第3話

「は?」



 間違いない。透だ。「え、まじで?それ、どこ?」と、いいながら、女の子と腕を絡ませて、私の前を気付かずに通り過ぎて行くのを慌てて追いかけて呼び止めた。


「透」


 私の声に驚いて振り向いて、「やべ」と言うと、急いで女の子の腕を離した。



「何してんの?」


「いや、別に、知り合いとちょっと歩いていただけ。ユイこそ何してんの?」


「今日の約束は?私、待ってたんだけど。何回も連絡したのに、返事もないし」


「え?まじ?今日だっけ?ごめんごめん。忘れてたわ。連絡きてたっけ?気づかなかった」


「誰?」



 私がジロっと女の方を見ると、女は彼の影に隠れて「こわーい」と言って笑っていた。



「いや、仕事の知り会いだって。そんな顔で見るなって。ちょっと話していただけだって。な?」


「うん、そー」


「腕組んで?」


「あー。もう、その顔はいいから」


「いいって何が?」



 透は面倒そうに、目線を逸らすと、「あー」とか「うー」とか言って、身体をゆらゆらと揺らしだした。



「ねえ、もう、私、帰るねえ。なんだか疲れちゃったしい」


「あー。わかった」



 そう女は言うと、勝手に帰って行った。



「なに勝手に返してんの?」


「なー。ユイ、機嫌直せって。ちょっと忘れてただけじゃん」


「・・・・」



 私が黙っていると、透は怒りだした。



「なー。忘れてたらさ。どうしようもなくない?じゃあさ、忘れてるのをさ、どうしろっていうの?じゃあさ、ユイはさ、絶対に忘れない訳?間違いしない訳?完璧な人間なの?違うよね?それなのに、俺にだけそういうの、可笑しくない?」



 溜息を、「はー」っとついて、「だるー」と言うが、私の方は見ない。



「あのさ。俺も、帰る。こんなんじゃ、楽しくないし。ユイのせいで最悪だわ」


「は?」


「だってさ、忘れちゃったんだからしょうがないのにさ?しつこいよ」



 言いたい事だけ言うと、透はプイっと向きを変えてさっさと歩いて行ってしまった。



「・・・」



 暫くそこに立っていたが私も家に帰る為に駅へと向かった。


 透が約束を忘れるのは初めてじゃない。


 しかも今日のお出かけは、以前、私の誕生日デートを忘れていたからそのお詫びと言う事だった。



「俺さあ。記念日とか忘れるんだよね。でも、さ。こうやって、先に言っておいてくれたらさ。ちゃんと覚えておくし。大体、付き合ったのもさ。いつ付き合ったかって、微妙じゃん?俺が告った日?オッケー貰った時?どっち?」


「それは付き合った日でしょ」と話して、「そっかあ。覚えたわ」と言っていた。



 誕生日の時に色々話したのに、それも忘れてたんだろうな。透から「誕生日は忘れたけど、次の交際記念日は絶対覚えておくから。忘れてごめん。記念日はどっか出掛けようよ」という話を、一ヵ月前に話して「じゃあ、お出かけの約束をいれとこう。マジ、ごめん」って言ったのに。



 で、結局、今日だ。



 どこかで、期待しては駄目かなと思っていた。期待するから、悲しくなる。でも、やっぱり期待した。



「覚えているかさ、聞いてよ」って透は言ったが、「ねえ、明日は記念日だよね?デートの約束、覚えてる?」って私が聞いて、「あ。忘れてたわ。よかった、聞いてくれて、じゃあ、何処行く?」と言われるのが寂しい。



 言わないと、覚えてない。私とのそんな約束。



 聞ける人は、多分、それまでに彼との信頼がある。だから聞ける。でも、私は透に、っていう簡単な事が出来なかった。


 そりゃ、私だって忘れる事はある。完璧な人間じゃない。でも、流石に、誕生日とやり直しのデートの日くらいは覚えている。


 そう。私には何度も聞き直す、メンタルはない。いや、面倒になったのかな。


 一度忘れられて、二度忘れられて、そしたら三度目の約束なんて、もういいやってなる。


「忘れてたらさ。どうしようもなくない?」と言っていた。でも、一ヵ月前に「次は絶対忘れない。もう、覚えたから。ごめん」と言われて、「うん。来月楽しみ」「俺も」と返したのだ。、があると。



 なんて、あるわけないじゃない。



 あるわけなかった。



 カチャンと鍵を開けて家に帰った。誰もいない部屋に「ただいま」と呟き、鍵を置く。


 部屋は段ボールの山が迎えてくれた。


「もう、全部詰めてしまおう。透の荷物だけ、分けておけばいい」


 簡単に夕食を済ませると、段ボールに荷物を詰め始めた。


 今日は引っ越しを決めた事も話したかったのに。何も話せなかった。


 透に引っ越しの話もした事があったけど「なに?同棲とかの催促?俺、無理」と言われてから何も話してない。



 別に、同棲したかった訳じゃない。


 結婚だって考えてない。


 ただ、部屋の更新がもうすぐくるから、何処かいい物件ないかな。って、考えていたら、思わず口に出てしまっただけだ。「部屋、どうしようかな」って。



 ただ、透の言い方にイライラしたから、もう、それからは言い返さなかった。だから、部屋を探す時に、仕事場に近くなる代わりに、透の家からは今の家からの倍の距離にはなる所でいい部屋を見つけても、躊躇なく決める事が出来た。


 透の部屋、私の部屋、仕事場、の順番の距離だったから、仕事場の向こう側の地域で部屋を見つけた時に、ああ、これも何かの縁なんだろうな、と思った。


 黙々と引っ越し準備をしていると、あっという間に荷造りは終わった。少しずつ荷物は詰めていたので、後は、明日の朝、大きめのバッグに入れるだけだ。


 この部屋にもお世話になったな。もう、色々サヨナラだ。今日、透と話して、今後の事を決めようと思ってた。でも、もういい。



 そう思って、私は段ボールの山に囲まれて寝た。




 次の日。




 引っ越し業者がきて、淡々と作業が進み、あっという間に引っ越しが完了した。


 新しい部屋に運んだ、細かい荷物の片づけはまだする気にはならないが、大きな荷物を出したところで、一区切りついた。そこで、透にメッセージを送った。



「別れよう。部屋にある透の荷物は送る。さよなら」



 これだけ送って、携帯をぽいっと投げていると、珍しく、すぐに返信があった。



「分かった」



 たった、四文字。私が送ってすぐに返信がきて、それで私達は終わった。



「はい、終わり。明日から頑張ろう」


 私はポスンと、ベッドに倒れ込むと、手のひらで目を抑えた。


 私の事を何とも思ってない、クズと別れただけ、と思っていたのに、気付いたら涙が流れていた。






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