賢人の理想郷〜奴隷を教育して男爵領を改革〜

馬渡黒秋

序章 騎士帰りの男

第1話 教育者


「ルシアン様、こちらが退職金の金貨三百枚になります。お疲れ様でした」

「ありがとうございます。では」


 セグナクト王国は十五年もの時を戦い続けて、大陸の統一という悲願を達成したことにより、平凡な騎士であったルシアンは、騎士の任を解かれて無職となった。

 しかし退職金を受け取ったルシアンは、職を失った者とは思えないほどに、爽やかな笑顔を浮かべていた。

 それもそのはずである。

 ルシアンは自身に戦闘の適性がないことに気づいており、騎士としての出世にも興味がなく、只々、早く戦争が終わって欲しかっただけなのだから。


(長かった……十年頑張りましたよ! エドワード様!)

 

 ルシアンは自身の恩人であるエドワード——セグナクト王国、ミーリス男爵家当主エドワード・ミーリスの言葉に従い、世界を知るために騎士を十年も続けたのだ。





 ルシアンは元々、王都の貧民街でスリや泥棒をして生きる孤児だった。


 長く続く戦争の煽りを受けて出来上がった貧民街の様子は、ひどいものだった。

 子供達は飢えをしのぐために鼠や虫を食べた。ルシアンは、土や木の味までも知っていた。

 大人達は子供を道具や玩具の様に扱い、死体が転がっていても誰も何も言わない。

 まさに顕現けんげんした地獄だった。


 その地獄からルシアンを救い上げたのが、エドワードだ。

 定期的に貧民街へ孤児の保護に来ていたエドワードは、汚い獣の様なルシアンを抱きしめて、こう言った。


「君は少しは賢いようだね? でも『賢人』へと至りたいのならば、騎士となって世界を知りなさい。そうしたら私は、君がその力を振るえる場所をあげよう」


 初めて人の温かさを知った十一歳のルシアンは『なんだこの傲慢ごうまんな男は』と思いながらも、その温かさの中で涙を流した。


 その日からエドワードの庇護ひごを受けることになったルシアンは、必死に努力をした。

 騎士学校に入学して戦闘訓練を受けている時に、騎士としての適性がないことに気づいたが、それも努力と知恵でごり押して、ギリギリの成績ではあったが卒業した。

 十五歳で騎士となり、それから十年間、戦争が終わるこの日まで騎士として勤め上げたのだ。


 つまりこれまでの人生は、これからの本当の人生を始めるための、下準備だったということだ。





(適性検査の結果が領主とかだったらどうしようかな……エドワード様に伝えるのは、ちょっとだけ気まずいなぁ)


 適性検査のために教会へと向かっていたルシアンは、エドワードに似たのかあまりにも傲慢なことを考えていた。

 この十年で、社会の仕組みを知り、様々な不条理と愚かな状況を目の当たりにしてきた。

 その度に解決策を思考してきたルシアンは、エドワードの言った通り『賢人』と呼べるほどに賢くなったといえる。

 戦闘面においても、完璧には動けなくとも強者の動きを分解して、説明できるほどには理解している。


(まぁそのときはそのときだ。それにしても……流石に目立つね……)


 教会内部の一角にある適性検査場へと足を運んだルシアンは、とてつもなく目立っていた。

 この国では十代のうちに適性検査を受けて、自身の適性を知るのが一般的である。

 しかし自身の適性を知ることによって、邪念が生まれることを嫌ったルシアンは、二十五歳となる現在まで適性検査を受けてこなかった。

 つまり適性検査場には、未来の可能性を持った十代の少年少女で溢れかえっているのだ。

 

(この子達はこれからどんな道を歩むんだろ。戦争中は戦闘系の適性は人気だったけど、これからの平和な世は……魔物や賊の討伐か、警備隊くらいしか仕事ないしね)


 そんな中で騎士姿のルシアンは、順番待ちの椅子に座りながら、若者達の未来を案じていた。

 そのようなことをまるで父親の眼差しで考えていると、順番が回ってくる。


「次の方どうぞーっ!」

「よろしくお願いします」

「あらっ? 珍しいですね? 適性の確認にいらしたのですか?」


 係の女性は二十代の騎士姿の男という珍しい存在のルシアンに、驚きの表情を見せていた。


「いえ、初めてなもので少し緊張してます」

「まぁ! 騎士様はご冗談がお上手なのですね。では少し血をいただきますねー」


 さらけ出した本音は高度な冗談だと思われたのか、係の女性はふふっと笑って、ルシアンの親指の腹を針で刺して採血した。


「数分ほどで、この水晶に適性が映りますので、少々お待ちくださいねー」


 係の女性の言葉に頷いたルシアンは、目の前の水晶に興味津々であった。

 適性検査に使われる水晶は、現在より一万年前の高度文明時代の遺物とされており、セグナクト王国全体でも二百個ほどしかなく、中々お目にかかれるものではないのだ。


(これを見つけたものは、よくこの使い道を見つけたものだね。しかし適性を見破る水晶とは恐ろしい。まるで……ある種の呪いみたいだ)


 ルシアンは目の前の水晶相手に長年の癖となっている考察をしていた。


「あっ、出ましたよー! えっ何これ……」

「えっ? どうしま——え?」


 係の女性の声が困惑していることに焦ったルシアンは、急いで水晶を覗き込んだ。

 そこに映っていたのは『教育者』という聞いたことがない適性だった。


「お、おめでとうございます?」


 なぜ疑問系なのかはよくわからなかったが、ルシアンは笑うしかなかった。


 『教育者』という知らない適性の元騎士。


 その意味のわからない自身の環境が面白かったのだ。

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