第三十話


「待てよ」


黒服を追ってダンジョンの奥へ奥へと進んでいくと、いつの間にか神殿のような建造物の中へと入り込んでいた。


自分がいま何層にいるのかさえわからないが、ダンジョンの内部というよりは崩れ落ちた都市の中を歩いているような風景だ。


時々聞いたこともないようなモンスターの鳴き声が響いていたが、不思議とここまで襲われることはなかった。


「やはり追ってきたのは不死身……シキシマか。ちょうど刻印を持つ者同士、ゆっくりと話したかったところだよ」


「じゃあ訊くが、お前はこんなダンジョンの奥底まで何をしにきたんだ?」


俺の問いかけに黒服はやれやれと肩をすくめてみせる。


「もちろん、復讐の為だ。貴様にも聞こえるだろう? 虐げられた人々の嘆き苦しみ、そして怨嗟に満ちた祈りが」


そう言いながら、黒服がわざとらしく両耳に手を当てた。


目を閉じて神経を研ぎ澄ませてみると、辺りからは先ほどまで気がつかなかった争うような剣戟や悲鳴が聞こえてくる。


『奪われたものを取り返せ』

『死には死を以って報いよ』


『復讐せよ』『復讐せよ』『復讐せよ』


そして、胸が詰まるような暗い感情の渦が伝わってくるようだった。


「度重なる報復により滅んだ古代都市【シッパル】。不浄なるものを迎えるのにこれ以上なく穢れた場所だ」


そう言いながら、黒服が指し示した方角には台座があった。


まるで何かの儀式が行われたかのように、王冠を被った死体が幾つもの獲物に刺され残虐に殺されている。


それは気高い存在を徹底的に汚し辱めているようにも見えた。


「古代都市? ここはダンジョンの中じゃないのか?」


「我々が普段ダンジョンと呼んでいるものは、この世界とはズレた次元に存在する文明のアーカイブだよ。ダンジョンとは神々からの恩恵であると同時に人類が乗り越えるべき試練でもある」


似たようなことを黒服はさっき上でも言っていたな。


「何のためにそんなことを」


「来るべき星の終末に備えた、予行練習のようなものだ。その為に神々は報酬を用意したり、災害を起こして人々をどうにかダンジョンへと招き……そして基準を満たしたものに刻印を与える」


「……」


神は終末に備えて人類を選別している?


随分と荒唐無稽な話だが、ダンジョン災害はその方法の一つとして意図的に引き起こされるものらしい。


そして、俺やアルカや黒服の家族は選別の過程で死んでしまったということになるのだろう。


「それが本当なら神様ってのはずいぶんと勝手なんだな」


「その通りだ。まぁ我々がシミュレーションゲームで遊んでいる時、より優秀な個体を求めて間引く行為に罪悪感を覚えないのと同じだろう」


……まぁ、それはそうか。


ダンジョンを作り出せてしまうような存在からすれば、人の命なんてゲーム上のデータとさして変わりないのかもしれない。


つまり、黒服の語る神とは道徳的な存在ではなく画面の向こう側で遊んでいるような高次元の生命体ということか。


「そして、あれがダンジョンコア……この空間を創り上げる為の莫大なエネルギーを他次元から転送しているポータルだ。通常はボスを倒しコアを砕けば、それでダンジョンは跡形もなく消滅する。晴れてゲームクリアというわけだな」


黒服の指さす台座の上には澱んだ緑色をした大きな宝石が浮かんでいる。


実物は初めて見たが、あれがダンジョンコアなのか……想像よりも禍々しい姿だな。


「しかし、私はコアを利用し他次元への道をこじあけ不浄なる神を顕現する。本来は堕落したサチの魂を依代にする予定だったが……。まぁ、足りるだろう」


黒服は俺に背を向けると両手を高く掲げた。


同時に膨大な力がコアから放たれ、切り裂かれた空間から激しいエネルギーの塊が吹きだす。


やがて、時空を超えて現れたおぞましい深緑の群体……コケのようなものが黒服の身体を侵食し、歪な羽と尾を持った姿に変えていく。


「あぁ、とても素晴らしい。生きとし生けるもの全てを冒涜し、穢し尽くすような力だ。これが、不浄なる【ニルガル】の力……!」


「不死の大鎌ッ!」


満足げな台詞と共に怪物と化した黒服が放った魔術をなんとか大鎌で逸らす。


確かに、切り裂いた感覚はあったが刃先にコケのようなものが纏わりついてしまった。


そこから、まるで腐敗するように鎌……いや、俺という存在そのものが蝕まれていくのがわかる。


「シキシマ、この世界は不公平だと思わないか?」


「……そうだな」


ニルガルの獣のように大きく鋭い爪を受け止めながら答えた。


一撃、二撃と攻撃をくらうたびに腐敗が進んでいくのが伝わってくる。


「神も人間も己が目的の為に容易く他者を踏みにじり、大切なものを奪い去っていく。お前も私と同じ、そういった横暴の被害者だ。そうだろう?」


「ああ」


余裕そうにつらつらと言葉を並べながら攻撃を繰り返すニルガルに対し、俺は返事をするだけでもやっとだった。


奴は新しく手に入った力を身体に馴染ませているような、そんな動きをしている。


「私は長いこと冒険者協会の下で働いてきた。協会の内部は既に腐りきり、歯止めの効かなくなった権力は様々な事件を隠蔽した。シイナの件もその内の一つだ」


止めどない攻撃をうけながらも、そこで大鎌による反撃がようやくニルガルの頭部を捉えた。


それは致命傷とまではいかなかったが、覆っていた群体が剥がれ、その下からくたびれた男の顔が現れる。


輝きを失った黒い瞳、大きな目元のくま。その表情からは生きることに疲れ切ったという印象を受けた。


「遺族の悲痛な訴えに、告発を選んだ同僚も死に追いやられた。組織はそれさえ大義にとっては小さな犠牲だと言い放つ。そこには私が子供の頃に憧れた、民間人を助け守るヒーローという像は欠片もなかった」


