第17話 ウルスラの教育②



「先生……ほんとうに森に桃羊がいるの?」

「そうだよ? ミーリスの森の中層はね……少しだけ特殊なんだよ」


 桃羊を捕獲するべく、ルシアンとウルスラはミーリスの森の浅層を歩いていた。

 ラクシャク東部に広がるミーリスの森は中層までの道が少しずつ切り拓かれており、アーシェと入ったときよりも安全になっている。


 これはミーリスの森に凶悪な魔物が棲みつくのを防ぐことや、これから頻繁に出入りするようになる三人の生徒の安全のために、空いた夜の時間でルシアンが整備していたからだ。

 いずれは森の最奥部に広がる山岳地帯までも開拓する予定だ。


「ウルスラ着いたよ……みてごらん」

「うわぁ……すごいっ! 先生! すごい!」


 鬱蒼としたミーリスの森の浅層を抜けた先には、まるで森を切り裂くように薄緑の草原地帯が広がっていた。


「森の中にこんな草原があるなんて……神秘的」


 ウルスラはミーリスの森の独特な構造に感動しているようだった。ルシアン自身も初めてこの景色を見たとき、エドワードの前ではしゃいだ記憶がある。

 草原地帯の先の森の深部は、肉食の魔物が生息する危険地帯となっているが、この草原には魔物よけの桃羊が繁殖していることで、安全地帯と危険地帯の境界線の役割も果たしている。

 そしてルシアンはベルが育ってから奥の森林地帯の安全を確保できたら、この草原地帯に魔物とのふれあい広場を作ろうと考えていた。


「ウルスラほらあそこみて!」

「え……か、かわいい……先生あれって」

「桃羊だよ」


 ルシアンが指差した方向には、のっぺりした顔で草をむしゃむしゃと食べているふわふわの砂糖菓子のような生き物——桃羊の群れが確認できた。


「うわぁ……かわいすぎるぅ……なにあれぇ……反則だよぉ……先生! 近づいてもいい?」

「大丈夫だよ。でも大きな音は立てないように気をつけてね」


 やはり年頃の少女にはたまらない愛らしさだったのか、ウルスラは大きな黒目をキラキラと輝かせながら、静かに桃羊に近づいていく。

 ウルスラは道中採取していた薬草を背嚢はいのうから取り出すと、孤立している一匹の桃羊の前に差し出した。

 その桃羊はおそらく成体であるが、まだ若い個体なのか少し小柄だった。桃羊は成体の最大の大きさでも人間の子供ほどの大きさしかなく、幼体だと人間の赤ちゃんほどの大きさしかないのだ。


「ミィーミィー」

「え? うそぉ……鳴き声までかわいいなんて反則だよぉ!」


 ウルスラは桃羊の鳴き声を聞いて、完全にとろけていた。昨日は魔物をメロメロにすると意気込んでいたが、実際にメロメロにされたのはウルスラの方だったようだ。


(……ウルスラと桃羊がじゃれてる姿、すごく癒される。これこそまさに平和って感じだ)


 この空間はまるで平和を象徴するかのような穏やかな時が流れていた。

 森林の中に秘境のように存在する草原で初夏の陽射しを浴びて、森の浅層から優しく吹く涼しい風に頬を撫でられる。

 目の前では美しい黒髪の少女とふわふわのもふもふがじゃれあっている。まさしくラクシャクでしか味わえない穏やかな時間の過ごし方だった。

 ルシアンは想像する。この空間で桃羊をはじめとした愛らしい魔物とじゃれあっている中、東屋で氷菓ひょうかやお菓子、紅茶を楽しめるひと時を。


(人気が出ないわけがない……こんなの大人も子供も一生見てられる。それに僕も桃羊を触りたい。なんならあのもふもふを抱き枕にして眠りにつきたい)


 居ても立ってもいられなくなったルシアンは、ウルスラのそばへと向かう。


「ミィミィミィーミィー」

「うんうん。ほらぁ、美味しい薬草だよぉ……食べていいんだよぉ……大きくなってねぇ?」


 ウルスラは捕獲することなど忘れて、もふもふを撫でながら薬草を食べさせていた。小柄な桃羊もウルスラに甘えるような鳴き声を出しながら、薬草をむしゃむしゃと食べていた。


「ウルスラ? 心を通わせることはできた?」

「あっ……先生! この子すごく喜んでるよ! 桃羊はミグリス草が一番好きみたい!」


 ルシアンに気づいたウルスラは今度は自分の番と言わんばかりに、ルシアンの腕にしがみつき甘えてきた。

 桃羊がウルスラに甘えて、ウルスラがルシアンに甘えるという変な構図になってしまったが、意思疎通は取れているようだった。桃羊が薬草の中でもミグリス草を特に好むことなど、ルシアンですら知らない情報なのだ。


