第27話 ルシ?ンの教育③

 

 

 今週末に王都へ行き、それなりの期間ラクシャクから離れることになるルシアンは、忙しく動き回ってラクシャクの現状をエドワードへと引き継いでいた。


「ふむ。まさかこの短期間にこれほどまでうまくいくとはな」

「本当です。うまくいきすぎて怖いくらいですよ」


 二人が話している内容は主に、紫美根を使った料理——シビネ料理や魔物喫茶が、ラクシャクにどれほどの効果をもたらしたかというものだ。


 単刀直入に言えば、すでに素晴らしい効果が出ている。ミーリス領の南に面しているセルベリア伯爵領を始めに、王領を含めた他領からの来訪者が、未だかつてないほどに増加している。

 このまま順調にいけば、半年の収益の見込みだけで、前年のミーリス領の収益に匹敵すると、エドワードが目を血走らせて興奮していた。

 元よりミーリス領には来訪者がほとんどいなかったとはいえ、単純に前年の二倍の成果が出ていることにルシアンも満足していた。

 シビネ料理も魔物喫茶もまだまだ規模拡大の余地があり、アーシェとウルスラの研究次第では新たな菜草の発見とかわいい魔物の飼育も期待できるが、当分は現在の商売を定着させることに専念するようにしている。

 広告塔を務めたマリーダは、セルベリア伯爵夫人——ソフィア・セルベリアと共に魔物喫茶に入り浸っているようだ。


「ではルシアン、これを」

「あぁ……早いものですね」


 仕事の話もひと段落つき、エドワードから渡されたものは、十五枚の金貨が入った財布だった。それをルシアンは忌々しげに見つめた。


 十五枚の金貨——愛しい三人の生徒の値段だ。

 金貨三枚のアーシェ、金貨七枚のベル、金貨五枚のウルスラは自身を買い戻し、晴れてラクシャク市民になった。

 すでに彼女達はミーリス領の中心人物となっており、ラクシャクにもたらした利益は、計り知れないものがある。それに彼女達がラクシャクにもたらしたのは、利益だけではない。

 アーシェのおかげで、メリックはようやく隠居できるとしわしわの笑顔を浮かべていた。ベルのおかげで、体に鞭を打って続けていた警備隊の面々を休ませることができた。ウルスラは魔物喫茶により多くの笑顔を生み出した。


 三人への愛情を自覚したルシアンは、十五枚の金貨を通して奴隷制度の愚かさに怒り狂っていた。

 誰がアーシェに、ベルに、ウルスラに値段をつけれるというのか——当てどころのない強烈な殺意に苛まれてしまうのだ。


「……愛が深いことは良いことだが、彼女達の前でそんなに怖い顔をするなよ。何があっても今日だけは笑顔で祝福する日だ」

「……はい、父上。すみません……自分でもこんなに自制の効かない、激しい感情があるとは知りませんでした。愛とは人を狂わせてしまうのでしょうか?」


 ルシアンは困惑していた。騎士時代にも関係を持った女はいた。当時のルシアンなりに愛していた。別れた時も当然悲しんだ。同僚の騎士達と夜の街に出て女遊びをしていた時期もある。しかしここまでの強烈な感情は知らないのだ。


「……賢いルシアンにとっては、愛というのは厄介なものかもしれないな」

「愛が厄介ですか?」

「考察癖のあるお前は知りたいのだろう? 愛とは何かを。その正体がわからず戸惑っているのだろう?」

「……その通りです」


 エドワードの言う通りだった。賢いルシアンは抑えの効かない激情の答えを導き出したかったのだ。それはある種の恐怖からくる防衛本能だった。考えてもわからないこの感情が怖いのだ。まるで幼子にでも戻ったかのような気持ちにさせられるのだ。


「愛とは……誰にもわからないんだよ」

「ッ!?」

 

 優しくも力強い瞳でエドワードは尚も続ける。


「誰にもわからないが、我々人間は愛なしでは生きていけないことだけは知っているんだ。ルシアンは愛を捨てて生きていけるか?」

「無理です……僕はたくさんの愛を知ってます。この激情も怖くはありますが、捨てることはできません。」


 エドワードとマリーダから無償の愛を、バルドルとナイラから友愛を、ラクシャクに生きる者から親愛をもらった。愛の深い人たちに囲まれて育ったおかげで、獣だったルシアンも今では自己愛すら持っている。

 そしてアーシェ、ベル、ウルスラからは、名前の知らない愛をもらった。これらを捨てることなどできない。


「だからこそ大切にするんだ。理屈ではなくてもっと感覚的なものなんだ。私にもその正体はわからないが、愛する者と共に過ごし、終わりを迎える時にその本質がわかるだろう」

