第三十一話
【アルカ視点】
時は少しだけ遡り、アキラたちが戦い始めるのとほとんど同じ頃。
あたしは去り際にアキラから頼まれた通り、シイナたちの見張り役をしていた。気は乗らなかったけど頼まれてしまったものは仕方がない。
大の字で倒れたまま動かないヨルクラ、そのすぐ側に座り込んでいるシイナたちに声をかける。
「……で、あんたたちはもう馬鹿なこと考えてないでしょうね?」
あたしの問いかけにシイナはひたすら無言で俯いていた。その態度を咎めるよう黒い影がシイナの頬をぐっと掴んでこちらへと向ける。
「アルカさんだっけ? えー、この度はウチのアヤが大変ご迷惑をおかけました。ほら、アヤっちもちゃんとごめんなさいしよ?」
「……巻き込んで本当にごめんなさい」
一見、とても恐ろしい姿をした黒い影がまるで親代わりのようにシイナに頭を下げさせている。
話によるとこの影がタツオに自殺へと追い込まれた、サチという女の子の成れの果てなのだろう。
「はぁ、あんたにあったら色々言ってやりたかったことはあるけど……もういいわ」
二人のそのコントじみたやりとりを見ていたら毒気が抜かれてしまった。
結局のところ、あたしの疑いはもう晴れたし命も狙われていない。そうとなれば全部がどうだっていい。
こんな世の中で一々細かいことにつまずいていたら、到底生きていけないから。
「じゃあ、問題はなさそうね。だったら、あたしはアキラのところへいくから」
シイナとサチの二人?にそう宣言しながら、その場を去ろうとした時だった……。
「あぁ〜、よく寝たぜッッ! イマ復活ッッ!!」
「うるっさいわね!?」
耳をつんざくような大声でヨルクラが跳ね起きたので、思わず反応してしまった。
「あんた、あの黒服に毒でやられたんじゃなかったの?」
「はっ、毒なんて裏返したんだよ。ダンジョンの伝説の理屈は凡人にはわからねぇだろうけどな」
「……単なる体力馬鹿でしょ?」
腕や首をゴキゴキと鳴らしながら、得意げな顔をしたヨルクラは辺りをぐるりと見回しシイナを指差した。
「んで?えーと、誰だっけか。おめぇがタツオたちを殺したんだよな? 弔いのタイマンを申し込むぜ」
「……わ、私は」
突然の指名にうろたえるシイナとの間に立ちはだかるように影が入った。表情はあまりわからないが睨みつけているように見える。
「ちょっと待ちなさい! あんたさっきまでと言ってることが違うわ。シイナに殺しが出来るほど度胸がないって言ったのはどの口よ!?」
「あぁ? 喧嘩する理由なんざ何でもいいだろうが、こんなのは寝起きの軽いウォーミングアップなんだよ。でもな、冒険者のくせに一度吐いた唾を簡単に飲み込めると思ってるのは気に食わねえな。切った啖呵くらいは張り通せや」
反論するあたしに対して興味なさげに言葉を返し、ヨルクラはシイナを挑発するように見つめた。
そのまま、ゆっくりと近づいていく彼にあたしより先に黒い影が動く。
「はぁ〜? 勝手なこと言いすぎでマジウケるんだけど。そもそも、はじめにウチへ酷いことしたのはあんたらでしょうが!」
「あー、おめぇを傷つけたのは悪かったよ。でも、死ぬことを選んだのは結局お前自身だろ?」
……コイツ、何で一々全てを逆撫でするようなことをいうわけ? あたしもちょっと性格がよくない部分はあると思ってたけど、それにしても別格すぎる。
「カッチーン、それを本人に言えちゃうデリカシーのなさがムカつくわ。アヤっち、やっぱアイツやっちゃおっか」
「そうね」
ほら、余計なことばっかり喋るからまたシイナたちの復讐心に火がついちゃった。
どうやって収拾つけたらいいのよ、これ?
