第6話

「ユイ!!」




 私が黙っていると今度は大きな声で呼び、透はずんずんと近づいてきた。声に驚き、周りの人が私の方を見るので急いでビルの裏通りの隅に避けた。


「ユイ!おい、何処にいくんだよ!なんで逃げる訳?」


「逃げてない。大声だすから、周りに迷惑かと思ったの。何?荷物はちゃんと送ったけど?」



 私が返事を返すと一瞬黙ったが、すぐに「あのさあ。本当にユイは俺と別れたかった訳?」と話し出した。



「うん。別れたかった。透も「分かった」って、返事くれたじゃない」


「いや、何で?何で急にそんな事になったのかって。デート忘れたこと、怒ってんの?女と一緒だったから?あの女は違うって言ったよね?やきもち?」


「いや、透、そう言うのじゃないの。もう、いいの。私達別れてるから、あの女の子は関係ない」


「は?なんで?本気?なんで?なんで別れたかったの?」


「もう嫌だから」


「分けわからないんだけど。なんで、嫌とか言うの?ユイは俺の事好きじゃないの?」


「うん。好きじゃない」


「は?なんで?俺達さ、上手くいってたじゃん。それになんで急に引っ越してんの?ユイ、今どこ住んでんの?」



 透は「なんで?なんで?」と同じ言葉ばかり繰り返していた。



「透にとっては急でもさ、私にとっては急じゃないんだよね。私達、ずっと上手くいってなかった。私、もう疲れた」



 すると「分かった」と小さい声が聞こえた。


 私がホッとしていると「じゃあさ」と透は続けた。



「何がユイは嫌な訳?そこ、俺が直せばいいってこと?いきなり別れたいとか、ユイ、我儘すぎない?あ、引っ越しが問題だったの?俺と同棲したいってこと?いいよ、同棲。する?俺が引っ越せばいい?」


「違う」



 私の方を見る透の表情は今まで見た事がないものだった。口は笑っているのに、目がちっとも笑っていない。そんな透の顔は怖かった。私はこの場から離れようと会社の方へ戻ろうとしたが、透が私の肩を掴もうとしてきた。


 急いで避けると髪留めに透の指がかかり、私の髪がほどけて髪留めがカシャンっと音を立てて落ちた。私は髪留めを拾うと、透の方に振り向いて距離を取った。


「ちょっとやめて。髪、痛い」


「痛いってなんだよ。痛くさせてんのはユイのせいだろ?じゃあ、俺にこんな事させてんだから、ユイが悪いってことだろ?なんで俺の事、ブロックしてんの?何で連絡してこないんだよ?何?俺の気を引きたかった訳?なんで勝手に引っ越すの?俺の事、試したいの?」



 透がそう言いながら近づいて来る。私は少しずつ後ずさって誰かいないかと周りをみるが、透の声を気にして裏通りに来てしまった為、誰もいない。



「結局さあ。やっぱり、ユイも俺の事好きなんでしょ?ユイがさ、嫌なら他の女ともう遊ばない。ユイ、俺と結婚したかったの?ユイとなら俺いいよ。いつする?」


「ちょっとやめて!!」



 腕を伸ばしてきた透に大きな声を出して、ドンっと押すと、信じられない顔で私を見ていた。



「は?なんで?なんで、ユイは俺から離れるなんて言うの?ユイはいっつも俺に優しかったじゃん」


「だから!もう嫌だって!もう嫌いなの!好きじゃないの!別れて!!透だって、分かったって返信したじゃない!三ヵ月も前だよ?私がブロックしたのは二ヵ月前だよ!透は約束だって、何度も破るでしょ!もう待ってるそんな自分も嫌なの!」



