第3話

 悪夢のような時間が過ぎた──


 あの後、リーゼはふらつく足で自分の屋敷に帰ろうとしたが、ウィルフレッドに止められた。


「何処へ行く?」

「帰ります。父に報告しなければ……」


 どこから話せばいいのか…今から胃が痛いが、話さない訳にはいかない。断罪からの婚約なんて、前代未聞だ。父の血圧が上がらない事だけを祈るしかない。


 言い訳と弁解に頭を悩ましているリーゼの耳に、思いもしない言葉が聞こえた。


「その事なら心配いらない。俺が既に報告済みだ。それと、君を暫く預かる許可も得ている」

「はぁ!?!?!?」


 開いた口が塞がらないと言うのはこういう事だろう。


 いつの間にそんな連絡を!?いや、そんな事より、聞こえちゃいけない言葉が聞こえた気が…


「あ、あの、暫く預かるとは?」

「あの二人の事だ。恥をかかされたと逆恨みして、君に危害が及ぶ恐れがあるからな。保護すると言う名目で許可を取ってきた」


 淡々と述べるウィルフレッドに、リーゼは茫然とした。


 ウィルフレッドの言うとおり、プライドの高いあの二人がこのまま黙っているはずないとは思う。思うが…


(保護は言い過ぎじゃない?)


 いくらなんでも屋敷に火を放つ程の馬鹿じゃないだろうし、最悪命を狙われても家には騎士である兄がいる。団長であるウィルフレッドが知らないはずがない。それに、貴族である以上衛兵はどの屋敷にも在中している。


「不満そうな顔をしているな」

「当たり前です。本人の許可無く勝手に決められたんですよ?」

「ほお?俺は許可無く婚約者に仕立てあげられたが?」

「…………」


 愉しげに言われ、ぐうの音も出なかった。

 もう言い返す気力も体力もないリーゼは、やって来た侍女の後を大人しくついて行く事しか出来なかった。


「こちらになります」


 そう言って通された部屋は、広々とした一室。


(客間にしては豪華すぎない?いや、これがここでは普通の感覚なの?)


 この際、寝れることさえ出来れば屋根裏部屋でも良かったのに…金持ちの感覚は分からん。とぼやきそうになったところで、とんでもない言葉が耳に飛びこんできた。


「因みに、お隣はウィルフレッド様のお部屋となっております」

「ん゛!?!?!?!?」


 思わず変な声が漏れたが、まあ、仕方ない。


 更にリーゼの視線の先には、隣の部屋と続くようにドアが一つあった。その存在感たるや否や…

 リーゼは額から汗を噴き出しながら、確認するように恐る恐る問いかけた。


「……もしかして、この部屋と繋がってるとか……ないよね?」

「はい。続き部屋になっております」


 当然と言わんばかりの笑顔で言われ、リーゼは膝から崩れ落ちた。


(有り得ない…)


 仮の婚約者だろうと、未婚の男女が続き部屋って…


「鍵はかかっておりますので、安心してお休み下さい」


 ニッコリ穏やかな笑みを向けられたが、この状況で安心出来る奴がいるなら見てみたい…


(うん。これはあれだ。考えたら駄目なやつだ)


 自分の知る一般常識が通用しない状況に、リーゼは一切の思考を止めた。心を無にして落ち着かせていないと、体力が持たない。


 そのままベッドに倒れ込むと、気を失うようにして眠りについた。



 ❊❊❊



 ウィルフレッドは窓枠に腰掛けながら、夜空を眺めていた。手には酒の入ったグラスが握られている。

 今宵の月は大層美しく、月夜酒をするにはもってこいだった。


 だが、月を眺めていても思い出すのはリーゼの事ばかり。


 ロドルフの婚約者であるリーゼの事は勿論知っていた。当然、アマリアの事も…

 いつかはこんな日が来るんではないかと思っていたが、まさかあんな大勢の前で婚約破棄を言い出すとは予測出来なかった。


 叔父であるウィルフレッドは止めようと思えば止めれた。しかし目の前で断罪する王子に屈する事なく、凛とした態度で淡々と皮肉を込めて言い返すリーゼを目にして、何とも威勢のいいの令嬢がいたもんだ。と思いながら現場を眺めてしまった。


 その視線に気付いたのかどうかは分からないが、目が合った瞬間にリーゼがこちらへやって来て「お詫びは後ほど」と一言言ったかと思えば、俺を好いていると言い出した。


 目の前で茫然とするロドルフを見て、彼女の思惑に勘づいた。

 まさかこの状況を逆手に取り、あの二人に恥をかかせようなど普通の令嬢じゃ考えられないものだった。


(その為に、ロドルフの叔父である俺を利用するなんてな…)


 フッと思わず笑みが溢れた。


 考えとしては満点だった。ウィルフレッド自身も、利用された事などなかったから新鮮な感覚で面白かった。

 だが、利用されるのはいいが、されたままというのはどうにも癪に障る。


 ウィルフレッドは意趣返しの意味も込めて、リーゼの唇を奪った。


 このような公の場で唇を奪うなど言語道断。それはウィルフレッドが一番よく知っている。


 ならば何故──?


「……この歳で一目惚れとはな……」


 自嘲しながら月を眺めた。


 強くて美しい。そして、ずる賢い彼女の姿に惚れた。初めて、女性を欲しいと思った。

 幸いな事に、リーゼはウィルフレッドの婚約者になると名言までしてくれた。あとは、逃がさない為に周りを固めるだけ。


「利用した相手が悪かったな」


 そう呟き、月の浮かぶ酒を一気に呷った。



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