「愛する者と共に過ごし、終わりを迎える……」


 エドワードの言葉はあまりにも抽象的で、簡単にまとめるとわからないという結論だったが『愛する者と共に過ごし、終わりを迎える』という言葉だけは、やけに胸に馴染んだ。

 騎士時代に死を感じたことは幾度となくあったが、誰の元で死にたいかなどは考えたこともなかった。

 しかし今はその望みが理解できる。何十年後、自身が朽ち果て、旅立つ時にはアーシェとベルとウルスラと、その子供達に看取みとって欲しいと心から願っているからだ。

 その終わりの時までに積み上げてきたものが、愛の正体を教えてくれるのではないかとエドワードはそう言った。


「少しだけ理解することができました。ありがとうございます。父上」

「……お前も大人になったのだな」


 エドワードの優しい声色にルシアンは少し恥ずかしくなった。それと同時に敵わないなとも思った。

 ルシアンは最後の望みを見つけ出した。今まではミーリス領を発展させることを人生の目的としてきた。しかし最高の人生を迎えるためには、それすらも通過点なのだと理解した。

 ルシアンの最後の望みは、発展したミーリス領で愛する者と共に過ごし、終わりを迎えて愛の真の形を知ることだ。


 『真愛』——ルシアンはこの感情にそう名付けた。


「今日は彼女達が市民となった祝福の日だ。迎えにいくのだろう?」

「はい。行ってきます」





 通り慣れたはずの教育施設までの道のりは、なぜかルシアンを緊張させた。見慣れた領都ラクシャクの景色は、いつもよりキラキラと輝いているように見えた。

 南西の居住区の離れに建つ、石煉瓦いしれんがかしの木を中心素材として造られた落ち着いた雰囲気を持ちながらも、高級感のある教育施設。その正門にはドレス姿の三人の生徒が立っていた。


「三人とも心の底からおめでとう」


 短くも心を込めたルシアンの言葉は優しく響いた。


「「「ありがとうございます!」」」


 三人の生徒が声を揃えてお礼を言う姿に、初めてラクシャクに来た日の三人を思い出して、ルシアンは泣きそうになっていた。

 男として、教育者として、男爵家の嫡子として愛情が爆発して感情をぐちゃぐちゃにかき乱されていた。


「三人ともすごく似合ってるよ! 綺麗だね」

「ルシアン様? なにか……雰囲気が……」

「あたし……我慢できないかも」

「ベルだめだよぉ? 我慢だよぉ?」


 ルシアンは三人が借金の完済が近いと聞いて、既製品ではあるがドレスを送っていた。

 理知的なアーシェには黒と白を基調としたドレスを。

 情熱的なベルには赤と黒を基調としたドレスを。

 可憐なウルスラには白と桃色を基調としたドレスを。


(アーシェはおしとやかな雰囲気があって最高だし、ベルはどこか嗜虐心しぎゃくしんを煽ってくるし、ウルスラは花のように可憐だ……というか今まで僕は三人とどんな会話をしてたっけ?)


 屋敷へと向かう四人の道中は、異様な雰囲気を放っていた。ルシアンは真愛を自覚したことで、三人の美しい姿に、抱きしめて連れ去りたくなる気持ちを抑えていた。そのせいで普段より口数も少なくなっていた。

 なぜか三人もチラチラとルシアンを見るだけで、会話をすることはなく、ベルの速く浅い呼吸音がやけに耳に残った。

 その不思議な空気感は、屋敷についても変わることはなかった。三人はエドワードやマリーダ、使用人達とはいつも通り会話をしていたが、ルシアンとは目が合う度に気まずそうに顔を逸らしていた。


「……なんだこれは? 喧嘩でもしたのか?」

「……違うわよ。いい歳のくせにルシアンったらどうしていいかわからないのよ」


 三人に聞こえないように小声でヒソヒソと話していたエドワードとマリーダの会話は、近くにいたルシアンには余裕で聞こえていた。

 マリーダに関しては、むしろ聞かせていると言っても過言ではないほどの絶妙な声量だった。


(いや、一番混乱してるの僕だからね!? 本当に父上と話してた時の僕はなんだったの? 真愛とか名付けてかっこつけたけど、本当にどうしていいかわからない……アーシェもベルもウルスラも綺麗すぎる。今思ったら僕ってご褒美とか言ってかっこつけてただけなんだよね……どうしよう……)


 愛するものを前にしたルシアンは、あまりにもクソ雑魚だった。






 

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