 私はそう言うと、なんでこんな事言わないといけないのかと、涙が溢れてきた。


 別れてすぐは、連絡先を消せなかった。一ヵ月経ってからブロックしたのだ。もう待たなくていいように。自分の為に。


 透の事が好きだったから、一緒にいたかったから。だから我慢をしてしまった。どこで私達の歯車はずれて行ってしまったんだろう。


 たられば、の話をしてもしようがない、でも、喧嘩してもいいから透としっかり話し合えばよかったのかもしれない。


 透も優しかったのに、だんだん約束も守らなくなって。私が合わせるのが当たり前になっていった。話しても上の空だったり、機嫌が悪かったり。だからもう、私も面倒になってしまった。そうしたら、透といる自分も嫌いになりそうだった。



 私達は合わなかった。それが答えだ。



 そう思っていると涙が溢れてしまった。



「なんで?約束?何?は?嫌って?嫌い?ユイが?俺を?待つって?は?だって、ユイがいつも、連絡して・・・」



 透はブツブツといいながらも、また私の腕に手を伸ばした。必死に避けようとしたけれど、逃げられず私は目を瞑った。


 三秒経っても五秒経っても、透の手は伸びて来なかった。ゆっくりと目を開けると、そこにはひっくり返った透がいた。



「え?」



 透も何が起きたのか分からないようで、ポカンとした顔をして空を見上げていた。



「楠木さん、大丈夫?一人にしてごめんね」



 ぱっと顔を上げると、鳥飼さんが透をポイっと離して、振り向いた。髪の毛が気持ち乱れているのは探してくれたのかもしれない。


 ゆっくりと私に近づくと、私の体を確認して「怪我してない?」「何もされなかった?」「大丈夫?」と聞くので、私はコクコクと頷いた。



「は?マジなに?お前なに?誰?なんで?邪魔すんの?ユイは俺の女なんだけど」



 鳥飼さんは「楠木さん、ちょっと離れててね?確認だけど、三ヵ月前に別れた元カレだよね?」と聞いて、私を少し離れた所に立たせた。



 私が頷き涙を拭いていると「そっかあ。うん。じゃあ、いいよね」と言って、透に向かい合った。



「楠木さんの元カレだよね?何、楠木さん泣かせてんの?話が聞こえなかったから、人違いだったらと思って加減して投げたけど、じゃあ手加減しなくてよかったな」


「は?お前誰って聞いてんだけど。何、お前、ユイの何?関係ねえのは出てくんなよ」


「楠木さんの先輩で、楠木さんの恋人候補その一だよ。むかつく事に、その二もその三もいそうなのよ。だから、一生懸命、虫を払う訳よ。なのに、楠木さんは可愛いから、ひらひらと蝶は寄ってくるわけ。でも、害虫はいらないよね」


「は?何?まじ、お前ないわ!」



 そう言って透は鳥飼さんに殴りかかったが、鳥飼さんに「はい、正当防衛ね。今度は痛いよ」と言われて、あっという間に足をポンっと払われて、ドンっと転がされていた。



「クソ!!」


「いや、下品だねえ。なんで君が楠木さんと付き合えたの?顔は整ってるよね?楠木さん顔で選んだの?こういうのがタイプだったの?それとも、彼、お金持ち?それでもさあ、ちゃんと中身をみなきゃねえ。楠木さん、若気の至りって奴だねえ。イケメンだからって、見た目に騙されちゃダメよ」



 透は起き上がってから、また鳥飼さんに飛び掛かってはひっくり返されていたが、もう一度投げられてからは暫く起き上がらずに「うう・・・」とうめいていた。



「透、ごめん。でも、本当、別れて。私達もう無理だよ」



 私がそう言うと、透は顔に手を置くと「なんでなんだよ」と言った。



「ごめん」


「もう、本当に無理なのか?俺、同棲して、家賃も光熱費も食費も俺が全部払うし、足りないなら、俺の金、全部ユイに渡すから。結婚しようよ。俺、真面目になるから、ユイの言う事、なんでも聞くから。俺、ユイだけだから。俺、ユイがいいんだ。ユイじゃないと」


「ごめん」


「・・・ユイは俺の事好きじゃないのか?俺がユイの事好きでも?ユイだけなのに?」


「うん」


「なんだよ・・・」




 そう言うと、透はゆっくりと立ち上がって、「帰る」と言って、歩いていった。




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る