第5章 荒井注
**荒井注との出会い**
中西が刑務所に入ってから数ヶ月が過ぎた頃、彼のもとに一人の男が面会に訪れた。男は、中西と同じ年齢くらいの中肉中背の男で、整えられたスーツを身にまとい、鋭い眼光を持っていた。看守が「荒井注」という名前を告げ、男は無言のまま中西を見つめた。
「荒井注、か…。どこかで聞いたことがあるな…」中西は記憶をたどりながら、面会室に入った。
面会室の小さなテーブルを挟んで、二人は対峙した。荒井はまず口を開くことなく、中西の表情をじっと観察していた。しばらくして、荒井が低く静かな声で語りかけた。
「中西一晟、お前のことは調べさせてもらった。どうやら、ブラック企業での辛い経験が、お前をこの場所に追いやったようだな」
中西は一瞬、動揺した。だが、それを表に出さずに返答した。「それがどうした。お前は誰なんだ?」
荒井は微笑みながら、自分の名刺をテーブルに置いた。「俺は、荒井注。フリーランスのジャーナリストだ。お前が働いていた会社のことを調査している」
中西はその言葉に驚きつつも、警戒心を解くことはなかった。「なぜ、俺に会いに来たんだ?」
荒井は少し体を前に乗り出し、中西の目をまっすぐに見つめた。「お前の話を聞きたいんだ。お前が働いていた会社のこと、そこで起きていたこと、そして、なぜお前がその会社を脅そうと思ったのか。全てを話してくれないか」
中西は一瞬、沈黙した。荒井の真剣な眼差しに、彼の心は揺れ動いた。だが、彼はすぐに警戒心を取り戻し、荒井に問いかけた。「それを話したところで、何になる?」
荒井は軽く息をつき、穏やかな表情を浮かべた。「お前が話してくれたことを、俺は記事にするつもりだ。お前の名前は伏せる。だが、真実を世間に知らしめるためには、お前の証言が必要なんだ」
中西は再び考え込んだ。これまでずっと、自分の中で燻っていた怒りと後悔が、荒井の言葉によって再び燃え上がりそうになっていた。だが、その一方で、彼は自分の言葉がどんな結果を生むのか、恐れも感じていた。
「お前が言っていることが、本当に世の中に影響を与えるのか?」
荒井は力強く頷いた。「もちろんだ。お前が話してくれれば、俺は全力でそれを伝える。お前の声を通じて、多くの人々に真実を知ってもらうことができるんだ」
中西はしばらく考えた後、ゆっくりと口を開いた。「…わかった。俺が知っていること、全部話そう。ただし、俺の名前は絶対に出すな」
荒井は満足そうに頷き、ポケットからノートとペンを取り出した。「もちろんだ。それじゃあ、話を聞かせてくれ」
こうして、荒井注は中西一晟の証言を元に、かつてのブラック企業の実態を暴露するための取材を始めた。中西の証言は、荒井の筆によって広く世間に伝わることとなり、ブラック企業の不正が明るみに出るきっかけとなった。そして、中西は、少しずつだが、自分の罪と向き合いながらも、再び社会と戦う準備を進めていった。
荒井注との出会いは、中西にとっての新たな転機であり、彼の人生の再出発を象徴する出来事となったのだ。
荒井注は、中西の話を聞き終えた後、静かに立ち上がり、ノートとペンを片付けた。部屋の中には張り詰めた緊張感が漂っていたが、荒井はそれを破るかのように突然、声を張り上げた。
「何だバカヤロウ!」
中西は驚いて荒井を見つめた。荒井はニヤリと笑い、肩をすくめて言った。「まあ、そう言いたくなる気持ちも分かるさ。お前はひどい目に遭ったが、これから先、そいつらに一矢報いるチャンスがある。俺がその手助けをしてやる」
荒井の突然の言葉に、中西は一瞬戸惑いながらも、荒井の真剣な目を見て、その言葉の裏にある強い意志を感じ取った。荒井の言葉は、冗談めかしていたが、その中には中西に対する励ましと、これからの戦いへの覚悟が込められていた。
荒井は最後に一言、「今度はお前が何だバカヤロウって言い返す番だ」と冗談交じりに言って、部屋を後にした。その言葉が、中西の心に一筋の希望と決意を残したのだった。
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