第21話 アーシェの教育④


 ミーリス男爵家の屋敷では、アーシェの発見した『紫美根シビネ』について話し合いが行われていた。

 

「……どうですか?父上、母上」


 会議室に参加しているのは、四人。男爵家のエドワード、マリーダ、ルシアン、発見者のアーシェだ。

 あれから二人で話し合い、『紫美根』の活用法についての企画書をまとめ上げた。

 アーシェにしては珍しくルシアンに抱きついて甘えていたので、ほとんどをルシアンが仕上げることになったが、彼女も内容は理解しているようだった。


「……ふむ。ルシアン……私たちに一体何を求めているんだ?」

「そうねぇ……こんなにしっかりした企画書まで持ってきて……困った子だわぁ」

「えっ!? その……ダメでしょうか……」


 企画書の内容は『紫美根シビネ』を商業区の料理店に卸してラクシャクの名物料理として振る舞ってもらい、マリーダには広告塔として協力して欲しいという内容だった。

 二人から返ってきた言葉にルシアンは焦っていた。


「……いや、すまないな。あまりにも形式ばっていて驚いたんだ。もちろん許可するし、協力もする。元よりお前達がやりたいことを、否定するわけもないだろう? 真面目すぎるのも考えものだな! ルシアン!」

「かわいい息子と娘の活躍を、応援しない親などいません! 私にできることなら協力するわよ! ね? アーシェちゃん!」

「おかあさま……ありがとうございます!」


 呆れたように笑ったエドワードにホッとしたが、その安堵が消し飛ぶほどに、驚くべきことが起きていた。


(……おかあさま? 娘? なんかいつのまにか親子になってない? なんか……外堀から埋められてない? この様子だとアーシェもベルもウルスラも、母上公認てこと? この子たち僕のこと管理したいとか言ってたよ! 母上ッ)