彼は闇夜よりも暗く失意に満ちた瞳をこちらへ向けながら淡々と述べる。


「私はこんなことをする為に今までの人生を歩んできたのか? 妻を失い、貫くべき信念も失い、もはや良心さえも失なった」


吐き捨てるような台詞と共に、ニルガルの周りからは徐々に濃い瘴気が溢れ出していく。


やつは得た力をコントロールしつつある…… なるべく早く決着をつけないとまずいかもしれない。


「【黄金卿】に教えられて思い至ったよ。この不浄の刻印は穢れた世界に罰を下す為に与えられたものなのではないか……とな。それから私は人々の復讐を助力し、代理することに決めた」


「その結果、ウスイの魂を化け物のような姿に変えてしまったんだろ」


言いながら、傷の治りがいつもよりもずっと遅いことに気がつく。不死の力と不浄の力が拮抗しているのかもしれなかった。


「たった一つの魂が表層へ現れるなど想定外のことではあったが……構わないではないか。どんな形であれ死んだ友人と再会できたのであれば、シイナも喜んでいることだろう」


「本気で言ってるのか?」


男の笑みに対して、俺は睨みつけるように問いかける。


「ああ、本気だとも。私も亡き妻にもう一度会えるというのなら、どんな姿形でも構わないさ。それが愛情というものだろう?」


それに彼は光のない瞳でにこりと笑いながら答えた。


「……狂ってるな」


呟くような言葉に、ニルガルはゆっくりとこちらまで歩みを進め俺の肩を両腕で掴んだ。


「狂っている? それは私がか?それともこの世界がか? なぁ、答えてくれ、シキシマ。私がおかしいと言うのならば……正義とは一体なんだ? 私はこんな穢れた世界にどう抗えばよかった?」


鋭い爪を肩に食い込ませながら、真っ直ぐとこちらを見つめてくる男に俺は怯まず向き合った。


「そんなとはわかんねぇよ。でも、一つだけはっきりしてることがある。シイナの復讐心を計画の道具として利用したお前の選択は間違いだ」


俺の言葉に男はピンときていないような顔で首を傾げた。


「利用? ……違うな。それは彼女自身が望んだことだ。いや、彼女だけではない。踏み躙られた者たちはみな言葉には出さなくとも心の奥底では憎しみを忘れずに復讐の機会を願っている。否定できるか?」


「どうしたって忘れられないことと、実際に行動へ移すことは違うだろ。そんなやり方じゃ、いつまで経っても過去を乗り越えられない」


「乗り越える? 一度、穢された魂が元になど戻るものか。人の心は不可逆だ、どれだけ時間が経とうと傷が癒えることなどない」


彼は俺の言葉に感情をあらわにして声を荒げる。同時に勢いを増した瘴気に身体が吹き飛ばされ、冷たい石の床に転がった。


……決して、男の言うことが理解できないわけではない。それでもそれを認めてしまったら、未来は完全に閉ざされてしまうことになる。


アルカのようにどうにか憎しみと折り合いをつけながら生きる選択だってある筈なんだ。


「そんなのはお前が勝手に出した結論だろうが」


大鎌を支えに身体を起こし、ボロボロの身体でどうにか立ち上がる。


「違うな。これは弱き者たちの総意だよ」


そこまで言うと、彼は俺を見下すように深くため息をついた。


「まぁいい、くだらないディベートはここまでにしよう。所詮は善や悪など結果論に過ぎないのだからな」


ニルガルを群体ゴケが包み込むと、繭のような球体を作り出し始める。


「ならば、弱者も強者も平等に不浄へ堕すればいい。その為に全ての魂を穢し、冒涜するだろう。それこそが私の求める復讐だ」


「んなこと、させるかよ」


大仰な台詞と共に、徐々に球体へとひびが入っていき内側から竜のような姿へと変貌したニルガルが現れた。


「それが本気ってわけか」


俺はそこで一度身体を点検し、コケに侵食された部分から腐敗が始まった左腕を肘下で切り落とす。


やはり不浄の力は強力だ、いつものように切断された部分から腕が生えてくる気配はなかった。


「どうした? 満身創痍に見えるが、不死身の力はその程度か?」


「焦るなよ、第二ラウンドはまだ始まったばかりだろ」


こうなればもうリスクを背負って全力を出すしかない。コイツを野放しにするくらいなら、記憶が多少失われてしまっても仕方がないだろう。


覚悟を決めた時、建物一面に血色の薔薇が咲き乱れた。


その広大な花畑は、ニルガールの姿さえ遮って見えなくするほどのものだった。


「なによアキラ、格好つけておいてずいぶんと派手にやられてるじゃない?」


優しげな声と共に後ろからそっと体を引き寄せられる。

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