双曲線上の反実仮想

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第一章 通り雨とバス停

目の前に二つに分かれた道が続いている。

どちらか一方を選んだ後はもう引き返すことはできない。

進んだ先でもう一方に合流することができる分岐点が、救済措置のように存在している。

だがある時、決定的で宿命的な分岐点に行き当たる。その時点ではそれと気がつかなくても。



 急にあたりが薄暗くなって、季節外れの雨が降り始める。わたしは時刻表から大幅に遅れているバスを待っている。今はまだ小雨だからいいけれど、本格的に降ってきたら制服も髪もずぶ濡れだ。

 とりあえず持っていたキャラクタが印刷されたクリアファイルをかざして急場を凌ぐ。


 ようやく来たかと思ったけれど”Out of Service”の電光掲示が目に入る。

落胆していると目の前をクラスメートの男の子が横切っていった。あっと声をかける間もなく通り過ぎる。歩くのはやいな。そもそもクラスでほとんど話したことがないし、あまり認識されてないのかも。どんどん雨雲が垂れこめてきて憂鬱になる。

 交差点で青信号が点滅する。

 男の子は走って横断歩道を渡り切るように見えた。でも何を思ったのか横断歩道の真ん中から引き返してきた。あろうことかそのままバス停まで戻ってきた。



 立花さん傘忘れたの、とほとんど聞き取れない早口でぶっきらぼうにそう尋ねられた。


「いつもは折りたたみ傘を必ずカバンに入れてるんだけど、今日は入ってなくて多分学校かバイト先のロッカーにあるのかも。

 天気予報って毎日変わるのに肝心な時にこれじゃ意味ないよね」

 わたしはわたしであまり要領を得ない答え方をする。


「折りたたみ傘は便利でいいよね。長傘よりは幾分好きかもしれない。少なくとも長靴なんて冴えないやつよりは。

 僕は最寄り駅から家まで歩いて10分もかからない。でもその間に傘無しだと困るからこれは貸せない。

 バスが来るまで一緒に待つよ。どうせすぐ来るだろう」


 そう言って男の子は傘を半分、というよりほとんど全部をわたしの頭の上に差し出した。近くで並ぶと随分と背が高く感じる。

 校門の外にいるからといってお互い饒舌になるというわけでもなく。仕方がないから当たり障りのない話。

 英語のクラス(男の子とわたしはたまたま上級クラスでいっしょだった)で出された”最近見た映画の感想を英語でレポートにまとめて発表する”という課題について話した。


 わたしはキアヌ・リーブスとサンドラ・ブロックが演じるラブストーリーにしようと思っていると答える。

 男の子は、実はその作品は僕も気になっていたという。


「スタリッシュな救世主が弾丸を避けるアクションじゃなくて、ありふれたヒューマンドラマをスクリーンで観たい」ともっともらしい理由を添えて。


 その流れで、今度の土日どちらか空いてる日に観に行こうと中途半端な約束をしたところでようやくバスが到着。

 傘をありがとう、と言って手を振ってバイバイ。


 バスは停留所から10m進んでセブンイレブンの前、赤信号で停止。今更ながら彼の連絡先を知らないことに気づく。

 周りの目を盗んで学校で話せるタイミングを見つけるか、また帰り道が一緒になるかどちらにしても前途多難。雨がバスの窓を流れていくのを眺めてため息。

 でもどこかそれを楽しんでいる自分がいた。



 暗雲がいよいよ本格的な雨を運んできた。僕は交差点を走って渡りきったところで息を整える。スポーツも勉強も振るわないけれど、見てみぬふりと気づかないふりだけは全国大会にシード枠で出場できる自信がある。


 その瞬間、体が透明になって二つに分かれて幽体離脱していくような感覚に襲われる。後ろ髪を引かれる思いでバス停を横切った時まで巻き戻る。

 天からもう一人の自分を見下ろしている。能動的に動いて変化を起こすことができる、こうありたいと思っている自分。

 そいつは休日に映画を観る約束をする。肩を雨に濡らして、しかし満足そうに一本遅い電車に乗って家路に着く。


 蜘蛛の糸のように細く複雑な可能性の先を辿る。

 雨の日の二日後。金曜日の午後、アドレス帳に1件新規登録される。その先にはハサミで半分こにしたプリントシール、お揃いの携帯ストラップ、並んで眺めた打上花火。あとは冷やかし半分の卒業アルバムの落書きとか、ささやかなキラキラが用意されている。

 透明な体は宙をさまよってまた僕の体に憑依する。

 何もない掌には一人分の雨に濡れた折りたたみ傘だけが残されていた。



目の前に二つに分かれた道が続いている。

どちらか一方を選んだ後はもう引き返すことはできない。

選ばれなかった方の道筋は消失してしまうのだろうか?


遠く離れた場所で違う人と別の時間を過ごして、異なる思考や感情を抱く。


そのこと自体を共通項として括る。忘れかけていたできごとから別の意味を見つけ出したい。

よく晴れた日に使われることのない雨傘を手に取って眺めるように。








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