「だいたいよぉ、おめぇらは何いつまでも昔のことをだらだら引きずってんだよ。タツオたちもあの時は間違ったことをした、だから切り替えて真面目に生きてた。お前らもとっとと前向いて生きるべきだった。違うか?」
「それを、あんたにだけは言われたくないッ!」
シイナはヨルクラのほぼ挑発じみた言葉を受けて両手にダガーを握りしめる。それと同時に影も臨戦体制をとった。
「おっしゃ、やる気充分だな。やっぱり文句があるなら、ごちゃごちゃ言ってねぇで殴り合うのが手っ取り早いぜ」
そう言いながら、ヨルクラがシャドウボクシングのように拳を空中で振るうと空気が弾け衝撃波がシイナに向かっていく。
「ああもう。ややこしいからそのままずっと倒れていてくれればよかったのに」
「なんだぁ、テメェ? 引っ込んでろよ、大怪我するぜ」
あたしがそれを全身で受け止めると、ヨルクラは手でシッシと犬でも追い払うような仕草を見せた。
今の一撃だけでも気絶してしまいそうなくらいのダメージだ。
これがAクラス冒険者との実力差か、その称号はどうやら伊達じゃないらしい。
「シイナたちにあんたは殺させないし、あんたにシイナたちを殺させもしない」
「あぁ? どういう正義感だよ、オレらがどうなろうとおめぇには関係ねぇだろうが」
心底から面倒くさそうにあくびをしながらヨルクラは吐き捨てた。
「別に正義がどうなんて大層な気持ちはあたしにはないわ。でもね、アキラにここを任された以上は『どうぞ好き勝手に殺し合ってください』って訳にもいかないのよ」
「ほぉん、見上げた義理だな。んじゃ、三人まとめてかかってこいや。オレに片膝をつかせたら負けでいいぜ、その時は鼻からスパゲッティでも何でもしてやるよ。雑魚どもには丁度いいハンデだろ」
その台詞とほぼ同時にヨルクラの正面から影が、真後ろからシイナが完璧なコンビネーションで襲いかかる。
それはとても視線で追いきれないような速度だったので、流石のAランクでも対処できないだろうと側からはそう感じた。
「おっせーよ」
が、しかし。余裕そうなヨルクラは最小限のスウェーで影の攻撃をかわすと、そのまま後ろ回し蹴りを放ってシイナを蹴り飛ばした。
それでも何とか起きあがり、魔術を詠唱しようとするシイナへ隙を与えず追撃の蹴りを入れる。
派手に地面を転がされたシイナは口元に流れる血を拭いながら、ヨルクラを睨みつけていた。
「ははは。憎いやつに転がされて悔しいかよ。だったら強くなりやがれ、この世のルールは単純だぜ? とにかく強ぇ奴……最後に立ってる奴だけが正しい」
「あんたの理論なら、殺されたタツオも悪かったってことになるけど」
あたしはシイナにトドメをさそうとするヨルクラへ『血の鋭槍』を放って足止めしようとしたが彼は片手でそれを弾いてしまった。
「あぁ? ぴーぴーうるせぇ奴だな。結局はオレが一番強ェんだから、オレの言ってることが一番正しいに決まってんだろうが!?」
「ああもう、だから単細胞は嫌なのよ」
しかも、実力そのものは本物だから余計にタチが悪い。コイツの言うとおり『力はあるけれど道義的に間違っているやつ』なんて基本的には外から正しようがないんだから。
ぐったりとして動けなくなったシイナを後回しにすると決めたのか、ヨルクラは余裕綽々でこちらへ歩いてくる。
「はっ、馬鹿は強くなきゃ生き残れねえ、上等だよ。だからオレは誰よりも強くなった。その結果がこれだろ?」
「もういいわ、時間の無駄よ。だったらあんたの理屈でわからせれば良いってことよね。サチちゃんだっけ? シイナをよろしく」
今にも飛びかかっていきそうな影を手で制し、手短にそれを伝えると戸惑いながらも言うことを聞いてくれたようだ。
影が弱ったシイナを遠くへ運んでいくのを見て、あたしはヨルクラに向き合う。
「全身ズタボロなのに減らず口を叩きやがるもんだぜ。その調子じゃ立ってるだけでもやっとだろうが」
