが置かれていた。戦場における戦略眼を鍛えるために作られた物ではあるが、遊戯としても広く普及している物だ。
そんなボードの向こう側。シエルと対面している少女は整った顔立ちを悔しそうに歪めている。
「また負けた……なんで?」
「なんでもくそも、ただの実力不足だろ。『王』のコマ以外全部獲られたんだから偶然なわけがない」
「つ、次よ! 次は負けないから!」
「そう言って何回負けてると思ってるんだよ。それも全部『王』以外を全部獲られて……さすがにこれだけ張り合いが無いと俺がつまらないんだけど?」
「それはそうかもしれないけど……」
シエルの呆れ顔を受けて、少女がくたりと肩を落とす。
ティア・ソフニール
首元でまとめられた色素がわずかに薄い金色の長髪と、髪色と少しだけ似た白銀の瞳が特徴的な少女だ。
可愛さと綺麗さの狭間に揺れているその相貌は誰が見ても羨ましく思うほどで、そんな彼女がなぜシエルと遊戯に耽っているのか?
その理由は、すぐに彼女の口から発せられることとなった。
「仕方がないじゃない。婚約者として定期的に顔を合わせないといけないんだから」
「そうなんだよなぁ……」
そう、何を間違えたのか、彼女はシエルの婚約者なのである。
遠い目をしたシエルに、ティアはお返しとばかりに半眼を浮かべて。
「私だって好きでこんな遊びをしてるわけじゃないのよ。でも、シエルは外に出たがらないし、立場上簡単に出掛けられないじゃない。かといってこれ以外何をするっていっても思いつかないし……」
「本を読めばいいじゃないか」
「それで楽しいのはあなただけじゃない。誰が好き好んで理解も出来ない本を読まなくちゃいけないのよ」
頬杖をつくティア。
その姿は、この国で最も高貴な血が流れているとは思えないほどに気品が削がれていた。
「本当に、口を開けば本の話ばっかり。たまには日の光を浴びないと体に苔が生えるわよ」
「日の光は今も浴びてるだろ……ガラス越しではあるけど」
「はいはい、わかりました。外に出る気は無いってことね」
先に折れたのはティアだ。
呆れ顔を隠そうともしていなかったが。
「しょうがないわね。じゃあ、ここからは仕事の話をしましょうか。お父様……王からの要請よ。近日、レグランド侯爵が城にやって来るわ」
「レグランド侯爵が? という事は……」
「間違いなく鉱山で何かあったって事よ。まあ、緊急要請ではないから焦ってはいないようだけど……ただ、新たな鉱脈はここ数年発見されていなかったし、そう意味でも断るのは難しいと思うわ」
「うわぁ……」
「嫌そうな顔して本ばっかり読んでるんじゃなくて、ちゃんと働きなさいよ」
ため息交じりに睨みつけられる。
「そうは言うけど、鉱山での面倒ごとなんて数年規模の話だろ? その程度じゃ王国は傾かないし、それだったら新しい本の方が大事だよ」
コマを片付け終えたところで、シエルは息を吐いた。
知識は大事だ。
知らないことで損をすることもあれば、知っているからこそ得をすることもある。それこそ、知識の有る無しで命に関わってくることもある。
それに比べれば、国の工業が数年規模で停滞する可能性があるくらい大した問題でもないだろう。
「まあ、あなたならそう言うと思ってたけど……ちなみに、今はどんな本を読んで——」
「よくぞ聞いてくれました!」
シエルは目を輝かせた。
同時にティアがしまったと言わんばかりの表情をするが……気にしない。
「今読んでいるのは数百年前に実在したと言われている魔女が遺した魔術書でさ! その構築理論が古めかしいのなんのって! だけど、古いから使えない訳じゃなくて、古いのは古いなりの利点が——」
「あー、はいはい。分かったから。そもそも、ほとんど魔力の無い私にその話をして興味を持つと思ってるの?」
「そっちが聞いてきたんじゃないか……それに、この理論は使いようもあるのに」
ギロリと鋭い視線に晒されて、シエルは肩をすくめた。
同時に、ほんのわずかではあるが罪悪感も欠片ほど浮かび上がってくる。
王国。
本来であればソフニール王国を呼ぶべきなのかもしれないが、その名を呼ばれなくなったこの国は、他の国とは隔絶した能力を持つ故に『王国』となった。
それが魔術だ。
王国が擁する司書——かの存在の偉業は、その類まれなる知識、知能によって国を育て上げただけではない。
国を維持するには力がいる……他国の介入の抑止力となる力が、だ。
それが魔術である。
あらゆる知識を蓄えて生きる司書は、過去猛威を振るった魔術の知識すらも容易に現代へ蘇らせる。
知識と、知識に裏付けされた確かな力が、かつて小国だったソフニール王国を『王国』へと育て上げたのだ。
「悪かったよ。別に他意はなかった」
「ふふっ、気にしてないわ。事実だしね。それじゃあ、伝えることも伝えたし私は戻るわ……そろそろ迎えも来るだろうし」
直後、扉がノックされ「ティア様」という男の声が響いた。
「時間通り。相変わらず律儀なことで……もっと早く来てもいいのに」
「何か言った?」
「いや、なにも」
白を切ると、ティアがため息を一つ。
「それじゃあ、戻るわ。あまりオウルを待たせるわけにもいかないし、この後も彼と訓練があるから」
「相変わらず仲が良いことで」
「そりゃあ、たった一人の従者だもの。大事に決まってるわ」
ティアは軽く笑みを浮かべると、流れる動作で腰を上げ、椅子を戻す。
そうして扉まで歩いていき、扉を開く直前、踵を返して。
「そうそう、聖国の聖女様とその護衛が王都に来てるって話、知ってる?」
「うん? いや、初耳だけど?」
少なくとも、シエルの耳には入ってきていない情報だ。
そんなシエルの機微を読んだのか、ティアは唇に弧を描く。
「そうなの? 王都ではその話でもちきりよ。本ばっかり読んでるから外の情報に疎いんじゃない? 少しは外に出た方が良いわよ」
「なっ——」
シエルが反論しようとするも、もう遅かった。
「じゃあね」
ひらりと、スラリと細い少女の手のひらが舞い、薄い金色の尾が揺らめいたかと思えばすでに少女の姿は扉の奥に消えていた。
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