「それでね……この子は私たちのところに付いてきてくれるみたいだよ?」

「……もうウルスラは立派な魔物使いだね。多分その子は家族がいないんだよ」


 群れから引き離すことに抵抗があるのか、ウルスラは少し戸惑っているようだったが、ルシアンは桃羊の群れを観察していた。

 この桃羊は体が小さく、群れから少し離れて孤立していたことから、おそらく何らかの天敵によって、庇護者である親を失っているのだろうと考えていた。

 一見すると桃羊の群れは大きな一つの群れに見えるが、よく観察すると違う。実際には三から五体の小さな群れが集まって、大きな群れに見えているだけなのだ。


「え? そうだったんだ……確かに私がこの子に近寄ったのも、一匹で孤立してたからだし、よく考えたらそうかも!」

「この子が本当にいいって言ってるならウルスラに任せるよ? ただ責任を持って三人で育ててもらうことになるけど」


 正直なところ愛着が湧いてしまった以上、この場に置いていくのはかわいそうな気もしていた。

 ルシアンもミグリス草をたくさんあげるつもりで乗り気だったが、あくまでこれはウルスラの勉強の一貫でもあるので、その気持ちは隠していた。


「そっか……そうだよね! 魔物だって生きてるんだから家族と離れ離れになって一人は寂しいもんね……先生! 私この子のこと責任持って育てる! アーシェとベルにもちゃんとお願いする!」


 ウルスラはこの桃羊が過去の自分と同じ境遇であると感じたのか、噛み締めるように納得した後、力強くルシアンに宣言した。

 その姿を見たルシアンは、笑顔で頷いた。


(危ない危ない……僕、このままウルスラのパパになってしまうところだった)


 ウルスラの成長を感じたことで、父性が爆発しかけていたルシアンは頭がおかしくなっていた。

 ルシアンはウルスラの成長する姿に、とことん弱かった。普段甘えてばかりの彼女が、時折見せるこの姿に父性が限界突破しかけるのだ。

 ウルスラはルシアンをぐちゃぐちゃにしてお世話して管理したいと言っていたが、それさえなければ、ただの無邪気で優しい少女なのだ。


「ミィーミィミィ」

「モチコ、今日から私たちが家族だよぉ……私たちがモチコのママとパパだよぉ」

「……ウ、ウルスラ、そろそろ帰ろっか」


 ツッコミどころが多すぎて、ルシアンはまともに会話するのを放棄した。頭がおかしくなっていたのはウルスラも同様だったようだ。


「はーい! パパ! モチコのこと抱っこしてあげて?」

「……う、うん」


 勝手にパパにされたルシアンは、モチコを抱っこしてもふもふを優しく撫でながら、教育施設へと帰った。


「ミィィ……」


 疑問だらけのルシアンの脳内は、撫でられて気持ちよさそうなモチコの表情に癒されたことで、全ての疑問がどうでもよくなった。





「せんせっ! 私、今日初めて飼育士としての仕事をしたよぉ! すごいでしょ?」

「ウルスラは本当に成長したね! 自主練までやってたみたいだし、本当に変わった!」


 教育施設の大部屋でルシアンとウルスラは、体を洗われて眠ったモチコを見ながら会話をしていた。


「じゃあ昨日のアレ、長めにしてほしいなぁ」

「……昨日も十分長かったよ? 中々離してくれなかったし、今日は汗もかいちゃったし、ね?」


 ルシアンとしては汗をかいてしまった分、長く抱擁するのは遠慮したかった。


「……だからいいんだよ? はい……せんせぇの匂い、いっぱいつけて?」


 ウルスラはそう言って昨日と同じように両手を広げて、ルシアンを待っていた。


「……わかった。臭いとか言わないでね」


 ルシアンは無駄な抵抗をすることなく、ウルスラを抱きしめた。ウルスラはたった二日で魔物を手懐けたのだから、ご褒美をもらう権利は充分あった。


「あぁ! せんせっ……においすごぃ……せんせっ」


 ルシアンの腕の中に閉じ込められたウルスラは深呼吸を数回した後、ルシアンの背中をぎゅうっと抱きしめながら、興奮を隠しきれないように呟いていた。


(なんか僕……ご褒美をあげることに、段々抵抗がなくなってきてるような気がする)


 ルシアンはウルスラのサラサラの黒髪を左手で撫でるのが、癖になってしまっていることに気づき、自身が段々毒されていることに気づいた。


「せんせっだいすき……せんせっ」

「……ミィ?」


 いつのまにか起きていたモチコの、のっぺりした顔と目があったルシアンは、苦笑いをするしかなかった。


 


 

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