「メンヘラ舐めんな、精神に比べりゃ身体の痛みなんてどうってことないわ」
啖呵を切りながら、全身からいまも大量に流れていく血液が沸騰しそうなほどに熱を持っているのを感じる。
「『
こぼれ落ちていった血液が全身を塗り固めるように体表を覆い、やがて真っ赤な狼のような姿に変貌していく。
四肢に巨大な三爪の刃が生えて、腕と足だけがとりわけ強靭になった。
「それがマジモードってわけか。面白ェ、んじゃ次の一撃で決着にしようぜ」
ヨルクラは笑みを浮かべながら、その場でボクシングの基本的な姿勢をとる。余裕そうな脱力でありつつも、全く隙のない完璧な構えだ。
数秒の間が空いて、見えはしないがヨルクラが踏み込んできたのが感覚だけで伝わってくる。
渾身の右ストレート、しかしそれを敢えて避けずにノーガードのクロスカウンターでヨルクラの左膝に全力の攻撃を仕掛ける。
両手を握り合わせて、ハンマーのように真っ直ぐと振り下ろした。
「マジかよ、どんな肝っ玉してやがる」
瞬間、物凄い衝撃と共にあたしの身体が吹き飛ばされてバラバラになったかと思った。
「……膝をついたから、あんたの負け。それでいいわね?」
ヨルクラは呆れたような表情をしていたが、確かに片膝をついていた。
なんだか、全身の骨のほとんど全部が折れてしまったような気がする。
「んで、負けたオレは何をすればいい?」
「あんたはシイナに土下座でもして謝って。それで、アキラが戻ってくるまでは大人しくしてること。いい?」
「男に二言はねぇよ」
そういうと、ヨルクラは広間の端の方で見守っていたシイナたちへ向けて綺麗な土下座をしてみせた。
「で、あんたたちも、今の実力じゃコイツにはどうやったって勝てないんだからひとまず諦めて。どうしてもまだ殺したかったら、続きは強くなって自分らでやりなさい。いい?」
「……わ、わかりました」
シイナの代わりに、サチが少し引いたような声色であたしの言葉に返事をした。
「じゃ、後は任せたわよ」
「そんな身体でどこへいくんですか」
微かに意識が残っていたらしいシイナがあたしに問いかけてくる。
「何処って、アキラのところに行くのよ」
「……あの、そうしたらシキシマくんにありがとうって」
その続きをあたしは手でさえぎった。
「あのね、あたしは伝書鳩じゃないの。そういうことは直接あって本人にいいなさいよ、その方があいつだって喜ぶわ」
「……」
黙りこくってしまったシイナの目を見つめて続ける。
「あんた、これからも生きるんでしょ?」
「……はい」
間は空いたが、真っ直ぐな瞳で彼女は頷いた。この調子ならそれを信じても大丈夫だろう。
「ん、だったら尚のこと自分の口で伝えなさい。言いたいことは互いに生きているうちにちゃんと言わなきゃ後悔するわよ」
シイナたちに向かってひらひらと手を振り、あたしはボロボロの身体を引きずって歩く。
ふらりとよろめいてしまったところで、ヨルクラが身体を支えてきた。
「待てよ、途中までは連れてってやる。そんなんじゃ道中でくたばるのがオチだぜ」
「はぁ?いまさらいい人ぶらないでよ」
振り払おうとするあたしを彼は全く意に介していないようだった。もはやヨルクラの中で送り届けることは決定事項であって、何を言っても覆らないようだ。
……つくづく勝手すぎるやつめ。
「あのな、これは善意じゃなくて敬意だぜ。オレは強ェやつを老若男女問わずに尊敬してんだ。あんた、名前は?」
「アカガネ アルカよ。ほんとに一貫した馬鹿ね」
呆れてため息をついたあたしに動じることもなく、彼はこめかみを人差し指でこつこつと叩きながら言う。
「その名前、ちゃんと覚えたぜ」
「あんたはまず一般常識から覚えなさいよ」
「頑張ってはみるぜ」
そうして、ヨルクラと世間話をしながらアキラの元までたどり着いた時、珍しくあいつが苦戦しているところだった。
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