 アーシェとマリーダは二人の世界へと旅立っており、次のお茶会の話や、モチコの話で盛り上がっていた。


「……しかし本当にアーシェは優秀だな。ラクシャクにきて二週間足らずで、新種の根菜か……美容効果だけならまだしも育乳効果か」

「えぇ、本当に彼女たちは素晴らしいですね。少し支援するだけで、恐ろしく働き回りますから」


 アーシェだけでなく、ベルとウルスラの成長速度にも驚かされてばかりだ。

 ベルに勝てる人物はこのラクシャクには、もうルシアンしかいないと言っていいほどに、立派な槍術士になっている。

 ウルスラはベルと共に、ミーリスの森の中層にある草原地帯に頻繁に足を運び、魔物牧場の構想を練りながら、新たな魔物の飼育について勉強をしている。


「……確かにルシアンの言う通り、一月や二月ほど教育をせずとも、問題なさそうだな」

「えっ!?」


 感心したようなエドワードの言葉に反応したのは、ルシアンではなく、アーシェだった。


「おとうさま、ルシアン様……何の話でしょうか?」

「えっ……いや……これは来週からの話だよ!」


 マリーダに向けて太陽のような笑顔を向けていたアーシェは、エドワードの言葉を聞いてグリンッと首を回し、ルシアンたちの方へ静かに声をかけた。

 その迫力にエドワードは黙り込んでしまい、ルシアンは何か悪いことがバレてしまったように焦った。


「アーシェちゃんは聞かされてないの? ルシアンは来週から、ナイラちゃんに会うために、王都へ行くことになってるのよ?」

「……へぇ。そうだったんですね? 初めて聞きました。ありがとうございます! おかあさま!」


 マリーダは無敵だった。そしてアーシェの返事は、まるでルシアンを責めているように聞こえた。


「さ、さぁ! 私もそろそろ仕事に戻らなければならない……『紫美根』の件はうまくいくことを願っているぞ! ルシアン……頑張れ! ハハハ……」


 そういってルシアンに向けて親指を立ててからエドワードは逃走した。


「あら、もうこんな時間なのね……私も午後からはセルベルア伯爵夫人にお呼ばれされているの……アーシェちゃん、また女四人でお茶会をしましょ?」

「はい! おかあさま! お気をつけて!」


 二人きりにされたルシアンは、アーシェの顔を見ることができなかった。


「……ルシアン様? 私の部屋でお話を聞かせてもらえますか?」

「……はい」


 ルシアンはアーシェの後ろを着いていく最中に、『そういえば、父上もおとうさまとか言われてたな』と、もはや逃げ場はどこにもないことをぼんやりとした頭で理解していた。





 「…………脱いでください」


 二人は無言で教育施設へと戻った。

 アーシェの部屋に着いてすぐに、ルシアンにかけられた言葉は容赦のないものだった。


「えっと……アーシェ?」

「……話は触診しょくしんしながら聞くことにします」


 アーシェの言葉に、ご褒美は上半身の触診だったことを思い出したルシアンは、何のためらいもなく半裸になった。


「なっ……なんですかッ! その……いやらしぃ体は……こ、この体で何人の女を弄んできたのですかッ!」


 ベッドに腰掛けて、ルシアンが脱いでいくのを見守っていたアーシェは、あらわになった上半身を見て興奮していた。


「これはダメです……可愛らしいお顔に、こんな漢らしい体なんてダメです……あってはいけません」

「あの……アーシェさん?あのぉ……」


 十年間、戦い抜いた歴戦の騎士の上半身を前に、アーシェは立ち上がり、ほうけたように呟きながら、筋肉の段差や傷跡をねっとりとした手つきで撫でていた。ルシアンは完全に混乱していた。


「す、座ってください!」

「……うん」


 フーッフーッと荒い呼吸をして興奮したようなアーシェは、ルシアンと共にベッドに腰掛けた。


「こ、この傷は、どうやってできたのですか……」


 アーシェのやたらと熱くなった手が撫でたのは、右横腹にできた一際目立つ刺し傷だった。


「あぁこの傷はね……初めて敵につけられた傷だよ。確か盗賊退治の時に、短剣で刺された時のやつだね」


 その傷のことは、ルシアンもよく覚えていた。


「自分の腹から出る血を触った時に、内臓だと勘違いしちゃって、泣きながら大騒ぎしたんだ……そしたら隊のみんなが大笑いしてて……その傷のせいで恥ずかしい思いをしたよ」

「ひどい……ルシアン様の体に……こんなに大きな傷を……」


 ルシアンは自らの恥ずかしい思い出話を笑いながら披露したが、アーシェはあまり聞いていないのか、いつのまにかルシアンに抱きついて、その傷を食い入るように眺めていた。

 困ったように笑うルシアンが、王都に行くことの話だけど——と、切り出そうとした瞬間、傷跡をぬるりとした暖かいものがう感触に襲われた。


「ぇぁ……ご、ごめんなさい! その……違うんです!」


 ルシアンが傷跡の方を見やると、真っ赤な舌を蛇のようにチロリと出したアーシェが、慌てふためいていた。


「……ふーん。アーシェはそういう性癖なんだ? まぁ否定はしないよ……それで? 王都の話はいいのかなぁ?」

「こっ……このッ女誑し! します! しますとも! 王都の話をしましょう!」


 ルシアンはあえて強気な態度でアーシェを揶揄からかった。ここ最近アーシェの策略にしてやられていたお返しがしたかったのだ。小娘に手玉に取られるようなルシアンではないと。


(ふふっ……こうして見ると、アーシェもまだまだ小娘だね。ここで話を逸らされるようなら、まだ僕の方が強いね。いくら賢くなっても、男女の経験値は稼げないからねぇ)


 ルシアンがアーシェやベルの性癖を、否定しないのには理由があった。

 性癖とは人生を楽しむ上での調味料の一つだと思っているからだ。だからルシアンは否定することも、取り上げることもしない。

 そして何よりも大きな理由が——ルシアン自身が世界で最も性癖が終わっていることを自覚しているからだ。

 

「僕が王都に行く理由はね。適性検査に使われる水晶の解析が進んだみたいだから、ナイラの話を聞きに行きたいんだ」

「……それは納得するしかありませんね」


 完全にルシアンに主導権を取られたアーシェは、取り繕うこともやめて、拗ねたようにルシアンの体に絡みついていた。


「だから僕がいない間、ベルとウルスラのこと頼むね?本当は今週の教育が終わってから、三人に話すつもりだったんだけどね」

「はい! 任せてください! その間にルシアン様を負かす方法も考えておきます!」


 そう言ってのけたアーシェは、完全に吹っ切れたのか、獰猛な笑顔をルシアンに披露した。そしてアーシェのその笑顔を見たルシアンの心臓はドクッと大きく高鳴った。


 ルシアンは『圧倒的強者を蹂躙する』ことに興奮する『最も性癖終わりし狂い男』なのだ。




 

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